月島でもんじゃ焼きを食べました。
キャベツをヘラで刻んでサークル状にもって土手を作り、小麦粉を溶いた出汁を流し込んでぐつぐつぐつ。
出汁ダムが煮詰まってきたらまぜて薄く延ばしてじゅうじゅうじゅう。
小ベラでちぎって押さえてカリカリに焦がしてすくってぱくり。
うーん、美味しい。出汁と小麦とキャベツの旨味が凝縮された香ばしい美味。
ビールがぐいぐい進みます。
何度食べても不思議な食べ物だなあ。
もんじゃ焼きの歴史は意外と古く、200年前の文献に既に記載が見られます。
小麦粉を水に溶いたタネで、鉄板の上に文字を書いて遊びながら焼き上げる「文字焼き」がそれです。
手軽な食玩として形を変えながら庶民に受け継がれ、明治時代には蜜をいれて甘くした子供の駄菓子といった風情になりました。東京の駄菓子屋には鉄板が置かれ、甘い文字焼きが供されます。
しかし終戦後は砂糖の不足から、文字焼きから甘味が失われました。
そして食糧事情がやや改善した昭和30年代になると、文字焼きに革命が起こります。
なぜか刻んだキャベツやイカなどが入り、栄養満点のおやつとして子供たちの人気を博しました。
名前もいつしかもんじゃ焼きへと変わり今に至ります。
文字焼きにキャベツを入れようと考えたのが誰なのか、名前は残っていません。
しかしおそらくは、当時安価だったキャベツでボリュームをもたせ、子供たちの空腹を満たそうとのアイディアだったと思われます。
やなせたかし先生は復員後「アンパンマン」を創作する際に正義とは何かについて考えました。
正義のためと教えられた戦争で傷ついた国土と人々。飢える人々と助ける人々。
考え抜いた結果、正義とは「ひもじい人を助ける」ことだと思い至ります。
一番最初に描かれたアンパンマンは、顔がアンパンのヒーローではなく、町のみんなにアンパンを配る人間でした。
終戦後の食糧難と復興の中で、きっと数多くのアンパンマンたちが現れ現在の日本の食文化を創ってきたんでしょうねなんてもんじゃ焼きタイムでした!