不定形な文字が空を這う路地裏

その腹にはいったいどんな言葉が記されているのだろう


高波にさらわれた昨日までの俺が海のどこかで腐乱している、上空に見えた幻の飛行船の横っ腹にローマ字でそう記されていた、飛行船は俺がそれを確認した途端に燃え上がって落ちた、俺は慌ててそいつが落ちた辺りまで走り、燃えカスを拾い集めた、全部を集めるのはとても無理だったので、抱えられる分だけ、人気の無い公園でそいつに火を点けると、極彩色に弾けて目が眩んだ、燃えカスを燃やすというのも訳の分からない話だ、家に帰ろうと思ったけれど道に迷った、飛行船の欠片を燃やせる場所を夢中になって探し過ぎたせいだ、携帯のマップのナビは上手く機能しなかった、電波状態があまり良くないらしい、ただの住宅地なのにどうして?ともかく歩いていれば地区の出口までは行けるはずだ、大きな道を選んでひたすら歩いたがなかなか辿り着けなかった、思っていたより広い区域なのかもしれない、まったく、どれだけ必死になって燃えカスを燃やそうとしていたのだろう、俺はため息をついた、道に迷ってまで燃えカスを燃やして、それでいったい何を手にしたというのだろう?改めて考えてみると全く無意味な行為だった、けれど、衝動に背いてしまうことは俺という人間の終わりを意味する、俺は衝動にだけは素直に生きて来たんだ、それにどんな意味があるのか分からなくてもさ、少なくともこうして、下らない話のネタにはなるわけだし、出口はなかなか見つからなかった、そもそも俺にとっては見慣れた街のはずだった、こんな住宅地に迷い込んだことなどこれまでなかったのだ、誰か人が歩いていれば道を訊くことも出来たかもしれないがまるで人には出会わなかった、車すら通らなかった、周囲の家も静か過ぎて、誰かがそこで生活しているのかどうか感じることは難しかった、これはほんものの街なのだろうか、思わずそんなことを考えてしまうくらいしんとした場所だった、同じような家が並んでいて、いま歩いている道がすでに歩いた道がどうか判断することも出来なかった、番地を書いた札がどこかに無いかと探しながら歩いていたが、一枚も見つけることが出来なかった、そんなことが果たして有り得るだろうか?案外俺の妄想じみた考えが正解なのかもしれない、そのころにはそう思い始めていた、焦りを感じ始めたけれど、駆け出したりするのは止めにした、いまのところはただの迷子だ、いい歳をして必死になって見知らぬ場所から脱出しようとするなんて、あまりにも馬鹿げてる、見知らぬ住宅地を黙って歩いていると、幼いころの記憶が蘇った、ろくな思い出じゃなかった、ものの価値など分かっていなかった、下らないことばかりしていた、思い出したくもないことばかりだ、むかむかしながら歩いているとなんだか見覚えのある景色になった、なんてことはない、最初にやって来た公園のところに戻って来てしまったのだ、そうだ、俺はここで飛行船の欠片を燃やした、それがすべての始まりだったのだ、そのままになっていた燃えカスの燃えカスにさらに火をつけて燃やした、一瞬世界が揺らぎ、元に戻ると、公園の出口からほどない場所に見覚えのある景色が広がった、住宅地へとやって来る緩い坂だ、俺は確かにそこを上って来たのだ、俺は急いでその坂を下りた、もたもたしているとまた閉じ込められるかもしれないと思ったからだ、坂を下り切ったところで途端に火の手が上がり、さっきまで歩いていた住宅地が火の海に包まれた、俺は呆気に取られて立ち止まった、そんなことになっても誰一人悲鳴を上げることは無かったし、逃げ出してくるものもまるで居なかった、まるで初めからそこで燃やされる為だけに作られた街みたいに見えた、そして不思議なことに、消防車や救急車がやって来る気配がなかった、サイレンすら聞こえて来なかった、俺は辺りを見回したが野次馬すら一人も居なかった、いつから人間を見ていないんだろう、そう考えて初めて怖くなった、飛行船を見つけた時はどうだった?周りに誰か居たか?思い出せ、あの時も墜落現場に居たのは俺だけだった、消防車も救急車も来なかった、俺はライターを一番大きな火にして灯した、これになにかあるとでもいうのだろうか?ライターはすぐにガス欠になった、俺はどうしてライターなど持っている?俺は煙草を吸わない、こんなもの持つ必要が無い、猛烈に頭が痛くなった、その時初めて救急車のサイレンが聞こえた、激しい振動も感じた、目を開けると俺は救急車の中で横になっていた、気付いた、と俺についていた救急隊員が呟いた、「分かりますか?」分からない、何も分からないと俺は答えた、隊員はあれこれと分り易く説明してくれていたが、どういうわけか俺はそれをうまく理解することが出来なかった、外の様子なんかまるで分からないけれど、いま俺の頭上を、あの飛行船がゆっくりと飛んでいるのではないかというそんな気がしてならなかった。


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