hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

SUSURU~人形町ランチグルメ

2016-01-21 05:00:18 | グルメ

人形町にはなぜか10割そばの店が多い。事務所の向かいにある『しもじま』、2丁目の『そば助』、そして今日お邪魔した『SUSULU』。いずれも夜は居酒屋、昼はそばという感じである。
SUSULUは人形町通りにあるクラシカルなパチンコ屋正村の横を入り、芳味亭の隣にある。特徴は野菜ソムリエのいる店で蕎麦も日本全国から取り寄せているらしく、中々こだわりの店のようで入口には野菜が積まれ、椎茸が美味そう。

店はそれほど広くなく、2人席が3つ、カウンターが5席、ただし2階もあるようだ。12時前に入るとまだ先客は1人、販売機で食券を買うシステムで野菜天ざる+大盛(900円)にする。食券を渡すとそばの種類を聞かれ、『ごくぶと』『ひらうち』『ふつう』の中から選ぶが、ふつうにしておく。


すぐに天ぷらを揚げ、蕎麦を茹でて、締めている。ざるに乗った蕎麦は一見少なそうだが、しっかりした食べ応えのある蕎麦で、最初はそばだけで食べる。噛み応えもあり、味わい深い。

天ぷらは小さく切った野菜。椎茸、ナス、カボチャ、ししとう、玉ねぎ、いずれも揚げたてでさすがに野菜を売りと標榜するだけあって美味い。

量的にも満足した。目の前には十四代や田酒など中々銘柄の酒ビンが並び、一度夜にも訪れたいみせである。


SUSURU
中央区日本橋人形町2ー9ー4
0366612212

信濃町~四谷周辺の坂道(2)

2016-01-20 05:00:01 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その66。前回に続き信濃町~四谷辺りの坂道を歩く。前回の鉄砲坂から元の道まで戻り、しばらく歩く。そして左に曲がると『戒行寺坂』。坂の案内板もちょうど戒行寺の前にあるが、名前は寺の名前からついた。

別名が油揚坂だが、これも買って坂の途中に豆腐屋があり、油揚が美味かったからついた名前とのこと。戒行寺以外にも寺はこの辺りに多い。


戒行寺を越えてしばらく行くと左に一間くらいの細い道があり、これが下り坂になっている。これが『闇坂(くらやみさか)』である。松厳寺と永心寺の間にある坂で木が茂り暗かったのでこの名前がついた。
元に戻り、まっすぐ行くとお岩稲荷だが、ここは左門町を訪れた際に行ったが、向かい合わせになぜか2つの神社がある。

今回はその手前を右に折れる。しばらく行くと右側に須賀神社へ行く道がある。せっかくなので行ってみるが、この神社は四谷の総鎮守と言われる神社であり、設立は1634年で元赤坂にあった稲荷神社を移したもの。その後、神田明神に祀られていた牛頭天王を合祀したため、四谷牛頭天王社といったが、明治の廃仏棄釈で今の形になった。また、1863年に奉納された三十六歌仙絵が有名である。



ちょうど初詣が終わり、節分までのやや閑散期のはずだが、お参りする人々がかなりいる神社である。(以下、次回)

神田鍛冶町

2016-01-19 05:00:27 | 日記

『神田をぶらり』その1。日本橋町巡りは昨年11月までに23回にわたり『日本橋』とつく街を歩き続け、ついには全てをまわり終えることができた。今年はこれに続き『神田』とつく街を歩いてみたい。ちなみに頭に神田とつく町が25、ほかに西神田・東神田・内神田・外神田と後に付く町が4つ、計29ある。さらに岩本町・三崎町・猿楽町・神保町と今は神田が付かなくなった町が3つあるので合計すると32あることになる。

今回はこの中で『鍛冶町』を取り上げてみる。早口言葉に『神田鍛冶町、角の乾物屋の勘平衛さんの勝栗買ったら固くて噛めない。』というのがあるのは御存知だろうか。『か』の音を使った早口言葉だが、この町の名前は江戸時代に遡るほど古いものである。

地図を見てみると神田駅の西に1、2丁目、東に3丁目があるが、よく見ると不思議なことに1、2丁目は鍛冶町1丁目、2丁目。3丁目は神田鍛冶町3丁目と表記が違うことに気がつく。


これは西の部分は1974年の住居表示実施時に『神田』を外したが、3丁目は住居表示をまだ行っておらず、このような不思議な事態となってしまっている。

中央通りを中心に南東部が1丁目で今川橋の交差点から中央線の線路までの一帯で山梨中央銀行東京支店などが立ち並ぶ。


今川橋は神田堀(竜閑川)掛かっていた橋で当時の名主今川氏の尽力があり作られたのでこの名前がある。しかし、1950年に川が埋め立てられ、今はその跡しかない。


中央通りを挟んで反対側が2丁目、雑居ビルや飲み屋街が並んでおり、有名な神田新八や神田光寿などもある。よく見たら、今は営業していないようだが、ソープランドもあったようだ。

一方、3丁目は線路の北側で現在は一部再開発中、他の地域もビルが並び閑散としている。因みに近くには『鍛冶町交番』はあるが、住居表示は内神田である。



鍛冶町は丁目により全く違う顔を持つ町である。

信濃町~四谷辺りの坂道(1)

2016-01-18 05:00:41 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その65。今回は信濃町~四谷辺りの坂道を歩く。



まずは信濃町駅で降りて左側、すぐのところを千日会堂に降りて行く道があるが、それが『千日坂』である。この名前は坂下にある一行院千日寺に由来するが、実は旧道は1906年に新道増設のため消滅しており、この坂道はいわば新千日坂である。

坂をまた登り、信濃町駅を突き抜けて右に曲がると周辺は全て創価学会系の建物が並ぶ。


その中を歩くと右に細い坂道が現れるがこれが『新助坂』である。昔この辺りに新助という人がいたのだろうが、それは江戸時代かそれ以前のことのようだ。一名を『スベリ坂』ともいうが、坂下には人だけが通れる隧道があり、中央線を越えることができる。


また、坂を上るが結構勾配がきつい。坂の頂上を右に行く。少し広い場所に出るが、そのまままっすぐ行くと前方に赤坂のニューオオタニが見えるが、その先に線路や高速道路に沿った坂が現れる。これが『出羽坂』で明治維新後に旧松江藩主松平伯爵の屋敷が移転してきたため、この名前がついた。邸内には修徳園と呼ばれた名庭があったが、戦後取り壊されてしまった。


出羽坂を降りて細いが交通量の多い道を歩くと2股に分かれ、右に行く。するとスーパー丸正があるが、その手前を右に曲がると緩い坂となるが、これが『鉄砲坂』。江戸時代に鉄砲組屋敷があり、訓練場や鍛冶場があったため、この名前がついた。(以下次回)

第51回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会

2016-01-17 05:00:36 | グルメ

毎年恒例の元祖有名駅弁と全国うまいもの大会が1月7日から新宿の京王百貨店で開催されている。今回で51回目、毎年その最初の土曜日に行くことにしていたが、今年は正月早々体調を壊し先週はそれどころではなく、断念。ようやく回復して何とか行くことができた。

いつものように9時過ぎに家を出て、京王百貨店正面には9時40分に到着したが、昨年並んだ時より並んでいる人が多い。これは暖冬のせいかもしれない。というのはいつも寒くて耳が切れそうだが、今日は少し寒い程度。しかし、待つ20分は長い。そうしているうちに列は伸びる一方である。


今年はいつもの輸送駅弁(地方の駅弁を扱う店から送られてくる駅弁)をやめて2種類に特化することにする。10時に店が開くと慣れた小生は左手にあるエレベーターを目指し、そのまま7階会場に直行。お目当ての三昧牛肉ど真ん中(山形駅)とウニ弁当(久慈駅)を探す。まずは三昧牛肉ど真ん中、これは2番目ですぐに購入。次に近いウニ弁当、これは限定だからと思ったが、すんなり5番目で購入。しかし、弁当売りのおばあちゃんは中々釣りが出せず、オタオタしているうちに長蛇の列。田舎でのんびり商売をしているのとは訳が違う。


何と10分程度で買いたい物をゲット、というのも家族2人なら2個が限界と買うのは諦め、会場を観察する。一番人気は多分静岡のフルーツゼリー、早々に整理券が無くなったとのアナウンス。弁当では台湾の豚肉の弁当と佐賀の佐賀牛サーロインステーキ弁当あたりが人気。あっという間に人だらけ。ただ、スーパーの駅弁大会でもある横川駅の釜飯に人が並ぶのは理解できない。あとは赤福2個入りを買って帰る。


昼はもちろんこの2つの駅弁を食べたが、まずは三昧牛肉ど真ん中から。味付けは塩、味噌、醤油だが、塩はあっさり、味噌はややこってりで中々美味い。しかし、醤油はやっぱり鉄板のうまさである。


ウニ弁当は少し古いがじぇじぇじぇの旨さ、ウニも本当に沢山乗っていて、冷えていても飽きのこない磯の香りたっぷりの味。大満足である。


おばさんたちが丁寧にウニを乗せていたのを思いだし、感謝。来年は何を狙うかな?
もちろんデザートは赤福をいただきました。



隠れ岩松~四谷ランチグルメ

2016-01-16 05:00:09 | グルメ

博多うどんもいいが、あごやいりこの出汁がよく効いた長崎うどんも美味い。小生は吉祥寺の商店街の中にある『ふじのや』にはよく行くが、長崎のアンテナショップを併設した四谷の『慶應三年うどんの隠れ岩松』に本日はお邪魔した。

場所は四谷駅から新宿通りを三丁目方向に歩き、一本裏にある。元は長崎出島厨房と言ってちゃんぽんや皿うどんを出していたが、2年前にうどん屋になった。

ステンドグラスを思わせるカラフルなガラスがはめ込まれたドアを開けると意外に広い店内。注文はやはりうどん屋だからとゴボ天うどん(850円)を注文する。

ところで隠れ岩松とは何だろうと思ったが、メニューの端に『慶應三年に島原で松永岩松がスタートさせた石臼挽きの製粉業で手延べのうどんを作ったが、その復刻版を取り寄せて供している』とある。

待望のうどんは7分ほど経過して到着、うどんには蒲鉾2切れと青ネギが入っており、別の皿に3cmほどのゴボウが天ぷらにしたものが5本乗っている。

七味唐辛子を振り、まずは2つ天ぷらをうどん載せて食べる。うどんは博多うどんよりはコシがある細めの麺で喉越しが良い。スープはあっさりと魚の香りがする長崎風、味付けはほぼ塩と薄口醤油。

ゴボ天にはかき揚げタイプ、笹掻をまとめて揚げたタイプ、丸のまま切って揚げたタイプがあるが、ここのは3番目。牛蒡は下ごしらえされているのか柔らかく、香りも良い。テーブルを見ると長崎の卵と揚げ玉が入れ放題である。


量は小生にはちょうど良かったが、小丼のついたセットもあるし、うどんの増量は2玉までは無料というのも嬉しいサービス。昼でもあまり混んでおらずゆったり食べれる四谷ランチの穴場である。



隠れ岩松
新宿区四谷1ー10ー2
0353660536

東陽町駅(2)

2016-01-15 05:00:50 | 日記

『metroに乗って』その32。東京メトロ東西線東陽町駅の続き。豊住橋を越えて反対側に歩いて行くと川が湾曲してカルガモやキンクロハジロなどが泳ぎ、その先には吊り橋もある。また、オブジェの上にはカモメが羽を休めていた。



その先で仙台堀川は先ほどの横十間川と交差する。交差するあたりにはカモメが群れをなしてパンを投げてもらい食べている。とても江東区とは思えないのんびりした風景が広がる。


葛西橋通りを越えて公園の端まで歩くと『うるおいの木かげ道路』と名付けられた道に出る。実は江東区ではこうした歩道を各所に作っている。交通量も少なく、まっすぐな道になっている。左右には団地群がそびえており、周辺の西友なども賑やかである。




永代通りを渡るとすぐに江東運転免許試験場。これは従来、東京には鮫洲(大田区)、府中(府中市)しか試験場がなく、混雑解消を目的に1984年開設されたもので、小生も初めての書換えの際にお世話になった。


試験場のほぼ向かいあたりには『洲崎球場跡』の記念碑が。これはプロ野球創成期に上井草球場とともに作られた球場で1936年から1943年の僅か7年間のみ使われた。立地は市電の洲崎電停から近かったこともあり、良かった。しかし、満潮時にはグラウンドが海水に浸かり、コールドゲームになるという問題があり、後楽園球場ができると殆ど試合が開催されなくなってしまった幻の球場である。


東陽町にはかつて洲崎パラダイスや洲崎球場などがあり、大変栄えた場所であったが、いまは記念碑くらいしか当時を彷彿させるものはなくなってしまっている。

井の頭公園弁天池のカイボリ

2016-01-14 05:00:00 | 日記
一昨年の1月に続いて井の頭公園のカイボリが昨年11月より始まった。カイボリとはため池の水を抜いてゴミなどを除去、また魚を捕まえるために行われるものだが、特に井の頭公園では池に放された外来種のブラックバスやソウギョ、ブルーギルなどが在来種のヨシノボリや鮒などの生態系を脅かすことから、この除去と水質の浄化を目的に行われているものである。今回は弁天池、ひょうたん池、ボート池などで行われるもの。



井の頭公園駅を降りて歩くとローボートが逆さにして積まれ、さらに先に行くとスワンボートや足漕ぎボートがひとまとめにされ、ブルーシートを掛けられている珍しい風景に出くわす。特にスワンボートは首から上がシートで覆えないため、まるで大きな鳥の飼育場のような異様な光景である。

その先の橋のあたりには下流に水をポンプで流す装置もつけられていた。



そして28年ぶりにカイボリの最中の弁天池は池の底が姿を現し、その周辺にきれいな水が流れている。ということはまだまだ水が沸いているのだろうか。水のない橋や弁天様を祀った神社は見慣れない光景。神社のある島も周囲が一部崩れかけ、これを蛇籠で修理しているところがよく見える。ボート乗り場には1月6日からボートの営業を一時休止する案内もあった。


2月まで池の底を乾かし、きれいにするとのことでもう少しの間この風景が見れるようだ。井の頭公園も2017年には開場100周年を迎えるにあたりそこの見える池にとボランティアも含め活動しているようで誠に頭の下がる思い出ある。

大師茶屋~深大寺グルメ

2016-01-13 05:00:45 | グルメ

深大寺にお参りに行ったらやはり蕎麦を食べるのが定番。このブログにも度々登場するが、小生はもう10年以上ずっと同じ店に通っている。というのはやはり蕎麦つゆの味がやや甘めで気に入っていることと特に冷たい蕎麦は石挽きの国産蕎麦粉で作ったコシの良いことが決め手かもしれない。

店の名前は大師茶屋、場所は深沙堂から水神苑を通り、バス通りを左に曲がり2軒目で駐車場も完備している。11時40分くらいに到着したらもう9組くらいが待っていた。まあ、基本的にこの店は相席にしないのでしょうがないが。屋外の席ならばすぐに入れたが、気温10度ならば多少待つのはやむを得ない。

それでも15分ほど待って入店、今日は奥の座敷に2人で座る。注文は悩んだが、寒いのでたぬきそば(750円)と鴨南蛮(1480円)、ただ、どうしてもざるそば(750円)も頼んでしまう。

待つこと10分、まずはざるそばが到着、やはりここの石臼で挽いたそばは角があり、腰も強く喉越しが最高。やや、甘めのつゆが好みである。

次にたぬきそばが到着、これは奥さんが先に食べる。天かすのいい香りがする。そして、鴨南蛮。そばには鴨ロースが2切れ、鴨つくねが2個
、焼きねぎが3個入っている。まずは汁を飲むが、鴨の味が出て美味い。山椒が欲しいところだが七味唐辛子で我慢。続いて鴨ロースをかぶっといき、そばを手繰るがこれは至福の味。

脂があるためか、汁も熱く感じる。さらに鴨ロース焼きが2切れついてくるが、味はいいが、冷えていて残念賞。熱い汁に載せて熱くして食べることを思いつく。中々ボリュームがあって、これだけ食べたら超満腹。鴨南蛮はコスパもよし。

正直言って、小生は年なのに食べ過ぎ、でももたれないそばは消化も抜群。体も暖かくなり外の空気も心地良し。勘定の際にちゃんと天かすを頂戴しました。

大師茶屋
調布市深大寺元町5ー9ー10
0424825407


深大寺への初詣

2016-01-12 05:00:00 | 日記
毎年だが深大寺はお正月から少し時間が経った頃に初詣することにしている。とはいうもののさすが名刹、連休ということもあるが結構な人出、特に厄年などの人々が護摩供養に来るのだろうか駐車場にも車が多い。車を止めて植物園との間の道を抜け、植物園の深大寺門の前をとおリ、まずは開山堂にお参りする。開山堂は昭和58年の開創1250年を記念して建てられたものでまだ新しい。お堂の中には本尊の薬師如来、脇侍の弥勒菩薩と十一面観音、さらにその脇にはこの寺を開基した満功上人、天台宗に改めた一租恵亮和尚の像が並んで祀られている。

その脇には句碑もあるが、あまり人はいない。

坂を下りてくると元三大師を祀る大師堂に出るが、ここは厄払いの人、新年の祈祷をしてもらう人でお堂には入れないくらいの人が並んでいる。昨年、妻の厄払いに来た折にはそれでもなんとかお堂の中に座れたが、今日は入口に鈴なりの人がしかも立っている。いや、厄払いも大変盛況なのには驚いた。


次にいつもお参りをするのが白鳳時代の金銅仏である『釈迦如来倚像』、日本では数少ない7世紀ころ作られた金銅仏でなんのなく優しいその目元が好きな仏様である。間違いなく東京では最も古い仏像で重要文化財、しかし、無料で拝観できる貴重なものでゆっくり手を合わせた。

そして階段を下りて今度は本堂に向かう。こちらも大変な人である。本堂の前には見事な熊手が飾ってあった。


また、破魔矢を求める人、干支の素朴で可愛らしい土鈴を買い求める人も多い。

山門を抜けて参道抜いくとここにも人が多く、名物の蕎麦屋が軒を連ねているが、その中をとおり、最後に深沙堂にお参りをする。ここのお堂には深沙大王が祀られているが、開帳されたのは2009年の中開帳の時くらいで今日もお堂はしまっていた。実はほかにも不動堂、釈迦堂なども点在するが今日は失礼し、初詣終了。本年もいい年でありますように。