放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

一足早く、松がとれました。

2007年01月09日 00時41分54秒 | Weblog
 これがまた、ややこしい事情でして・・・。

 まず、長男が元日以来BELAちゃんの実家に丁稚奉公(ただのお泊りです)しているという伏線がありました。
 次に、実家がちょうど町内地区の班長さんをしているという伏線もありました。

 さて、1月5日、地区の隣組とやらで、不幸がありました。
 BELAちゃんの実家でも、お役目として葬儀の手伝いをしなければならなくなりました(お互いさまなんだ、とも言っていましたが)。
 そこで実家では、その夜のうちに松飾をすべて外しました。 
 その上で我が放菴にも連絡を頂いたのです。
 「・・・こういう事情で、葬儀の手伝いをしなければならなくなった。COZYも子供の迎えでウチさ来る前に松飾をすべて外せや。」
 「ウチもですか?」
 「ンだっちゃ。目出度いことと、不幸を一緒に取り扱うと、歳得神さまがうんとごっしゃぐもの。」
 「はあ、面倒くさいんですね。息子を迎えに行くだけでもダメですか。」
 「おメェが来たときお茶出さないわけにはかねぇべ?
 なにか(良くないことが)あっとイヤだから、こィなこといってんのっしゃ。不幸に関係した家でも、松飾りが取れていないところと、『火を交える』わけにはいかないんだど。」
 『火を交える』とは飲食を共にするという意味です。
 
 我々としては、ただ単に長男を迎えに行くためだけに松飾を外したことになります。行って、お茶を頂くかもしれないという理由で。

 BELAちゃんの実家の方では、歳得神さま(歳神さま)をとても畏れます。特に不幸があり正月を迎えられない家では、年始の挨拶も控え、家に誰もよばないほど徹底しています。この状態が、松飾りを外す節まで続くのです。
 しきたりを守らなかった誰それの家では、事故で不幸が続いた、とか、そういった話も広まっていて、原始信仰の奥を垣間見た気分にさせられます。

 こういう迷信めいた話は、きっと好き嫌いがあろうかと思います。僕の実父母も嫌いなクチです(唯物論者ですから)。
 けれど仕方がないんですね。そもそも、日本のコヨミそのものが、鬼道や占星術などの神秘主義に満ちているんですから。
コメント
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