私はそれほど信仰深いわけではないのですが、ときおり神社や寺社へお参りに行きます。そんなときは、だいたい何か考えごとをしていたり、弱気になっているとき。神様や仏様に祈ることで、自分自身と向き合い、気持ちを落ち着けるのです。鶴岡旅行では、出羽三山のひとつとして知られる羽黒山へお参りに行ってきました。必ずしも考えごとや弱気になったわけではなく、全国でも知られる神社に詣でてみたかったこと、そして国宝を目の当たりにしたいとの思いがあったためです。
切妻造りの萱葺の鐘楼。すでに萱葺というだけで圧倒的な存在感でした。元和4年(1618)に最上家信が寄進したとされます。大坂夏の陣の3年後、と考えると、歴史の重みを感じます。
鐘楼の柱。木と木をつなぐことで、大きな柱となしていることがわかります。
ここで、本堂を紹介したいところですが、本堂の建物を写真撮影をするのを控えさせていただきました。湯殿山も写真撮影禁止になっているところがあるようなので、個人的に控えさせていただいたというわけです。言葉でお伝えすると、本堂も萱葺屋根で木造、一部朱塗りの部分がありました。とても大きく(長野県の善光寺を思い出します)、羽黒山、月山、湯殿山の三神を祀っています。
こちらは本堂近くで見つけたセミ。例によって種類はわかりませんが、ガラスのような透明感のある羽の美しさに魅了されます。
さて、私は羽黒山有料道路から直接羽黒山頂上へ向かいましたが、本来は下の随身門から山を登ってくるのが正式ルート。残念ながら、猛暑と体力不足で正式ルートは行けませんでしたが、途中の行けるところまで歩いてきました。
こちらは五重塔。創建は平将門といわれ、戦国時代になって最上義光が大修理を行ったそう。現在の塔は鎌倉時代のものを言われますから驚きです。
最後に…帰り道。急な坂。暑さ。腹ペコ…。一段一段がまさに修行でした。
切妻造りの萱葺の鐘楼。すでに萱葺というだけで圧倒的な存在感でした。元和4年(1618)に最上家信が寄進したとされます。大坂夏の陣の3年後、と考えると、歴史の重みを感じます。
鐘楼の柱。木と木をつなぐことで、大きな柱となしていることがわかります。
ここで、本堂を紹介したいところですが、本堂の建物を写真撮影をするのを控えさせていただきました。湯殿山も写真撮影禁止になっているところがあるようなので、個人的に控えさせていただいたというわけです。言葉でお伝えすると、本堂も萱葺屋根で木造、一部朱塗りの部分がありました。とても大きく(長野県の善光寺を思い出します)、羽黒山、月山、湯殿山の三神を祀っています。
こちらは本堂近くで見つけたセミ。例によって種類はわかりませんが、ガラスのような透明感のある羽の美しさに魅了されます。
さて、私は羽黒山有料道路から直接羽黒山頂上へ向かいましたが、本来は下の随身門から山を登ってくるのが正式ルート。残念ながら、猛暑と体力不足で正式ルートは行けませんでしたが、途中の行けるところまで歩いてきました。
こちらは五重塔。創建は平将門といわれ、戦国時代になって最上義光が大修理を行ったそう。現在の塔は鎌倉時代のものを言われますから驚きです。
最後に…帰り道。急な坂。暑さ。腹ペコ…。一段一段がまさに修行でした。