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深夜のコンビニは三上寛の歌う赤ちょうちんよりずっと切ない

2012-07-31 23:30:00 | 







石灰の色をした朝を迎えながら前日コンビニで買ったパンにかぶりつきまとめ買いの缶コーヒーを一本空けて二息で飲む、それからひとつ息をついて昨夜聴いた三上寛の歌のことを思い出す、深夜のコンビニは赤ちょうちんよりもせつない、そう思わないか?深夜のコンビニは絶対に赤ちょうちんよりもせつない、それは明るすぎるせいかもしれない、それは時間を問わないせいかもしれない、それは誰にも気兼ねなく涙を流したり出来ないからかもしれない、「ちょっとあれがほしい」なんて時にはそれ以上に便利な場所なんかない、そんなシステムのせいかもしれない、深夜のコンビニは赤ちょうちんより絶対にせつない、そこには感情的なものは存在してはいけないからだ、マーケティングとか終夜営業とか防犯対策なんてもの以外は存在してはいけないからだ、だから上手く眠れない連中がみんな黙ってスナック菓子やカップラーメンのラベルを凝視してぶつくさ言ったりアダルト雑誌を長いこと立ち読みしてトイレでこっそりオナニーをしたりする、そんな成り立ちを壊そうと思ったら覆面をかぶってやる気のなさそうなレジの愛想のないアンチャンに鉄砲のひとつでも突きつけてやるしかない、それは出刃包丁ではいけない、それは絶対に出刃包丁であってはいけない、ましてやビニール傘の先端なんかであっていいはずがない、アンモラルのリアリズムはどれだけリアルからかけ離れるかというところから生まれるのだ、出来れば口笛なんか吹きながら「ようアンチャン、俺が欲しいのはレジスターの中に入ってるペラペラした日本銀行券と硬貨なんだよネ」とか言ってみるとなおいいかもしれない、出来ればケンタッキーあたりの不良を想像させるようなクネクネ感で、ケンタッキーなんか行ったことないけど、とにかくそんな風に現実を飛び越えて欲しい、そうでなければコンビニ強盗のリアリティは生まれない、それがコンビニ強盗のもっともチープなスタイルだからだ、考えてもみろ、ぶるぶる震える手で出刃包丁かざして「かっ、金だ!金を出せ!」なんて言ってみたところでそこに漂う悲壮感からは負け犬の臭いしかしない、コンビニの店員だって大人しく言うことを聞くかもしれないけれど心の中では、(なんだいビビるくらいなら強盗なんかするんじゃないよこの負け犬め)なんて考えているかもしれない、だからそこは絶対に鉄砲でなければならない、鉄砲かざしてチャラい感じではいレジ開けてーおカネちょーだーいなんて言えば、もしも内心ビビりまくりで手や声が震えていたってコンビニの店員はきっと、(やっべえこいつジャンキーかもしれない、ヤクを買う金が欲しくて改造トカレフとか安く手に入れてここに来たのかもしれない、ここは日本だけど)なんて考えてくれるかもしれない、仮にそういった類のリアルに出くわしても妙に冷静な店員がいるかもしれない、そんなやつが、(まてよ、改造トカレフって暴発とかしたりする可能性高いんだよな?)なんて考えたりしたところで、「おれは銃には屈しない、撃つんなら撃てよヤングボーイ」なんて言いながら両手を広げ、それから左胸を指して「ここだ」なんて言わない、絶対言わない、だって改造トカレフが暴発しない可能性だってあるじゃん、賢いんならそっちの可能性だってもちろん考えるじゃん、それでもし「撃て」って言っちゃったらそいつ賢くないじゃん、バカじゃん?そう、だから絶対鉄砲じゃないといけない、だってさ、強盗する方だってその方が気持ち的に凄い盛り上がるじゃん?「太陽にほえろ」の犯人役になったのかってくらいテンション上がるじゃん?あ、でもあくまでノリはケンタッキーのノリじゃないとダメだよ、日本の刑事ドラマの犯人役なんてすっげー棒読みで捨てゼリフ吐いて死ぬか捕まるかしか結末はないんだから、えっとおれちょっと歯磨くねゴシゴシゴシガラガラペッ、はいごめんね中断したね、だけどさ、ぶっちゃけ成果なんか期待しちゃダメだよね、だってコンビニだよ?お手軽なとこにはお手軽な金しかないんだよ、正味な話が、しかし!近年のコンビニ強盗の被害金額とか調べてみたら、パチンコでちょっと勝つぐらいの金額が関の山だよ、パチンコなんてやったことないけどね、だからコンビニ強盗をやるっていうんなら成果なんか期待しちゃいけない、なんていうか自分への挑戦?結果じゃなくて青写真の通りにやりきることが大切なんだっていう、そういう思いでやりきることだよね、やりきる塾みたいなもんだよね、まあ塾は結果出さなきゃいけない所だけどね、それに青写真描けるようなやつなら強盗なんかハナからしないだろうけどね?話がそれたけど要するにコンビニ強盗なんてこのアドバイス通りにやって成功したところでショボイ金額しか稼げないってことだよ、だから何が言いたいのかっていうと、深夜のコンビニは赤ちょうちんよりもずっとせつないよっていう、そういうことが言いたかったんだよ、だってもしも赤ちょうちんでおやっさんに鉄砲突きつけてケンタッキーノリで話しかけたらもうドリフ大爆笑みたいだしさ、出刃包丁だったら剣劇か人情劇みたいになることウケアイでしょ?だから何が言いたいのかっていうと、深夜のコンビニは赤ちょうちんよりもずっと切ないよっていうそういうことなんだよ、さて、と、じゃあ、ヌード写真のカルピス拭いてオシゴト行ってきますわ、言っておくけど強盗じゃないよ、工場だよ、工場、短期の派遣だけどね、じゃあね、行ってきまーす。







いきたいな

2012-07-22 02:28:00 | 





いきたなあ
いきたなあ

くさるほど
いきたなあ

あきるほど
いきたなあ

もう
いやだと
おもうほど

もう
だめだと
おもうほど

いきたくて
いきたくて
しかたなくなる

いきたくて
いきたくて
なみだが
とめどなくながれる

いきたいといった
いきたいといって
いってしまったり
いってしまわなかったり
いろんなやつがいるなかを
いろんなやつがいくなかを
しらんかおして
ぞんぜぬかおして
いきてきた
あきるほど
うめくほど

いきたいきもちに
うそはない
いきたいきもちに
うそはなく

まっしろいかみはよごれていく
まっしろいしたぎはよごれていく
まっしろいこころは
よごれていく
いきたいなあ
ああ、いきたいなあ

ふほうせんきょてきなあめが
よなかじゅうふりつづくまいにちだ
そとへとびだして
うたれたら
かぜをひく
そして
いきたいなあとおもうのだ
ねつがでて
あちこちいたんで
いきがしづらくなると
いきたいなあ
ああ、いきたいなあ

いきたなあ
けっこう
いきたなあ
ときどきは
なにもかも
みたきがするほど
いきてきたなあ
からだも
こころも
どこかしら
むかしとはちがい
たんきになったり
のんきになったりが
おちつかなくなり
なににそんなに
いらつくのか
けっこう
いきてきたくせに

うんだうんだ
いってるまに
もう
うしみつどきがやってくる
こんなじかんに
ひらがなで
ひらがなで
いきたなあ
いきたいなあ

みぎあしの
おやゆびに
ごわりとはえた
うおのめもいだら
あまもりのように
わずかなあかいち
いきた
いきた
い・き・た

そして
こんなじかんだというのに
あくびも
でやしないのだ
いきたいいきたいと
かんがえすぎているせいで

めざましどけい
なりやがれ
おきるじかんなど
かんけいがないから
むだにむだに
なりやがれ
おのれのむいみに
ふんがいしながら

なれ
いきたいと




なれ



















ビート(スピード、そして静かな波)

2012-07-16 00:10:00 | 




衝動は次第に、静かな波のようなものへとそのかたちを変えてゆく、無くなるのではない、そういうものへとかたちを変えるのだ―それがかたちを変えた途端に、多くの人間が無くなったと感じてしまう、失われてしまって、もう二度と戻っては来ないのだと―だけど忘れるな、それはちゃんとそこにある、ただ、静かな波のようなものにかたちを変えただけのことだ、それを無くしたなどと思ってはいけない、それはかたちを変えただけでそこにきちんと在る―情熱の種類は熱だけではない、きちんと目を見開くんだ、きちんと目を見開くんだぜ、いままでと同じやり方をしていてはいけない、熱ばかりをとらえていたやり方だけじゃすぐに限界がやってくるぜ―情熱の在り方は変わる、それは熱で表現するためのものではなくなる、もっと深い場所、いままでよりももっと深い場所に糸を垂らして、そこに絡みついたものを出来る限り注意深く、出来るならひとつ残らず、すべてを拾い上げるつもりで読みとらなければならない、出来る限りたくさんの言葉、出来る限りたくさんの表現を使って、たったひとつのことについて語り続けなければならない、つまりそれはもう、わずかな言葉で端的に表現することの出来る題材であってはいけないということだ、フォーカスの無い写真のようなものだ、五感で感じるすべてのものを、それが頭の中である種の傾向へと変換されてゆくさまを、そしてその結果を、これはこれあれはあれと分類したりすることをせずに、そのままで記さなければならない、そして出来ればそれは、瞬間という単位での出来事でなくてはならない―すべての芸術は瞬間を永遠に凍結しようとする試みのようなものだと考えなければならない、それは無意識下の出来事の記録だと言えるだろう―そんなところまで突っ込んでいく必要はないと思うやつもいるかもしれない、だけど、いいかい、俺が思うに、頭と学習によって描かれるものには、絶対に生の領域をうたうことなど出来ない―肉体のビートを正確に書き記すことだけでしか、それは成し得ることは出来ない―静かな、波のような情熱を確実にとらえろ、それが語りかけてくるものをひとつ残らず記録するんだ、いいかい、もしもそれを奇跡的にすべて書き記すことが出来たとしても、それは本当の意味でのすべてを書き記したことにはならない、なぜならばそれは、その時そうであったというすべてでしかないからだ、わかるかい、フォーカスは限定されてはならない、そして―時も限定されてはならない―とらえるためには、とらえられてはならない、あるものを、あるがままに描かなければならない、すべては―それが本当に余すところないすべてであったとしても―次の瞬間にはそれと同じだけ、あるいはそれ以上のすべてが、指先にペンをくっつけてる人間のもとには押し寄せてくる、それはまるで波のようにね―あとからあとからやってきて、どこかへ去っていく、それがどれくらいあるのかなんて、誰にもわかることはない―生きている限りそれはやってくる、やってきては去り続ける、言葉じゃない、ビートでとらえろ、名前をつける前に目の前の紙に書きつけてしまえ、きっとそれは取り上げられたばかりの胎児のように、生々しく輝いて見せるはずだ。









喚く死の影のエコー

2012-07-14 22:57:00 | 









ぬるく閉じこもる夜のなか、渇いた唇に刻まれた運命、なにをするでもなく、ただ、なにをするでもなく、押し黙り眺めていたパーソナルコンピューターのディスプレイに表示されるさまざまな、さまざまな人死にの映像、首吊り、飛び降り、刺殺、絞殺、断首、銃殺、電気椅子、焼死、ガス室、撲殺、轢死、交通事故…明かりを消した部屋のなかでただそんなものばかりを…死を知ることが必要、死を知ることが必要なんだ、いつも、いつでも、俺には…それがどんなものなのかということを、見ることが、見極めることが…自然死、突然死、事故死、他殺、自殺…さまざまな人間が俺の目の中でもう一度死んでいく、俺は死を見つめ…もう存在していないそいつらの記録された最期の生の瞬間を見つめ…そして不吉な色をした肉塊になるまでを…どんなことを考えているのか?それを見つめているとき、俺は…なにも考えていないのか、それとも、特別それについて考える気はないのか…あるいは、そこに映し出されるものがすべてを語り過ぎるから、ただ受け止めているのかもしれない…死んだものはもう人間と呼んではいけないな、なにか新しい呼び名をつけなければならない、なにか確実に、それはまるで違うものなのだときちんと感じるための名前を…さまざまな死体を眺めたあと、たまに俺はそんなことをぼんやりと考える、なにをするでもなく…人間とは、そいつらに個別につけられた名前とは、その機能についてつけられたものなのだ、それがなくなってしまえば、微塵も人間には見えやしない…こんな話をすると、あんたは俺のことを頭のおかしな人間だと思うかもしれない、そして俺のことを、白い目で見て関係を遮断するかもしれない…だけどちょっと考えてみてくれ、確かに俺はあんたたちよりも頭がおかしい人間かもしれない、だけど、俺はこう思うんだ、自分について…俺は狂ったものによって正常な感覚を知る、狂気に触れることによって正常な流れを知ろうとしているのだ、どっちがどうだなんて話をしたいわけじゃない、ただ俺にはそういうやり方が性にあっているんだという話をしたいだけなのさ…彫刻家が自分の作品を制作しているとき、いろいろな角度からそれを見つめているだろう…俺はそれと同じ事をやっているのさ、つまり全体像を完成させるために、あまり見えない場所に目をやることが必要なんだ…俺の目の中で今日、何人の人間が死んだのだろう、考えうる限りのやり方で…もうとっくに存在していないはずのそいつら、その記録はタイトルがつけられ、動画共有サイトにアップロードされ、高評価を受けたり、こき下ろされたり、いままでに再生された回数が表示されたりしながら世界中の人間に共有されている。そして各々の感想がコメント欄でコメントされている、拡散される死、拡散される脳漿、拡散される肉片、拡散される狂気、あるいは正気…時には喜びのようであり、時には哀しみのようである、そのさま…そんなものを見てはいけない、と、両親のように目隠しをしようとする誰か…だけど、なあ、聞いてくれ、人生の終わりは良識の範疇にはないんだ、人生の終わりは…それが断ち切られるようなもののときには、余計だ…生きる資格が問われている気がする、なあ、生きる資格が問われている気がするんだ、この俺の目の前にもしも死と生が同時に突きつけられたとき、そのときどちらでも選べそうな気分であったとしたら…俺はどちらを選択するだろう、俺はどちらを…どちらでも選べる気がする、どちらでも選べる気がするんだ、俺は、迷いもなくどちらかを選択するだろう、でもどちらだ…それはその時になってみないと分からない、そんな感覚がどういう気分を呼び起こすのか分かるか、確実にどちらかを選択するだろうという確信がある、気分…もしもそれが死だったら、もしも選択するものが死だったとしたら…俺の終焉、俺のカットアウト、俺の脳漿、俺の最期…俺はそれをネットの世界にばらまいたりするだろうか、いや、たぶんそれはない…なぜならそれに近いものをこれまでずっとばら撒いてきたからさ、あんたたちがいま読んでいるこうしたもののことさ、そう…俺は昔見た夢を思い出したよ、頭のおかしな女が出てきてさ、その女は…そう、ふたつの意味で頭がおかしくって…無頭症の子供みたいにさ、脳味噌がむき出しになってるんだよ…どう見たってこぼれてきそうなもんなんだが、それはずっと女の頭蓋骨があるべきところに留まっているんだ、そして、わけのわからない言葉をいくつか呟いたあと、自分の脳味噌を鷲掴みにしてテーブルに叩きつけるんだ…ぶちまけろ、と叫びながらね…最低の目覚めだった、最低の目覚めだったよ、だけどその夢のことを忘れることがないんだ、あの女は言った、ぶちまけろって言った、ぶちまけろって言って…そしてぶちまけた、あのあと、あのあといったいどうなったんだろう、あの女はあれから、どんなふうになったんだろう…初めからイカレテいるやつはイカレテいないやつと同じように死ぬのだろうか、だとしたらそれは、本当はイカレテいないのではあるまいか、俺はそこで目を覚ましてしまった、仕事に出かける時間だったからだ…もう十年近く前に見た夢だよ、あの女はいまでも俺の頭の中で、繰り返しぶちまけている…なあ、あんたたちはこういうものを読むとどんなふうに感じるんだ、あんたたちは、俺が死にたがっているみたいに感じるのだろうか、俺が失望して、絶望して、打ちひしがれて、この世から逃れたがっていると…そんな風に感じるのだろうか?違うぜ、違うぜ…前に書いただろう、俺は、生きている資格を問われているだけなんだ、誰にだ…誰に問われているのだ…俺自身さ、そうだろう、分かるだろう…俺は死の直前まで生に執着する餓鬼だ、最後の瞬間まで生き延びることを考えて、遺言すら残さずに死ぬようなやつだ、だから書くのさ、だから死を見るのさ、だからどこまでも見たくなるのさ、この先になにがあるのか、なにをすればその資格は手に入るのか…練物みたいなものを書き上げて自己満足に浸かりたくはない、そんなことをするのは満足に動けなくなってからでいい…汗ひとつ掻かない言葉など俺は認めたくない、たくさんの人間が俺の頭の中で死んだ、時には二回も三回も続けて死んだやつがいた、瞬間をはっきり知りたかったからだ、瞬間をはっきり知りたくて、何度も何度もリプレイのボタンをクリックしたからだ、なあ、たくさんの人間の死を見ることが出来る、アップロードされて、世界中にばらまかれている、コメントが付いて…拡散される…どんなものでも見ることが出来る、だけど本当に見たいものは、決して見ることは出来ないんだ、俺が本当に見たいもの……それは俺自身の死顔なのさ…。










お知らせその2

2012-07-14 22:56:00 | ノンジャンル
ども。

ホロウです。

こないだここで引越しのお知らせしたんですけど
アメーバブログここより字数制限少なくてね…

活動の中で要になる詩が
収められないというのは大変な問題なので
やっぱり使い慣れたここに戻ることにします。

ていうか
楽天のくだらない話と短かめの詩のブログとか
ヤフーで作ったっきり放置してる
散文とショートのブログとかを
こっちに持ってきて統一する方向で行きたいと思います。

タイトルはこのまま不定形で…
無駄にあっちこっちする結果になってしまってごめんちゃい。

時間がある時にボチボチやっていきます
とりあえず
新しい分からこっちに移すようにしますねー

ほんとごめんちゃい
そういうことでよろしく。

m(__)m