平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い3579 国民を戦争に巻き込まないこと

2024-08-15 10:12:29 | 日記

今日は、79回目の終戦記念日。79年前の昨日8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾を決定したのです。

79年前の8月15日、連合国が、無条件降伏させた日本に、戦争を引き起こしたすべての原因を徹底的に取り除くと決め、「二度と、戦争できない国、日本」にしようと、決めた日なのです。

極東裁判、財閥解体、公職追放、農地改革、教育改革等々。仕上げは、憲法9条。

戦勝の連合国は、日本を「二度と戦争できない国」にするために、軍隊を持たせない、紛争解決に武力を

使わせない、国の交戦権を認めない、憲法9条を「押しつけて」くれたのです。

第一次・第二次世界大戦の悲劇を繰り返さないために出来た「国際連合」の、戦争を無くすための「理想」

を込め、実験的な意味合いも込め、無条件降伏の日本に、有無を言わせなかったのです

世界中の全ての国が、日本の憲法9条を、それぞれの国の憲法に掲げたら、世界で、「国と国」の戦争は

無くなる、まさに世界から戦争を無くす、国連が目指す「理想」を、込めたのです。

憲法9条。

 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力に

よる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを

  認めない。

安倍元総理は、この9条に違反する「集団的自衛権」を含む安保法を成立させてしまったのです。

その上、「集団的自衛権」を実行するために、自衛隊を軍隊とし、交戦権を認めて、アメリカと一緒に

戦争できるよう、何としても憲法9条を、変更したかったのです。

第二次世界大戦後79年間、世界のあちこちで、戦争はあったが、日本は戦争をしなかった。出来なかった。

日本が戦争に巻き込まれなかったのは、「憲法9条」があったからです。

政治家が起こす戦争を、憲法が許さないのです。憲法9条の改憲は絶対許してはいけないのです。

「国民の安全と安心」を実現するために、世界の全ての政治家が目指さなければいけないことは、「絶対

戦争をしない」という決意を憲法に明記して、「絶対に、国民を戦争に巻き込まないこと」なのです。

終戦記念日は、私達国民と、日本政府が、政権がどのように変わっても、世界の国々に、憲法9条を

掲げるよう訴え、国と国の戦争を無くすための覚悟を、声を大にして訴える日なのです。

8月15日「今日は何の日カレンダー」より  終戦記念日、お菓子の日(毎月)
▲江戸市中に火の見やぐらの制、定まる(1723)▲阿蘇山、噴火(1786)▲蝦夷、北海道と改称(1869)

▲キャンディーの製造、はじまる(1899)▲与謝野晶子の「みだれ髪」刊行(1901)▲太平洋と大西洋をつなぐ

パナマ運河開通(1914)▲わが国初のオリンピックメダル種目はテニスで、銀メダル(1920)▲出征兵士の歓送迎、

防空演習、勤労奉仕、生活必需品の配給など、戦争への国民の総動員をはかる目的で回覧板、登場(1939)
▲太平洋戦争、終結(1945)▲インドが英国から独立(1947)▲大島渚監督「愛のコリーダ」わいせつ起訴(1977)
▲中曽根首相が閣僚17人と共に靖国神社参拝(1985)▲宮城県でわが国初の凍結卵子の体外受精成功(1991)

▲世界陸上で、女子マラソンで浅利純子優勝(1993)▲村山首相第二次世界大戦での日本の植民地支配と侵略を反省、謝罪(村山談話)(1995)▲小泉首相21年振り首相が靖国参拝(2006)▲台湾600万戸停電(2017)▲気象庁が関東甲信越東北の梅雨明け宣言断念、梅雨明け無しは史上初(2017)▲ウラル航空機トーモロコシ畑に不時着74人負傷死者無し(乗員乗客233人)、離着後、バードストライクでエンジン停止が原因(2019)▲東京・豊島園プールで、遊具による幼児溺死事故(2019)▲ヤクルト・小川泰弘投手ノーヒットノーラン、82人目(2020)▲アフガンでタリバンが全土支配を宣言(2021)