
1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造された「太陽の塔」。
当時は5歳だった自分だが、今まで見たことも乗ったこともなかったエスカレーターがつづら折れになってるのに驚いたことと、展示スペースに入ったとたん醸し出されるおどろおどろしさに母にしがみついたことを、なぜかずっとはっきりとした映像で覚えている。
これは決して、後で上書きされたものではないと言うことを確信した。

太陽の塔は、芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンにテーマ館として、母の塔・青春の塔・大屋根とともにつくられた。
万博開催中の当時は、今のような姿ではなく、高さ約40メートルの大屋根を貫いているかたちだった。
万博終了後、紆余曲折を経てなんとか保存されてきたが、2016年に耐震補強・内部復元工事が開始され、2018年から入館ができるようになっており、以前から行きたいなって思っていたが、昨日、ようやく行ってきた。




「太陽の塔」は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であるとされ、塔の頂部の金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」があり、そして地下展示には「地底の太陽」(太古の太陽)といわれる顔も展示されていた。
しかしこの地底の太陽は博覧会終了後の撤去作業から50年近く経った現在も行方がわからない状態だそうで、現在展示されているものは、元の図面は残っていないなかで、写真や関係者の聞き込みを元に制作した原型を3Dスキャンし拡大、美術評論家の意見を交え微調整して制作されたものだそうだ。
ちなみに完成当初からの「黄金の顔」は鋼板337枚を組み合わせて製作されたものだったが、風雨による劣化のため、1992年にステンレス製の2代目(レプリカ)に交換されたものだそうだ。

ここだ!
この展示室に足を踏み入れようとした瞬間に、5歳の時の記憶が走馬灯のように蘇ってきて、怖じけた自分は後ずさりをしてしまった。

そして見上げた「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメント、背中や脇の下に、しばらく変な汗が流れてた。
「生命の樹」とは、太陽の塔の内部の展示空間に、鉄鋼製で造られた高さ約41メートルの「樹」が作られてあり、樹の幹や枝には大小さまざまな292体の生物模型群が取り付けられ、アメーバーなどの原生生物からハ虫類、恐竜、哺乳類、そして人類に至るまでの生命の進化の過程をあらわしてある。
気を取り直して、順番に展示物を見たが、どうってことない展示ながら、しみじみとあのとき何が怖かったのかと言うことを噛みしめた。

黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器が取り付けられ、万博期間中は点灯していたのだが、ふと、1970年4月26日 - 太陽の塔の右目部分に男が登り籠城した男がいて、5月3日に逮捕されるまで、点灯がされていなかったことと、その男がどうやってそこに入ったのか、どうやって助け出されたのかを5歳児ながら不思議に思ったこと、そしてテレビのニュースで立て籠もる作業着姿で赤いヘルメットをかぶった男の姿が強烈な印象だったことまで思い出してしまったりした(アイジャック事件)。
自分にとって「太陽の塔」は5歳の時のほとんどオカルトやねんて…。





昨日は朝一にららぽーとエキスポパークで妻の買い物のお付き合い、映画を1本観て、太陽の塔、そして⚽観戦と内容濃い一日を過ごし、最後に地元の大衆居酒屋「大丸屋」(大阪府枚方市北中振3丁目23−2 光善寺ビル)、妻曰く「昨日と今日で上下の幅すごいな…」。
きずし(関東で言う〆鯖)、だし巻き玉子(関東で言う卵焼き型砂味ケーキ)、イワシフライ、串カツ、手羽先、生中2杯と瓶ビール3本で、締めて4000円ですわ😁

今朝は仕事に出る前に、20分だけ孫1号の⚽の練習を見物。
今日はいつになくゴールに向いたプレーで積極的かつアグレッシブ、球際も強くありたいという気迫が垣間見える、どうしたんや😲

紅白戦では最初GKやったのやけど、うちの孫1号はなぜかGKであっても手を使いたがらない。
コーチから「GKやから手を使え!」って怒られたり、仲間からも「なんでやねん」って言われても、かたくなに手を使わない。
それでも足だけで3本のシュートを弾き出したし、至近距離からのシュートを胸でゴールを守った…(本人、しばらくかなり痛かったらしいが泣くのを我慢できたって)。
結局、GKは交替させられたけど、「なんなんやろうな~」と思いつつじいじはそこのこだわりは前向きに尊重してあげたい。
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