山口誓子の全句集と一緒に水原秋桜子も再読のために借りてきた。
これも「季題別」であるが、山口誓子の場合と比べると読み進めるのは少し楽である。ひとつの季語に括られる俳句数がそれほど多くないことと、写生俳句からのずれ幅がやや大きく、そのずれる方向にヴァリエーションがあるせいではないか、と思う。
読み通しつつ、お気に入りを抜き書きしてみると、印象が強い(つまり、お気に入り度の高い)句は、句集「葛飾」あたりに多いようだ。「ホトトギス」を離れ(つまり、高浜虚子と訣別し)、「馬酔木」創刊にむけて突き進んでいく時代の句作である。
春愁のかぎりを躑躅燃えにけり 葛飾 (p. 28)
葛飾や桃の籬も水田べり 葛飾 (p. 55)
梨咲くと古りたる墳を人訪ひぬ 葛飾 (p. 56)
花葛の雨に立ち濡れ岩魚釣 葛飾 (p. 124)
この原の桔梗の色や霧の中 葛飾 (p. 178)
園枯れて蔓の振舞見られけり 葛飾 (p. 260)
句集といえば、「磐梯」には戦争俳句が多く収められている。昭和17年~18年の作句を集めた句集である。それでいて、昭和18年~22年の作句を集めた「重陽」には戦争俳句がほとんどない。
戦勝気分でいられた時期、大東亜共栄圏がリアルな夢としてまだ語りえた時期に秋桜子の戦争俳句が生まれたのだろうか。そして、山口誓子のようにある時期から俳句の世界から戦争を拒否しようとしたためであろうか。
先ごろ読んだ「齋藤史全歌集」のように時代順であれば、戦争短歌の時代、苦悩の時代、超克と跳躍の時代という風に辿ることもできるけれども、季題別ではそれは難しい。もちろん、時代順に辿れたとしても何かが分かるという保証はないけれども。
タワオ陥ち心をどりて春立ちぬ 磐梯 (p. 3)
東風吹くや昭南島の名のよろしさ 磐梯 (p. 11)
シンガボール陥ちぬ春雪の敷く夜なり 磐梯 (p. 11)
春の雪天地を浄め敵亡ぶ 磐梯 (p. 11)
天明けて御旗かゞやきつ春の雪 磐梯 (p. 12)
語りつがむ春雷の威の皇軍を 磐梯 (p. 13)
いまさら戦争責任のようなこと言うつもりはさらさらないが、楽しくはない。そういう時代だったとはいえ、なにか、無残な感じがする。一心に俳句に打ち込み、時代を画した俳人においてさえ、やってくる時代の変化、社会的事象に対して、その俳句はけっして何ごとかを保証するわけではない。いや、俳句と限定することはない。
例えば、私が長いこと職業人として生きてきたもろもろ、現在の行いのもろもろ、そのどれもがこれから生起して来るであろう時代のことどもに私の態度としての何ごとかを保証しているわけではない。私が戦争を賛美するウルトラ・ライトにならない、という保証はない(たとえ現在激しく嫌悪していても、である)。
いやな話題になったが、ほほえましいこともある。秋桜子は真摯に俳句に取り組み、虚子と訣別するというきわめて意志的に行動する俳人のイメージがあって、次のような一連の俳句が現れたとき、思わず嬉しくなったのである。これは、季題別にまとめられていなければ気づかなかったことではある。
新茶淹れ独り居すれば又愉し 秋苑
朝の用なかれとおもひ新茶汲む 古鏡
新茶ありたのしき稿に朱を入るゝ 〃
新茶来て小さき壷にやゝあふる 重陽
大鷹のこゑはるかにて新茶の香 〃
筆措かむ新茶を淹るゝ湯のたぎり 梅下抄
掃き入れて新茶のかをり箕にあふる 霜林
夜のいで湯新茶の焙炉(ほいろ)にほふなり 玄魚 (p. 100)
新茶を喜び、心が浮き立っている様が、ありありと見えるようだ。ここにあげた句だけでも、昭和8年から31年にわたる期間である。一貫して、お茶が好きなのである。
高浜虚子に反逆する秋桜子、石田波郷や加藤楸邨の謹厳な師としての秋桜子というイメージからはついぞ浮かばなかった心優しくなる一面である。これはもう、俳句を越えた人格の話である。