
自分が意識し始めてから、8月6日の朝はいつも暑い朝になっている。
自分が原水禁世界大会広島大会に派遣参加された2001年から2006年までも、毎年毎年暑い暑い晴れた朝だった(式典前には曇っていたのに式典が始まると晴れ渡るという日もあったが)。
ネットで過去の天気を調べてみても、1961年以降、雨だった日は3日しかなかった。
1945年8月6日も、風も弱く真夏の強い日差しの暑い暑い晴れた日だったそうだ。
今年の広島の平和宣言では、原子力発電に関しては以下のように触れられている。
「2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。
あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。 」
エネルギー政策にはそれほど踏み込んでいるわけではなく、あくまでも核兵器廃絶と被爆者の救済という主題からは離れてはいない。
一方、8月9日に発表される長崎市の平和宣言では、「『原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要』と訴えた昨年の平和宣言を踏襲した上で、今年は原発から出る放射性廃棄物の処理問題に言及。国にエネルギー政策の在り方を明確に示すよう求める」そうで、広島市と比較してもしかたがないが、広島よりはエネルギー政策に踏み込んであるようだ。
国民を二分する議論となっているエネルギー政策(いや、二分するというと意見が半々のようだけどそうとは思えない)。
原子力発電所をどうするのかの議論は、「原発を動かして経済的な豊かさを求める」のか「原発を止めて貧しくても安心して暮らせるという社会の豊かさを求める」ということなのだと自分は理解している。
いいやん、後者で。