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放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

ちょいと本宅へ・・・。

2011年10月28日 13時18分10秒 | Weblog
 本宅へ行っていて、ブログをご無沙汰していました。

  本宅のURL ↓
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/houann/diary

 
 10月のころって、どういうわけか、宮沢賢治が読みたくなる。
 な、わけで、賢治さんに関する作文をダラダラと書いてきました。ご興味のある方はどうぞ。
 タイトルは≪賢治さんはほんとうにデクノボウとよばれたかったのだろうか≫
 です。

 

あ? 仙台にパンダ?

2011年10月18日 14時46分31秒 | Weblog
 やめてください。マジで・・・。

 中国の人には悪いけど、パンダはいらない。
 行政の力の入れ方が間違っている。

 震災直後にポンペイ展(仙台市博物館を貸切った)を続行した非常識さにもあきれたけど、アンパンマンミュージアム建設の強行実施にはもっと驚いた。
 そしてこんどはパンダですか。

 やりきれないのは、どうして市民に説明するまえに外部でこういうことを表明しちゃうのかなぁ。

 しかも政府も中国大使館も了承済みだっていうし。
 
 けれど市民のオレはテレビみるまで知らなかったよ。おそらく八木山動物園の意向すら聞いていないんでしょ?

 最近、こーいう手法が多いね。政府も「普天間問題」「環太平洋パートナーシップ協定」「消費税10%問題」、みんなこの手法だもんね。外交上の表明してから、沖縄県や実害を蒙る人たちを説き伏せるって作戦だもんね。
 シビリアンコントロールだかなんだかしらないけど、「他所でああいうことを言っちゃったんだから、オレに恥かかせんな」って論法、ひと昔まえの「ちゃぶ台親父」の言動だろ、そりゃ。完全に庶民はバカだと思ってんだね。

 仙台市長のパンダ発言だって、2チャンネルとかに「被災乞食」とか「恥ずかしくね?」とか書かれているんだよ。
 
 いまは学校も修復していない、下水処理場だって壊れたまんまだし、
  荒井地区の復興計画だってまとまっていないし、
   液状化した道路の補修なんか100億円単位でかかるってのに。
    (こうやって考えると、ホントは復興乞食なんだよなぁ。)

 それでもパンダですか? 八木山動物園の被災後の支援をどんだけやったのか疑問なのに?(支援はみんな他の動物園や他の町からの厚意でしょ。)
  
 仙台市民として、理解できないなぁ。
 
 なんだか、名取とか石巻とか気仙沼とか陸前高田とか南相馬とか、もっとひどい目にあっている地域に対して申し訳ない。

閖上へ・・・(The Life Eater)

2011年10月12日 12時21分47秒 | Weblog
 10月8日
 やっと閖上へ来ることができた。

 いままで来たくても来れなかった。
 用? 用なんて別にない。
 ただ、来たかった。来れなかったけれど・・・。

 空は抜けるように青く、このまま天上へとつながっているんだろうなぁ、という気候。
 道はただ広く、みわたすかぎり平らで、平らだった。
 ときどき大きな瓦礫の山がある。
 日和山よりも高い瓦礫。

 なぁんにもない。
 ホントになんにも・・・。

 貞山掘にかかる橋をこえて、すうっと車を走らせたらいきなり港に直面した。
 この先にはもう何もない。
 あれ、こんなに近かったっけ?

 お寿司やさんも、天ぷらラーメンのお店も、釣具やさんも、みんなみんな消えていた。

 喪失感で身体が軋む。

 かつては毎日納品に訪れていた港町。
 工場のオジさんに小突かれそうになったり、オバちゃんに冷やかされたり。
 車をムシして車道をあるく人たち。
 すげぇ、と理由もなくビビった。
 「にーちゃん!しっかりしろよ。」
 工場のオジさんのダミ声を思い出す。

 毎日来ていると、通りに面した路地はだいたいおぼえた。
 
 花火の夜にはみんな縁側から空を仰ぐ。
 どこの家でも魚の焼くニオイがしていたっけ。
 いいなぁ。ゼータクだねぇ。

 ささかまぼこのタネを分けてもらったこともある。
 みんなで焼いて食べた。あのささかまは美味しかった。

 いまはだれもいない。
 あたりには、土台だけの住居あとが広がっている。
 道が、陥没している。水の残っているところがいっぱいある。

 岸壁には、海のほうをじっと目詰めて立っている人たちがいた。
 よそから来たのか、それともここのひとなのか。
 
 びゅうと吹く風があざ笑う
 ― 何見たかったんだか知らないが、みんな終わっちまったよ -
 閖上は時が止まっていた。
 みんなみんな茶色くなって止まっていた。

  

初サンマ2

2011年09月26日 23時44分23秒 | Weblog
 ちょいと、脱線しまくっちゃいましたね。
 いつの間にか「荒井横丁の八っつぁんとおカネさんのサンマ善哉」みたいな・・・。
 
 こういう落語調の語りは調子上げていくと、どうしても男の独り善がりになっていくから女性の不評を買ってしまう。「調子に乗りすぎ」た時のしゃべり方だもんね。失礼しました。


 さて、リアルな「初サンマ」は日曜日、BELAちゃんの実家で。
 お義母さんがお昼に焼いてくれました。しかも新米とともに。

 不思議なもんですな。つい最近まで「やれ台風だ、やれ残暑だ」と言っていたのに、彼岸のころになると、すっかり風が涼しくなってくる。まるで約束を履行するかのように。

 そうなるとニンゲンもわがままなもので、風が涼しくなったとたんに、芋が食べたい、おでんが食べたい、サンマが食いたいと、心がざわつくのです。
 だから食卓にサンマのながぁい鼻面が見えると、もうまるで今が秋の盛りのような気分になってしまい、夏のことなぞすっかり忘れてしまうのです。ホント勝手なもんです。

 もちろん、サンマは別に今に限らずスーパーの棚に並んでいました。回遊魚ですからね、いくとこ行けば居るんですよ、そりゃあね。
 ちょいと高かったから買うのを控えていただけ。それが向こうからお皿にのっかって迎えに来てくれたようなモンです。ここで遠慮するのはバカってもんでしょ。

 まぁず、このサンマはうまかったですね!
 焼き加減がいいのは勿論のこと、ワタが苦くない。固体が健康である証ですね。

 角田で頂くサカナは仙台よりもウマいことが多い。なんでだろ? 流通では仙台の方が規模デカいのに。
 
 サンマサンマ。いい季節になったなぁ。

初サンマ

2011年09月26日 11時39分30秒 | Weblog
 やっと逢えました! サンマ。

 よぉ、しばらく、元気にしていたか?
 相変わらず銀色の肌が色っぽいねぇ。

 オイラは酒の味をおぼえるのと魚の旨さをおぼえるのとはほとんど一緒だったからね。アンタとか青身のサカナには思い入れが格別なんだよん。

 もちろん、ジンマシンとか出して死にそうになったこともあったけどさ、それでもサカナの脂が恋しくなっちまうのさ。特に秋にはね。因果なこった・・・。

 あ、酒?
 いいよいいよ。今日は新米あるんだろう? ごちそうさね。こっちも楽しみにしてたんだ。

 刺身はちょっと虫が怖いけど、塩をぱらりとふって焼いてくれればなんてこたぁない。かえって余分な油も落ちて「いい塩梅」ってなもんさ。
 ワタもよく火を通してな。おっとっと焦がしちゃイヤだよ。難しいね。当たり前だよ、難しいさ。
 何もサカナだけが難しいわけじゃないだろう。一事が万事。みんな難しく出来ているのさ。料理も生活も、人間関係も、みんな一緒。だからよ。おいしく仕あがりゃ、それだけで格別ってもんサ。

 ああ、いらねぇいらねぇ。ツマなんてめんどくせぇもんはいらねぇ。キクの花もいらねぇ。なに、これはタンポポだ?ぬかしやがれ。
 いいんだよ気ぃ使うねぇ。ただよ、ダイコン卸して醤油をたらりとかけてれたら、それだけでいいんだ。

 あとはもう猫のように食っちまう。頼むから何も話しかけてくれるなよ。ああ、おしぼりだけはおいといてくれ。箸だけじゃ身が捌けねぇんだ。

 ああ、うまいねぇ!
 今だけは震災も台風も忘れてていいんだ。明日のことも昨日のことも。ああついでに夫婦喧嘩のネタも忘れてくれると助かるんだがねぇ!そんなモンした覚えがねぇ? ふふん、いいんだ、いいんだよそれで。

 もう目ン玉もくりぬいて食っちゃう。バラバラでなんだかわかんないくらい。

 ああ、なんでぇ! 勿体ねぇ食い方すんねぇ。首の付け根の肉は格別だよ。
 ホラそこよ。カマの後ろの付け根にいっぱい詰まっているだろう? どうでぇ。うめえだろう?

 それから、その今度は顎のしたを後ろから突っついてごらん、ごろんとしたのが出てきただろう。そいつが心の臓だよ。うめぇよ。鳥のハツとかわんねぇ。気味悪がってねぇでパクンといってごらんな。あたりめぇだよ、イキモノの命を頂いているんじゃねぇか。粗末にしちゃかわいそうだよ。

 どうでぇ、キレイなもんだろう。
 そこでこの背骨をよ、ちょいと七輪の熾(お)き火であぶってくンねぇか。茶色くなくれぇが下げ時だ。あっとっとっと、ヘンな臭いがしてきたよ。そろそろいいんじゃねぇか。いつまでも置いとくってぇとせっかくの・・・。なに、まだだって?いいんだよ下げてくんねぇ。あわてるなって?あわてちゃいないよ別に。ただ焦げないようにと思ってだな、うるさくなんかないよ。あせってなんかいないよ。物事にゃ食べ時ってものがだな、あ、焼けた?早いね。

 おお、ぱりぱりっといい歯ごたえだ。これが骨せんべいってやつだ。りっぱなご馳走だよ。
 ここまで食ってやんないとはるばるオホーツクから来たサンマに悪いってなもんだ。ほら、お皿もキレイだろう? エコだねぇ。猫もこれじゃ出番がないってなもんだ。ざまぁみろ。

 どら、お茶淹れよう。いいんだよ。サンマやいてくれたじゃねぇか。お礼だよ。なに高くついた?こきやがれ! サンマ三昧だ。 ・・・オチない落ちがついたな。
 

仙台を開府した人々

2011年09月22日 14時40分28秒 | Weblog
 個人的に、歴史が好き。

 郷土歴史の本を読みあさって頭でっかちになって、それからガサガサと現地に踏み込む。
 
 と、いいたいところだが、現在は8:2くらいの割合で本の読みあさりに偏っている。

 将来、自分の時間が持てるようになってきたら、ぜひ郷土歴史家になりたい。
 いやべつに肩書きなんかいらないです。『郷土歴史』という謎解きが楽しいだけ。


 さて、このごろ、「鹿除け土手」というものを調べている。
 あいにく「現地に踏み込む」という作業が乏しくて、十分な説明が出来ないが、かいつまんで言うと。

 山地と平地の境、つまり耕作域と森林域との境に土手を設けて、その上に杉を植えたもの。
 仙台在住のひとならば「太白区の国道286号線沿いの土手」を想像するだろう。

 ところが鹿除け土手なるものは青葉区にも宮城野区にも存在する。そもそも目的によってはどこでも作ったであろう。

 「目的」と書いたが、これがなかなかクセものだ。

 「鹿除け土手」の目的として挙げられるのは大体以下のようなもの。

  1) 山地のケモノに農作物を荒らされるのを防ぐため(鹿、イノシシ)
  2) お殿様が狩を楽しむ狩場からケモノが平地へ逃げていかないようにするため
  3) 杉林を保護し、城下の建築資材を確保するため。
  4) 実は「土手」は「防塁」のことで、侵略者を食い止めるための前線基地。

 「東奥老士夜話」という書物には、もしも江戸幕府が仙台を討伐しようとしたならならば、どうやって迎え討つべきかを説いているという。4)のような説はきっとその延長線上だったのではないか。
 僕が『郷土歴史』なんかを『謎解き』と解釈しちゃうのは、こういう話しがときどき出てくるから。
 (しかしまぁ、対『幕府』なんて想定をしているのは薩摩・長州藩だけかと思っていたけど、仙台もこんなこと考えていたんだねぇ。やっぱ外様大名だからかなぁ。)
 
 な、ことを考えていて、ふと、気になったことがある。

 こういう土手、って防災の意味もあったのではないだろうか。

 土砂災害、特に大雨による災害の時には何らかの役に立たないのだろうか。
 土手のてんぺんに杉を植えたのは、きっと土手を根で堅めるためだろう。
 
 ところでそれは、山からの災害だけを考えているのだろうか?

 偶然ではあるが、土手の近くには大きな川が流れている。
  川で怖いのは二つある。
   一つは大雨による増水。
   もう一つは、津波による海水の溯上。

 大雨についてはあながち笑い話ではないのではないか。
 現在では河川の遊水域を十分にとるような設計なので(要所に砂防ダムがあるし)危険度はかなり低いが、江戸時代はそうではあるまい。河川が増水し、氾濫してきたからこそ仙台平野にや肥沃な洪積層が展開している。その洪積層が高地に接する線上に、鹿除土手はあるのだ。

 いっぽう津波の溯上は、過去に記録がないから今のところ非現実的かな。それでも1611年に仙台藩は大地震と津波を経験している(慶長三陸津波。ちょうど400年前!)。政宗公は被害報告のために仙台から駿府へ参府しているくらいだ(ビスカイノの日記より)。大津波の記憶はむしろ政宗公の時代のほうが鮮明だったのかもしれない。

 そのとき、小さな打ち波が根岸の集落にも来たのかもしれない。
 
 そもそも「仙台」という街割をなぜ河川の中流部に設けたのか。
 下流のほうが広大なんだから用地も確保しやすいし、水の便だってよかっただろうに。

 今までは防衛的な意味合いがあったとされている。(対上杉説、対幕府説など)
 しかし、実は津波の被害も考慮に入っていたのではないだろうか。
 1611年の津波では千人を超える犠牲者を出した。海の恐ろしさはだれもが感じていたのではないか。

 仙台を開府した人々が、何を考えて町割りをしていたのか、災害の観点からも研究が進むと、もっといろいろなことがわかってくるのではないだろうか。

 
 

鳴子~鬼首の旅6

2011年09月05日 23時39分58秒 | Weblog
 はあ、こういう連載をダラダラ書いていると、「遅筆」であることがバレバレでんなぁ。

 
 さて、お宿でチェックアウト(ブルーベリーと温泉玉子もらっちゃいました!ごちそうさまでした)を済ませたものの、なんだか名残惜しくなり、結局ロビーでコーヒーを頂いた。被災地から来た方々も、ソファでゆっくり寛いでいる。そうね、これからまた忙しくなるもんね。みなさんにとって、これが充電に至る最上のひとときでありますように。

 奥にはタペストリーが飾られている。いろいろなそれは人たちが書き残して言ったメッセージだった。自分に対して書いているものもあるし、誰かを励ましているものもある。
ほっこりするメッセージ、ちょっとドキっとするメッセージ、そしてパワーをもらえるようなメッセージ。みんなすごいな。

 何気に見ていたら、ちょっとしたことを発見。
 タペストリーの中央に書かれている文字は「夢」という字に見えていたが、よく見るとひらがなで「ありがとう」とかかれていることを発見。おもしろいね。まるで文字が柔軟体操しているみたい・・・。

 
 お宿に別れを告げて、中山平温泉に別れを告げて、鳴子の市街地まで下ってきた。

 そこに大きな橋が架かっている。このあたりでは江合川を渡れるのはここだけ。
 つまりここが鳴子路と鬼首(おにこうべ)路との分岐路というわけ。

 橋を渡ると向こう正面の巨大な岩肌に、太い送水管のようなものが設置されているのが見える。この辺からなんだかすこし雰囲気が異様だ。

 なぜだろう、川を隔てただけなのに、やけに岩肌がごつごつしたエリアが続く。緑したたるようなさっきまでの風景と全然違う。

 気のせいか、マグマ溜りのような地熱が、タイヤを伝ってお尻のほうまで焙られるような熱気を感じる。それもそのはず。ここら一帯は地熱がすごいので、そのエネルギーを利用した発電所までが設置されている。

 やがて道は大きく分岐し、やや高原めいた方へとクルマは走る。すこしホッとする。
 ゆるやかなアップダウンがつづく。左右に拓けた敷地があって、そのほとんどが牧草地のようだ。あっちの草原で牛が草を食ん出んでいるのがノドカで良い。
 
 この先はオニコウベスキー場だ。夏の間は雪がないからなんかもっと楽しいことをしているようだ。

 さっそくスキー場のロッジに入館。ゴンドラ券を買い、乗り場へと階段をあがる。

 実はコレ、BELAちゃんのサプライズ企画。
 このあとどこへ行くかはBELAちゃんのみぞ知る。

 ごんごんと歯車がまわり、つぎつぎとアプローチするゴンドラ。あっちを見ると、そのゴンドラがまたどんどんと山頂へと送り出されてゆく。
 これ狭いんだよな。高所恐怖症と閉所恐怖症のひと最悪だろうな・・・。

 キュウキュウ乗り込み、ハッチを閉める。とたんにグーンと押されるように前へ進んだ。ちょっとプラットホームにボディをこすったりして(ゴリッ)、そこで一旦タメが入る。このタメがやけに心拍数を煽りつける。再びグーンと押されて、ゴンドラは空へと引っ張られていった。ちょっと「スターウォーズ」の気分。

 眼下にはゆるやかな傾斜の草原(冬にはゲレンデになるところ)、そして濃い緑色の森林。高いところはほとんど原生林に近いのではないだろうか。高度が上がるにつれて見晴らしもよくなり、オニコウベスキー場なみならず、広大なリゾートパークがまるまる見えるようになってくる。そうなると山の森林はだんだん背が低くなり、やがて地を這うような松などが見えてくる。高山植物だ。
 ゴンドラはぐんぐん登ってゆく。びっくりするくらい高くなってきた。
 やがて着いたのは、ホントの頂上。禿岳の支峰・小柴山。このへんの尾根はぜんぶ宮城県と山形県の県境。
 木々の切れ間から覗くと、大パノラマが夏の日照のなか
 高度があるから下界よりは少し涼しい。

 ときどき大きなリュックを背負った人が追い越してゆく。
 何処へいくのかは不明。荷物がやけにデカい。

 と、目の前に大きな小屋組みの建物が見えた。
 壁がみんなザイル生地の網になっている・・・。お? これってもしかして?

 「カブトムシだっ!」
 次男が叫んだ。
 
 狂喜の声をあげて小屋に飛び込んでゆく。BELAちゃんサプライズ大成功。

 子供たちは遊びの天才。だれとでもすぐに仲良しになれる。
 カブトムシ片手に誰かれなく声をかけては「勝負しよう!」と遊んでまわった。
 そしてそのまましばらく小屋から出ようとしなかった。

 成功したけど、成功しすぎ・・・?

 なんとか小屋から次男を引き剥がし、今度は下界のカート乗り場へ。
 こっちはガソリンエンジンが爆音を立てる本格的なヤツ。
 「僕が運転する!」
 男の子だねぇ。BELAちゃんのサプライズはこっちも大当たり。

 しかし長男は優雅にサイクリングタイプのコースを選択。
 次男はアクセルガンガン踏みまくってカートコースを攻める(フォローが大変・・・)

 ほどほどのところで、長男をむりやりカートコースに引っ張り込んだ。
 案の定、パニクる長男。アクセルを思いっきり踏んでロケットの様に突っ込んでいった。
 「足に力入れるからスピード出過ぎるんだろーが。」
 と足をきゅっとつねると、やっとスピードが落ちた。

 長男は頭でっかち。次男は感覚本意。
 だから長男はコーナリングの基本をゆっくり語って聞かせる。
 次男はとりあえずハンドル握らせて、横から強制的に修正していく。
 兄弟でこうも性格が違うものか。

 やれやれ、で午前中めいっぱい遊んだら、最後にあるのは、やっぱ「温泉」でしょ。

 リゾートパークに別れを告げて、さきほどの岩山の方へ進む。やっぱこっちのほうがジリジリ来る。
 山沿いを登ってゆくと途中からは民家が一軒もなくなる。
 それぞれの温泉は営業しているようだが、地熱やら何やらで人が住むには向かないのだろうか。

 鬼首の市街というと、川を隔てて西の方というイメージがある。そこから橋を渡って鬼首温泉に勤めにくるのだろう。

 鬼首の共同浴場に到着。
 ここのお湯も熱かった。鳴子ほど硫黄臭はないものの、やっぱり熱い。なんか、ここらの温泉は上級者向けなんじゃないかしらね。

 鬼首の大地がジリジリビリビリくるのもそれはそれで自然の恵みなんだけど、ときおり見かける「○○地獄」なんて看板から想像するのは、どうしても火の山のイメージ。ハンパない、すごいところだね。

 てなわけで、温泉三昧の旅でした。うまいモン食って、寝て、お風呂入って、リラックスできました。
 被災者との交流はどうも遠慮してしまったけど、どこかで何か約にたてることをまた探しましょ。また行こうね。こんどはこんなに猛暑でないと助かるんだけどね。

 帰り際の収穫は「鳴子ビール」。
 おいしかったー。 新商品:パイナップルビールはオススメ!
   
 


 

鳴子~鬼首の旅5

2011年08月29日 00時33分09秒 | Weblog
 さてさて、その夜も温泉三昧。

 家族風呂(露天。洗い場セマい。)入って、それから広いほうの露天風呂(男女別)へ。
 なぜか虫が多い。山奥だからだろうか。中には刺すヤツもいるようで、湯に入っていた人が、気をつけるように教えてくれた。
 こんなモアっとした湯気だらけのところ、羽のある虫には命取りだろうにと思うが、それでも確かにものすごい勢いで何かが飛び回っていた。ハチともアブともわからないが、とにかくブンブンだ。

 ひとまず上がり、浴衣着てベンチで涼む。とにかく身体に熱が籠りっぱなし。いやぁ、温泉好きなんだけどね、ここまで来ると入浴も運動ですな。それも長距離系っぽい。

 と、今度は子供たちだけで大浴場に行くという。BELAちゃんもスタスタと女湯に向かう。みんなスゲェ体力・・・。

 翌日も起き掛けに大浴場へ。
 とにかく、温泉入りに来ているわけだから、ここまで入ればモトは取ったようなもんでしょ。

 今日で中山平温泉ともお別れ。
 ロビーではやはり多くの人たちが憩っている。子供たちもあっちのソファ、こっちのソファと、何はなくても群れたり離れたり。まるでチョウチョみたい。

 できればお話してみたかった。
 でも、つらい話ばかりになっちゃうのかな・・・。
 なれなれしく話しかける勇気もないまま、部屋へ戻る。

 朝食の支度をしてくれた仲居さんに、ここに滞在している人たちのことをちょっと聞いてみた。すると、みんな仮設住宅への入居が決まり、カギももらっているとのこと。
 さらには、みんな今日中にここを出発するので、さみしくなるとのこと。

 ああ、そうですか・・・。

 凄惨な目にあいながらも、みんな先へ進もうとしている。
 「よかったですね」というのはなんか正しい言葉ではないような気がして、でもなにか今の状況を肯定するような言葉を捜し、結局なにも出てこなくて「そうですか・・・」と言ってしまった。

 いや、下世話なこと言えば、大人数だったし、旅館の方でも受け入れは大変だったんじゃないか、と思っていた。それなのに、仲居さんから「さみしくなる」という言葉が聞かれて、正直ちょっと感動した。
 この「やさしさ」が復興のなによりの原動力だ。これがなければ滞在していた人たちも、居心地悪い想いをしたんじゃないだろうか。


 チェックアウトの準備をしてロビーへと降りる。
 BELAちゃんも次にエレベーターで降りてきた。
 「さっきねぇ、向かいのお部屋に滞在していたひととお話したよ。」
 「へえ、なんて?」
 「ん、『これから大変だけど、よかったですね』って。」
 ああ、へんな気を廻さずにストレートにそう言ってよかったんだ。
 よくぞ言ってくれた。BELAちゃん、ありがとう。
 
 

鳴子~鬼首の旅4

2011年08月24日 14時17分00秒 | Weblog
 予定では、鳴子温泉の温泉神社近くから沸く「瀧の湯」に行こうという話しになっていた。
 温泉神社だけに開運のご利益のあるかなぁと期待しつつ。

 ところがここはけっこう坂道を登る(この灼熱の坂を?)。しかも近くに駐車場がない。
 どんだけ歩くのかはかりかねて、僕が近場にしようと弱音を吐いた。

 「近くって、何処に行くの?」
 やや不承気味にBELAちゃんが訊く。
 「んー、そこの早稲田桟敷の湯はどう?」

 ここは鳴子来たならいっぺん入っておきたいなと思っていた。
 その昔早稲田の学生さんが掘り当てた湯なんだそうな。
 
 なんだか近代的というよりは前衛的な建物のエントランスを入ると両サイドが高くなっていてその上に休憩場がしつらえてある。これ、風通し良いんだか悪いんだか・・・。
 エントランスが行き止まりかと思いきや、そこから階下へと降りてゆく。実はそこが一階なのだ。ここは斜面に出来た建物だから、すべからく中二階からさっきは入館した格好になる。

 お湯ははっきり言ってアツい。
 源泉が滑り台のようなところから流れ落ちてきて、浴槽にまんべんなくゆくわたるように設計されている。湯花がまたずいぶんとデカい。ゴミかと思った。
 天井はその高さを存分に活かした空間に豪快な梁が渡してある。ダイナミックだ。

 湯から上がって上の休憩場に行ってみる。やっぱり風が抜けない。扇風機で一生懸命風を起こしている感じ。身体が冷めるひまがないから熱がこもってきた。ちょいとヤバいかも。


 やっと車にもどる。車の中もアジぃ。70度は行っているんじゃない?
 もう誰が何と言おうとエアコン全開。あー最初は熱風だー。だけどすこしづついい風になってきた。もしかしてここだけが地球上で最後に残された居住空間なのかもしれない。

 せっかく車に戻ったし、鳴子温泉郷をぐるっと一周してみようかという話になった。
 ゆるゆると車を動かす。
 坂道だし道も狭い。おまけに両サイドは側溝で温泉が流れている。これ車サビないかな。

 まずは瀧の湯がある温泉神社方面へ。かなりの勾配です。真夏にはキツいよ。車でよかったー。
 結局車を停めるところが見当たらなくて断念。ここに泊まらないかぎりちょっと難しいかな。  
 仕方なく坂を下り、JR駅からさらに西に向かい、小学校のほうへと登ってゆく。途中、なんだか凄い雰囲気の廃墟ホテル発見。あとできいたらやっぱりそれなりの恐怖スポットだったようで・・・。

 そのまま道を上がってゆくと、温泉神社の裏参道へ出て、さらに上へと道は続いている。
 「潟沼までいってみようか?」
 ぐんぐん坂を上がる。いつのまにか周囲に人家はなく、雑木林の中をひたすら走っていた。
 やがて道はゆるやかな下り坂となり、雑木林のすきまから、目も覚めるようなコバルトブルーの湖が見えてきた。

 湖畔に小さなお店があり、岸には小船も浮かんでいる。

 ここは酸の湖。鳴子のお山が噴火して出来た湖らしい。
 湖面が良く見えるところまで車を進める。蜂に懲りているので窓を開ける気にはなれない。
 よく見ると、湖面にふつふつと何かが揺らいでいるのが見える。魚かとおもったが、やけに規則正しく揺らいでいるので生物ではないと気が付く。きっと今も酸化した鉱泉が湧出しているのだろう。温泉かもしれない。入る気にはなれないけど。

 ここも後日ネットで恐怖スポットとして紹介されていた。たしかに異様な場所ではあったが、それは人の気配がないという意味であって、そのほか特に不気味な感じはしなかったんだけどな・・・。

 そのまま道なりに山を下り、いつのまにか温泉郷へと戻る。そして中山平温泉へ。

 「帰りにまたブルーベリー農園にいってみようか?」
 とBELAちゃん。猛者ですな、君。

 行ってみるとやっぱり昨日と同じように黄色くて速いやつがバチバチとぶつかって来た。
 ダメだこりゃ。帰ろう。

 
 

鳴子~鬼首の旅3

2011年08月24日 10時55分37秒 | Weblog
 岩出山の町では、誰も歩いている人がいない。
 炎天下で、危険すぎるからだろう。途中の駐車場でスズメがぺったんこになって死んでいた。こんだけ熱けりゃ、いながらにして焼き鳥になっちゃっててもおかしくない。

 僕らもまた陽炎のようになりながら、やっと「感覚ミュージアム」に辿りついた。
 
 灼熱のレンガ道のはての、これまた灼熱の建物。(オズの魔法使いでもいるかしら?)
 まわりには誰もいない。あるのは灼熱のオブジェ。
 これはお空や川の声がきこえる巨大な聴診器? はたまた拡声器?

 面白いんだけど・・・、でも早く館内に入れてぇ~。

 館内にはいってびっくり。人が多い。
 みんな涼しいところに避難していたんだねぇ。
 「感覚ミュージアム」は視覚以外の感覚を刺激したり、わざと自由にならないフクザツな機械で壁にラクガキできたりと、大人でも楽しめる施設。しかも手動の自具が多くて、けっこうエコ。

 ここで、不思議な鉦(かね)を見つけた。
 ハートの形状をしたまっくろいもの。
 手に取ろうとすると、カラーンと鳴った。
 お?と思いひっくりかえそうとすると、またコローン。
 やや小さめの音。まるでどこか遠い過去から聞こえてくるような不思議な感じ。
 実際、音もまるでどこかの古ぼけた柱時計のような音を出す。
 持って振っても思うように音がでないわりに、何かの拍子に突然キリーンと音を出す。

 なんか、いいなぁ。

 気に入ったので、友人とBELAちゃんの分を買った。

 外に出ると、また熱風がもわわぁぁ、と。

 今日はペットボトルを何本空けたことだろう。
 時刻は13時。一番キツい時間。今度は堀川沿いにJR岩出山駅まであるいた。
 なんで車で来なかったんだろう、と一人で後悔。でも子供たちは元気元気。

 ところが、JR岩出山駅について、ホームへ出たとたん、ゴロゴロゴロ・・・。
 お、来るか? と見る間に空から大きな水塊が、叩きつけられるようにビタン!と落ちてきた。
 ビタン、ビタン、ビチビチバチバチザザザァ!
 ものすごいスコール。でもまるでお湯のような雨。これは蒸熱くなるぞ。
 
 列車が来たので、そのまま乗り込む。相変わらず車内は涼しいやね。

 でもJR鳴子温泉駅に着くと、道路は乾いていて雨が降った形跡さえない。
 「夏の雨は馬の背をわける」ってのはよく落語で聞くけどホントだね。あっちで降っていて、こっちはカラッカラってのは、まさに今日のような天気のことじゃないかしら。

 駅から灼けつく坂道を登ったり降りたりして、やっとお団子をゲット。食べてながら、さあ今度はどこの温泉はいろうかという話になる。
 こんだけ灼けるようなのに、まだ熱いところ行くのぉ? まるで苦行だね。