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未だ、その血飛沫は。

2022-02-27 00:20:00 | 








夜はきちがいの回転数でお前の脳髄を貪る、微弱な電流が起こす目視出来ない程度の燃焼が、すべての回路に障害を設けるのだ、微かな異音、焦げる臭い…原因は特定出来ない、無意識下の疲労、浸食、知らない間に蝕まれている、ほんの少しずつ、砂山を崩さぬように痩せさせるみたいに―早朝、目覚める直前に見た夢だったのか、それとも目覚めてから見た厳格だったのか、到底区別は出来ない、意識の表層で知ることなど本当は何の役にも立たない、真っ白い画面だけが矢継ぎ早に繰り返されるフラッシュバック、言葉はそこを埋め尽くすことは出来ない、生きている限り更新されてしまうものだ、そうして俺たちはまた、真っ新な記憶の前で立ち尽くす、昨日などなかったというように、遮二無二吐き出した言葉などすべて無駄だったというように…言葉の力を信じてしまう連中が理由を駄目にした、言葉は鍵に過ぎない、パスワードを間違えてしまえば、どんなものを開くことも出来ない、意味は在りながら無い、それはほんの少しの認識の方法の違い、目視出来ない誤差を埋めるための闘い―子供のころ、たまたま、なんらかの理由でひとりで佇んでいた黄昏に胸の内に飛来した漠然とした恐れのようなものを、お前は経験によってより確かなニュアンスで受け止めることになるだろう、そう、口もとにお前の血をべっとりと付着させているのは、そんな風景の中に隠れていたやつらさ、時間軸など感覚の中では意味を持たないものだ、過去も現在も未来も、同じお前自身の触角の蠢きに過ぎないのさ、誰だって現在の中だけで話すことなど出来ない、口にする言葉だって過去の蓄積じゃないか、夜はきちがいの回転数でお前の脳髄を貪る、お前の内耳をずっと震わせているのはそいつさ、そう、物質の悲鳴とでもいうべき奇妙な振動、それがお前に現状を訴え続けている、だけど悲しいかな、お前はそれを知ることはない、もしも知ってしまえば、たちどころに本物のきちがいになってしまうだろう、人間の身体はそんなものを受け止めきれるように作られてはいないからね…だから言葉が生まれた、言葉は生命との闘いだ、聖戦なんてものではない、自分自身が今日を生き残るための、純粋な自己の内戦だ、その肉片を寄せ集めて俺は綴るのだ、ぼんやりと浪費することは容易い、すべてを受け入れてしまえばいい、なんの懸念もなく、違和感も覚えることなく、すべてを受け入れてしまえばいいのだ、そうすれば一生、自分すらとも闘うことなく生きていくことが出来る、それを幸せだと思うのならそうすればいいのだ、俺にはそれをどうこう言うつもりなどない、ただ、俺には内なる声を無視することなど出来ないということ、それだけさ…お前の信じているものを誰が言葉にした、俺が信じているものを言葉に出来るのは俺だけさ、どこででも見つけられる言葉で満足してはいけない、それは自分自身の爪先に太い杭を打ち込んでそれ以上どこにも行けなくさせるだけのことさ、きちがいの回転数を上回る意識の動き、それを模索し続けなければ一気に飲み込まれてしまう、本当の暗闇は自分自身をも見えなくさせてしまう、出口の造られていない迷路だ、俺は最後の壁の前で出口の作り方を模索しているわけさ、足跡なんて残らないんだ、若くして死んだ歌うたいが昔そんなことを言ってた、俺にはその意味がよくわかったよ、あいつも胸の中に怪物を飼っていたのさ―明かりを消した夜の中ではいろいろなものが誤魔化される、だけど目を閉じてしまえば惑わされることはない、お前にはわかるだろうか、俺がなにを話そうとしているのか、俺がなんのために、こんなことを続けているのか…人生とは連続する瞬間に過ぎない、だからこそ時間が必要になった、ひとつの基準が設けられるのは、それを軸にして生きるためではない、そこから離れるための目安として設けられるのだ、あらゆるものを鵜呑みにしていては、瞬間に置いてきぼりを食らうだけさ、ひとつの事柄を証明するためには、百万もの真実が必要になるんだ、すべての噛み合わせが試されて、一番具合のいいものが選ばれる、その繰り返しが人間を本当の場所へ進ませるのさ、自分自身を基準にしてしまえば、もうそこからどんな変化も訪れることはない―生命が語る術を持っていない時代からずっと続いてきた言葉がある、俺はそれを知ろうとしている、そんなものは詩じゃないっていうやつもいる、それならそれでいいのさ、俺にとって大事なことはそんなことじゃない、俺はきちがいの回転数で日常を消化する、あらゆる言葉がばら撒かれて足元が覚束なくなったら、すべてが腐り落ちるのを待ってまた新しいものを吐き散らかすだけさ。










彼に会いたい

2022-02-22 23:53:00 | 









鼻濁音の目覚め、朝食の飲料に混ぜ込まれた昨日、労力としてだけ機能する一日のかくも空虚な疲労、浅ましい宗教のようなコミュニスト、曇りガラスの一粒の汚れを視認することは困難を極めるだろう、散弾銃のイメージが小蝿のように付き纏う中を、真っ新の画用紙の目で少しの間歩いた、激しい風が迷子の竜のように向きを変えては走り、そのたびに目を細めたり顔をしかめたりして、総合歩数は記憶されない領域に記録されて仕舞い込まれてそれっきり、出合頭の事故のそばを擦り抜けて、反射光で燃えている川沿いを彷徨う、乱打されるドラムのような振動、そいつにもっとも影響しているものはなんなのか釈然としない、ナイル・ロジャースの声が一瞬だけどこかから聞こえた、レッツ・ダンス、でもとてもじゃないけどそんな気分じゃない、臆病さをひた隠す侮蔑を視線に込めるやつら、知らないよ、相手にしてる時間はない、と言って特別やることがあるわけでもないけれど、コンビニエンスストアの陳列棚で食べられるものを探した、成果は上々とは言えなかった、道端にある店のほとんどは標準的な連中をターゲットにしてるものさ、段階的な午後が近付いている、なるべく早い時間に洗濯を済ましておかなければならない、冬の日は虫眼鏡で集めた光のように肌を焼くけれど衣服を乾かすには向いていない、若い男が対岸で安い狂気みたいな叫び声を上げている、そのそばを歩く年寄りはまったく気づいていないみたいだった、もう耳が聞こえていないのかもしれない、いつかあらゆる出来事にシャッターは下ろされる、夢は目蓋の裏側で見るものだ、そうだろう?ガソリンスタンドの有線放送から流れる、詞と曲が良くて、音を外さないだけのボーカルが乗っかってるヒットソング、コンピューターが歌っているみたいに聞こえる、溢れんばかりの愛が歌われているはずなのになぜ、そこからはどんなものも生まれてこないだろうという気がした、最上級のラブソングの模倣、社会、大人、幸せを謀られた連中がそいつを鵜呑みにしている、たったひとつの言葉ですべてを片付けられることは果たして幸せだろうか?いや、そこで満足出来ることはきっと、これ以上ない不幸に違いないさ、そして太陽はその日の頂点に辿り着いた、影が地表に飲み込まれる数十分、風と光の中でほんの少しの間、すべてが幻になって消え去る夢を見ていた、目蓋の裏側で、そんなフレーズを思い出し、奇妙な笑いが浮かぶ、確固たる世界は確固たる曖昧、断言出来るってことはそういうことだ、おかしな目くらましのあとで、時間はすました顔で再び流始め、人生が片端からゴミ箱へと移動していく、それを苦悩に思うのは二十代の始めに止めた、そのころ五十歳だったストーンズが、長い長いワールドツアーに出たからさ、生きれば生きる分だけ、たったひとつの言葉が何十年分もの意味を持つ、そんな現象について深く知ったからさ、路面電車が時代遅れな轟音を立てて通り過ぎる、水面で水鳥がけたたましく騒いでいた、目をやるとそいつは一声鳴いてすっぽりと川に潜ってしまった、それから少し橋から離れたところへするりと顔を出した、そんな場面を見たのは初めてのような気がする、なぜかほんの少しからかわれた気分になりながら、川を見下ろす小さな公園の、セメントの白いベンチで少しの間頭を空っぽにした、答えがあることは決して利口なことじゃない、それは愚かさと浅はかさの象徴のようなものだ、問とは答えを求めるためのものじゃない、そこへ至るまでにどんなプロセスを経たのかということが大事なのだ、この世には問すら生まずに答えを得ている人間も居る、そいつらは決まって増えやすく、群れを成す、なにかしら例を挙げるまでもないだろう、単純な生きものは簡単に増え続けるものさ、そんな群れの中で脳味噌を麻痺させて腐らせてはいけない、分るだろう、生きやすい場所には決して近付くべきではない、たったひとりの場所で生まれてくる言葉は獣の咆哮でなければならない、理性の範疇で生まれてくるものなどなんの意味も持たない、まだ見ぬフレーズを思い涎を垂らす、そんな暮らしに焦がれながら随分と長い時を過ごしたものだ、住処に戻り、いくつかの用事を片付けてからソファーに腰を下ろしてパンク・ミュージックに耳を傾けた、ガールフレンドを介して見てもらったユタの血を引くチャネラーの言うことにゃ、この魂の根底には怒りがあるらしい、あの時はピンと来なかったけれど、いまはなるほどねと思ってる、自分を切り刻むような人生だった、それが表現というものだった、いまもそうなのかどうかということについてはよく分らない、でもそんな感覚はいつだって、ベーシックであり続けるだろう、いまや音楽だってクリックかタップだけで流れ続けるような時代だ、そんな中で、この馬鹿げた羅列は誰に向けて語り、誰を切り刻むだろう、もしも神と話が出来る人間が居るならこう伝えておいてくれ、この、クソ面倒臭い人生を―



どうも、ありがとよ。








日付変更線の彩

2022-02-14 01:45:00 | 











コントロールの無い
まっさらな時間
無いというのが正しい
及ばない範疇
関わりのない概念

首のもげたモラルが
深夜のニュース番組で
戯言を列挙してる
おれは首を掻いて
いらだちをひとつ潰す

出鱈目でよかった
どうせ答えのないもの
都合の良い出鱈目と
ほんの少しの
年老いた純情の在り方で

カーペットの染みが
三連符を奏でる
本当のブルースになる前に
眠る準備が整えばいいのだけど
温度差で軋む木材
チャーリー・ワッツが
あの世で叩くハイハットに聞こえる

まぶたの痙攣が
妙な内面の解釈に繋がったりしないように
ただの気まぐれであるように
静かな、だけど
何を飲み込んでいるか分からない
湖のそばに
いつも佇んでいるような明日なら大歓迎

三つ数えると日付が変わる
眠れない夜はいつだってそうさ
寝床の中で目を開けていると
必ず思い出す
遠い過去の薔薇の棘の痛み
あれはどこかの個人開業医の
植え込みにあったものだったっけ
その植え込みももう
建物ごと無くなっちまったけど

ノスタルジーなんて
ただの画面になって初めて成立するものさ

もう一度
使われていないアドレスで
君のことをコールする
呼び出し音を一本のラインに変換すれば
もしかしたら
宇宙まで届くかもしれないね

一瞬のまどろみの中で
星が生まれる瞬間を目にした
それは眩しさよりなにより
身を引き裂くような痛みに見えるばかりで
ライカ、君も一度は
あんな光を見ながら遠吠えをしただろうか

感情が濁流のように
深夜の罫線を流れてゆく
言葉にすると嘘に思えるものが一番正しい
確かなものを信じるのは愚か者の専売特許さ

さながら幽霊になりました
程よい時間に
呂律の回らない夢の中で会おうね
記号みたいな話をたくさん繰り返してさよならをしよう
もうしない約束みたいに
二度と鳴りはしない目覚まし時計みたいに

濡れた廊下に横たわっていた
幻想なんてすべて嘘だったのさ
冬が消えていく
ひび割れた唇の内側で
たったひとつの名前を探した

解けていく
交尾を終えた二匹の蛇のように
斑な光が飛び交って
奇妙に生々しいミラーボール
朝日が昇る頃には
死体はかたちを変えてしまう

星が終わるところを見たことがないのは
きっとスケールの問題なんだ
夜の間の世界は裏返し
剥き出しになった神経が
言い訳に収まらないものを血眼で探している











重度のシンコペーション

2022-02-13 13:41:00 | 












干乾びた野良犬の死骸と、ひび割れた路面の暗示的な形状、捻れて消える泥酔した下層階級者の夢があとに残すものは、ショー・ウィンドウの微かな脂の染み、カウント・アウトのような潰れたカフェのテントが風に煽られて立てるノイズ、二月は寝惚け眼みたいな、澱んだ色に終始塗り潰されて…喉元に張り付いたカフェインは思考をアンバランスに改変する、意志と意地のすれ違い、取り残される言葉の恨み言が首筋に出来る小さな蕁麻疹に化ける、窓ガラスの霞の中に予言が隠されている、道端のシンガーはディランを歌っている、だけど、ねえ、時代なんてもう変わることはない、人間なんてもう喋る能面に過ぎない、最小公倍数の生命、プログラムの範疇だけの出来レースさ、昼飯を噛んで、リフだけの音楽に身を委ねた、時代は変わらない、自分だけが変わり続けていればいい、同じ色でも上塗りし続けていれば、印象だっていつしか変わるものだ、同じようで違う、確かにその先に、こちらを窺うような視線が隠れている景色、運命は必ず区切られている、連続する魂の為に―氷漬けで発見された絶滅種は、生きていた頃と同じ夢を見ているだろうか?もしかしたらそれは真っ黒に塗り潰された視界かもしれない、それは孤独ですらなり得ない、孤独など所詮、対象物があって初めて成り立つものだ―自分自身の核を、そのひとかけらでも認識すれば、人は誰でもないものに成らざるを得ない、誤差は調整されるべきものではない、それはさらに押し広げられていくべきものなのだ、己の中に道を持たない人間はそのことを認識出来ない、シンガーは最後のリフレインを残して突然歌うことを止めてしまった、彼は歌として生きることを諦めてしまったのだ、時代は変わらない、そうさ、諦めたほうが賢いのかもしれない、あとは、それが誇れることかどうかって問題だ、突き詰めてみるべき問題ですらない…分るよね?ある日、たったひとつの動作の合間に、十年の時が流れたような気がした、そんなことは初めてのことだった、あの時、間違いなく自分の中を、それに近いなにかが流れていったのだ、その実態が理解出来るのはまだ先のことだろう、いまはまだきっと、どれだけ頑張ってもそこには辿り着けないだろう、おそらくあれは、なにかしらの変化の瞬間だったのだ、道は静まり返った、日曜の午後とは思えない静けさだ、やがてどこかのトタン壁を叩く雨粒の音が聞こえて、ああ、そういうことだったのかと気付く、きっとそれはもっと早くから降り続いていたのだ、カーテンを閉め切ったままの部屋では外界を知るのが遅れる、けれどなにも日に焼けることはない、なにを守ればいいのかという話だ―そうさ、大事なことはいつだってそんなもののはずさ、示された方角ばかりに動く傀儡じゃない、自分の爪先がどこを向いているのかってことぐらい、歩く前から分かっておかなくちゃ…流行病はビジネスになりつつある、テレビのニュースはいまや山師と同じさ、思うように踊ってくれるやつらの数が多過ぎるんだ、皆中毒みたいになっちまってる、愉快なほどに鵜呑みな世界、息が出来ないと気づいたときにはもうすべてが遅いんだ、コーヒーをもう一杯、蒸気が喉笛を侵略し、ロンメルの夢を見る刹那、けたたましいパトカーのサイレン、もういっそのこと、人生も罪名で括ればいい、やつらは多分文句を言ったりしないさ、手を叩いて乾杯するんだ、肝心なところを丸投げしただけの日々にね―人が革命をやり始めたのは、人差し指だけで誰かを殺すことが出来るようになったからさ、文明はいつだって無責任だ、それが皆を勘違いさせるのさ、マグカップを洗って片付ける、小さなキッチンの窓からは果てしない稜線とその上に広がる薄曇りの空が見える、世界がいつでもそれだけのものであればいいのにな、けれど気が狂いでもしない限りそんなものは手に入れることは出来ないだろう、だから無性になにかを書きつけたくなるのかもしれない、椅子に腰をかけていたが実際に行われていたのはなにか違う出来事だった、でもそれはおそらくどんな努力をしても現実的な認識として語ることは出来ないだろう、人生の終わりまでにはまだ長い長い道のりが続くのだ、ねえ、混沌には正解が無い、そのまま描かれる以外にはね―だから人生は愉快で、実りが多い、したり顔のシンプルな話なんか信用しないことだ、本当のシンプルさとはカオスの極限にあるものだ、究極のノイズがサイレントと同じ印象を与えるみたいにね…俺はノイズの中で生きている、いつだってそうさ、いつだってそうして―辿り着くべき果てしない世界の夢を見ている、だから歌は始まるだろう、いつだっていま初めて生まれたと感じるみたいに、産声のように詩は吐き出されるだろう、そうして、その蠢きの中で、生命のスピードと思考の果てのベスト・チューニングの片鱗が、脳髄の中で美しいハーモニクスを奏でながら、世界はまた違う色に塗り替えられていくはずさ…。











ボロボロの壁

2022-02-06 22:55:00 | 小説





特にこれといって上手く続けられる仕事もなく、思い出したように働いては数日後には辞めている俺たちにとって、のんびりとしけこめるモーテルなんかあるわけもなく、だから俺たちはいつでもなんとかガソリン代だけを稼いでは、街から少し走った山の中腹にある、十年前に営業を取りやめたコテージの一部屋に忍び込んではヤリ溜めをした。疲れたり飽きたりして勃たなくなっても無理矢理二回は追加した、あとは裸のまま壁にもたれ、ラジカセで音楽を聴きながら毛布にくるまって煙草を吸い、酒を飲み、寝たり起きたりしながら朝までを過ごすのだ。それが俺たちの―デートと言えばデートみたいなものだった。俺たちは同じ学校の同じクラスで、腐れ縁から始まっていつのまにかそういう仲になっていた。それも、熱烈な愛とかそういうのではなく、いつのまにか、気が付いたら裸になって舐め合っていた、そんな感じだった。そもそもいつでもつるんでいられる同級生なんて限られていたし、その中でも俺たちはとりわけ人間嫌いな偏屈だった。ババ抜きで最後に残った二枚みたいな関係だったのだ。そんな関係は何年も続いた、四年とか―あるいは六年くらいは続いていたのかもしれない。いまとなってはそれが正しく何年だったのかなんて、俺にも、そしてあいつにも分ることはない。緩慢な自殺のような毎日だった。そして俺たちは、それがそういうものだと知りながらもそれを苦だとも思いもしなかった。どうせ他に生きる術があるわけもない。俺たちは野生の動物のような愚かさで自分の立ち位置を全うしていたのだ。


ある日の少し肌寒い冬に、いつものようにやりまくってダラダラしているときに、あいつ―アビーはこんなことを口にした。
「ここの壁さ、だいぶんボロくなったよね。」
うん?と、少しウトウトしていた俺はそれをもう一度繰り返してもらった。それから眠気覚ましに煙草に火をつけて、煙を吐きながらそうだな、と答えた。笑わないで聞いてくれる?とアビーはいつになく暗い表情で続けた。俺は煙草を消して頷いた。
「この安い木造のコテージがあと何年もつのか分らないけど…あたし時々、自分があの壁みたいなものじゃないかって考えることあるのよ、最近。」
歳より臭い悩みだな、と俺は返した。アビーの言うことは分らなくもなかった、いや、もしかしたら本当は恐ろしく分っていたのかもしれない。だから逃げようとしたのだ。
「俺たちまだ二十代じゃないか。」
そうだけど…と言ってアビーは俯いた。もっと上手く言えるはずなのになにも言葉が見つからない、そんな様子だった。俺は彼女がなにか思いつくまで待っているつもりでいたが、眠気覚ましの煙草を早々に消してしまっていたせいですぐに眠ってしまった。目覚めた時はもう朝で、アビーも静かな寝息を立てていた。女は老けるの早いっていうしな、と思いながら俺はその頭を撫でた。

それから数週間、俺たちは互いになんやかやつまらない用事を抱えて会うことが出来なかった。たまにはきちんと仕事をしたりしなければいけなかったから、それぐらい会わないでいることはよくあることだった。俺はなにも疑っていなかったし、なにも心配してはいなかった。これまでの生活が変わることなんて考えもしなかったし、始まった時と同じでなんとなくいつまでもそれが続いていくものだと暢気に考えていた。アビーがもうお終いにしましょうと言ったのは、ひと月ほどあとのコテージだった。

「あたしね、結婚することになったの。」
俺はどんな言葉も思いつかず、阿呆みたいに口を開けてアビーの顔を見ていた。彼女の言っていることがまるで理解出来なかった。まるで外国の言葉を聞いているみたいだった。
「今しかないと思ったの。ボロボロの壁になる前に…自分を守るために、何かしなくちゃいけないと思って。」
両親には少し前から煩く言われていたの、と、思い出したように付け加えた。
「だから、俺と別れて―誰かと結婚するって?」
自分でも馬鹿みたいだって思うわよ、とアビーは俯きながら言った。
「でもね、あたし、この壁を見るのが怖いのよ。怖くてどうしようもないの。まるで少し先の自分を見ているみたいな気分になるの。だから、利用出来るものは利用して、この人生を抜け出そうって思ったのよ。」
俺はなにか言うべきだと思った。だけど、なにも思いつかなかった。彼女にしてみればそれなりに納得のいく段階を踏んでいるのだろう。だけど、俺にとってはまったくの晴天の霹靂というやつだったのだ。この毎日にこんな終わりが来るなんてほんの数分前までまったく考えてはいなかったのだ。
「両親が凄く喜んでいるの…やっと親孝行してくれるって。何年かぶりに小遣いくれたの。だからね、あたし車呼んでそれで帰るから…だからね、送ってくれなくていいからね。」
アビーはあまり俺のほうを見ずに早口でそんなことを言って、じゃあ、さよならね、いままでありがとうと言ってコテージを出て行った。俺は何も考えられず、しばらくの間コテージで立ち尽くしていた。それからどうしたのかあまりよく覚えていない。気づくと自分の部屋で水のシャワーを浴びて震えていた。慌てて湯に切り替えて、バスタブに湯を張り、ゆであがるまで浸かっていた。


取り乱したりはしたものの、数週間は比較的穏やかに過ぎていった。俺は時間を持て余すのが嫌になって、フルタイムの仕事に就き、やけくそで働いた。食肉工場で豚肉を捌く仕事だった。力だけは無駄にあったので、年寄りの多いその職場で俺は重宝された。家に帰ると力を使い果たして、シャワーを浴びて飯を食うとすぐに眠くなってベッドに横になった。こんな毎日もいいものかもしれない、そんな風に考え始めた矢先のことだった。

ある夜、もう日付も変わったころ、俺は痛みで目を覚ました。左の手首にひどい痛みがあった。寝床で横になっていたはずなのに、リビングのテーブルの前に座っていた。電気をつけ、左手首を見てみると、いま切ったばかりという感じでざっくりと、まるで手を切り落とそうとしたみたいに切り裂かれていて、真っ赤な血がポタポタと床を濡らしていた。俺は悲鳴を上げて洗面に飛び込み、タオルを取って手首をきつく巻き(といっても片手でそうするのには限界があった)、救急病院へと駆け込んだ。自分では気づかなかったが衣服にもかなりの血がついていて、これは大ごとだと判断した看護師が順番を飛ばして診察室へと案内してくれた。
「あと数ミリ深かったら危なかった。」
デンゼル・ワシントンの若いころにそっくりな医者が処置を終えてそう言った。
「どうしてこんな怪我を?」
分らない、と俺は首を横に振った。医者は怪訝な顔をした。家で寝ていたんだ、と俺は分らないなりになんとか説明してみようと試みた。
「痛みで目が覚めて、ベッドに居たはずなのにリビングのテーブルの前に座っていて、手首から血が流れていた。尋常じゃない量だったから、ビビッてすぐ手首を縛ってここに来た。そんな感じだから、自分でもなにがなんだか…。」
医者は頷き、見てればだいたい分るけど、と前置きしながら
「ドラッグやらの類はやってないね?アルコール中毒とか、そういった経験もない?」
ないよ、と俺は答えた。夢遊病の類も?と医者は続けてきいてきた。俺は黙って頷いた。
「そういう…なにか、病気の疑いがあると?」
医者は少し迷いながら、けれども言っておいた方がいいだろうと判断したらしく、少し真剣さを強くしながら、こんなことを言った。
「人間はなにか大きなショックを受けたとき、心と身体のバランスが取れなくなる時がままある、本人がそのショックを自覚していない場合、無意識下においてそのショックに対してバランスを取ろうとするケースは結構ある…例えば、寝てる間に自傷行為に及ぶとかね。」
医者はそう言って俺の目をじっと見た。
「ここは総合病院だ。このまま精神科医に診てもらうことも出来る。君がそう望めばね。」
俺はそんな状態なのかな、と俺は困惑して言った。医者は俺の緊張をほぐそうとしたのか、少し表情を緩めて、笑顔を作りながらこう言った。
「我々は君に聞いた状況から判断するしかない。君は今回たまたまマズい方向に寝ぼけただけかもしれない。でもね、もう一度言っておくよ、あと数ミリ傷が深かったら君はここに来ることも出来なかった。それぐらい危ない状態だったんだ。」
俺は頷いた。少し悩んだが、今日はもう帰る、と答えた。医者は頷いた。
「もう二度と悪い夢を見ないように祈ってるよ。」
ありがとう、と俺は答えて病院をあとにした。


数週間後、俺は知らない間に病院に担ぎ込まれた。道端で血まみれになって倒れていたらしい。仕事が終わってすぐの時間で、まだ眠ってすらいなかった。でもなにをやっていたのかまったく思い出せなかった。目が覚めると真っ白い部屋で寝かされていて、看護師が近くをウロウロしていた。俺が目覚めて驚きの声を上げるとこちらへやって来て、大丈夫、とだけ言ってナースコールを押した。この前の医者がやって来て、俺と目を合わすと悲し気に笑った。
「また会ったね。」
俺が答えられないでいると、彼はそのまま今後の説明を始めた。
「君はこのまま少し入院してもらう。精神科の方の病棟にね。向こうの先生に話をつけてある。これから一日か二日、完全に監視された状態で過ごしてもらう。もちろんそれは、君が安静にしていてもらうための処置でもある。君はどうしてここに居るのかも分っていないはずだ。心苦しいが、少し強引に進めさせてもらったよ。」
俺は何も言えず、頷いた。自分の身に起こっていることが理解出来なかった。連絡しておきたい家族は居るか、と聞かれ、居ない、と答えた。それから俺は監視カメラのついた部屋へと連れて行かれた。精神科の医者を紹介された。優しい笑みの、ソフィー・マルソーを思わせる女医だった。大丈夫よ、ここに居れば悪いことは何も起こらない。微笑むだけでそう患者に伝えることが出来る技術の持主だった。俺は安心した。腕になにかが打たれた。俺は急速な眠りの中へと落ちていった。

目が覚めると、俺は入院患者の格好のまま、あのコテージの真ん中で突っ立っていた、左のこめかみになにか冷たい感触があった。あの医者、と俺は毒づいた、大丈夫だってそう言ったじゃないか?もう助からないと分っていた、身体はなにも自由にはならなかった。目は自然に目の前を壁を睨んでいた、ボロボロになって―そんなにボロボロだったなんて信じられないくらいボロボロになったコテージの壁を。指先にじっくりと力がかかった、ああ、おしまいか―せめてもう少しなにか手に入れたかったな、俺がすべてを諦めたその瞬間だった、突然強い力で誰かが俺から銃をもぎ取った。続いて銃声が聞こえ、誰かがどさりと倒れた。俺は血も凍る思いでゆっくりと振り返った。左目からもの凄い血を吹き上げながら仰向けに倒れているのは、いままで見たこともないような小奇麗な格好をして、明るい色に髪を染めたアビーだった。


アビーの持っていたバッグには遺書があり、すべてに失望したと書かれていた。当然俺は疑われたが、引鉄が明らかにアビー自身の手によって引かれたことが分ると疑いは晴れ、また、俺や彼女の両親から事情を訊くにつれ、ある程度のことが把握出来るともう俺のところにはやって来なくなった。それから俺は診てもらう項目が増えひと月ほど入院したが、それからはびっくりするくらい良くなって退院した。そのまま仕事場に顔を出すとみんな喜んでくれた。俺は知らなかったが、毎日誰かしらが見舞いに来てくれていたらしい。無理はするな、あとひと月休め、でないと仕事はさせない、と親分が言うので大人しく家に帰った。眠りにつく瞬間には恐ろしくて仕方なかったが、何事もなく朝を迎えることが出来た。ちょっと愉快な夢さえ見た。それは過去と呼ぶしかない頃の夢だった。俺は目覚めるためにシャワー浴び、久しぶりに自分で朝食を作って食べた。なにが失われ、なにが残ったのかまったく分らなかった。だけど、時間は容赦なく更新され、遅かれ早かれ日常は再構築されるだろう。危うく死ぬところだった。でも生きていて、こうして新しい朝を迎えている。人生というやつはとてつもなく残酷なものだ。だけど、そこには必ず未知なる未来が待ち構えていて、日々を乗り越えたものにだけその姿を見せてくれる。俺はもうボロボロの壁かもしれない。だけどまだ横になって眠って、こうして目を覚ますことが出来る。

                                 


  了