放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

マハーバーラタ(~憎しみの連環から~)

2018年09月17日 03時20分53秒 | 観劇日記
 まだ神と人との境界が明確でない遠い遠い昔。
 物語は破滅へと疾走していた。
 憎しみは煮えたぎって、醜く爛(ただ)れて、膨れ上がり、連鎖する。
 そして発する者、堪える者に熱き喘ぎをもたらす。
 人は、こんなにも誰かを憎むことができるのか。
 この感情を理解できるならば、私たちもいつか同じことを誰かにしてしまうのだろうか。


 平成30年9月16日(日曜日)、仙台市青年文化センターにて「幻祭前夜―マハーバーラタより」を観てきました。
 世界三大叙事詩のひとつにしてヒンドゥーの聖典「マハーバーラタ」より、一族が二つに割れて憎しみ合い、激しく争う過程を切り取って今回は上演しています。ある意味この叙事詩の主題と言ってもいい部分だろうと思います。
 「だろう」とは、「マハーバーラタ」自体をはじめて観るから。
 聞けば内容は聖書の四倍。登場人物も多くて、しかも複雑。その一部だけ切り取ったといっても、かなりの人数です(しかもヒンドゥーの名前なので覚えにくい)。
 それをたった9人の演者と2人の演奏だけで表現しているのです。時には仮面を被ることで人物を演じ分けたり。驚異的かつ緻密な構成と言ってよいのではないでしょうか。
 さらに驚異的なのは演者の身体能力。
 バリ舞踊、京劇、琉球舞踊、バレエ、フォンジューン、柔術(やわら)、そして超人的な舞踏。
 圧巻でした。そしてその動き中に、確かに「アジアの野趣」のようなものを見かけた気がします。
 体軸を立て、深く腰を落とし込む。跳んでも跳ねても最後は地に踏み込む舞踏。
 それは舞踊と武術が表裏一体であることも示唆しています。労働も然り。
 西洋のバレエやダンスも入りますが、やはり漂うのは「アジアの野趣」。
 これに沖縄の舞踊と謡いがよく合います。同じ野趣を受け継いでいるのでしょう。                                    
 激しい動き(カラミ)、激しいパーカッション。飛ぶかう異なる言語。
 どこまでもどこまでも太古の叙事詩に引きずり込まれてゆきます。


 まだ神と人との境界が明確でない遠い遠い昔。
 物語は破滅へと疾走していた。
 疾走は続き、今も続いている。
 願わくば、幻祭たることを。
 そのことなら、ユディシュティラがすでに死王にお答えしております。
 豊かさ、幸せ、
 みんな正しい方法で求めていないのです。
 願わくば、幻祭たることを。
 どうか。どうか。
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