JR西に厳しく指導を 事故調説明会で遺族ら 尼崎脱線(神戸新聞) - goo ニュース
JR西に厳しく指導を 事故調説明会で遺族ら 尼崎脱線
2007年7月8日(日)07:29
百七人が死亡した尼崎JR脱線事故で、事故原因についての調査結果をまとめた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)最終報告書の説明会が七日午後、川西市小花二のみつなかホールであった。遺族・負傷者が対象で、二百七十二人が出席。調査結果を評価する声とともに、国の責任に言及していないことへの意見や、JR西日本への厳しい指導を求める要望などが出た。
国交省近畿運輸局が主催した。事故調委による被害者への説明会は、二〇〇五年九月の中間報告後と、〇六年十二月の事実関係報告書案公表後に次いで三回目。
説明会では中桐宏樹・首席調査官らが、事故の主原因となったカーブでの大幅な速度超過について、直前の伊丹駅でオーバーランした高見隆二郎運転士=死亡当時(23)=が、ミスした運転士に課される「日勤教育」を恐れ、車掌と輸送指令の無線交信に聞き入るなどしてブレーキが遅れた可能性が高い-などと説明。続いて、出席者から質疑を受けた。
遺族から「曲線の危険性について、国の認識の甘さが、事故を意招いたのではないか」との質問や、「国がJR西を厳しく指導しない限り、JR西の体質は変わらない」などの意見が出された。
事故調委は「すべての質問に答えたい」として、質疑を続け、説明会は約七時間に及んだ。また、終了後、出席者から「再度、開いてほしい」との要望が相次ぎ、近畿運輸局は「検討する」と答えた。
一体 何があったのだろう、この二年の間。
JR福知山線脱線事故 航空・鉄道事故調査委員会による原因の特定
航空・鉄道事故調査委員会(以下、事故調)は、2006年12月20日、事故の原因は「運転士が無線の会話に気を取られ、ブレーキ操作が遅れて70km/h制限の右カーブに116km/hで進入したため」とする事実調査報告提案書を公表した。事実関係の記述だけで300ページ超と日航機墜落事故報告書を上回り、加えてJR西日本の社内体質の問題にも踏み込んでおり、日本の事故調査報告書としては過去最大の分量となった。
事故調は、JR西日本側の反論などを聞く公聴会を開いたあと、再度、事故調査報告書案を提出して受理されたうえで2007年2月に最終報告書をまとめた。
2007年6月、委員会は事故原因について、運転士が直前に犯したオーバーランで処分を受けることを恐れて車掌の無線交信に気を取られ、「運転から注意がそれ、現場カーブでブレーキが遅れた」と結論付けた。 そして「JR西日本の運転士に対する懲罰的な日勤教育や懲戒処分が事故の背景にある」として、JR西日本の企業体質を批判する最終報告書を公表し、2年以上にわたった事故調査が終了した。事故調査委員会が事故原因について、企業体質の問題に踏み込むのはきわめて異例のことであった。最終報告を受け、事故原因について事故調に鑑定依頼していた兵庫県警は刑事責任追及に向けて捜査を本格化させる。
脱線の原因
伊丹駅を午前9時16分ごろに出発したのち、70km/h制限の現場右カーブ(半径304m)に116km/hで進入した。この際、運転士はカーブ進入直後に常用ブレーキ1段目、さらに3~4段目を約0.2秒、5段目を約0.8秒、6段目を約0.2秒、7段目を約2.4秒使用して105km/hに減速した段階で最大の8段目を使用している。しかし、このときにはすでに右側車輪が遠心力で宙に浮いた状態になり、9時18分54秒ごろ1両目が左へ転倒するように脱線。続いて2~5両目が脱線した。
事故後の状態において、レバーが非常ブレーキの位置に入っていたが走行中において非常ブレーキを操作した形跡がなかったために、これは事故の衝撃によりブレーキレバーが動いたものとみられる。
現場カーブの転覆限界速度について、JR西日本は当初133km/hとの数字を公表するもののこれも空車の状態で横揺れを考慮しないものであった。事故調は、現場と同じ半径304mの右曲線で当時と同じ1両目93人、2両目133人乗車としてシミュレーションを重ねた結果、列車の横揺れも考慮した場合、転覆限界速度は106km/hであったと判定。事故は単純な速度超過による横転脱線と結論づけた。
事故当時の討論番組で 鉄道専門家という人が「あの車両は たとえ120キロで進入しても 問題のない設計になっている」ことを力説していたが、ひょっとして 責任を感じて 自殺でもしちゃったかな?
運転士の行動
事故調は、当初から運転士の心理が大きく影響した可能性に注目している。報告書でも、運転士と車掌の当日の行動について詳細に記述している。
運転士は前日の勤務を終えた後、放出派出所(東大阪市)で宿泊し、2005年4月25日午前6時8分に点呼を受けて乗務を開始。8時31分、事故車となる尼崎発宝塚行き回送電車に乗務した。
8時54分、宝塚駅構内の分岐器(40km/h制限)に65km/hで進入して、ATS(自動列車停止装置)による非常ブレーキでホーム手前に停車する。番線を勘違いした可能性もある。再出発後に再びATSで停車する。
進行方向転換のため速やかに反対側の運転席に移動すべきところを、平均の3倍近い2分50秒も車内にとどまる。交代のために来た車掌は外で待たされていたが、運転士は何をするわけでもなく憮然としていた。
ようやく外に出てきた運転士に車掌が「P(ATS-P)で止まったん?」と聞くが、無視する。
電車の再起動の際、試験無線ボタンを特殊操作(車掌と総合司令所の会話を聞けるようになる裏技として運転士の間で知られていた)宝塚駅構内でのATS作動は報告義務があるため、車掌が総合司令所に報告する内容を聞こうとした可能性がある。
同志社前行き快速列車として15秒遅れの9時4分00秒に宝塚駅を出発。
伊丹駅の停車位置の643m手前を113km/hで走行中、ATSの停車ボイス機能「停車です・停車です」が発動するがそのまま走行。468m手前では2度目の警告音声「停車・停車」が発動し、ブレーキ操作をするものの所定の位置を通過する。72mオーバーラン。
伊丹駅を1分20秒遅れの9時16分10秒に発車。124~125km/hまで加速したのち惰性運転。
車掌が「次は尼崎」とアナウンスを始めた際、車内電話で「まけてくれへんか」と依頼。それに対して、車掌が「大分と行っとるで?」と返答しかけたとき乗客が窓を叩いてオーバーランのお詫び放送を要求したために会話が中断する。
お詫び放送の後、9時18分、車掌が総合司令所を列車無線で呼び出し、オーバーランの報告を始める。このとき2段目ブレーキがわずかに使用される。
車掌「えー、行き過ぎですけれども、およそ8m行きすぎて…」この言葉の間にブレーキ開始の目安となる名神高速道路の高架橋下を通過するがブレーキ操作はなし。
車掌と総合司令所との会話が事故現場のカーブまで続く。
総合司令所が「それでは替わりまして、(事故列車の)運転士応答できますか」と呼びかける。
同時刻、列車が事故現場のカーブに116km/hで進入。初めてブレーキ操作を始めるが脱線する。
運転士は、遺体発見当時、右の手袋を外してビニールケースにも書ける特殊な赤鉛筆を取り出していた。また、運転士は特殊な無線操作をして車掌の会話を「盗み聞き」しており、無線通話が始まってから事故現場のカーブにさしかかるまでの約40秒間、一切の運転操作が行われていなかった。
これらのことから、事故調は運転士が車掌の報告と矛盾しないように通話内容をメモしようとしていたと推定。このため、本来ブレーキをかけるべき地点の名神高速高架橋にさしかかってもブレーキ操作を全く行わなかったと結論づけた。さらに、「運転士は電車が傾いた後も慌てることなく普段の運転時よりも少し傾いてるように見えた」という乗客の証言から運転士は事故の瞬間まで危険を認識していなかったとされる意見もある。
JR福知山線脱線事故 当初疑われた原因
乗用車衝突説
事故発生当初は、現場に大破した乗用車の存在と列車の脱線の事実のみが伝わったことから「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そして、JR西日本が当初「踏切内での乗用車との衝突事故」と発表したために、報道各社はこのJR西日本の発表を流した。また、この乗用車が線路上に放置されたものとして、所有者を探し出して事故を起こしたことについて責任を問詰めよる記者もいた。しかし、塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在しておらず、また、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから否定されるにいたる。報道各社は、JRが発表しているとの理由でテロップや配信ニュースでは乗用車との衝突事故との表現が続けられて、乗用車との衝突が否定された後も誤った情報を流しつづけた事をすぐに説明しなかった。
線路置石説
JR西日本は、事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で「粉砕痕」の写真を報道機関に見せるなどして「置石」による事故を示唆した。しかし、事故列車の直前に大阪方面へ向かう特急が通過するなど列車の往来が激しい区間であることや、当初、「置石」があった証拠として挙げられたレール上の「粉砕痕」は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致して「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んで出来たものと考えるのが自然である」との見解が出されたことによってこの説は否定された。また、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が置石説を否定する発言を行ったためにJR西日本も置石説を撤回する発言を行う。
列車速度超過説
速度の記録から現場の制限速度を大幅に越えた走行をしていたことが判明している。また、事故直前の列車速度が事故現場のカーブにおける転覆限界の105km/h~110km/hを超えていた可能性も存在する。
事故を起こした列車は、直前の停車駅である伊丹駅で約70mオーバーランしたために伊丹駅を1分30秒(異説あり)遅れで発車していた。また、始発の宝塚駅や次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える等、極めて不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうとして制限速度を越えた可能性がある。
現場のカーブは前述の通り半径300メートルで制限速度は70km/h。しかし、事故当時、列車は116km/hで進入、脱線したとされる記録では最低108km/h出ている。当該線区に設置されていた自動列車停止装置(ATS-SW) はJR西日本管内では最も古いタイプであった為、これがあたかも事故を防げなかった原因であるかのような報道がされ続けていたが、これは誤報である。「新型ATS」である自動列車停止装置(ATS-P)でなくとも、速度照査用の地上子等を設置すれば速度照査機能の付加はATS-SWでも可能であり「旧型ATS」が直ちに事故原因になったものではない。ATS-SWは、旧式のATS-S型に速度照査機能を加えて大幅に改良したものであり、速度超過を事例に絞れば、“SW型”が非常ブレーキで列車を停止させてしまうに対して“P型”では常用最大ブレーキで減速し設定速度を下回ると自緩するの違いだけである。ATS-SW型は過密線区に向かないものの当該線は過密線区とは言えない。
速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があったが、初期の調査の結果、レールの傷跡から最大の原因は後者であると断定された。
非常ブレーキ説
カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを掛けなければ脱線および横転の可能性は少なかったといわれた。のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後車体が傾きだしていたにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。(走行中に連結器が開放されると非常ブレーキが自動的に作動する構造となっている)
せり上がり脱線説
運転士がカーブ手前でそれに気づいて非常ブレーキをかけたために(後に否定される)車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、「せり上がり脱線」が起こり事故にいたったという見方もある。しかしながら、通常のせり上がり脱線が発生するためには、車輪に非常に高い横圧がかかることが必要で現場の半径300メートルのカーブ程度では通常は考えにくい。
また、現場の枕木に残された走行痕からせり上がり脱線(乗り上がり脱線)も同時に起きていたのではないかと考えられている。転覆に至る過程において車軸が傾いたことによってレールに対する実効フランジ高が減少して比較的低い横圧でもせり上がり、それが副次的要因となって脱線に至ったのではないかというものである。
横転脱線説
速度超過の事実が知られていなかった(?)初期の段階においては、上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車のバランスが崩れて進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないかとする見方があった。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であって「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。
その後、非常ブレーキの使用は否定されたが、一方で、かなりの速度超過があったことが確実視されるようになり、カーブによる遠心力そのものによって横転が発生したとされるようになった。
油圧ダンパー(ヨーダンパ)故障説
複数の乗客から「油のような臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に、車掌からも輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していたことから、新幹線などの高速車両にも搭載されている「ヨーダンパ」が故障していたのではないかとの説がある。
―――。
睡眠時無呼吸症候群による居眠り説
当初より、事故原因の一つとして睡眠時無呼吸症候群(SAS)による運転士の居眠りをあげる意見がある。―――
仮説とシュミレーションによって、運転手(当時23歳)一人の責任であることを確認しました。しかし それではあまりにも一方的過ぎる などと言われても困るので、カモフラージュのため JR西日本の企業体質にまで言及してみました。
この完璧なシナリオの作成に、実に 二年と二ヶ月を要しましたとさ。
JR西に厳しく指導を 事故調説明会で遺族ら 尼崎脱線
2007年7月8日(日)07:29
百七人が死亡した尼崎JR脱線事故で、事故原因についての調査結果をまとめた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)最終報告書の説明会が七日午後、川西市小花二のみつなかホールであった。遺族・負傷者が対象で、二百七十二人が出席。調査結果を評価する声とともに、国の責任に言及していないことへの意見や、JR西日本への厳しい指導を求める要望などが出た。
国交省近畿運輸局が主催した。事故調委による被害者への説明会は、二〇〇五年九月の中間報告後と、〇六年十二月の事実関係報告書案公表後に次いで三回目。
説明会では中桐宏樹・首席調査官らが、事故の主原因となったカーブでの大幅な速度超過について、直前の伊丹駅でオーバーランした高見隆二郎運転士=死亡当時(23)=が、ミスした運転士に課される「日勤教育」を恐れ、車掌と輸送指令の無線交信に聞き入るなどしてブレーキが遅れた可能性が高い-などと説明。続いて、出席者から質疑を受けた。
遺族から「曲線の危険性について、国の認識の甘さが、事故を意招いたのではないか」との質問や、「国がJR西を厳しく指導しない限り、JR西の体質は変わらない」などの意見が出された。
事故調委は「すべての質問に答えたい」として、質疑を続け、説明会は約七時間に及んだ。また、終了後、出席者から「再度、開いてほしい」との要望が相次ぎ、近畿運輸局は「検討する」と答えた。
一体 何があったのだろう、この二年の間。
JR福知山線脱線事故 航空・鉄道事故調査委員会による原因の特定
航空・鉄道事故調査委員会(以下、事故調)は、2006年12月20日、事故の原因は「運転士が無線の会話に気を取られ、ブレーキ操作が遅れて70km/h制限の右カーブに116km/hで進入したため」とする事実調査報告提案書を公表した。事実関係の記述だけで300ページ超と日航機墜落事故報告書を上回り、加えてJR西日本の社内体質の問題にも踏み込んでおり、日本の事故調査報告書としては過去最大の分量となった。
事故調は、JR西日本側の反論などを聞く公聴会を開いたあと、再度、事故調査報告書案を提出して受理されたうえで2007年2月に最終報告書をまとめた。
2007年6月、委員会は事故原因について、運転士が直前に犯したオーバーランで処分を受けることを恐れて車掌の無線交信に気を取られ、「運転から注意がそれ、現場カーブでブレーキが遅れた」と結論付けた。 そして「JR西日本の運転士に対する懲罰的な日勤教育や懲戒処分が事故の背景にある」として、JR西日本の企業体質を批判する最終報告書を公表し、2年以上にわたった事故調査が終了した。事故調査委員会が事故原因について、企業体質の問題に踏み込むのはきわめて異例のことであった。最終報告を受け、事故原因について事故調に鑑定依頼していた兵庫県警は刑事責任追及に向けて捜査を本格化させる。
脱線の原因
伊丹駅を午前9時16分ごろに出発したのち、70km/h制限の現場右カーブ(半径304m)に116km/hで進入した。この際、運転士はカーブ進入直後に常用ブレーキ1段目、さらに3~4段目を約0.2秒、5段目を約0.8秒、6段目を約0.2秒、7段目を約2.4秒使用して105km/hに減速した段階で最大の8段目を使用している。しかし、このときにはすでに右側車輪が遠心力で宙に浮いた状態になり、9時18分54秒ごろ1両目が左へ転倒するように脱線。続いて2~5両目が脱線した。
事故後の状態において、レバーが非常ブレーキの位置に入っていたが走行中において非常ブレーキを操作した形跡がなかったために、これは事故の衝撃によりブレーキレバーが動いたものとみられる。
現場カーブの転覆限界速度について、JR西日本は当初133km/hとの数字を公表するもののこれも空車の状態で横揺れを考慮しないものであった。事故調は、現場と同じ半径304mの右曲線で当時と同じ1両目93人、2両目133人乗車としてシミュレーションを重ねた結果、列車の横揺れも考慮した場合、転覆限界速度は106km/hであったと判定。事故は単純な速度超過による横転脱線と結論づけた。
事故当時の討論番組で 鉄道専門家という人が「あの車両は たとえ120キロで進入しても 問題のない設計になっている」ことを力説していたが、ひょっとして 責任を感じて 自殺でもしちゃったかな?
運転士の行動
事故調は、当初から運転士の心理が大きく影響した可能性に注目している。報告書でも、運転士と車掌の当日の行動について詳細に記述している。
運転士は前日の勤務を終えた後、放出派出所(東大阪市)で宿泊し、2005年4月25日午前6時8分に点呼を受けて乗務を開始。8時31分、事故車となる尼崎発宝塚行き回送電車に乗務した。
8時54分、宝塚駅構内の分岐器(40km/h制限)に65km/hで進入して、ATS(自動列車停止装置)による非常ブレーキでホーム手前に停車する。番線を勘違いした可能性もある。再出発後に再びATSで停車する。
進行方向転換のため速やかに反対側の運転席に移動すべきところを、平均の3倍近い2分50秒も車内にとどまる。交代のために来た車掌は外で待たされていたが、運転士は何をするわけでもなく憮然としていた。
ようやく外に出てきた運転士に車掌が「P(ATS-P)で止まったん?」と聞くが、無視する。
電車の再起動の際、試験無線ボタンを特殊操作(車掌と総合司令所の会話を聞けるようになる裏技として運転士の間で知られていた)宝塚駅構内でのATS作動は報告義務があるため、車掌が総合司令所に報告する内容を聞こうとした可能性がある。
同志社前行き快速列車として15秒遅れの9時4分00秒に宝塚駅を出発。
伊丹駅の停車位置の643m手前を113km/hで走行中、ATSの停車ボイス機能「停車です・停車です」が発動するがそのまま走行。468m手前では2度目の警告音声「停車・停車」が発動し、ブレーキ操作をするものの所定の位置を通過する。72mオーバーラン。
伊丹駅を1分20秒遅れの9時16分10秒に発車。124~125km/hまで加速したのち惰性運転。
車掌が「次は尼崎」とアナウンスを始めた際、車内電話で「まけてくれへんか」と依頼。それに対して、車掌が「大分と行っとるで?」と返答しかけたとき乗客が窓を叩いてオーバーランのお詫び放送を要求したために会話が中断する。
お詫び放送の後、9時18分、車掌が総合司令所を列車無線で呼び出し、オーバーランの報告を始める。このとき2段目ブレーキがわずかに使用される。
車掌「えー、行き過ぎですけれども、およそ8m行きすぎて…」この言葉の間にブレーキ開始の目安となる名神高速道路の高架橋下を通過するがブレーキ操作はなし。
車掌と総合司令所との会話が事故現場のカーブまで続く。
総合司令所が「それでは替わりまして、(事故列車の)運転士応答できますか」と呼びかける。
同時刻、列車が事故現場のカーブに116km/hで進入。初めてブレーキ操作を始めるが脱線する。
運転士は、遺体発見当時、右の手袋を外してビニールケースにも書ける特殊な赤鉛筆を取り出していた。また、運転士は特殊な無線操作をして車掌の会話を「盗み聞き」しており、無線通話が始まってから事故現場のカーブにさしかかるまでの約40秒間、一切の運転操作が行われていなかった。
これらのことから、事故調は運転士が車掌の報告と矛盾しないように通話内容をメモしようとしていたと推定。このため、本来ブレーキをかけるべき地点の名神高速高架橋にさしかかってもブレーキ操作を全く行わなかったと結論づけた。さらに、「運転士は電車が傾いた後も慌てることなく普段の運転時よりも少し傾いてるように見えた」という乗客の証言から運転士は事故の瞬間まで危険を認識していなかったとされる意見もある。
JR福知山線脱線事故 当初疑われた原因
乗用車衝突説
事故発生当初は、現場に大破した乗用車の存在と列車の脱線の事実のみが伝わったことから「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そして、JR西日本が当初「踏切内での乗用車との衝突事故」と発表したために、報道各社はこのJR西日本の発表を流した。また、この乗用車が線路上に放置されたものとして、所有者を探し出して事故を起こしたことについて責任を問詰めよる記者もいた。しかし、塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在しておらず、また、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから否定されるにいたる。報道各社は、JRが発表しているとの理由でテロップや配信ニュースでは乗用車との衝突事故との表現が続けられて、乗用車との衝突が否定された後も誤った情報を流しつづけた事をすぐに説明しなかった。
線路置石説
JR西日本は、事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で「粉砕痕」の写真を報道機関に見せるなどして「置石」による事故を示唆した。しかし、事故列車の直前に大阪方面へ向かう特急が通過するなど列車の往来が激しい区間であることや、当初、「置石」があった証拠として挙げられたレール上の「粉砕痕」は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致して「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んで出来たものと考えるのが自然である」との見解が出されたことによってこの説は否定された。また、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が置石説を否定する発言を行ったためにJR西日本も置石説を撤回する発言を行う。
列車速度超過説
速度の記録から現場の制限速度を大幅に越えた走行をしていたことが判明している。また、事故直前の列車速度が事故現場のカーブにおける転覆限界の105km/h~110km/hを超えていた可能性も存在する。
事故を起こした列車は、直前の停車駅である伊丹駅で約70mオーバーランしたために伊丹駅を1分30秒(異説あり)遅れで発車していた。また、始発の宝塚駅や次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える等、極めて不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうとして制限速度を越えた可能性がある。
現場のカーブは前述の通り半径300メートルで制限速度は70km/h。しかし、事故当時、列車は116km/hで進入、脱線したとされる記録では最低108km/h出ている。当該線区に設置されていた自動列車停止装置(ATS-SW) はJR西日本管内では最も古いタイプであった為、これがあたかも事故を防げなかった原因であるかのような報道がされ続けていたが、これは誤報である。「新型ATS」である自動列車停止装置(ATS-P)でなくとも、速度照査用の地上子等を設置すれば速度照査機能の付加はATS-SWでも可能であり「旧型ATS」が直ちに事故原因になったものではない。ATS-SWは、旧式のATS-S型に速度照査機能を加えて大幅に改良したものであり、速度超過を事例に絞れば、“SW型”が非常ブレーキで列車を停止させてしまうに対して“P型”では常用最大ブレーキで減速し設定速度を下回ると自緩するの違いだけである。ATS-SW型は過密線区に向かないものの当該線は過密線区とは言えない。
速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があったが、初期の調査の結果、レールの傷跡から最大の原因は後者であると断定された。
非常ブレーキ説
カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを掛けなければ脱線および横転の可能性は少なかったといわれた。のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後車体が傾きだしていたにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。(走行中に連結器が開放されると非常ブレーキが自動的に作動する構造となっている)
せり上がり脱線説
運転士がカーブ手前でそれに気づいて非常ブレーキをかけたために(後に否定される)車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、「せり上がり脱線」が起こり事故にいたったという見方もある。しかしながら、通常のせり上がり脱線が発生するためには、車輪に非常に高い横圧がかかることが必要で現場の半径300メートルのカーブ程度では通常は考えにくい。
また、現場の枕木に残された走行痕からせり上がり脱線(乗り上がり脱線)も同時に起きていたのではないかと考えられている。転覆に至る過程において車軸が傾いたことによってレールに対する実効フランジ高が減少して比較的低い横圧でもせり上がり、それが副次的要因となって脱線に至ったのではないかというものである。
横転脱線説
速度超過の事実が知られていなかった(?)初期の段階においては、上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車のバランスが崩れて進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないかとする見方があった。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であって「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。
その後、非常ブレーキの使用は否定されたが、一方で、かなりの速度超過があったことが確実視されるようになり、カーブによる遠心力そのものによって横転が発生したとされるようになった。
油圧ダンパー(ヨーダンパ)故障説
複数の乗客から「油のような臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に、車掌からも輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していたことから、新幹線などの高速車両にも搭載されている「ヨーダンパ」が故障していたのではないかとの説がある。
―――。
睡眠時無呼吸症候群による居眠り説
当初より、事故原因の一つとして睡眠時無呼吸症候群(SAS)による運転士の居眠りをあげる意見がある。―――
仮説とシュミレーションによって、運転手(当時23歳)一人の責任であることを確認しました。しかし それではあまりにも一方的過ぎる などと言われても困るので、カモフラージュのため JR西日本の企業体質にまで言及してみました。
この完璧なシナリオの作成に、実に 二年と二ヶ月を要しましたとさ。