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パーフェクト・ワールドはなにもかも未定

2024-11-25 22:04:04 | 

割れた鏡の破片を踏みつけた朝、床中に広がる、真赤な俺の血液、足首をきつく縛って、軟膏を塗り込む、幸い破片は表面に浅く残っていただけだった、鋭い痛み、何をするにも億劫、特別な予定も無いのでその日はじっとしていることにした、片足で跳びながら破片を片付け、床を軽く拭いた、時間がそんなに経っていないのですぐに拭き取ることが出来た、念のため黒いタオルを使った、捨てても騒ぎにならないように―他人の落度には敏感な人間が増えた、そんな連中はたいてい、自分の顔が荒れ放題なことにも気が付かない、贅肉の塊みたいななりで、通り過ぎた誰かの容姿を云々する、まったくお笑い草だ―あまり関係の無い話だった、音楽を流して、デビッド・ボウイかなんか…少しの間サローヤンを読んだ、四十ページくらい読んで一旦閉じ、そう言えば最近読書なんてあまりしていないなと思った、昔裸眼で読めていた文字が、近頃は眼鏡をかけて、そこにはね上げ式のルーペグラスを被せないとほとんど見えなくなったせいもある、なのに視力は二十年前とまるで変わっていないのだ、それが歳を取るということなのだろうか?面倒なことが増えていくのかと思うけれど、俺にはそれほど老いたという認識はない、まだ…二年前から懸垂を始めて、まだあまり回数はこなせないけれど、筋肉量は人生で一番多くなった、肩が痺れるようになって、針医者に行ったときにいろいろとアドバイスを貰った、「前の筋肉は申し分ないですが背中にまったく筋肉が無いので背中を鍛えるといいと思います、それと、引っ張る運動をすると巻き肩が改善されて痺れもなくなるかもしれません」とかなんとか、あれは有意義なアドバイスだった、でも、肝心の針は微妙にポイントを外していた―その前に行った針医者の針が完璧だったから、すぐにわかった、二度目も同じところに行きたかったのだが、休診日だったのだ、まあ、これも巡り合わせってやつだよな…午前中は足の裏がずきずきと傷んだ、でも、昼頃にもう一度薬を塗ると痛みはだいぶマシになった、若い頃は薬を塗ることが嫌いだった、でも、水仕事をしていた頃に手が凄く荒れるようになって、ハンドクリームを使い始めた、それがきちんと効くとわかってからは、抵抗は全く無くなった、殺菌や消毒なんかの効果があって、それだけは治るのは凄く速くなる、こんな小さな話だけでも、若い頃の自分がどれだけ馬鹿だったかわかる、真面目に生きていれば人間は必ず賢くなる、もちろん、人間という生きものの尺度で言う真面目であって、社会的にどうこうという話ではない、特に近頃の社会なんてものは、それなしでは生きることすらままならない連中の為の松葉杖みたいなものだから、少なくとも俺には必要無い―必要最小限に関わるくらいで、いい―身体は傷つくか痛めつけることでそこにあるとわかる、身体を鍛えるというのは詩人にとっては愉快なものだ、そこには必ず注ぎ込んだ分目に見えて現れる結果というものがある、詩には答えが無く、常に迷宮を彷徨う覚悟でないと一日たりとも過ごすことは出来ない、まるで逆だ、それがとんでもなく心地いいのだ、まるで違うものを知ることは、その両極にとって良い結果となる、両方の在り方が理解出來て、両方に夢中になれる、俺は特に無茶苦茶したがるタイプだから、気分が変わってちょうどいい、支流はたくさんある方がいいと誰かが言ってた、それはそのまま視点という意味だ、眺めのいい場所だけに生きていると、下界でどんなことが起きているかはわからない、下界で道を這いずってばかりいると、眺めのいい場所を知ることは無い、ならば時々どちらかに出掛ければいい、そうすれば世界は広がる、自分がそこに居ることの意味だ、その場所で何を知ろうとしているのか、その場所で何を得ようとしているのか―意味を明らかにするのは境遇とか環境なんかじゃない、自分の求めるものがどこにあるかだ、様々な表現方法を複数選択して多重展開していようと、何のためにそれをしているのかきちんと受け止めていれば生まれるものはみんなきちんとしているものさ、スタイルにこだわるとそいつは決して理解出来ないんだ、自由になる為にそれを選んでいるはずなのに、不自由な思いをしてどうなるというんだ?俺にはまったく理解が出来ないね…きっと、そういう連中の考え方は俺とはまるで違うのだろう、だけどさ、型にハマることを拒んで手に入れた場所で、結局違う型にハマるのならもう何の意味も無いんじゃないのかね、まあ―他人が好きでやっていることにあれこれ言う気は無いけどさ、とにかく俺はそうして生きて来たんだ、そして、年々、それは上手くなってきていると感じているよ、あらゆる方向にドアを開けて、アンテナを伸ばすんだ、常に直感を翻訳し続けていれば、自分でも考えていなかった方向に突然動き始める、理想なんか要らない、何処に転がるかわからないから人生は面白いんだ。


異変

2024-11-22 22:13:50 | 

目覚めの景色は死蝋を思わせた、ベルベット・アンダーグラウンドが小さな音で流れていた、それは右手に握られていた俺の携帯から聞こえているのだった、ここがどこなのか思い出せなかった、が、思い出そうという意欲も無かった、目が覚めたのだからそのうち思い出すだろう、そんな程度に考えているだけだった、まだ動き出す気にならなかった、仰向けに寝ていた、だからここが自分の部屋でないことだけはすぐにわかったのだ、左側に寝返りを打った、グロテスクな造形の―おそらくは悪魔のような生きもののゴム製のマスクがまず目に飛び込んできた、頭からすっぽり被る、汎用型のアレだ、その顔はなにかを思い出させたけれど、言語化出来る状態になるにはもう少し時間が必要だった、もう少し眠ろうか、そう思って目を閉じてみたものの、気怠さの割に睡魔はもう消えてしまっているようだった、しかたがない…俺は上半身を起こした、キイィ、と金属が擦れるような音がした、昔流行ったパイプベッドというやつだ、二十代の頃には俺も持っていた、隣に見知らぬ女でも居るのかと思ったが、そんな様子はまるで無かった、ならば俺はどうして、ここでひとりで眠っていたのだ?何も思い出せなかった、昨夜は部屋に居たはずだ、酒を飲んだり、ヤバい薬に手を出したり―そんな、記憶を無くしてしまうようなヤンチャな真似は一切していない、こういう時は狼狽えないように努めるのがいい、別に今すぐに知りたいというわけでもない、思い出せないというのならそれでもいい、なにか不思議なことがあって見知らぬ部屋で寝ていた、そんなネタ話にしてしまうだけのことだ、上体を起こしてしばらく待ってみたけれど、特別何も起こらなかった、ようやくお目覚めかね、なんて、ゴリゴリのバリトンで語りかけられるなんてこともなかった―ドラマじゃあるまいし―まあ、シチュエーションだけなら、多少ドラマ的な感じではあるけどな…億劫だったが、ベッドを降りてみた、洋服は、外出する時によく身に着けているものだった、ということは、俺は自分の意志で外出したのだ、部屋にはパイプベッドと洗面台と、トイレと思わしき簡易的な狭い部屋があるだけだった、工事現場なんかによくあるレンタルトイレを、素人が見様見真似で木で作ってみた、という感じだった、水洗かどうか確かめたかったのだが、その前に顔を洗うことにした、ここにしばらく居るのならそのうち知ることになるだろう、もしもすぐに出て行けるようなら、別にこの先一生知ることが無くても構わない…タオルが見当たらなかったので濡れたままにした、スッキリしても肝心なことはわからないままになっていた、自分の人生でそんなことは初めてだった、酒にも薬にも興味はなかった、昨夜の記憶がまるでないなんて経験は、一生しないままで終わるだろうと思っていた、記憶が無くなる理由―ふと、そんなことが気になった、酒やドラッグ以外に、どんなものがある?例えば、頭を酷く打つとか―?さっき顔を洗った時には、そういった痛みはまるで感じなかった、そっと後頭部に手をやってみると、ちょうど後頭部の曲線と首が繋がっているあたりに、打撲時のような痛みを感じた、一瞬、身体が緊張してしまうくらいの強烈な痛みだった、俺はため息をついた、なるほど…俺は頭部を強打した、だから記憶が無くなった、では、頭部を強打した原因はなんだ?何かが起こったのだ―ふと、カーテンが動いているのに気が付いた、窓が開いているのか?侵入者に頭を殴られた?カーテンを開いてみて愕然とした、窓は枠ごと無くなっていて、窓の外には砂漠と言うか荒野と言うか―とにかく、何も無くだだっ広い光景がただ広がっていた、気温は暑くも寒くもなかった、昨夜は少し肌寒いくらいだったはずだ、太陽は上がっているのかいないのか、明るくはなかったが暗くもなかった、かといって普通に曇っているのかというと、そういう感じでもなかった、なんというか、メディアでたまに見る地球以外の惑星のような風景だった、俺はまだ眠っているのだろうか、と自問しかけたがすぐに打ち消した、なにかが起こっているんだ、誰も答えを教えてくれそうもない、自分で突き止めなければならない、とりあえず部屋の中をもう一度見渡してみた、そしてあることに気付いた、部屋の中はがらんどうだったが、それは間違いなく俺が住んでいる部屋だった、トイレが変な具合に見えているのは、部屋とそこを区切っていた壁が取り払われて、壁紙が剥がれたりとかしたせいのようだ、いや、だけど…本棚やステレオ・システム、テレビやパソコンなどの一切は、盗まれたのか、あるいは他の理由なのかわからないがすべて無くなっていた、もう一度窓の外を眺めたが、そこにもやはりなにも見当たらなかった、携帯の画面をつけてみたが、電波はまるで無いという表示になっていた、ルーターが無くなっているので、WiFiに繋げることも出来なかった、災害用のチャンネルにもかけてみようとしたが、何の音も聞こえて来なかった、昔の固定電話に例えれば、線が切られているという状態と同じだった、古い漫画を思い出した、自分の部屋だけがどこか―未来か過去かどこかへ移動してしまった、そんなこと起こり得るだろうか?ふと、腹が空いているのに気付いた、窓の外でなにか、低い唸り声を聞いた気がして振り返ると、熊と虎のハーフのような奇妙な獣がこちらを睨んでいた、どうやらそいつも腹を減らしているらしかった、まいったな―武器になるようなものは見当たらなかった、獣が一声、高く太い声で吠えた。


定めの夜

2024-11-18 21:58:02 | 

ダイナーに置き去りにした昨日の心は椅子の上で干乾びていた、埃を掃うように手で落として腰を掛けると今がいつなのか分からなくなった、せめて注文は違うものにしようと思ったが結局同じものに落ち着いた、なにかした自分でも理解していない理由があってそれが選ばれているのだろう、人間なんて自分のことすらろくに知りもしていない生きものなのだ、マスターは俺の注文を聞くと、そうだと思ってたという調子で黙って頷いた、彼もまた逃れられない魂としてそこにいるのだという気がした、料理を作り始めたころには、きっとこんなうらぶれた店に落ち着くことなんて考えても居なかったはずだ、ソニー・ロリンズが小さな音で流れていたけれど、彼のゴージャスな振る舞いはおよそこの店には合っていなかった、チェット・ベイカーは無いのかい、と俺は尋ねようとしたけれど口にする寸前で飲み込んだ、あえてそれを選ばないでいる可能性だってなくはないのだ、余計な口は聞かないほうがいい、下手を打つとホテルの窓から落ちてしまうかもしれない、最後にホテルに泊まったのがどれぐらい前のことなのか思い出せなかった、いつ、どこで何のために泊ったのか思い出そうとした、夜は更けていたけれどまだ頭は働く時間だった、朗読会に呼ばれたのが最後だったかもしれない、でもはっきりそうだと言い切れるほどのものはまるで出て来なかった、水を飲めば思い出すかと思ったけれど、より曖昧になって煙のように消えただけだった、ああ、アンジー、と俺は小さく口ずさんだ、誰かが背後のピンボール・マシンで新記録を出したようだった、近頃は煙草を吹かす人間が減った、まあ、俺はもともと吸わない人間だけれど、この店で誰かが吸っている煙草は不思議なことにまるで気にならなかった、窓の外を見た、いっときは雨が降りそうな感じになっていたけれど、どうやらそんな気配はどこかへ去って行ったようだった、俺は何度か頷いた、そうさ、すべてのものは去っていくんだ、それは決まっていることなんだ、こうしてダイナーのカウンターでやり過ごすくらいしか、人間に出来ることは無い、夜は勝手に更けていく、そして夜であることが分らなくなった頃に、朝は人間の瞼を剥ぎ取りに来る、もの凄く静かな音と主に俺の注文した料理が来た、簡単なグリルだ、鉄板の上でソーセージや野菜が血気盛んな若者みたいにジュージューと油を跳ねている、何度目かの時からマスターは「熱いから気を付けて」と言わなくなった、俺は別に気にしてはいなかったけれど、もしかしたらそういうルールが彼の中であるのかもしれない、マスターとはこういう店で交わす定番の言葉以外を交わしたことが無い、デッサンの練習に使う木製の人形が、白いシャツにベストを着て、黒いズボンを履いて小さな低い声でお決まりの台詞を口にしながら同じペースで動き続けている、この店に来るようになってもう十年以上経つけれど、彼が慌てたり腹を立てたり悲しんだりしているところを見たことがない、もっとも、俺はこの時間にしか来たことが無いからそんな彼を知らないだけなのかもしれない、とはいえ、習慣を壊してまでいつもと違う彼をみたいと思うような意欲も無い、そもそも、俺は彼の名前すら知らないのだ、ある日突然誰かと入れ替わったとしても、この席で同じものを頼んで、コーヒーでも飲んで帰るだけだ、この店に通うようになってから家の台所はただ水が出たり止まったりするだけの設備に成り果てた、別に良いことでも悪いことでも無い、ただ俺の生活がそういう風に変化したというだけのことだ、俺は日中食事をすることが無い、夜遅く、仕事が終わってからここで摂る食事だけでエネルギーを生成している、薄汚い端仕事で、特別モリモリ食う必要が生じるわけでもない、すべてがただそういうこととして、誰も見向きもしない絵画のように現在の後ろに流れて行く、だからなんだ、それがなんだって言うんだ?俺はソーセージを食う、ニンジンを食う、パセリも食う、ジャガイモも食う、要するにステーキの付け合わせだけを食うようなメニューだ、ステーキの代わりに大きめのソーセージが入っている、鉄板で中途半端に温もったポテトサラダが密かな愉しみだ、気のせいなのかどうかよく分からないが、最近少しポテトサラダが多くなった気がする、自分で思っているより俺はそれが好きなのかもしれない、食後のコーヒーはもう頼まずとも終わる頃を見計らって出て来る、俺は時間をかけてそれを飲む、自分の人生がすべて、その苦みと共に飲み込まれて消えて行く気がする、きっと少し眠いだけなのだ、まともな人間ならベッドに潜り込もうとする時間だ、そんな時間に食事をするような人間はきっとどこかおかしいのだ、ピンボールに熱中していた老人が帰ってしまうと店は一気に静まり返った、ソニー・ロリンズは相変わらず余裕綽々で吹いていた、俺は珈琲を飲んで金を払った、いつもならありがとう、と小さな声で言うマスターが、その夜には違うことを呟いた、実は今日で閉めるんです、と、いつもと何も変わらない調子で彼はそう言った、そうなんだ、と俺はぼんやり答えた、突然過ぎてまるで本当の話に聞こえなかった、明日から俺はどこで食えばいいんだい、と俺は冗談めかして言った、あんたは信じないかもしれないけれど、と、マスターは前置きしてこう言った、「十年もウチに毎日通って食べてくれた客なんてあんただけなんだよ」それ本当?と俺は訊いた、マスターは真剣に頷いた、それからいつもより小さな声で、いままでありがとな、と付け足した、寂しくなるな、と俺は答えた、最後に俺たちは握手をして別れた、雨の気配はまったく無くなっていて、冷たく、強い風がうらぶれた通りを狼のように駆け抜けるばかりだった、ひとつげっぷをして、家までのんびり歩いて帰った、もう二度とその道を辿ることは無いのだと気付いたのは、ベッドに横になってからだった。

欲望の経路

2024-11-15 22:03:29 | 

その日は三十五度死んで四十二度生還した、誤差の中に何があるかなんて俺にもわからない、きっといろいろなことが行われて上手くいかなかったのだろう、そう片付ける他に手は無い、一生なんて大きな枠で語ったり出来る筈がない、人間にはその日一日を生きることを語るのが精一杯なのだ、だから俺は書ける限り書こうと思った、思いつくままに、辻褄など気にせず、ただその、書こうとした瞬間のありのままの蠢きを、あまり考えずに、ひらめきをそのまま指先で表現し続けようと思ったんだ、技巧的なものには興味はない、別に書くことに限らず、すべてにおいてそうだ、技巧的なものにはまるで興味がない、それは目的が違うからだ、俺がこれを書く目的はさっきも言った通りだ、作品を作ろうなんていう気持ちは微塵も持っていない、俺が書きたいと思う気持ちは、放水のようなものだ、巨大なダムの壁面から吐き出される大量の水のようなものさ、それを行わないととんでもないことになるんだ、根本からぶち壊れて跡形もなくなってしまうのさ、中に溜まったものが多くなりすぎるとあまり良くない衝動にとらわれる、観念的な破壊、観念的な殺人、そういったものが脳味噌をうろつき出す、だから吐き出さないといけないんだ、出来る限り大量にね、そして頭の中をスッキリさせるのさ、いろんな呼び方をしてきたんだ、調律とか、デフラグとかね、でも、放水っていうのは一番気に入ってるよ、多分、いままでで一番上手く言えてるような気がする、そうしないと生きるどころかその日満足に眠ることも出来なくなってしまうんだ、書くことをもしも選ばずに生きていたら今頃壊れていたかもしれないな、なんてたまに思うよ、まあ、そんなことを言ったところで、確かめる手段なんてまるで無いわけだけど、俺はそうして一日の喪失、死や再生を数え続ける、罪や嘘や善行を数え続ける、自分の本質的なもの、身体の最奥にあって姿を見せることの無い何かの爪先に触れる、そしてこれは間違っていないと確信するのさ、そういうのって身体で感知するものなんだ、間違ってないって身体が感じるんだよ、興奮とか、或いは内奥の静寂さとかね、そうやって自分自身の真実に近付いていることを認識するんだよ、俺がいつも口にしているリズムっていうのはそういうことなんだ、確実にそれに近付くためのリズムというものがあるのさ、それは俺の肉体の中で息づいているリズムなんだ、そうさ、三十五度死んで四十二度生還した、それは自分の中に深く潜ろうとする闘いの記録なんだ、時には思い出すことすらなかった記憶の断片で酷い怪我をすることもある、そんな時に溢れ出る血の量ときたら、あっという間に気管をすべて塞いでしまうくらいの勢いだぜ、身体が動き続けていればそんなものも一瞬で吹き飛ばすことが出来る、だから俺は身体をなまらせることは絶対にしないんだ、そう、それは闘争心と言ってもいい、野性と言ったっていい、俺は自分の中だけで闘争心や破壊衝動を消化することが出来るのさ、そういうシステムとテンションを長い時間掛けて築き上げてきた、それは年々制度を増している、俺が望むものにどんどん近付いている、それは俺に新しい方法を探させる、慣れ親しんだやり方で同じものを書いているばかりでは駄目だよ、と脳内に語りかけて来る、枝葉を広げる木々はより大きくなる、わかるだろう、俺が欲しいものは大まかに言えばたったひとつのものだが、細かく分けていくと気が遠くなるほどの項目で並んでいる、そして、そのひとつひとつがどんなものであるのか、俺はまだきっと把握出来ていないんだ、俺の体内にはまだ俺の知らないゾーンがある、そこそこ歳を取った、あと幾つの項目を明らかに出来るのか?それは俺の努力次第だ、まあ、こればっかりやっていればいいような身分では無いから、すべてを知るには足りないかもしれない、でもさ、知ることなく終わったことというのは知る必要の無かったことなんだ、俺はそういうことでいいと思う、選んだものと見つけたものに嘘は無いし、まだ開かれていないパネルを裏返すことが人生の目的じゃない、ゲームを楽しむように人生を歩むのさ、なにも無駄に終わることなど無い、選んだものには間違いはなかった、俺はもうそのことを知っている、後はただの興味さ、今日どんなものを書くのか、明日はどんなものを書くことが出来るのか、俺はそれを最初の読者として楽しみながら綴っていくのさ、俺はもう若さを失っているのかもしれないけれど、でも現在が一番尖っていて、そして楽しんでいる、そしてまだしばらく終わることは無い、またなにか違うものを知ることが出来るだろう、それはどんどん大きくなるだろう、それはどんどん多くなるだろう、俺は大量の種の中からその時使いたいものだけを瞬時に判断して掴み上げ、ワードの中にばら撒いていくだろう、そして書き終えたら身体の強張りを解き、珈琲でも飲んで回転数を落として眠るだろう、近頃は夢もクリアーなんだ、俺は多分長生きするよ、目的があるうちは人間はくたばったりしないんだ。


彩の瘡蓋

2024-11-12 22:10:51 | 

色が褪せてしまった花びらが強く冷たい風に煽られてあっけなく散ってゆく、それはそんなに大きな花じゃなかった、それはそんなに美しい花ではなかった、それはそんなに心を掴むような花でもなかった、ただ俺の座っている公園のベンチの、木々が植えられたスペースを丸く囲うブロックの隙間から逃げるように生えた花に過ぎなかった、俺はたまたま気付かずその正面に腰を下ろしただけだったのだ、それは数秒で終わり、俺は水を飲んだ、そうして、さっきまで花だったもの、埃のように散って短く刈り込まれた芝の上に散った花びらを眺めた、それはこの世でもっともわかりやすい運命の形だった、俺は静かに花の死を受け止めた、ちょっとした縁ってやつさ、陽射しは強かったが風は冷たく、暑いとも寒いとも言い難い奇妙な気温だった、ほんの少しシャツに滲んだ汗が風で冷える度に、体調を崩すかもしれないなという嫌な予感が過った、だけど、冷えた身体がまた日差しで温もるたびにそのことを忘れてしまうのだ、こんなことについて考え続けていてもキリがない、小さな花が散ったところで俺の人生になにかが生まれたり失われたりするわけでもない、それはほんの少し、公衆トイレを借りた公園で一休みをした時に偶然目にした光景に過ぎないのだ、それは例えば、公道で交通事故を目にしたとか、電車に飛び込んで死んだやつを見たとか、街で妙な宗教の勧誘に引っかかりそうになったとか、そうした出来事となんら違いはない、ただまあ…そうだな、それがあまりにも小さく、あまりにもパッとしない花だったからこそという説得力みたいなものは確かにあった、それは認めざるを得ない、別にこれは感傷的な話じゃない、どちらかと言えば生命力とかそういうものについて語っているのかもしれないね、自分でもよくわかってはいないけれど、そうだな、人の死とか、激しい崩壊とか―そういう衝撃的な要素がまるで無いぶん、逆に印象深く残ったと言えばいいかな、とても静かな衝撃のようなものがあった、と言ってもいい、そしてそれはあまりにも当り前に、あっけなく始まって終わった、どんなドラマティックな要素も無かった、録画してスローをかけて、ピアノ曲でも合わせてみれば少しはそうなるかもしれないけどね、そう、それは多分、ひとつの命が持つ絶対的な説得力なんだろうな―蝸牛を踏み潰したことあるかい?あの時に過る妙にしっかりとした罪悪感に近いものがあるかもな、それは蝸牛の殻が、やはりあまりにもあっけなく潰れてしまうからなんだろうな、ああ、蝸牛と言えばさ、俺の実家は山の側なんだけど、土止めのコンクリに何本も水抜き用のパイプが埋め込まれてるんだけど、そのパイプの中が軒並み蝸牛のアパートになっててさ、もう信じられないくらいの蝸牛がそこで生活してるんだよね、大きいのから小さいのまで盛り沢山さ、人生であんなに大量の蝸牛を日常的に目にしていたのは、あそこに住んでいた頃くらいだよね…ああ、そういえば、初めからあそこに住んでいたわけじゃなかったな、もう少し街の方に住んでいたんだ、近くに個人営業の電化店があってさ、ほら、昔よくあっただろ、ダルメシアンが置いてある…そういう店があったんだけど、店舗の隣の駐車場で店主が刺殺されたんだ、まだ俺が小さな子供の頃のことだよ、いや、そう考えると、街中に住んでいたころにはいろいろなことがあったな、小学生の頃には剣道をしていたんだ、地元のおじさんが学校の体育館を借りて教えていたんだよね、で、道着を着て家から通っていたんだけど、その道中に昔ながらの地元の商店街ってやつがあったんだ、いまはもうすっかり廃れてしまったけれど、その頃は凄く賑わっていたんだぜ、その商店街には食器の店があって―その店の横に小道があったんだ、そこに警察官が数人居てさ、なにかを調べていた、ああ、なんかあったのかな、と思いながら家に帰ると、家族が、あんた大丈夫だったか、なんてことを聞くんだよ、俺はなんのことだかさっぱりわからなくてなにって訊いたらさ、俺の帰り道で通り魔が、ひとりを包丁で刺して逃げたって話だった、あれはなかなかのインパクトがあったね、でもいつの間にか忘れちゃってたな…同じころか、少し前くらいか、家から自転車で十分くらい走ったところに大きな公園があってさ、遊具とか、グランドとか、噴水とか…いろいろな設備があったんだけど、その敷地の端っこにさ、小さな石で出来た舞台があったんだ、ライブハウスくらいの…そこの舞台である夜、四十代の女性がガソリンを被って焼身自殺をしたんだ、新聞に載ったよ、人間がそんな風に死ななくちゃいけないなんてどういうことなんだろうってその時思ったんだ、いまはもうリフォームされて跡形もなくなっているけれど、当時はその舞台の端っこがちょうど小柄な人が座っていたかたちに焦げていて、それは少なくとも十年くらいは残っていたんじゃないかな、なにも知らない子供たちは気にしないで遊んでいたけれどね、俺はその焦げ跡をみるたびに、名も知らないおばさんはちゃんと死ねたのだろうか、と複雑な気分になったものだったよ、それが自分の身近で起きた事件じゃ凄く印象深い出来事だったよね―あの公園の近くを通るたびに今でも思い出すよ…ああ、あの花のやつは、思っていたより大きなダメージを俺に与えたんだろうな、今になってそんな気がしたよ。