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BURN

2020-08-24 22:28:00 | 










虫どもが敷き詰められた海で俺は溺れている、もがくたびに軽いやつらが水しぶきのように中空に跳ね上がる、全身に、特に、目の端と口のあたりに、耐えがたい恐怖と不快感がある、溺れそうなのに口を開けることが出来ない、それをしてしまったら終わりだ、悲鳴すら上げられない、呼吸すら満足にすることは出来ない、まだ飲み込まれてもいないのに―狂気は叫びとなって肉体から逃げ出そうとする、そいつを抑え込むたびに脳の中の血がすーっと下がっていくような気がする、ガサガサと、ガチガチと、ぬるぬると…それぞれの特性を十分にアピールしながら虫どもはまとわりついてくる、噛みつこうとしないのはせめてもの情けというものなのだろうか?俺はそのまま狂うよりは限界までもがいたほうがマシだと滅茶苦茶に腕を振り回す、もう脚はままならない、動かしたところで足の裏におぞましい感触が走るだけだ、水面を叩くたびに砂をばらまいたような音がする、俺は吸える限りの息を吸いながら、ただひたすらにそこから抜け出そうともがいている、これが本当に海なのか、滅茶苦茶に泳げば岸に辿り着けるのか、虫どもは陸地までは追ってこないのか―そういったことはなにひとつ分からなかった、だから俺はもがくしかなかった、動かずにいればあっという間に飲み込まれてしまうに違いない、なにもしないことは愚かだ、いつだって、どんなときだって…それは俺が自分の人生において唯一学んだことだと言っていい、とどまってはいけない、ほんの少しでも違う立ち位置を求めなければ、なにかがその場所で死んでしまうような気がする―そこまで考えたところで、思わず笑いが漏れる、そんな選択こそが、自分をいまこんなところに放り込んでいるのだと―そんなふうに思えてしまったからだ、けれど、人生において結果論ほど下らないものはない、それは生きながら死ぬための人生を選んだ連中の専売特許だ、虫どもにまとわりつかれながら俺は懸命に泳いだ、泳ぎながら、昔ゴムボールのプールで泳いだことを思い出していた、ままならなさ、楽しさとともに、どうしようもないままならなさを子供の俺は感じていた、その楽しさはいま、不愉快な忌々しさに形を変えている、俺は陸地をイメージした、逃げ込むための陸地、それを思い浮かべればなんとかなる気がした、慰めでもなんでもその思いつきにすがるしかなかった、しばらく虚ろなあがきが続いたあと、それは本当に眼前に現れた、俺は目を大きく見開いてそこを見据え、辿り着かんとこれまで以上に腕に力を込めた、動けば隙間は生まれるものの、様々な大きさの虫どもはすぐにそこに入り込んで埋めてしまう、果てしなく続くかのように思われた、だからこそ俺はより懸命に身体を動かした、もう少しで辿り着くというときに、右脚のふくらはぎに激しい痛みが走った、うっ、と思わず呻いたところにゲジゲジのようなものが口の隙間から入り込もうとした、俺は持ち上げていたほうの腕でそいつを弾き落した、その一撃が虫どもの慈悲を奪ったらしい、全身に切り刻まれるような痛みが次々と走った、そしてそのあとに痺れがやって来た、毒を持っているものがいたらしい、目が霞み、呼吸がままならなくなった、そのうちに嘔吐感もやって来た、こんなところで戻したらお終いだ、この無数のおぞましいやつらがあっという間に身体の中に入り込むだろう―皮肉なことにその吐気が俺の神経を正しい方向に導いた、この海の中で力尽きるわけにはいかない、もはや俺は水面にいる虫を腕で叩き潰しながら進んでいた、虫どもの奇妙な色の血と、全身から流れ出た俺の真っ赤な血が交じり合って、海はさらに怖ろしい場所へと姿を変えていた、けれど、血液や体液のぬめりは俺にとって好都合だった、身体はさっきまでよりもスムーズに動かすことが出来るようになっていた、俺はもがき、ときに視界を完全に失いながら、ようやく陸地に辿り着いた、虫どもはそこからは追ってこなかった、あいつらの役割はあくまでも水なのだろう、砂浜に大量の液体を吐いた、子供の頃遊んだスライムみたいな吐瀉物だった、体温が急激に下がり、俺はしばらくの間そこにうずくまって震えていた、おおお、と、理由の分からない叫びが口をついて出た、一度出てくると止められなかった、喉から血を吹き出すまで俺はそこで叫び続けた、虫どもは高波のようにうねっていた、俺は叫びながら陸地を駆け上がり、高く、薄っぺらく、頑丈な壁を超えた―そこは高速道路で、血塗れで立ち尽くす俺を様々な車のドライバーが驚いた顔で眺めて行った、やがてパトロール・カーが現れて、二人の警官が俺を取り囲んだ、彼らが口々に言うお決まりの質問を聞き流しながら、俺はどこまでが俺の世界なのかということについて考えていた―きっとまだ毒が抜けきっていないのだ、俺は目を閉じて、その場にくずおれた。











夜の始まりに甘いケーキを

2020-08-23 22:56:00 | 













湿地帯に埋葬されたしらばっくれた不浄物霊たち、最期の呼吸をメタンガスのように吐きあげて黄泉へと消えていく―夕暮れ、赤トンボの群れが爆撃機のように中空を彷徨い、俺は眼窩を刳り貫かれた女の幻影を見ていた、古臭い木造の潰れた煙草屋の前で、油絵の具のように引き延ばされた鳩がアスファルトを呪っている、もうすぐ夜が来る、それは運命よりも避けられないことだった、アルコールは忘れるには足りず、覚えておくには心許なかった、ほんの少しの衝撃で膝の関節は外れて、マリオネットのように地面に、土塊のように崩れてしまいそうな感じだった、とはいえそれは、もしかしたらアルコールのせいなんかじゃないのかもしれなかった、いや、アルコールのせいではないのだろう…風は生温い、遠雷が聞こえている、雷を見ると御伽噺を思い出す、ヘソを取られるなんて子供のうちにだって信じたことはなかった、あれはどう見たってあらゆるものを殺すためのシステムじゃないか、確実に―そうさ、そのころから誰かを信じるなんてことはしなかった、情報は選り分けられて初めて意味を持つものだ、路地裏は余計に湿気がまとわりつくけれど、これぐらいなら雨に変わることはない、世界だって憤ることはあるだろう、そしてそれがたとえそれが俺たちのせいであっても、俺たち自身はそれを知ることは決してないだろう、俺にはお前が分からない、お前には俺が分からない、それが当たり前だってことを知らずに無作法な真似をする連中なんかみんな、流行病でくたばってしまえばいいのさ…路地の先がだんだんと色を失っていく、暮方にはいつも路地裏を歩いている気がする、そこに飲み込まれてしまいそうになる感覚がたまらないのだ、手っ取り早く存在をぼやかしてしまえる手段、自分であるために生き続けるには、自分という存在を時々至極曖昧なところへ持っていく必要がある、分かるだろう?確信はどん詰まりだ、そこらの小さな存在に出来ることなどそもそもたかが知れてる、虚勢を張るのは止めな、みっともないだけだぜ…もうすぐ完全な夜が来る、空家だらけの、外灯なんて数えるほどしかないこの一角では、自分の手のひらを見つめることすら困難な瞬間が幾度もある、その中で俺は知るのだ、飲み込まれまいとするとき、初めて目を覚ます自分自身の一角を―奥へ奥へと歩を進めるごとに、家屋は潰れそうになり、灯りは少なくなっていく、忘れられた区画、忘却が約束された区域で、俺は俺であり続けながら歩く、継続するとは、様々な変化の中でその核にあるものを見つけ出そうという行為だ、路地裏は簡略化された血管、血小板は全身を巡ったところで俺の形など知ることはないだろう、本当に知るべきことは全貌を表すことはない、朧げに幾つかのパーツが垣間見えるだけだ、だから変化が必要になる、分かるだろ、同じパーツを何度も見つけたところで理解出来るのは一部分に過ぎない―ふと、先の角を曲がって来た薄汚れた中型犬が俺に気づいて立ち止まる、そいつは冷たい目で俺をじっと見定める、殺せる相手かどうか考えているのか?いや、そいつは威嚇音すら発してはいない、きっと、そういう段階はもう過ぎてしまったのだろう、(どうしてこんなところを歩いているのだろう?)もしも訊けるものならそんなことを訊いてみたいと考えているみたいに見える、ふう、と濡れた鼻から小さな息を抜いて奴は俺の進行方向へと歩みを進めていく、そいつの歩調を乱さないように俺は充分なインターバルを取って歩き出す、あっという間に目視出来る距離ではなくなってしまったけれど、そいつは時々立ち止まってこちらを振り返っている、俺にはそれが分かる、なにか意味があるのだ、でなければ俺の先に立ってずっと歩いたりはしない…道はさらに細くなり、そして上り坂になって行った、この道はそれまで歩いたことはなかった、開けて、小さな街の夜景が見下ろせる開けた場所に立ち止まって犬は俺を待っていた、それからは前後に並んでずっと歩いて行った、数十分はそうして歩いただろうか、場違いに思えるほど綺麗な住宅が一件だけ建っていた、玄関の扉は開かれたままになっていた、犬は、少し歩いては振り向き、少し歩いては振り向いて、こっちだ、という顔をした、俺は犬についてのんびりと歩いた、玄関には腕と、太腿と頬を欠損した若い女の死体が転がっていた、ああ、と俺はため息をついた、「食ったのか」「どうして死んだ」と、俺は犬に二度話しかけた、犬は感情を完全に隠匿した目をして、ただ舌を垂らしてリズミカルに呼吸していた、俺は携帯を取り出して警察に連絡した、面倒臭いなと思いながら…玄関に腰を下ろして、犬の頭を撫でてやった、犬は嬉しそうに目を細めた、玄関の灯りをつけたかったけれど、それに照らされるもののことを考えるとやめておいたほうがよさそうだった、犬は短く、小さな一度声で吠えた、夢でも見てんのかな、そんなふうに考え始めたころ、パトカーのサイレンがどこかから聞こえてきた。












Terminal Frost

2020-08-16 22:27:00 | 







その月三度目の土曜、部屋の南側にある薄っぺらい窓の下の壁に、血で書かれた詩があるのを見つけた、そんなものを書いた記憶はなかった、けれどそれは、自分自身が書いたとしか思えないものだった、袖をまくり、腕に見覚えのない傷がないかどうか探してみたけれど、どちらの腕にも傷ひとつついてはいなかった、もしも傷がどこかにあるとしたら、その血で書くのに便利な左腕だろうと思ったのだけれど―それ以上気にしないことにしようかと思ったが、血で書かれているという事実は多少不愉快だった、すべての謎が明らかになることはたぶんないのだろうけれど、せめてその血がどこから出たものなのかは突き止めておきたかった、着ているものを全部脱いで姿見の前に立ってみた、苦労してあちこちを眺めてみたが、やはり傷らしきものは見当たらなかった―ずっと昔からあって、いままで気づかなかったというだけのことかもしれない、自分の住処の壁なんて意外と注意深く眺めたりはしないものだ、仮説としてはそれが一番適当なもののように思えた、だとしたらその傷はもう塞がっているだろう…ふと、ここしばらくの間でそんな怪我をしたことがあっただろうかと考えてみたが、どうにも思い出せなかった、詩が書ける程度の出血だ、ちょっと擦り剝いた、というような傷では決してないだろう―誰の血だろうか?という考えがふと頭をよぎった、自分自身に心当たりがないのなら、自分自身の傷からの血で書かれたものではないのかもしれない、だが、この部屋に誰かが訪ねてきたことなどなかった、俺はそれを必要としなかった…古いホラー映画みたいな、お決まりの場面が思い浮かんだ、つまり、どこか他の場所で殺して、ここに―いや、そんなことをするのは不可能だろう、周りに家が一軒もないような辺鄙な場所に住んでいるのならともかく、ここに死体など持ち込むのは自殺行為だと言わざるを得ない、では、やはりここで殺したのだろうか?どうやって…?ともかく確かめることくらいはしてもいい気がした、浴室に入って、おかしなところがないかどうかじっくりと眺めてみた、排水口の臭いまで嗅いでみたが、そこで人が殺されたことを示すような不自然さはなにも見つからなかった、トイレを開けて、便器の奥まで覗き込んでみた、細切れにした死体を流したような形跡はなかった、ベランダに出て、血痕も肉片も見つけられなかった、ということは、他人の血でもないということだ―動物?動物の血という可能性はあるだろうか?あるいは血糊とか―?そもそも血ですらないという可能性はないだろうか、絵具や、ペンキ…顔料とか、マジック―けれど、それは本物の血で書かれたものだとしか思えなかった、だとすれば、それが本当は血で書かれたものなのだということを俺自身は知っているのだということだった、いつのことだろう…壁に顔を寄せてじっくりと眺めてみたが、なにも思い出せなかった、自分の字に違いなかった、それは確かだった、文体やリズムも、明らかにそうだった、でもなぜそこにそれを書こうと思ったのか、なぜ血でなければいけなかったのか、そういったことはまるでわからないままだった、俺の血である可能性、と、俺は言葉にしてそう言ってみた、内臓、と、肉体のどこかが答える声がした、まさか、と、俺は答えた、もしも内臓のどこかが損傷していて、これほどの詩が書けるほどの血が溢れ出したというのなら、それは外傷のダメージよりもずっと深刻な話になる、第一血を吐いていれば、床の上にそれらしい痕跡が残っていてしかるべきだろう…なにかで受けた、というイメージが浮かんだ、そのイメージはひどく俺を落ち込ませた、それは当然のことのように思えたからだ…詩を書くときにも楽だしね―もう一度浴室へ行って、洗面器をチェックしてみた、毎日使っているものだ、たとえ本当にそれで血を受けたとしても、痕跡など残っているはずもなかった、こんどはキッチンへ行って、それなりに揃えている食器の中に、覚えていない過去を教えてくれるものがあるかどうか片っ端から調べてみた、銀色のボールがなんだか怪しかった、一見普通のボールなのだが、なにか妙なものがこびりついていて離れてくれない、といったようなイメージを持っていた、そのボールを持ってリビングに戻り、壁の詩の前に置いてみた、確かにその光景をどこかで見たことがあるような気がした、そんなに前の話じゃない、そういう感じがした、一昨日の印象的な夢を思い出すような感覚だった、いやな確信が静かに忍び寄って来るのを感じた、途端、俺はそのボールに詩を書くのにちょうどいいくらいの血を吐いた、体温が急激に下がり、冷汗が全身に溢れた、ボールに零れそうなほどに注がれた血液は、俺の呼吸に合わせて揺れた、なんだっていうんだ?俺は息を切らしながらその先に目をやった、あれほど鮮明に刻まれていた血で書かれた詩は、その欠片すら見つけられないくらい完全に消え失せていた。









失点

2020-08-08 23:00:00 | 














路上には浮かれた連中が捨てていく安易な欲望の欠片だけが残されている、どこかのビルの三階か、四階あたりにあるスナックの開けっ放しの窓から聞くに堪えない歌声が垂れ流されている、腐敗してドロドロになった魚を食わされているような気分、人通りの多い道に面したベンチとトイレと木々だけの公園の片隅で、一組の男女がペッティングに興じている、胸を張れるような関係ではないのかもしれない、でなきゃこんなところで盛ることなんて出来やしないだろう、客待ちのタクシーが祭りの山車のようにライトを連ねる週末、そこら中ででかい声が聞こえる、女の甲高い声と、男の耳障りな濁声、そのどいつもが同じ話をしている、すなわち、無意味な―ヘアーワックスも、香水も、汗の臭いも、煙草の臭いも、すべてが立小便の臭いに飲み込まれていく、セメントブロックの壁に描かれる染みのような存在、集結、目的のない儀式のように執拗に繰り返される、退屈にうつつを抜かしていると、快楽の指向性も同様になる、そして立小便の臭いだけが残る、ヘドロで埋め尽くされた川面のような営み、澱んで、どうにもならない、粘っこい泡が弾ける、思考が汚染された、不釣り合いなプライドだけが飛び交う田舎町、手の込んだ虫のような連中の繁殖によって築き上げられた歴史、冷蔵庫の裏側で見かける蠢きと大差無い、どぶ川では真黒い鯉みたいなでかい魚が数十匹とのた打ち回りながら近くを歩くやつらに向かって大きな口を開けて見せる、なにもかもが同じ、外灯には薄緑の虫がおぞましい臭いを立てながら群がっている、ドローンでこの街を少し上から眺めてみれば、そこかしこで黒い点がうようよしているように見えるだろう、醜悪な見世物に別れを告げて、人気のない産業道路へと歩いた、簡単なことだ、酒を飲ませる店がない道を選べばいい、うだるような暑さの毎日だが、夜の風はようやく心地いい感じになってきた、夜中まで開いているDVDの店でしばらく小さなケースのクレジットを眺めていた、持っているものとは違うパッケージの気狂いピエロが置いてあった、そっちのパッケージのほうがいいと思ったけれど、だからって買い直すなんて気にはならなかった、ラストシーンをパッケージに使うセンスはいただけない、特に気狂いピエロみたいな映画でそんなことをするなんて…思い入れが強い人間ほどそんな愚行を犯す傾向がある、理解出来ないって?尾崎豊はファーストが最高、なんて真剣な顔で言う人間が、この世にどれだけ居るか知ってるか?DVDの店では何も買わなかった、近頃はホラーの在庫があまり無いようだ、西へと歩きながら、ほんの少し前、この通りの先にある古いマンションに住んでいたことを思い出した、一階には朝早くから―午前三時から稼働する業者が入っていて、大きめの車がバックする音や、商品を乗せた台車がアスファルトの上を転がる音でロクに眠れなかった、そのくせ家賃はそこそこ高かった、愛想のないやつばかりが住んでいた、でも散歩するにはいい立地だった、あのころ気に入っていた店はもう全部無くなってしまった、忌野清志郎が死んだ夜もこんな時間にこの道を歩いていた、事実だって思い出すたびに色を失くしていく、なのにどうして色の無い毎日を生きようなんて思えるだろう、スニーカーの靴音がアスファルトの層を突き抜けてマントルまで沈んでいくような気がした、俺は記号であり、君は記号であり、連中は記号に過ぎなかった、俺という記号は整列せずに歩いていた、君という記号はそんな俺を黙って眺めていた、連中という記号は列に並ばないものは気にも止めなかった、そうして町の夜は深くなっていく、閉じられた自然公園の門の前に立って、その中で動いているいつかの午後のまぼろしを少しの間見ていた、十一トンのダンプが轟音を上げて通り過ぎた、近くで夜間工事をやっているらしい、ふと、その先の川を渡って北へ歩けば、行き止まりの道へと行けることを思い出した、点滅信号を渡り、潰れた本屋の前を通って、自販機で買った缶コーヒーを飲みながら歩いた、行き止まりの道、俺が子供のころからずっとそこにある道、俺はその場所が好きだった、子供のころから何度も訪ねては佇んでいた、もう何年も行っていなかった、旧友に会うような気持で歩き続けたが、もうその道は無くなっていた、無くなっていて、広く、真っ直ぐなバイパスが貫かれていた、俺は空缶を捨て、その場にしゃがみ込んだ、そうして知ったのだ、この夜をしくじってしまったことを。












歩くことひとつにしたって語り尽くせるようなものではない

2020-08-01 18:35:00 | 









廃道の縁石の上に腰かけて週末のブルース、三連符のリズムで歩道を啄む鳩ども、フライパンの上の季節、なにもかもまるで白昼夢のようさ(夢じゃいけない理由ってなにかある?)寝転がりたいくらい草臥れてるけどこのご時世迂闊にそんな真似は出来ない、日常はどこか緊張している、たいして生きてもいないようなのが死にたくないって目を血走らせてるのさ、理由を持っている人間にゃそんなのお構いなしだぜ…長過ぎた梅雨がようやく開けてみんな手ぶらで歩いてる、もうすぐガキどもが朝から晩まで騒ぎ出すだろう、そうだよ、知らないうちは楽しいのさ、だから、大人になっても知らないふりをしてるやつが多いんだ、俺は知ってる、夢じゃいけない理由なんかない、だからこそ、なにかすごくシリアスなことが必要なんだって―不調に振り回された週末は思いのほか穏やかで、そうさ、力づくで手に入れなきゃいけないことはたくさんある、嘆きは一瞬魅力的に見えるけど…明と暗、善と悪、赤と黒…あっちとこっちでしか話せないやつが多過ぎる、俺は明であり暗、善であり悪、赤であり黒さ、そのすべてを行き来している、そのすべてを含むものの話をしている、限定されれば本物らしく聞こえる、でもそれは簡潔なだけでなんの意味もない(夢物語の一環ってやつさ)、赤色の話をするならすべての赤について話さなくちゃ本当じゃない、でもそんなことなかなか出来ない、だからこうして躍起になって指先を動かしているんじゃないか、リミッター付きのゲームを納得づくでプレイ出来るほど俺はロマンチストじゃない(実際、リアリストって公言してる連中ほどロマンチストだったりするものさ、吐き気がするほどね!)、洗いざらい掬い上げてぶちまけてみなければ分からないぜ、どうしてそんなに結論を急いだりするのさ?そんなことしたって何の得にもならないぜ、もう少し腰を落ち着けてみるべきさ、しっかりと目を開いて、ひとつの現象にいくつもの答えを作ることだ、そんなことの積み重ねが成長ってことなのさ…立ち上がり歩き始める、とにかく家に帰ってシャワーを浴びなければなにも始まらない、あらゆる汚れは真実を覆い隠す、見つけられるものも見つけられなくなってしまう、生活の死体を洗い流さなければ―生活の死体っていうのはイカシてると思わないか?人間と生活っていうのは必ずしもリンクしないんだよ、俺はそう思ってる、もちろん、君もそう思うべきだなんて偉そうに言うつもりもないけどね…どういうわけか、俺は偉そうに喋ってるように思われることが多いんだ、まったくこの世はコンプレックスに満ちてるよ、だからすぐに牙を剥きやがるのさ、唸っておけばなんとかなると思ってる、なんともならない、夢物語の一環でしかない、真実を生きなければならないのさ―真実ってなんだって?それこそが自己満足の世界なんじゃないのかって?そうかもしれないよ、けれどね、それは深度の違いなんだ、思考や人生を徹底的に毎日につぎ込んでみれば、それは無自覚なものよりもずっと確かなものだって理解出来るんだ、正解を先に持ってはいけない、ありがちなミスだけれどそれは愚の骨頂さ、そこにあるもののことが分からなくなる、それが本当はなんなのか知ることが出来なくなる…俺さっき言ったろ、あらゆる汚れは真実を覆い隠すんだ、正解を先に持ってはいけない、結論と言い換えてもいい、結論のために行う観察なんて実際、ほとんど無意味というものさ、道は無数にあれど、すべての道を歩くことは出来ない、一度にひとつの道しか選ぶことは出来ないんだ、道は無数にあるのにだよ…そんな場所で得る悟りなんか、吐いて捨てるような価値しかない、次の道、別の道のことを思いながら、一歩一歩を確かに踏みしめるんだ、そこに在るものだけがすべてじゃない、必ず知らないものがある、無限にある、だからこそこうして躍起になって微先を動かしているんじゃないのか、知っていることだけを偉そうに喋るのなら新聞の投書欄とたいした違いはない、知らないことがまだあるって俺は叫んでいるんだ、すべてを知ることは出来ない、なるべく知りたいのさ、出来得る限り、可能な限り…果てしのないものだからこそ追いかけたくなるんじゃないのか?俺は歩く速度を上げる、少しばかり早く歩いたところで帰り着く時間なんかそんなに変わりはしない、だけど、そう―何回も言わせるなよ、あらゆる汚れは真実を覆い隠す、俺はそいつを洗い流したくてウズウズしてしょうがないのさ―。