放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

東日本大震災~The Life Eater29

2011年06月16日 14時22分09秒 | 東日本大震災
 「3.11東日本大震災」を考えるとき、忘れられない写真がある。

 津波でできた、だだっぴろい荒地で、ひしゃげた幼稚園バスが泥に半分埋まっている。(だいたいどこの場所かは推測できました)
 その傍らにしゃがむ母親らしき姿。横には父親らしき人も。
 母親はぐにゃりとゆがんだ窓から手を入れている。

 テロップによれば、泥に埋もれているわが子の髪をなでているのだという。

 見た瞬間に息が詰まった。

 抜けるような明るい青空。
 まばらな松林からは早春の潮風が吹き寄せていることだろう。
 けれどもそこは悲しみに満ちていた。

 この写真には続きがある。

 自衛隊に助け起こされてよろよろと立ち上がる母親の姿。
 まるで小さな女の子のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
 きっとあの子は泥の中。髪の毛だけが風にそよぐ。

 
 どんな慰めも、どんな鎮魂も足りない。
 けど、慰めも鎮魂もない世界は、もっと気が狂いそうになる。
 やはり、そんなものが欲しいと思うときもあるのだ。

 先月、皇族の方々が宮城県にも慰問にきてくださった。
 なかでも天皇皇后両陛下がいらしたときには、なぜか空気感がちがった。
 
 お二人で海岸に立ち、海に向かって黙礼をする。
 その瞬間、人も海も山もみんな静止した。不思議な一瞬だった。
 「天皇」と呼ばれる存在は、きっとこういうものなのだろう。
 誰にも代わることが出来ない役割。最高位の「鎮魂者」。

 「鎮魂」とともに思い出すのが「慰め」の力。
 「慰め」とは今やあまり響きの良くない言葉になりつつあった。
 少なくとも「震災」が起きるまでは、僕は好きではない言葉だった。
 けれど、疲労した身体に甘味が良いのと同じで、疲弊した心に「慰め」は沁みる。
 そのことを、僕は音楽で実感した。
 民放で、はじめ遠慮がちに流れ出した音楽たち・・・。
 きっとそれは、僕たちが日常の感覚を取り戻すのに大きな助けとなったのだ。

 「3.11」の震災から、「芸能」を生業とする多くの人たちが自分の無力感に苛まれたという。
 けれども、そこから軋むような心地で一歩を踏み出す人たちもいた。
 
 その「芸能」は、少しずつ僕らの心に沁みて、甘味のようにとろけた。
 それは「娯楽」や「チャリティ」である前に「慰め」であったからだ、と思う。

 あらためて気が付いた。
 「芸能」の本来は慰めであった。
 それは生者のみならず「死者」にも届いていたのではないか。
 たぶん、そうだ。
 音楽も、詩も、演劇も、絵も、みんなみんな「慰め」から始まっている。

 だからどうかアーティストのみなさん、絶望しないでほしい。
 あなたの「芸能」がきっとだれかの心に沁みている。

 そして「慰め」は「鎮魂」にもつながってゆく。

 
 
コメント
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