てのひらに太陽を

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「子や孫に読み聞かせたい論語」19

2012年02月02日 04時45分15秒 | Weblog


  真心がなければ本物ではない

  子曰わく
  人にして仁ならずんば、礼を如何(いかん)せん。
  人にして仁ならずんば、楽(がく)を如何(いかん)せん。

  安岡定子先生
   孔子先生はおっしゃった。
   「人でありながら、仁の心を失ったら
    礼をどうするのか。
    楽をどうするのか。
    仁の心がなければ意味がない」

             八佾三―3

   礼は、社会規範を形にしたもの。
   ・・・
   社会のルールです。
   楽はそれに伴う音楽ということになります。

   今の私達にはピンときませんが
   孔子先生の生きた時代には、音楽はとても
   身近なものでした。

   祭礼の際には必ず音楽があり、
   誰のための式典なのか
   あるいはその主催者や内容によって
   楽曲の種類も異なります。

   (ポカポカ地蔵)

    へえ~そうなんだ
    音楽を聞けば、いま何の祭礼をやっているのか
    分かるということじゃね~

   楽器を奏でること、音楽を鑑賞することは
   立派な大人になるために必要な教養だったのです。

   礼楽は必修科目なのです。
   当然孔子先生の弟子達も、日頃からしっかり
   学ぶように言われています。

   どんなに学問ができても社会人として
   実社会でやっていけなければ意味がないからです。

   では、礼楽も、知識や技術だけを身につければ
   いいのでしょうか。ここでもまた仁が重要になります。

   形だけを整えて技術だけを磨いても
   真心がなければ本物ではないと先生は考えました。

   何事も心が籠(こも)って初めて
   人に伝わるものなのですね。

   (ポカポカ地蔵)

   礼は「社会のルール」
   横断歩道を渡ろうとすると一向に車が止まらない。
   運転者は老若男女、年も性別も関係なく止まらない。

   これが今の現状の「社会ルール」

   「仁」真心が根底にないと
   どんないい車に乗っていようと
   ウンザリしちゃうよね