その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

小さい「つ」の大冒険 1

2008年12月04日 | Weblog

 

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五十音村の住人たち

小さい「つ」の大冒険

その1

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次の日も 次の日も

小さい「つ」は仕事に出てくることはなく

人間たちはお互いの言っていることが

はっきりと理解できなくなっていった

さらに悪いことに

文字さんたちは徹夜で

小さい「つ」を捜し歩いたので

みんなくたくたに疲れていて

仕事の途中で居眠りする文字も出てくる始末

まず 居眠りを始めたのが

「は・ひ・ふ・へ・ほ」を「ば・び・ぶ・べ・ぼ」にする

「てんちゃん」と「てんくん」

それによって

人間たちの言葉が益々分からなくなっていき

お互いに理解しあうことが

さらに難しくなっていったのだ

・・・

「雑誌はどこ?」と言う代わりに

「匙(さじ)はどこ?」となってしまうし

「ひどい結果」は「ひどいケガ」

「魚が腐った」は「魚が草だ」

「掃除機を買う」は「葬式を買う」に

「国会で集まる」は「戸外で集まる」になり

「抱っこ」は「たこ」に

「会員が奪回する」は「会員が他界する」に

などなど沢山の弊害が出ている

しかし 「てんちゃん」と「てんくん」の

居眠りはほんの始まりにすぎなかった

他の文字さんたちも

あまりの眠さに仕事の途中で

眠りこけて いけないところにいたり

そうかと思えば いなくてはいけないところに

いなかったりと勘違いを起こした

たとえば 朝刊発行時には

小さい「つ」以外は全員働いていたのに

その後 お昼になると三十三文字になり

夕刊が出るころにはなんと

十二文字しか働いていない状況になっていた

もちろんこうなると新聞、雑誌はもちろん

テレビやラジオでも内容を充分

伝えることが出来なくなってしまったのだ

そして 時間がたつにつれ

人間が生活するのに

困る問題が大きくなっていった

日本語の代わりに英語を使うものも現れ

また手話を使って言いたいことを

伝えようとするものも出てきたのである

夜十時からのニュース番組では

あまり眠らなくても困らない

「え」さんと「と」さん以外は夢の中

この二文字だけではたいしたことを

伝えられるわけがない

ときたま「え~と、え~~と、えーと」と

繰り返すだけだった

唯一困らなかったのは

国会で朝から晩まで演説しかしていない政治家だった

彼らはいつものようにしゃべり続けた

政治家も それを聞いている人たちも

彼らの演説の筋が通っていないことには

まったく気づかなかった

ある政治評論家によれば

それは政治家の演説にはもともと

殆ど意味がないから

日本語がおかしくなくっても

意味が通じないことに変わりはないということだった

(そのことは「バケツが空である限り

穴が開いていることに気づかぬ」説と呼ばれていた)

 

つづく

・・・

三修社発行

「小さい つ が消えた日」

ステファノ・フォン・ロー著から抜粋

 

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今日の写真は

ちょっとお遊び写真

露光感ズームと言う写し方

シャッターボタン押しながら

ズームをスライドします

そうするとこうなります