ひろきち劇場NEO

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三島由紀夫 金閣寺 再読

2010年03月24日 | ◆書籍の紹介
三島由紀夫の「金閣寺」を読みました。

この本は中学生の頃に一度読んだのですが、全くもって感動せず、それどころか「気持ち悪い話」という印象しか残っていませんでした。以前ここでもその話には触れましたが、今あらためて読んでみるとひろきちの記憶はほとんど間違ってたということが分かりました。

「これも詳細は忘れてしまいましたが、記憶に残っているのはマザコンの主人公が熟女と性的な関係になって、意味不明な正義感でもって金閣寺に放火するという話だった気がする。」

全然違いました。熟女ではなく老婆で、しかも性的関係を持ったというのは主人公ではなく主人公の友人の昔の話でした。正義感で金閣寺に放火したというのもやっぱり違って、どちらかと言えば自己満足のためにやったと思っていいです。正義感も自己満足のうちかもしれませんが。

でもやっぱり中学生が読んで「気持ち悪い」とか「異常人の話」と感じたのはたぶん健全な反応で、今読んでも暗く深く重い話です。決して中学生にお勧めの作品ではないです。もしかすると中学生にしてこれを理解する奇才がいるのかもしれませんが、それはそれで怖いことです。

ところが、この年になってあらためて読んでみると格別の味わいがあるのですねえ、これが。主人公に感情移入することはないのですが、一部共感できなくもないのです。客観的に行為だけを眺めると単なる異常人による犯罪行為なのですが、主人公の内面と行為をあわせて見ると理解できる範囲の異常行動なわけです。いや、やっぱり異常行動なのでが、そこに至るまでのプロセスは理解できなくもないのです。

それにこの三島由紀夫という人はすごいですね。どれだけ言葉を知ってるのか。この人の日本語の巧みさには圧倒されました。翻訳されている作品もあるようですが、「金閣寺」も翻訳されているのでしょうか?もし翻訳されていてもこの味わいがそのまま伝わるか疑わしいです。村上春樹の作品は翻訳されてもクオリティーはあまり変わらないような気がします。言語に依存しないと思うからです。ですが、「金閣寺」は外国語に翻訳されてしまうと別の作品になってしまう気がします。翻訳されることによってストーリーだけが抽出され、この物語の厚みや深みや淀みが抜け落ちてしまうような気がします。

「金閣寺」はやっぱり日本語で読まれるべき作品だと思います。



もしかしたら翻訳された「金閣寺」では気持ち悪さはあまり感じられないかもしれません。そんな気がしました。



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