《2014年12月21日》
12月14日の衆議院議員総選挙の当日に見た「もう一つのヘイ・ジュード」というテレビ・ドキュメンタリーは、チェコのマルタ・クビショヴァという歌手の話である。
マルタは、1968年に「プラハの春」と呼ばれた旧チェコスロバキアの民主化運動を弾圧するために進入してきたソ連軍とチェコ共産党政権に抗議するために、民主化運動を行う民衆を励ます曲であるもうひとつの「ヘイ・ジュード」をレコーディングして60万枚という大ヒットを生んだ。
そして、当然のごとく、レコーディングの3ヵ月後、ソ連当局によってレコードの回収と販売禁止が命じられる。さらに、マルタは監視下に置かれるばかりではなく、音楽界から永久追放されてしまった。
もうひとつの「ヘイ・ジュード」の歌詞の作詞者は、ズデニェック・リティーシュという人で、次のような歌詞だという。
ヘイ・ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を
ヘイ・ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリする 石をかむような辛さを
あなたの口から きれいに聞こえる歌は
不幸の裏にある<真実>を教えてくれる
ねぇジュード あなたの人生を信じて
人生は私たちに傷と痛みを与える
時として 傷口に塩をぬり込み
棒が折れるほど叩いて
人生を操るけど 悲しまないで
ブログ「もう一つのヘイ・ジュード(Hey Jude)/ビーバップ!ハイヒール」から
テレビ画面に映るプラハのバーツラフ広場を見ながら思いだしたことがある。国際会議のあいまに若い研究者や大学院生5、6人とバーツラフ広場をぶらぶらと歩いたとき、この広場をソ連軍の戦車が蹂躙した「プラハの春」の話をしたのだった。
若い人には遠いことでも、1968年に22歳だった私には「プラハの春」は切実だったのである。1956年の「ハンガリー動乱」などとともにマルクス主義や共産主義国家について深刻に考え込まざるをえないような事件だった。
バーツラフ広場を歩いてから4、5年後、大学院生から研究者になっていた一人が、私が話した「プラハの春」のことをずっと覚えていると語っていて、少し嬉しかったことも思い出した。
そして、「もうひとつのヘイ・ジュード」を見た頃にちょうど読みかけていたのは、アルチュセールの『マルクスのために』 [1] のなかの「マルクス主義とヒューマニズム」という章だった。1968年以前に書かれたものだが、今になってみれば、じつに脳天気な共産主義国家ソ連についての言で、どんなふうに言葉を継いでいいのか分からなくなってしまう。
……この〔社会主義ヒューマニズムの〕願いにもとづいてわれわれは、暗闇から光明へ、非人間的なものから人間的なものへ移りつつある。現にソ連邦が入っている共産主義は、経済的な搾取のない、暴力のない、差別のない世界であり、――ソ連邦の人びとに、進歩、科学、文化、食料と自由、自由な発展、こうしたものの洋々たる前途をきり開く世界であり――暗闇もなく、葛藤もなくなるような世界である。 (p. 423)
[1] ルイ・アルチュセール(河野健二・田村淑・西川長夫訳)『マルクスのために』(平凡社、1994年)〔旧『甦るマルクスI・II』(人文書院、1968年)〕。
《2015年1月23日》
今朝の毎日新聞のニュースに「柏崎刈羽原発:東電常務「避難計画不十分なら再稼働無理」という見出しの記事があった。
東京電力の姉川尚史常務は22日、新潟県柏崎市内であった東電柏崎刈羽原発に 関する住民向け説明会で、同原発の再稼働について「(原発事故の際の)避難計画が不十分であると、自治体の方が思われる段階では、稼働はできない」と述べ た。会田洋・柏崎市長は市の避難計画について自ら「課題が多い」と改善する余地があることを認めている。避難計画の完成度が、再稼働できるかどうかの重要条件になる可能性が出てきた。
九州電力の川内原発では、鹿児島県知事や川内市長がまともな避難計画もないまま再稼働を容認したことと比べれば、このニュースはいくぶん「まとも」に思えてしまう。川内原発の避難計画についてはさまざまな案が出されたが、結局まともな計画は策定されていない。それにもかかわらず政府の交付金や九州電力のばらまく金ほしさに避難計画なしでも再稼働を認めるというのは、十全な避難計画そのものが不可能だということの自白のような行為だった。金目当てだけの行動指針しか持たない地方政治家の無能さは無惨なばかりである。
一見「まとも」そうに見える柏崎刈羽原発についての東京電力常務の発言にもみごとな落とし穴がある。「避難計画が不十分であると、自治体の方が思われる」場合には再稼働はできないということは、どんな避難計画であれ地方自治体の長が「十分」だと主張すれば再稼働できると言うことである。これまでの言動からすれば、新潟県知事が再稼働に同意することはとうてい考えられないが、立地市町村長は川内市とおなじく金目当てに「避難計画は十分」と虚言を申し立てる可能性は十分にあるのだ。
しかし、私には避難計画などというのは瑣末な問題にしか思えない。ニュースでは触れていないけれども、「避難計画が不十分なら再稼働は出来ない」という文言には決定的で重要な前提がある。「原発事故は起きる」という前提抜きでは、成立しない言葉なのである。
「原発事故は起きる」→「だから、十分な避難計画は必要だ」→「避難計画は不十分だ」→「事故が起きる原発を再稼働できない」という論理の筋道になっているのだ。
原発事故が起きても避難計画が十分なら大丈夫なのか。福島の悲惨は、避難計画が十分だったら起きなかったのか。そんなことはない。避難計画が十分だったら、確かに現状よりも福島県民の被爆線量は少なくすんで、将来の死亡や健康被害は予想よりはいくぶん減るかもしれない。だが、事故から4年経った現在でも、10万人を越える福島県民が職も家も故郷も失ったままである事実は、避難計画がどうあろうと変わりようがない。
フクシマの後では、「原発事故は起きる」という前提から導き出される唯一の答えは、「事故を起こす原発を廃止する」以外にあり得ようはずがない。柏崎刈羽原発周辺の新潟県民は、避難さえ出来れば何の問題もないとでも言うのだろうか。しかも、日本全国に原発があって、いずれ避難する土地すらなくなってしまうかも知れないのに。
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