コクリコの活動ではありませんが、先日保護観察所主催による社会参加活動のお手伝いに行ってきました。
観察所としては、対象となる少年たちが施設に入所されている方の身体介助活動を直接するのは全国でも初めての試みということで、心なしか観察所の方もやっと活動できたという安堵感というか、これからも継続していくことで更生に向かうきっかけになってほしいという想いが感じられました。
さて、まずは受入れをしてくださった施設(受入れにあたって対応準備が大変だったかと)に感謝しつつ、利用者の方には単発で伺ったことでご迷惑をおかけしたのではないかと心配しています。
青年たちの他、わたしと同じく参加された方々もとても良い経験ができたのは確かですが、一方通行で自分の満足感で終わってしまうのはいけないなぁと思っています。
今回行った先は有料老人ホームで、介護が必要になっても終身安泰と言われるような立派で本当に素敵な施設でした。
やはり有料とあるだけさすがです。
職員さんも利用者さんふたりに対して1人。(他に比べて充実をしているようでしたが、職員さんにとってはそれなりにいろいろ大変さもあるようでした)数々の楽しいイベントもあるようで、一緒に行った参加者の方は、こんな施設に入りたい、こんな施設に入ることができて幸せだね、という話をしていました。
確かに、このような終身安泰の施設に入ることができる選択肢があるということは幸せなことと思います。
ですが、素敵な施設に入ったから幸せか、と言ったらまた違ってくるのでしょう。
昔、本当に大金持ちのひとり暮らしのおばあさんがいて、父の仕事の関係でその方の話を聞くことがありました。
お金はたくさんあるのに、ちっとも幸せそうじゃない…。いつも疑心暗鬼で気が休まるようなことがないようでした。
幼いながらにも、“金持ち≠幸せ” こんな風に思ってました。
“幸せ”だと思える基準もひとそれぞれ。
どこに自分の基準を合わせるかだけで長く辛く思えたり、簡単に幸せを得ることができるんでしょうね。