放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

筑波山と復興

2012年01月03日 01時39分22秒 | 東日本大震災
悲しい2011年が終わり、新年がやって来ました。
 おめでたいという言葉は確かに出しにくいのですが、それでも僕たちは生き延び、あの日から確実に遠ざかってゆく日常に乗っかっている。これはまぎれもない事実です。
 気持ちはあの日から止まっているんだ、という人でさえ、日常はどんどん流転しているのです。

 だから、せっかく来た新年をさいしょから恨むのは止めませんか?
 どんな一年になるかわかりませんが、とりあえず楽ではないでしょう。
 とりあえず、簡単には傷は癒えないでしょう。
 でも、この一年も目をしっかりと開いて見つめていないと・・・。
 (あなたに力を貸してくれる何かが、今こっそりと通り過ぎようとしているかもしれませんよ)


 さて、年末につくばへ行ってきました。
 土浦北ICで降りて、国道125号線を筑波山方面へ。
 そこで真っ先に見えたのが、無残に切り崩された連峰の岩肌。
 
 そうだよなぁ、筑波山連峰って、たしかセメントの材料が採れるんじゃなかったっけ。

 「秀峰」と呼ばれる一方で、どんどん痛々しい姿になっているのです。
 それにしても、ずいぶんと掘削が進みました。支峰の一つである小田山が茶色い肌をむき出しにしています。どこまでやるのかなぁ。

 ここでふと思いました。

 今頃は、被災地沿岸で、大量のセメントが必要なのです。
 そうか、そうだよなぁ・・・。防潮堤も破壊されたし、橋も道路もズタズタだし。地盤沈下したところだってあるし・・・。なんか複雑だなぁ。

 自分の見てきた筑波山が削られているのは忍びないことです。
 一方で、被災地で資材も人材もものすごく不足していることも知っています。

 ここからも削りだして被災地沿岸部へ持っていくのかなぁ。

 
 翌日は会津若松へ移動。
 料亭(囲炉裏端で鮎焼いて食べさせてくれました!)で、福島沿岸部・立ち入り禁止区域から避難してきた人たちを受け入れていた話を聞きました。

 話を聞きながら、筑波連峰の痛々しい姿を思い出していました。

 複雑だ、ホント複雑。


 野生動物は津波が引いて数日で戻ってきたと言います。
 海の生き物も、どんどん戻ってきたそうです。
 
 なぜ、ニンゲンばかり復興にこんな手間がかかるのでしょう?
 まるで災害は、文明や文化すべての値打ちを地に叩きつけ、その愚を笑っているみたいです。
 もちろんこれに負けたら、ニンゲンはオシマイです。
 でも無理をして、それが環境破壊につながれば、それはそれでまた災害の笑いものにされるだけです。

 今日は明確な答えが出ないけれど、考え続けなければならないことですよね・・・。 
 
 
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