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「打吹公園だんご」にも羽衣伝説が

2016-08-24 16:15:18 | 主菓子とお干菓子
先日の平花月の主菓子は、お母さんと一緒にお出かけで、
孫6人中唯一の女の子がチョイスしたおだんご、
打吹公園だんご』石谷精華堂さんをお出ししました。

本店があるのは鳥取県の倉吉市にあり、古くは伯耆国の中心で、
国分寺・国分尼寺が建てられ、北前船で栄えた商業都市でしたが、
大正時代からは、交通の要衝として米子市が繁栄しています。
司馬遼太郎『街道をゆく、27因幡・伯耆のみち・・』の中でも
米子は大阪とすれば、倉吉は京都と述べており、
鳥取市は因幡国の中心で農業が盛んなため、武士の町になり、
さしずめ江戸になるのでは(私論)。
また”鳥取の人はずるい”と地元の人の言葉で違いを紹介しています。
このことについて、倉吉出身の友人に聞いたことがあり、
笑って、小声で”そうかも”と、地域対抗意識が面白いですね。

打吹公園だんご由来については、建武の中興に先立つ
元弘三年後醍醐天皇を隠岐島より船上山にお迎えした
名和長年公が甘茶団子をさしあげたという故事からで、
”創業以来、はや百二十数年、添加物を一切使わず、
 当初は餡をまぶしただけの団子でございましたが、
 明治の中ほどから今の姿となり、だんご作りただ一筋に
 今日まで変わらぬ風味を守り通しております。”と
HPより
でも、化粧箱の絵は変化しております。現在は、倉吉の
打吹山に伝わる『打吹天女伝説』の天女さまが描かれており、
HPによりますと、
羽衣伝説の一つで、天女(母)を呼び戻そうと子供二人が、
鼓を打ち笛を吹いた場所を、打吹山(うつぶき)と名付けられ、
江戸時代までには城はあったが、一国一城政策にて米子城が残り
打吹城は取り壊されたため、白壁土蔵が立ち並ぶ商人の町として
より栄えたと司馬は触れています。
現在は、重要伝統的建造物群保存地区になり、
打吹山は、春の桜が有名な打吹(うつぶき)公園となり、
日本の森百選にも選ばれております。
近くには三朝温泉等もあり、11月になれば松葉蟹も楽しめますよ。

折込には、”筑波の科学博の大茶会に出品されて以来、
海外でのジャパン・フェスティバルでも日本代表の茶菓として、
海を越えて好評を博し、国際親善の一助となる”と
普通の三色団子と思いきや、手がかかっており、
”地元の糯米粉に蜜を入れ、練って、蒸して、また練って、
 更に蒸すこと八時間。こうして出来あがった餅を、
 手亡の白餡、小豆餡、抹茶餡の三種で包み、なんとも
 素朴で愛らしい三色串団子の出来あがりに”と。

先日の平花月の稽古は5人様、お集まり、
『打吹公園だんご』の箱の中には5本しかなく、
皆様美味しそうに、召し上がっておられ、
ねとっとした感じとともに甘味が感じられるそうですが、
私の口には、・・・残念!(写真も撮り忘れ、残念!)
でも、調べてみると、デパートに週一回程度出店されており、
機会があれば、いただきたいものです。

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