放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

核エネルギーを考えよう(1)

2012年06月11日 13時11分10秒 | 東日本大震災
 まあ、核エネルギーを一言で言ってしまえば、それは「クーリングオフ期間をうっかり過ぎちゃった契約」なんでしょうね。

 ヤバい契約。
 いまさら「ナシ」にできない契約。
 
 でも契約したのはそれなりにメリットがあったからだ。
 無尽蔵のエネルギー。
 おそらく人類が作り出せる最高出力のエネルギーだろう。

 でも制御できない。
 遮断できない。消すことが出来ない。
 中和も出来ない。
 
 唯一沈静化させる方法がただ「冷す」だけ。
 なんて原始的・・・。

 東日本大震災による原発事故で、電力会社や保安員などの最終的な対応が、結局「ただ冷すだけ」だったことに絶句だった。
 完全に隔離できるわけでもなし、高温のプルトニウムを仕舞える容器があるわけでもなし(しかも溶けてるし)。
 電力会社のくせに停電の想定をしていなかったことも絶句。


 ところでさっき「契約」という言葉で核エネルギーをなぞらえたけれど、それは市民だって核エネルギーの導入に無関係ではなかったはずだから。
 きっと当初は何らかの説明が開発者から市民になされ、どんなに簡素化したものであれ、核エネルギーを導入することについて合意形成がなされただろうと想像するからである。
 もちろん、放射能の恐ろしさをよく知る当時のオトナたちには不安があっただろう。
 それでも日本の経済の発展には高出力の電力が必要だったのだろうし、それが市民の生活をも便利にしたはずなのだ。
 僕などはその便利になりつつある日本の世相をおぼろげながら覚えている世代でもある。
 家の家電はどんどん高出力になっていった。
 冷蔵庫、エアコン、オーディオヴィジュアル・・・。
 
 だから核エネルギーの導入は「契約」といえる。
 つまりは僕らもこれをとりあえずは納得して受け容れてきたのだ。

 けれど、いったん発生した放射能は消すことができないらしい。
 漏れ出した放射能は隔離できない。
 拡散した放射能は消えるまで長大な時間を要する。
 
 これ、かなり悪質な「契約」をさせられた感があるなぁ。
 そのとき人類はどうすればいいのだろう。
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