かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【書評】 『季題別 山口誓子全句集』 (本阿弥書店、1998年)

2012年06月27日 | 読書

 再読である。山口誓子の句が思い出せない、句そのものとはいわないまでも、雰囲気、情緒、作風までもがぼんやりしているのだ。それで同じ本を借りてきた。 

 読み始めてすぐに、記憶の薄さの原因が分かった。「季題別」というのが災いしているのだ。例えば「春」の部で、季語「雪解」には33句、「観潮」には38句、そんなふうに一つの季語にたくさんの句が並べられている。山口誓子は、連作・写生構成に力を入れたらしいから、とくにその傾向が強いのかも知れない。
 同じ季語でいくつかの句を読んで、また同じ季語の句を読めば印象が薄くなるのは仕方がない。どうしたって句が描く世界の差違が小さくなってしまうからだ。写生俳句に徹するほどその傾向は強くなる。

 「季題別句集」というのは、「歳時記」と同じく、句作者のための教科書なのだ。私のように、俳句を作ろうという気はさらさらなくて、他の文学作品と同じスタイルで読もうという者には向いていないスタイルではないか。教科書が面白かったためしは一度もないのだ、私には。 

 「季語」は「写生俳句」にとって必然というのは言うを待たない。そういった意味では高浜虚子は偉大な政策立案者で、「写生俳句」と「季語」のお膳立てで句を作れば容易にそれらしく見える、ということを知っていた。他の文学芸術に比べて、句作が人口に膾炙する重要なファクターである。凡庸な句作者が、写生俳句に主情の要素を入れようとすると駄作に転ずるのは容易に想像できる。
 だから、写生俳句に徹し、季語を大事にしている圧倒的な数の句作者を背景として「季題別句集」、「歳時記」は重要な役目を果たしている。言ってしまえば、商売として、である。虚子は今でも偉大なのである。
 

 そして、じつは、「ホトトギス」以降に名をなした俳人は、水原秋桜子ばかりでなく、虚子に逆らわなかった俳人であっても、主情を巧みに写生俳句に織り込むことによって独自の詩の世界を作った人ばかりである。私はそう思う。
 山口誓子もその一人である。何しろ、私の1番好きな誓子の句は、何度読み返してみても、主情の強い次の句であることは変わらない。

学問のさびしさに堪へ炭をつぐ  凍港 大15以前 (p. 460)
                        
(句のあとは、句集名、句作年、全句集の掲載ページ)

  好きな句を抜き書きにしていて、そこから任意に選び取っても、必ずどこかに誓子らしい「写生俳句からのずれ」がある。春、夏、秋、冬の部から3句ずつ例をあげてみよう。

君癒えよことしの蝌蚪も生れ出づ  激浪 昭17 (p. 47)
さくら咲けり常陰に壊えし仏あり  炎昼 昭12 (p. 57)
花蘇枋逢ふは他郷の人ばかり  激浪 昭18 (p. 62)

行くものは行け全山の梅雨の水 一隅 昭42 (p. 95)
虹が顕つ女の一生虹が消ゆ  和服 昭25 (p. 97)
炎天の犬や人なき方へ行く  晚刻 昭21 (p. 104)

秋の暮行けば他国の町めきて  激浪 昭19  (p. 260)
うたがひて犬たちどまる秋の暮  晚刻 昭21   (p. 263)
秋晴のビル未完なること暗し  構橋 昭30  (p. 268)

雪あはく画廊に硬き椅子置かれ  炎昼 昭11  (p. 407)
累代の墓や雪嶺悲しきまで  青女 昭22  (p. 428)
激戦の枯野の道に死せしひとよ  黄旗 昭7  (p. 435)

  全句集を読んで、ひとつ、とても気になったことがある。この全句集には、大正13年から平成5年までの期間に作られた句が収められている。そのなかで、昭和17年から昭和22年までの句を収録した「激浪」(第五句集)、「遠星」(第六句集)、「晩刻」(第七句集)の時期の句作数が圧倒的に多い。その前後の時代の3~5倍のペースで句を生みだしている。
 そして、その時期は太平洋戦争から敗戦へ至る時期と重なる。にもかかわらず、戦争にまつわる句は皆無といっていいほど少ない。少なくとも、私はこの全句集から見出すことができなかった。

 人生をかけて取り組んだ俳句と、その渦中にいた未曾有の歴史的事象とが、どんな意味でも交差しないということがあり得るのだろうか。写生俳句に徹すれば、人文、社会のもろもろは俳句の想世界とは無縁だと嘯くことも可能かもしれない
 しかし、山口誓子がそうだとは思えない。戦争の事象全てを強く拒否する意志を感じるが、その理由は私には分からない。

  けっして写生俳句から離れず、季語俳句を貫いた山口誓子にもこんな句があった、という句を最後に。

 放哉に倣ひて「咳をしても雪崩」  不動 昭45  (p. 477)

  放哉も山頭火も、私のなかの俳句審級の中では最上位に近いところにいる俳人である。