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月ヶ瀬も訪れた谷崎潤一郎、その碑も

2018-03-25 14:22:25 | 散策
月ヶ瀬の昔の風景を記した木版刷りです。
岡本八谷『月瀬楳渓十六勝地真景』絵図、明治26年(1893)
 
昔渡しがあった場所には、明治後期には月ヶ瀬橋(初代)が
そしてダム湖が出来ると、鉄鋼の月ヶ瀬橋が出来ました。

その橋を望む、小高い場所に『本田種竹山人詩碑』徳島生れ

 『月ヶ瀬梅花の詩
  山中にて愚庵禅師に贈る
古木巌を回りて一路紆る
雲を出ずれば相見雲に入れば
呼ぶ 何人か画家の案(思
案のこと)をふん倒(さかさまにする)
して 新たに梅花三笑の図
を補いしならん
(註)梅花三笑は中国の故事虎渓三笑に
   倣っての意

キチョウが舞っておりました。


帆浦梅林まで登ると、
山と水 清き天下の 梅の里
東大寺館長を務められた狭川明俊氏の句で、
二月堂のお水取りが終わると春が訪れるという意味に。


梅の品種園には『齋藤拙堂詩碑』が
梅邊清絶竹邊幽に
   罨畫渓中小舟を蕩かす
風白く雲香りて春両岸
   杳然一棹中流を下る
  月瀬五絶之一 拙堂居士謙
意味)
梅のほとりは清く、竹のあたりはひっそりとし、
   絵のような渓谷に舟を浮かべる。
風は花に吹いて雲まで香り
   梅花は両岸に満ちて正に春、
  少し漕いではるか遠くまで流れを下る。
  月瀬五絶句のひとつ 拙堂居士謙
  

帰りのダム湖のほとりには、谷崎潤一郎の碑がひっそりと
わがや度の梅のさかりをよそにして
           たづ年てぞこ新月ヶ瀬農里



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