私が小中学生だったとき、上手な絵とは写真のように描くことだと思っていました。というのも、私の友達は絵を描くのが得意で、美術の授業で彼の絵を見るたびにうまいものだと感じましたし、現に先生もべた褒めしていました。小中学生のときは先生の評価が大きな基準でしたから、それはそれは影響を受けたものです。けれど、だんだん年を経て、いろいろな絵を見ていくうちに、あれ、必ずしも写真のような絵がいいわけでもなさそうだぞ、と思うようになりました。あくまで表現方法のひとつであると。
栃木県の足利市立美術館では「リアルのゆくえ」展が開催されています。リアル、すなわち写実とは何か、を高橋由一や岸田劉生、そして現代の作家まで幅広い作品によってたどるものです。ぐるりと展示を見て感じたことは、一言で「リアル」といっても、その解釈の仕方は時代や作家ごとに違っていること。そして、岸田劉生の存在がカリスマ的であり、同時期あるいはそれ以降の作家にかなりの影響力を及ぼしていること。展覧会場では、それぞれの作家が考える、リアルとは何か、を示唆する言葉がパネルになっているおり、絵を読み解いていくうえでの手掛かりになるのでありがたい。
展覧会場はお客様でいっぱいでした。展覧会自体が面白い試みであることは間違いないと思うのですが、もちろん高橋由一や岸田劉生のビッグネームが見られるということと、そして抽象ではない写実への安心感を持つ人が多いこともあるのでしょう。個人的なことを申せば、最近の私は現代アートを見ることが多かったので、こうした絵らしい絵、すなわちリアルな絵を見ることに、どこかホッとするところがありました。どうも私の頭のなかには、小中学生のときから写実への安心感が根付いているのかもしれません(笑)
栃木県の足利市立美術館では「リアルのゆくえ」展が開催されています。リアル、すなわち写実とは何か、を高橋由一や岸田劉生、そして現代の作家まで幅広い作品によってたどるものです。ぐるりと展示を見て感じたことは、一言で「リアル」といっても、その解釈の仕方は時代や作家ごとに違っていること。そして、岸田劉生の存在がカリスマ的であり、同時期あるいはそれ以降の作家にかなりの影響力を及ぼしていること。展覧会場では、それぞれの作家が考える、リアルとは何か、を示唆する言葉がパネルになっているおり、絵を読み解いていくうえでの手掛かりになるのでありがたい。
展覧会場はお客様でいっぱいでした。展覧会自体が面白い試みであることは間違いないと思うのですが、もちろん高橋由一や岸田劉生のビッグネームが見られるということと、そして抽象ではない写実への安心感を持つ人が多いこともあるのでしょう。個人的なことを申せば、最近の私は現代アートを見ることが多かったので、こうした絵らしい絵、すなわちリアルな絵を見ることに、どこかホッとするところがありました。どうも私の頭のなかには、小中学生のときから写実への安心感が根付いているのかもしれません(笑)