放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

壺井栄「大根の葉」を読んで3

2012年07月19日 13時14分35秒 | Weblog
 やがて手術の経過を報告するためにお母さんは祖母の家へ帰ってくる。
 そこで話される経過は、なんとも割り切れない。

 片目の手術は上手くいったが、もう一方はダメだったというのだ。

 先天性白内障の場合、生後早ければ早いほど水晶体は軟らかく、生後1~2ヶ月ではまるで液体のようだと言う。
 それを丁寧に除去し、合わせて毛様体という、水晶体を支える筋肉組織なども除去する。このとき、少しでも筋組織を残してしまうと、それが無制御に増殖し、再び視界をさえぎることになる。

 克子の手術が失敗したのは、きっとこういうことだろう。

 僕の場合、次男坊は術後1ヶ月の健診で発覚した。
 執刀したDrは、特に左目の毛様体がやや固着していて、除去しづらかったと言っていた。
 それが悪さし始めたらしい。
 散瞳薬で瞳孔を開いて観察すると、確かに瞳のフチに白いギザギザとしたものが顔を出していた。
 
 まるでクローン培養したナントカ細胞みたい。

 そうして、手術は二度も行われることになったのだ。保険がなければかなりの料金だった。上等な車が買えちゃうくらい・・・。
 長男も、実は瞳孔が開いたときに瞳を見ると、フチに白いギザギザがある。
 これがもう少しでしゃばって来ていたら、きっと彼も二度目の手術をしなければならなかっただろう。

 再び壺井栄「大根の葉」へ。
 手術が失敗したことを実家に伝えたお母さんは、再手術を受けたいと、泣きながら懇願する。
 しかし実家での反応は、厳しかった。

 高額な手術であると言うこと。
 開眼手術そのものが胡散臭く見られていること。
 幼子の体にメスが入ることへの抵抗。
 信心こそが一番子供のためではないかという考え。
 
 古い田舎の考えらしい、といえばそれまでだが、孫の体にメスが入ることへの抵抗は、現代でもあるだろう。

 現に、長男も次男も、なるべく早く手術させたいと言う話をしたときには、やはりBELAちゃんの実家では厳しい顔をした。
 次男の時には「お正月前に手術なんて何考えてんだ」といわれた。
 そのため、次男は手術の日程を一ヶ月繰り延べた。
 それでも入院させる直前には義母から「ホントにこんな小さい子の目を切らなきゃならないのか」と滲み出るような繰言を言われた。
 出来ることなら、三歳か、五歳くらいになるまで待てないのか、と。

 もちろん目の発達を考えるなら、一刻の猶予も出来ない状況だった。一般にデッドラインは生後3ヶ月と言われている。
 けれども孫の体を切られる祖父母の気持ちも痛いほどよくわかる。
 僕らだって子の体を切られる父母なのだから。
 だから、病院へ無理を言って一ヶ月繰り延べたのだ。
 
 「大根の葉」も、このあたりの心情は生々しく描かれる。
 お母さんの頭の中には、神戸のお医者さんの言った言葉がのしかかっていた。
 「いま手術をすれば一生懸命見ようとするが、遅くなると、もう目は物を見ようと努力しなくなる」
 
 壺井栄はよく調べてから執筆している。おそらくどこかで「モリヌークスの疑問」のことを知っていたのではないか。
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