吉そばのごぼう天そば
東京での仕事の合間に吉そばを訪問、多くのメニューの中からごぼう天そばを注文しました。素朴なごぼうの味が良いですね。次回はどのそばにしようか・・、みんな美味しそうで迷いますね。
吉そば代々木店
ごぼう天そばを注文しました
いいかんじです
素朴なごぼうの味が良いですね
吉そばのごぼう天そば
東京での仕事の合間に吉そばを訪問、多くのメニューの中からごぼう天そばを注文しました。素朴なごぼうの味が良いですね。次回はどのそばにしようか・・、みんな美味しそうで迷いますね。
吉そば代々木店
ごぼう天そばを注文しました
いいかんじです
素朴なごぼうの味が良いですね
なんつッ亭のとんこつラーメン
東京での夕食は品川駅高輪口のラーメンフードパーク品達へ。今回はなんつッ亭を訪問し、とんこつラーメンとチャーハンを頂きました。一日たっぷり歩いたと言うこともありますが、あっと言う間に完食でした。
なんつッ亭入口
とんこつラーメンとチャーハン
細麺ですね
シャキシャキのもやし
トロトロチャーシュー
食欲をそそります
ごちそうさまでした
乃木神社の境内摂社 正松神社へ参拝
来年2018年は明治維新150年の節目の年です。今回は吉田松陰の足跡を辿っています。
この乃木神社の境内には吉田松陰と松下村塾開祖の玉木文之進が祀られています。案内には、「乃木将軍は松蔭先生の弟弟子として玉木先生に薫陶せられ、又松陰先生を深く敬い、之が人格形成の基になったものと拝察いたします」と、説明されていました。
乃木坂
乃木神社大鳥居
乃木神社へ参拝
正松神社
神社には松蔭と玉木文之進が祀られています
吉田寅次郎藤原矩方墓所
来年2018年は明治維新150年の節目の年です。今回は吉田松陰の足跡を辿っています。
この地は吉田松蔭を祀った松陰神社です。松蔭は安政6年に伝馬町の刑場で処刑され、一旦小塚原回向院へ埋葬されますが4年後に、高杉晋作、伊藤博文等によりこの地に改葬されました。なお、萩の墓所には遺髪が納められているそうです。
松陰神社入口
松蔭神社
吉田松蔭像
松下村塾(本物は萩にあります)
松陰神社へ参拝
墓所案内
墓所に参拝しました
松蔭二十一回猛士墓
来年2018年は明治維新から丁度150年です。今回は吉田松陰の足跡を追っています。
吉田松陰の「二十一回猛士」の墓石の残る小塚原回向院を訪ねました。松蔭は安政6年(1859)伝馬町の刑場にて処刑され、桂小五郎等によりこの地に埋葬されました。その4年後、この地から世田谷の松陰神社へ改葬されています。従って、この地に残っているのは墓石のみですね。
松蔭の辞世の歌が「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂」です。自分が死んでも自分の思想を受け継ぐ者が、日本を必ず良くしてくれると、確信していたのでしょう。
小塚原回向院
回向院説明
小塚原刑場跡説明板
橋本左内墓所
吉田松陰墓石
松陰先生終焉の地碑
来年2018年は明治維新150年の節目の年です。今回は吉田松陰の足跡を辿っています。この伝馬町牢屋敷跡は、吉田松陰の終焉の地で、十思公園の片隅には松陰先生終焉の地碑が置かれていました。
親孝行な松蔭が、処刑の前に両親に送った歌が「親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん」です。
大楽安寺内の伝馬町牢屋敷処刑場跡
案内
十思公園
松陰先生終焉の地碑
地下から現れた牢屋敷の石垣
三松の立ち食いそば
港区高輪の泉岳寺で忠臣蔵の赤穂義士墓所を見学後、お昼になったので泉岳寺前の三松さんで立ち食いそばを頂きました。
注文したのは天ぷらそば、とても豪華な感じがしました。美味しいそばを頂いて、次の伝馬町牢屋敷へ向かいました。
泉岳寺中門
義士の碑
泉岳寺前の三松さん
天ぷらそばを注文
ごちそうさまでした
港区高輪の泉岳寺
9年前に訪問した泉岳寺へ再訪しました。このお寺は赤穂浪士四十七士の眠るお寺ですね。
来年2018年は明治維新から丁度150年です。今回は吉田松陰の足跡を追っています。下田で吉田松陰が黒船へ乗り密航しようとして失敗、伝馬町牢屋敷へ送られる際、この泉岳寺の門前を通ったそうです。その時詠んだ歌が「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」です。
泉岳寺中門
山門
大石内蔵助像
泉岳寺の本堂へ参拝
義士墓入口の門
浅野長矩公墓所
赤穂義士墓地
大石内蔵助墓所
大石主税墓所