放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

東日本大震災~The Life Eater26~

2011年06月03日 00時35分20秒 | 東日本大震災
 僕の実家はつくば市にある。
 仙台からつくばへ行くとき、もっぱら「浜通り」を通っていた。
 「浜通り」。すなわち国道6号線や並走する県道35号-34号などで形成される文化圏である。
 もともとは「東海道」といった。

 「何言ってんの? 東海道は京都から江戸の日本橋までの街道でしょ!」
 というアナタ、惜しいなぁ。
 品川が終点になったのは家康さんの時代から。それ以前の終点は陸奥国府「多賀城」です。
 (あ・・・、ドヤ顔していると悲しくなる・・・。)

 現在の街道(国道6号線)は古代の「東海道」よりもずっと平地に降りてきていて、それだから震災では津波で道路がズタズタになった。
 特に亘理、山下、相馬、その先でも津波が街道まで達しているという。
 いずれも僕にとってはつくばへ帰る道であり、仙台へ還る道であった。

 亘理は、イチゴの産地。
 季節になると、「イチゴ狩り」ののぼりが街道にはためいていた。
 海産物の恵みも豊かだ。
 春はホッキ飯、夏はしゃこ飯、秋ははらこ飯、冬はカキ飯。
 笹かまぼこも石巻、気仙沼に負けていない。一大産地だった。
 
 福島県の相馬も松川浦漁港をかかえ、海産物の豊かなところ。
 のみならず、陶芸の産地でもある。
 相馬から南相馬(原ノ町、小高)をまたぐ県道にそって「相馬焼」の窯元がずらりと並ぶ。
 
 一方で国道6号線はかなり単調で、やや内陸部を通りながら浪江、富岡、夜ノ森、広野と続く。
 
 広野には道の駅があり、温泉が湧いている。
 ここは外灯までがブルー。なぜならば、近くにJ-ヴィレッジがあるから。そう、ジャパン・ブルーだ。
 道の駅も当然ブルー。ここは食事が安くて好きだった。

 そこからは常磐道がつながっているので、上がるのもよし、もう少し走るならそのまま南下して久ノ浜をへて四ツ倉海岸に出る。
 
 このあたりでは「めひかり」が水揚されていた。
 新鮮なめひかりをテンプラにして食べると絶品。 
 いわきよりも四ツ倉の方がおいしいものがいっぱいあったような気がする。

 いわきは大都市なので、信号が多すぎる。
 なかなか進めずにいつもイライラさせられる。
 この町には白水阿弥陀という奥州藤原氏の時代から伝わる端正な阿弥陀堂がある。
 東北三大阿弥陀堂のひとつだ。
 三大阿弥陀堂は、平泉の金色堂、角田の高蔵寺阿弥陀堂、そして白水阿弥陀堂だ。

 湯元では常磐ハワイアンズあり、アクアマリン水族館あり、結構遊べる街でもある。

 その先には日立市があって、八溝山系の南端をぬけて那珂水系の平野に出る。水戸市の文化圏だ。
 石岡から山地に入るとそこが筑波山系である。
 
 どのルートでもよい、筑波山系をぬけると、本当に広大な平野に出る。
 ここが関東平野の北限だ。日本一広い平野。川が土砂を運んで出来ただけのアリジゴクのような平原。
 
 つくば市はもうすぐそこだ。

 ・・・。
 ここまで挙げたルートのあちこちで今、交通規制がかかっている。
 言わずもがな、地震と津波と原発だ。 
 僕の知っている磯風ただよう風景は、すっかり荒れてしまった。荒らされてしまった。
 電車なりクルマなり20年以上も通ってきた浜通り。今度ここを走れるのはいつのことか。
 とおいとおい帰り道。
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