私は以前、萩原朔太郎や堀口大學の詩をよく暗唱したものだけれど、結婚してからはめっきりなくなり(暗唱していると妻に冷やかされる)、今は彼らの詩集が飾りもののように本棚に置かれています。かつて吉田健一は酒を飲みながら、おつまみを食べるようにヨーロッパの詩を暗唱して楽しんだそうだけれど、私がビールを飲みながら萩原朔太郎の詩を暗唱したところで、到底おつまみにはならなそう…。
さて、私の本棚には東日本大震災関係の本も並んでいて、そのなかに雑誌が1冊だけ含まれています。雑誌の名前は『現代詩手帖』2011年5月号。震災からまもなく出版され、特集も「東日本大震災と向き合うために」です。このなかに福島県出身の詩人、和合亮一さんの『詩の礫』が掲載されています。同年3月16日から4月9日に和合さんが発表した詩を構成したもので、震災時の和合さん、そして周辺で起こる人間の死や余震、放射能などをあらゆる言葉で紡ぎだしています。映像や写真はどこか客観的な感じがするけれど、言葉による表現は人間の内面にぐいぐい迫るものがあって、今読んでも非常に緊迫した状況であったことがひしひしと伝わってきます。初めて読んだときの、言葉のインパクトが未だに忘れられません。
このたび、この作品のフランス語版がフランスの文学賞「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」を受賞したそうです。震災から6年が経過。上手くは言えないけれど、『詩と礫』を再読するたびに、6年の時間の経過が信じられなくて、言葉がまだまだ生きているような(古くなっていない)感覚があります。国際的な評価を受けたことで、この詩集がより多くの人たちに広まっていくことでしょう。私は和合さんと同じく被災した立場から詩集を読んでいますが、そうでない立場から読むとどんな印象を受けるのか、興味のあるところです。
さて、私の本棚には東日本大震災関係の本も並んでいて、そのなかに雑誌が1冊だけ含まれています。雑誌の名前は『現代詩手帖』2011年5月号。震災からまもなく出版され、特集も「東日本大震災と向き合うために」です。このなかに福島県出身の詩人、和合亮一さんの『詩の礫』が掲載されています。同年3月16日から4月9日に和合さんが発表した詩を構成したもので、震災時の和合さん、そして周辺で起こる人間の死や余震、放射能などをあらゆる言葉で紡ぎだしています。映像や写真はどこか客観的な感じがするけれど、言葉による表現は人間の内面にぐいぐい迫るものがあって、今読んでも非常に緊迫した状況であったことがひしひしと伝わってきます。初めて読んだときの、言葉のインパクトが未だに忘れられません。
このたび、この作品のフランス語版がフランスの文学賞「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」を受賞したそうです。震災から6年が経過。上手くは言えないけれど、『詩と礫』を再読するたびに、6年の時間の経過が信じられなくて、言葉がまだまだ生きているような(古くなっていない)感覚があります。国際的な評価を受けたことで、この詩集がより多くの人たちに広まっていくことでしょう。私は和合さんと同じく被災した立場から詩集を読んでいますが、そうでない立場から読むとどんな印象を受けるのか、興味のあるところです。