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遠い世界の夜

2017-07-28 21:51:00 | 


















時間は腐るほどあった、床に俯せになったままピクリとも動かなくなったそいつの美しい頭髪をひと掴み右手に巻き付けて力を込めてゆっくりと引っ張ると、やがて強情な雑草が抜けるみたいにごっそりと取れた、毛根には血が滲んでいて、そいつが引き抜かれた頭皮からも幾筋かの血が流れていた、(まだ血が出るのだな)と俺は思った、もう人でなくなってから随分と時間が経っているのに、まるでまだ蘇生を目論んでいるかのように血が通っているのだ、俺は鼻で笑い飛ばした、お前はもう生き返ることなどない、こうして次第に腐敗していくのだ、そう、時間は「腐るほどある」、つい先週どこだかの浜で丁寧に焼いてきた小麦色の肌を眺める、爪を立てて引っ掻いてみると鮮やかに痕が残る、そしてまた血が滲む、なんだか楽しくなって一時間ばかり引っ掻き続けてしまったのだ、おかげでお前の身体はどこかの茨の藪を潜り抜けてきたかのように擦り傷だらけになってしまった、そのうちのいくつか、ひときわ力を込めたあたりからは赤黒い血がどくどくと流れている、ゴキゲンだ、毛髪を両手で掴んで頭を持ち上げ、手を放す、ごとり、という、ボーリングの球を落としたような音があたりに反響する、ははは、と俺は声に出して笑う、もう一度同じように持ち上げて落とす、ごとり、と音がする、俺は爆笑する、ゴキゲンだ、本当にゴキゲンだ…十五回目にそうした時に鼻骨がいかれたらしい、床に突っ伏した顔面から物凄い血が流れる、俺は頭を床に押さえつけてモップのように血溜まりの中を右へ左へとスライドさせる、そうするほどに血の量は増えていく、床に垂れた髪の毛はぐっしょりと濡れてアヴリル・ラヴィーンのような色になっている、手を離し、足の裏で頭を蹴っ飛ばす、ゴスン、ゴスンと酷い音がして頭がグラグラと揺れる、フローリングで肌が引っかかって鈍い摩擦音がする、アハァ、なんて忌々しい音だ!立ち上がって後頭部を踏んづける、こんなものは潰してしまうに限る、ゴスン、ゴスンと物凄い音がする、階下の部屋は開いている、右隣の部屋は明け方まで帰っては来ない、左隣は壁だ…誰に気を使うこともない、数十回はそうしただろうか?やがて瓶が割れるような音がして踵が後頭部にめり込む、崩壊した頭蓋から脳漿が溢れ出てくる、まるで怪しげな花弁がゆっくりと開くように、足を引き抜くと足から血が流れている、始めは脳味噌がこびりついたのだと思ったが、激しい痛みがそれを間違いだと教える、足を引きずりながら薬箱を探し、血を丁寧に拭いて消毒液を吹きかけ、薬を塗りこむ、上から絆創膏を貼るともうほとんど気にならない、もう一枚絆創膏を手に取り、包装を剥いで、崩落した後頭部に乗せてひとしきり笑った、腕を引きずってシャワールームへと連れて行く、ナメクジの軌跡のように脳漿が垂れ落ちていく、服を剥いで洗濯籠に放り込む、ウンザリするくらい重い、だけど、これまで味わってきたウンザリに比べれば、これくらいは…シャワールームにやっとのことで引きずり込むと、自分の服も脱いで洗濯籠に入れる、排水口の邪魔な蓋を取って、一息に流す、シャワーを間近で当てると頭蓋骨の中はほぼ空になる、「花でも生けようか?」軽口を叩いたが誰も笑わなかった、笑うという行為は大切だよな、と俺は思う、だけど俺自身も笑う気分にはちょっとなれなかった、相棒をそのまま浴槽に突っ込んで自分の身体を洗う、なんかで石灰を使うと良いって読んだな、具体的にどういうものだったか忘れたけれど…あれは埋めるんだったかな…シャワールームを出て身体を拭く、歯を磨いて寝床に横になる、疲れていたせいかすぐに眠りに落ちた、相棒の中身を全部繰り抜いて巨大な鍋で煮込み、筋肉に防腐処理を施してそれから、叩いて柔らかくしたあとで硬くならない薬を注入し、着ぐるみに仕立て、それを着て街を歩く夢を見た、目が覚めてから最初に思ったことは、あれはきっと物凄く暑いだろうなということだった、そんな想像がおかしくて泣いた、嗚咽するほどに泣いた、そうすると朝が嫌になった、なんでこんな気分を味合わなきゃいけないんだ―?銃が無くて良かった、と思った、もしここにそれがあったなら、迷わずこめかみを撃ち抜いただろうから…なぜだろうか、まだこの生を惜しいと思っていた、これ以上こんなものにしがみつく理由がどこにあるのか、もう明日などないぞ?起き上がって顔を洗い、朝食を食った、すぐに全部吐いた、洗面所で一時間近くうがいをした、内臓が腐って胃袋に溜まっている気がした、ああ、と声を吐いた、インスタントコーヒーを入れて飲んだ、それは吐かなかった、一日は砕けた後頭部のようにがら空きだった、しなければならないことはおそらく想像以上にあったが、なにもやりたい気持ちにならなかった、夢の方がずっとメリハリがあってリアルだった、食卓の椅子に座って窓の外を見ている間に午後になっていた、ノコギリを探した、住処のなかにはなかった、そういえばそんなものを使ったことなんてない…買いに行こうと思った、服を着替えて、姿見でチェックした、ちゃんとした服装なのかどうかどうしても判らなかった、必要なものをポケットに入れ、部屋を出て鍵を閉めた、エレベーターで一回まで降りてエントランスに出、部屋の窓を見上げた時、(もうここに帰ってこなければいいのだ)という考えが頭に浮かんだ、それなら、のこぎりを買う必要もない―タクシーを拾って、空港に向かった、一番早いフライトの切符を買って、たどり着いたのは寒いところだった、そこから自転車を盗んで一日中走った、夜がとっぷりと暮れた頃に、海沿いの小さな町に着いた。海岸に自転車を捨てて、宿を探した。四階建てのビジネスホテルを見つけ、出鱈目な名前と住所でチェックインした、鍵を受け取って部屋に入ると、そこには居ないはずのものが居て、「お帰り」と俺を出迎えた。




















スタンドアローン

2017-07-24 21:52:00 | 






すでに枯れ落ちた花のことを
長々と誰が語るだろう
赤茶けた花弁は路上に削られて
瞬く間に塵となるだろう


聖堂から微かに聞こえてくる祈りは
人間以外の何をも救うことは出来ない
言葉で語られているから
当然と言えば当然のことだ


遠い過去に死んだトランペット奏者の息遣いが
使われなくなった水汲みポンプの側で
あるはずだった未来について話している
野良犬が通りすがりに少しだけ気に留める昼下がり


安いウィスキーのボトルが転がっている
飲み干された一夜の夢がその中で骨になってる
酔いのせいなのかそのそばに捨て置かれたどこかの部屋の鍵は
運命について考えているかのように傾いていた


巨大な木材と針金で入口を塞がれたショッピングセンターの廃墟は
壁の煉瓦が少しずつ崩落し始めていた
まだ誰をも無条件に愛することが出来た幼いころに
その入口は天国への扉のようだった


年代物のコートをまとった
安物ワイン漬けの年代物の男の浮浪者が睨み付ける裏通り
その眼光は怒りにも悲しみにも見え
そしてそれ以上何も語ろうとはしなかった


パトロール・カーがけたたましく喚きながらどこかへ疾走していく
真剣な表情でハンドルを握る警官は
後手に回らざるを得ない正義についてどうしようもなくいらだっているように見えた
すでに流れた血を救うしかないモノトーンとフラッシャー


労働者風の男がダイナーで飲んだくれている
目の前のどんなものをも見ていないような目をしている
カウンターのラジオからはまだチンピラみたいだった頃の
ブライアン・アダムスのガナり声が聞こえている


イエロー・キャブから降りてきた女は何事か運転手に言い捨てて
後部座席のドアに強烈な前蹴りを入れた
ハイ・ヒールの形にへこんだそのドアを確認することもなしに
運転手は首を振ってアクセルを踏み込んだ


まだ若い泥棒がフードショップの親仁に首根っこ押さえつけられて
とても文字には起こせないような言葉を叫んでいる
いつか彼が大人になった時に
そんな言葉を使ったことを恥じることが出来たらいいのにな


すでに枯れ落ちた花のことを
長々と誰が語るだろう
夕暮れが来る前に何らかの奇跡が
この街に降りてくることはあるだろうか


ポケットのキャンディの包みを解いて口に放り込むと
煮詰まった砂糖の味がした
顔をしかめながらパーキング・スペースのある角を曲がると
ブタ小屋のドアが開錠されるのを待っている










日向の標本

2017-07-20 22:13:00 | 















   1

おれはラウンジに横たわっていた、さながら、廃墟に忍び込んで出口を見失い、そのまま干からびてしまった犬の骨のようだった、ラウンジの日当たりはよく、太陽光は大きな窓から見えるフロアーすべてを埋め尽くさんばかりの勢いで雪崩れ込んできていたが、天井に埋め込まれているエアコンはよく効いていて、真夏の光のなかで朦朧としているのに少し寒いと感じるくらいだった、窓の外には様々な木々が思い思いに枝葉を広げながら趣を装っていた、そいつらの配置はすべてわざとらしくて、もしもやつらに意思があるならそんな風に植え付けられた自分のことを少し恥ずかしいと思っているに違いなかった、おまけに彼らの足元には鯉が泳いでいる池があった、時代錯誤だ、とおれは思った、まるで時代錯誤だった、そんなものがなにがしかの威厳を語っていたのはもう三十年は前の話だ、いくつかの事柄は全く進歩しないまま後生大事に様式なんて言葉で維持され続ける、でもそんなものにどんな意味も残ったりはしない、「昔そういうものだったこともあった」そんなことを窺い知ることが出来るというもの以外には

  2

ラウンジは迂闊な人間なら白で統一されたと感じてしまっていただろうが、何のためにそこに塗られたのか釈然としないようなアイボリーで塗り潰されていた、始めっからそうだったのか、あるいはなんらかの出来事によってそういう色で塗り潰されたのか、それは判らなかった、おれはその場所のことを知らなかったのだ、いままで訪れたこともないようなところで、どうしてそんな風に横になっているのか?それはまるで明方に見る脈絡のない夢のようだったが、おれにはそれが夢でないことは判っていた、それが覚める気配が少しもなかったからだ、それにはもっと現実的な理由があるに違いなかった、ここが現実であることははっきりしていた、ただその現実がどういうものなのかということをおれが理解していないだけだった、どこかで、工場の壁いっぱいに取り付けられた巨大な換気扇が回るみたいな重く錆びた音が聞こえていた、でもそれはとても遠い場所だった、この建物はどのくらい広いのだろう、とおれは思った、それが同じ建物のどこかであることは判っていた、ひと続きの建物であると確信出来る振動がそこには感じられた、そういうのって理屈じゃないじゃないか

  3

天井と壁が交わる線の部分は緩やかなRを描いていた、その部分はガラスではなく、アクリルガラスがモザイク模様を描いていた、光はそこにもあったが、それはそこで静止していてこの部屋の何ものをも照らしはしなかった、どうしてあそこにあんなものを埋め込んだのだろう、とおれは考えた、あそこまでずっとガラスではいけなかったのか、おれはあそこにアクリルガラスを埋め込んだ人間のことを考えた、おれはそうした技術には疎いので、それが簡単なことなのかどうかということはまるで判らなかった、ただ、そこにそれを埋め込んだやつはどんなことを考えながら埋め込んでいたのかということを知りたかった、それがアクリルガラスであることは喜びだったのか、悲しみだったのか、まあ、戯言と言ってしまえばそれまでだけれど、おれはそうしたことを考えながら思考的な意味での出口を探していたのだ、窓の外はずっと眩しかった、いつからそんな風に眩しいのかまったく思い出せなかった、ただ判っているのは、ずいぶんと長くそこにそうしているような気がするということぐらいだった

   4

起き上がるべきだと思った、それにどんな意味があるのかなんて判らなかったが、動かせるものは動かしてみるべきだと思った、おれは左わきを下にした状態で寝ていた、右の手のひらを床に着き、グッと力を込めて上体を起こした、すると右の指はひび割れ、湿気で固まった塩が揺すられて崩れるみたいに静かにゆっくりと崩れた、それは手首に広がり、やがて腕に上がり、肩までを完全な粉にしてしまった、おれはもう倒れることは出来ない、と思った、不格好に起き上がった状態のまま硬直していたので、居心地が悪かった、せめて正面に起き上がろうとして腰をずらすと、そのまま腰骨の周辺が崩れ落ちた、おれの状態は達磨落としのようにすとんと床に落ちた、「欠損だ」とおれは思った、おれは欠損している、もはや頭と、左腕と胴体だけのいきものだった、脚は少し離れたところでだらんと横になっていた、そうしてそれも次第に塩のように崩れた

   5

太陽がこんなものを照らし続ける理由が判らない、おれは唾でも吐こうかと思った、そうしたい気分だった、でもそれをすることで、またどこかが崩れてしまうのは嫌だった、ラウンジの日当たりはよく、そしてそれはいつまで続くのか依然判らないままだった。



















思考は瓦礫の中で

2017-07-17 22:32:00 | 














古いセメントの欠片からはみ出した鉄筋がねじ切られた肉体からぶら下がる大小さまざまな血管を連想させる白昼夢、うだる暑さの中で皮膚をなぞる汗の温度がそんなイマジネイションに奇妙な実感を加味する、街路樹のほんのわずか歩道より隆起した土の表面に小銭のようにばら撒かれた蝉の幼虫の殻、さなかの夏がいつの間にか終わりを迎えていることを耳打ちのように告げている、道の向こうに見える公園のベンチに横たわる死体のような老人、ままならない肉体組織のバグが彼をさらに逃げられないところまで追い込んでいる、古い住宅地に紛れ込むと閉じた商店の群れ、そのうちの二つのシャッターの内側で人死にが出ている、道端で呆けている退屈そうな連中に尋ねるとすぐに教えてくれる、たとえこちらに関心がまるでなかったとしてもだ、愛想笑いを何度かすることでそこからは離れることが出来る、ただ生体を維持してきただけの連中と長く関わるのは良いこととは言えない、感情は簡単に死に絶えてオリジナリティーはテンプレートに依存する、シールドのない宗教のようにそれは愚かで無害な連中を簡単に支配する、錆びついたグレーチングの上を歩くとスニーカーの底が摩擦で鳴く、それはまるで熱に悲鳴を上げているみたいに聞こえる、バケモノを芸術の域に仕立て上げた男が死んだってニュースで言ってた、歩いているとそいつが自分の友達だったみたいな気分になる、サーモスタット、世界に君臨している、公衆トイレで理由の判らない嘔吐をする、近頃改装されたその様相は美しいが煤けている、だってそうなんだ、そこは汚物が扱われるところだから、どんな洗剤を使っても、どんなに水を流してもそういったものは拭えることはない、パーソナリティが人間を支配するみたいにそれは煤けている、手洗いの蛇口から流れる水は数秒間は熱湯のように酷い、てめえの陰茎を撫でた指を洗うのも一苦労だ、濡れた石の匂い、なぜかそれは戦争を連想させる、近頃の連中は殊更に殺される可能性についてばかり話をする、殺す可能性については微塵も考えることはない、そんなやつらに戦争のことなんて一生分からない、誤解を恐れずに言えば、それは人生を理解しないのとほとんど同じことだ、銃火器を手にしなければ、刃物を手にしなければ、鈍器を手にしなければ、誰かのイデオロギーに乗っかって踊りさえしなければ罪を犯していないと考えるのは戦争を賛美するよりもずっと危険なことだ、それは一つの理性としてすでに死んでいる、個人であろうと団体であろうと、神を崇めていようと無宗派であろうと、その他のどんなイズムが人生に書き足されていようと、戦争は争いでありそれは例えば取るに足らない小競り合いであろうと例外ではない、連なって歩いてるやつらのどのくらいがそのことを理解しているのかは疑問だ、そしてそんなものよりも、少し汗を流さずに済むような場所が欲しい、イデオロギーが欲望に勝ることはない、イデオロギーを振り翳している連中を一目見ればそんなことはすぐに判る、テーマが設定されればその他のものはすべて見過ごしてしまうものだ、住宅街を通り抜け、繁華街へ出る、通りすがりに顔をじろじろ見ていくやつが居る、なにかしら突っつく材料を探しているのだ、すれちがいざまに下らないことを呟いて、それで何事かを成しとげた気になりたいのだ、それで、そんなことでそいつは満足するのだ、それは戦いですらない、闘志を装うだけの臆病者の手口だ、薄暗い本屋に潜り込んで目を細めながら背表紙を読んでいる、そうしているとようやく身体がまともな温度になる、先週まで狂ったように降っていた雨は水分の扱い方を忘れてしまったようだ、渇いた世界の中に居るとアメリカの音楽が聞こえてくる、財布から一枚札を抜き取って雑誌を二冊買う、それをいつ読むのかは分からない、読まないかもしれない、でもそのときそれは絶対に必要なものなのだ、重くなった鞄を肩にかけ直して外に出る、連休の街は申し訳程度に賑わっている、この街がもう一度力を取り戻すことなんてない、それは外から来る連中に委ねられている、懐かしいが様変わりした通りを歩きながらふと、身体にぴったりなシャツを着た子供のころの自分自身が、怯えたように辺りを見回しながら向こうから歩いて来るみたいな気がして少しの間立ち止まった、潰れた洋服屋のシャッターの前で目線の定まらない男が立ち小便をしている、そいつを的確に評価するのはいつだって数人の女子高生の塊だ、ほどなく物凄い怒号がこだまする、若い男だ、立ち小便を終えた男に怒鳴り散らしている、それは正義漢ではない、外気温は35度を超えているのだ。













そしてそれはどちらであればよかったのだろう(オリジナル・スープ)

2017-07-03 22:16:00 | 














古いマンションの空き部屋のような一室におれの生首がびっしりと並べられていた、そいつらはみんな生きていて床の上で首の付け根で座り、血走った目を見開いてなにごとかを叫んでいた、おれははじめそいつらがなにを言っているのか聞き取ろうとしたが、それが騒々しい喃語のようなものだと気づいてからは注意することを止めた、やつらの見開かれた目は確かにおれをとらえてはいたが認識出来ているかどうかは疑問だった、その目のなかには驚くほどにどんな感情も見つけることは出来ずなぜ見開かれているのかまるで判らなかった、下手な蝉みたいな声が壁や窓を振動させるほどに反響していた、はじめ、その光景に狼狽えていたおれは次第にいらだちを覚えた、黙れよ、クソヤロウ、おれは口の中でそう呟いたがなんの意味もなかった、やつらは息継ぎさえしなかった、それはただ叫び声を垂れ流していた、きっと、首から下がないせいだ、とおれは思った、息を継ぐ必要などないのだ、これは叫びのように聞こえるが、叫んでいるみたいに見えるが、本当はきっともっと別のものなのだ、なにかしらおれの見当もつかない理由でこいつらは存在していて、血走っていて、叫んでいる、そして、おそらくその感情は空っぽなのだ、叫びが記録された五分程度のオートリバース・テープが再生されているのだ、それは不思議なほどアナログなイメージだった、それはきっと目の前のこいつらが表面上、人間の名残のような形をしているせいなのだろう、おれはなんとかしてこいつらの叫びを止めたかった、この部屋にどんな音も存在していない状態にしたかった、おれは自分の小煩い生首たちを転がしながらクローゼットに近付いて扉をスライドさせた、そこにも生首たちが群がっていた、隅の方にひときわそれが盛り上がっているところがあった、組体操のように重なり合い、積み上げられていた、それはテトラポッドのようでもあったし、昔どこかで見たホラー映画に出てくる怪物にもよく似ていた、その(文字通りの)首塚を突き崩すと、あらわになったクローゼットの床に転がっていたのは硬質ゴム製のハンマーだった、杭が打てそうなほどにでかいやつだった、生首共はそれを手にしたおれに抗議の声を上げるようにさらに激しく喚き始めた、それはおれをよりいらだたせたし、一層増した騒々しさは「殺さないでくれ」という懇願のように思えた、おれはやつらよりもでかい声で喚きながら(もちろん息継ぎは必要だったが)ひとつひとつ潰していった、ハンマーの威力は絶大だった、やつらは動けなかったし、床にびっしりと座っていたので、目を閉じて振り下ろしたって確実に潰すことが出来た、程なく床は肉片と血液と体液と転がった眼球や歯でまみれ、それはまるでぶちまけた鍋料理のように見えた、素足だとひどく滑るので一度玄関に出てスリッパを見つけて履いた、それからまた生首を叩き潰した、カーテンすらない明るかった窓の外が完全に暗くなるころ、すべての生首を潰し終えた、ひどく息が切れていた、ハンマーをホウキのように扱って出来る限り床に散らばったものを部屋の端に追いやった、ひどく疲れていた、一刻もはやく眠りたかった、トウガラシのスープが一面に広がったような床のことも気にならなかった、ハンマーを投げ捨てて床に横になった、あっという間に眠りの中に落ちて行った、生温かい血液の湖の中で背泳をし続ける夢を見た、心地良い夢だった、いつまでもそこで泳いでいたいとさえ思えた、でもその夢はすぐに覚めた、激しく鳴らされるドアのチャイムの音で…おれは身体を起こし玄関のロックを外しドアを開けた、怯えた顔のマンションの大家といかつい顔の警官がぬっと首を突っ込んできた、「ひどく暴れているという通報がありまして」おれは警官がなにを言っているのかよく理解出来なかった、だから「寝てた」とだけ答えた、「ずっと寝ていましたか?どのくらい前からですか?」「よくわからない、生首をたくさん叩き潰して…」「はい?すみません、もう一度言っていただけます?」おれはどう説明したものかと玄関から部屋を振り返った、殺風景な部屋の床にはなにも見えなかった、ついさっきまで、真っ赤な湖の上で眠っていたというのに―おれは自分の衣服を確かめた、夕方にシャワーを浴びて着替えたままの状態だった、あれだけの血を吸い込んだ形跡などどこにもなかった、「ああ」とおれは思わずそう嘆いた、大家と警官は辛抱強く黙って待っていた、「夢を見ていたんだ」とおれは弁解した、「お騒がせして申し訳ない」そう言って頭を軽く下げた、ふたりはまるで納得していないようだったが、おれが口走った様々な言葉は、寝ぼけていたせいなのだろうというような結論を見出して去って行った、おれは玄関をロックし、部屋に戻り、床に腰を下ろした、夢だったのだろうか―脱力して、床に寝転がった、はやくから眠っていたのか?まるで思い出せなかった、やつらの叫び声がまた、耳の奥で反響した気がした。