ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

魔物のように、小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より

2012年07月15日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月より


魔物のように



    母親フミエが、浴室のガラス戸のすきまから 息子の裸体

を見てしまったのは、着替えを運んだときのことであった。
 
蜘蛛のように伸びた四肢には ぞっとするものがあった。

まぎれもなく私の産み落とした息子であったが、一個の生き

物が動き回っていることに 喜びを感じ、服従させてきたこ

とに 満足さえも感じてきた、とフミエは思った。

 ほとんど口をきくこともなくなったが、母親の意のままに

行為する息子ミサオの、男の姿態を見てしまったフミエには、


十四年間育んできた愛情が、忌まわしい嫌悪に刺し違えられ

る瞬間でもあった。

 水を得た魚のように、母親の手のひらに踊らされるからく

り人形でしかなかったが、それだけに、いつか私を逆襲する

不吉な生き物が 確実に育ちつつある、という思いに、フミ

エは恐怖するのであった。家庭教師に息子を預けたのも、そ

んな憶測からであった。

(ママ、ぼくには お兄さんがいたのですね。あなたはぼく

に隠していたけれど、ずいぶん前から知っていました。生ま

れてすぐに死んでしまったのですね。しかし、ぼくのそばで

息をしています。横になるとぼくの耳に息を吹きかけてくれ

ます。気持ちよくなって眠りに落ちます。ぼくをこんなすて

きな場所からさらっていく時間が憎いのです)

 フミエは夢から覚めた。息子の声が枕の上を浮遊している

ような錯覚に捕らえられた。

なぜか落ち着かない気持ちになり、起き上がって階段を降

りていった。天窓から月の光が洩れていた。息子の部屋の扉

の前に立ち、跪いて鍵穴に目を当てた。驚いたフミエは 叫

び声を上げそうになったが、声を殺し、息を飲み込んだ。
 
寝台の脚に蛇が絡んでいる。微笑みを浮かべて眠る息子の

傍らに、男の影が、ぴったりと貼りついていた。


「パイドロスにおけるエロース論」小林稔個人季刊誌「ヒーメロス」16号2011年3月25日発行から

2012年07月15日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(九)「ヒーメロス」16号2011年3月25日発行より
36「パイドロスにおけるエロース論(後編)その二

思潮と思想の対置
 リュシアスの論文と、それと同じ主題で創られたソクラテスの一番目の話に対して、偉大なるエロースに許しを乞い、ソクラテスによって語られた二番目のミュートスを取り消しの詩(うた)としてエロースにささげ、罪の償いをする意向がその後で語られた。そもそもリュシアスの論文を取り上げたのは、弁論術を批判するプラトンの意図によるものであった。なぜそれが「恋」を主題にしたものでなければならなかったのか。
 藤沢氏が『パイドロス』解説(「プラトン全集5」)で指摘するように、三つの話は「弁論術における技術性の有無ということを説明するための実例の役割をはたしている」のだが、テーマが「恋」であることの必然性が見えにくいこと、また「ソクラテスが語る最後の物語は、たんなる実例にしてはそれ自身があまりにも豊富な内容をもち、むしろ全篇中の圧巻として印象づけられる」のである。私も初めてこの作品に触れたとき(三十年以上前のことであるが)、その恋愛論に心理が探りとられた想いがしたものである。少年愛の世界に一つの救いの道筋が引かれたように思えたのであるが、後半に展開される弁論術批判との関連性が私は長いあいだ把握できずにいた。エロース論、想起、プシュケー論、イデア論、対話法(ディアレクティケー)といったプラトン哲学の総力を結集した書物なのである。それらを総合的に読み解く力が要求されるだろう。後半の弁論術批判から見えてくる言論の技術と哲学的問答法、さらにエクリチュールの問題を深く読み取ることによって、主題の統一が納得されるのである。

 藤沢氏は「プラトン『パイドロス』註解」において、「思潮と思想の対置 」の構図を明らかにしようとする。当時の思潮の代表を弁論術であると解し、社会的な背景を説明する。パイドロスという四十歳くらいの、「時代の風潮や思想の動きに敏感な一人の知識人 」を、六十歳にならんとするソクラテスという、「通念を寄せつけない頑健な性格と思考とによって、時代を超えて永遠に生きるべき哲学的思想の根源になるようなものを、自己の中につくり上げていた人」に対比させ、前者に批判を加えながら「明確な哲学的思想の形に発展させる」のである。紀元前五世紀後半以後の民主制の都市国家、アテナイでは言論が活発に行なわれ、「家柄より個人の力量がものをいう時代がつくり出され 」ていた。ペロポネソス戦争の時代には「デマゴーグが現われ、人はもはやいかなる官職にもつかずに、ただ国民議会や法廷の言論を支配することのみによって、完全に国政のすべてを動かすことができるようになった」と藤沢氏は指摘する。つまり、「すべてを支配するものは民衆であり、民衆を支配するものは弁論であった 」のである。藤沢氏の先述した書物によると、弁論の技術といわれるものを意識的に研究するようになったのはシケリア島の人々においてである。紀元前四六六年ごろシュラクサイなどで独裁君主政権が倒され民主制が活発化されるにつれて法廷での弁論が重要視されてくると、コラクスやテイシアスは弁論術の教科書を書き、人々に教えていた(キケロの伝えるアリストテレスの言葉によると彼らは多少伝説的な存在であるが、ディオゲネス・ラエルティオスの伝えるところによると、アリストテレスの「ソピステース」という著作で、ゼノンやエンペドクレスを創始者たちとするが、その複数形の中にコラクスも含まれている。つまりかれらはシケリアの人々である。藤沢氏は、弁論術の教科書を書いたという点を考慮すれば、コラクスあるいはテイシアスを創始者とすべきであろうと述べる。)また五世紀中葉からソフィスト( ソピステース)と呼ばれる人々の活動が盛んになる。シケリアを起源とする弁論術は、ソフィストたちの教育運動と結びつき、法廷弁論から政治的な議会運動の分野に応用され、「人間としてまた国家社会の一員としてすぐれた者になるための才能」の教育の中心になったのであり、シケリア島の植民都市レオンティノイの外交使節としてアテナイにきたゴルギアスをはじめとして、弁論術はソフィストたちによってアテナイに広められたと藤沢氏は指摘する。しかし純粋な弁論術の専門家たちもいて、裁判の当事者たちのために法廷弁論の代作を職業とする者も登場した。また文章修業による青年の教育を志して学校を開いたイソクラテスのような人もいた。パイドロスがソクラテスの前で読み上げた論文の書き手であるリュシアスは弁論家として名高い人物であった。父親はシュラクサイの出身で、武器の製造で身を立てるため、ペリクレスのすすめでアテナイの港町ペイライエオスに来て裕福な居留民の生活をしていたという。アテナイ市民と同様の教育を受けたリュシアスは、父の死後、兄といっしょに南イタリアのトゥリオイへ移住し弁論術を習得した。ペロポネソス戦争に入り、アテナイが敗北、アテナイがシケリアを放棄しトゥリオイにまで影響が及ぶと、リュシアスはふたたびアテナイに帰還する。紀元前四〇四年アテナイに三十人寡頭政府が成立して、裕福な民衆派の彼ら兄弟のうち、兄ポレマコスは捕らえられ死んだが、リュシアスは逃亡する。のちにリュシアスはロゴグラプス(法廷弁論代作業)となり評判を得ていた。その文筆活動は、法廷弁論が中心であったが、「パイドロス」で批判されるような種類の文章も書いていたと藤沢氏は指摘する。
 藤沢氏によると、プラトンの意図は、「 リュシアスに代表されている当時の弁論作家の作品に熱中し高い評価を下す、その観点そのものの是正にある」。つまり、弁論術はよくロゴスの技術としての資格をもちうるか、それは「言語の使用によってある一つの事柄を明らかにするという、人間にとって必然の操作をめぐって、時代を風靡する通念に向ってなされた哲学からの挑戦である」と藤沢氏は語る。
 
 哲学的パレーシアと弁論術の言説
先述したダイモーンの合図は、フーコーがコレージュ・ド・フランスの講義録をまとめた『自己と他者の統治』(二〇一〇年筑摩書房 )で指摘するように、『ソクラテスの弁明』では「政治的活動からの断絶」として描かれているが、政治の領域に属する者が「不当な行為の担い手になってしまう危険」が生じるとき、政治の領域に真実を作用させなければならないという義務を示すものでもあったのである。つまり、そこに哲学者の役割としてのパレーシアがあるということである。直接に政治に介入することではなく「不正な主体となることに対する明白かつ明確な拒絶」である。それこそが哲学的パレーシアと呼びうるものであり、ダイモーンという消極的な命令によるものではなく、「神、そして神託や夢など、神の力が用いることができるあらゆる仕方でソクラテスに託されるものである」とフーコーはいう。気遣うべきことは名誉や富や栄光ではなく、「自己への配慮」であることを出逢う人に説いていったソクラテスの姿が浮かび上がる。ソクラテスにとって「自己に配慮」するとは、自分が何を知っていて何を知らないかを知ること、「他者に対して自分自身に配慮するように説き勧めること、他の人たちの知っていること知らないことを探り、テストし、試練にさらすことでそうすること。哲学的パレーシア、単に言説の技術ではなく、生そのものに同一化するような哲学的なパレーシアの内実を構成するのはまさにそれなのである」といい、「そうした自己自身と他者に関する試練こそが国家にとって有用なのだ」とフーコーは指摘する。つまり、ソクラテスの説く「自己への配慮」とは、自分自身を社会から孤絶させ追及されるものではなく他者とのかかわりにおいて成立するものであり、政治的機能とは別に、「国家の生そのもの」、「国家の覚醒」にとって必要であり、哲学的パレーシアを特徴づけるものであったとフーコーはいう。
 このように解釈される哲学的パレーシアが、弁論術の言説と対立することは明白である。集会や法廷で行使される弁論術に対して哲学的パレーシアの行使は断絶した言説の様相を呈する。弁論術は「政治による決定に対して提示されるべき言説」であること、さらに弁論術が他者を説得することを重要とすることが、哲学的パレーシアにはそれがないことをフーコーは挙げる。「自らの起源の側で、自らが真正であること、自らの単純さと率直さにおいて、自らが参照している現実に可能な限り接近しているという以外のあり方を持たないことによって特徴付けられている」という。哲学的言説は、何かを知っていることを主張するのではなく、反対に、 言説を保持する人においても、その言説が語りかけている相手の人においても、常に自らを試練にさらすような言説である」とフーコーは解読している。

弁論術批判
 ここでソクラテスの弁論術に対する考えをまとめてみよう。プラトンは『ゴルギアス』において痛烈な弁論術批判を展開しているが、その後に書かれた『パイドロス』では倫理的側面からの批判を、言説の技術的側面に方向転換させ、哲学的問答法(ディアレクティケー)へと導き、「書かれた言葉」の意義についての考察となる。まず『ゴルギアス』でなされた弁論術批判とはどのようなものであったのかを指摘してみよう。
ゴルギアスという人物はシシリー島の出身の高名な弁論家で、外交使節団としてアテナイに訪れたり、祖国の政変により亡命したりしている。亡命以後は弁論術の教師をしながらギリシアを遍歴した人物である。(詳しくは『プラトン全集9ゴルギアス メノン』の巻末解説を参照 )このゴルギアスがアテナイで講演していることをソクラテスは人づてに聞き駆けつけるが、講演はすでに終わったところであった。そこで、ソクラテスは直接ゴルギアスとの問答を望み実現する。「弁論術とは説得をつくり出すもの」(説得の技術)というソクラテスが与えた定義をゴルギアスは認めるが、何についての説得かというソクラテスの質問に「正しいことや不正についての説得なのだ」と答える。その後の論議から、ソクラテスは「その説得とは、正と不正について、そのことを教えて理解させるのではなく、たんに信じ込ませることになるような説得のようですね」と語る。結局、ソクラテスは「弁論術とは、事柄そのものが実際どうであるかを、少しも知る必要はないのであって、ただ、何らかの説得の工夫を見つけ出して、ものごとを知らない人たちには、知っている者りも、もっと知っているのだと見えるようにすればよいわけなのです」(『ゴルギアス』459‐C) と指摘する。したがって「弁論術は技術ではなく、ある種の喜びや、快楽をつくり出すことについての経験である」(262‐C)「機を見るのに敏で、押しがつよくて、生まれつき人々とつき合うのが上手な精神の持主が、行なうところの仕事で、その眼目となっているものを私としては、迎合と呼んでいる」とソクラテスは言い切ったのであった。
 ソクラテスは、弁論術は説得の技術であることは真理であるが、迎合を一義的に据える限りにおいては技術の名に値しないと考えているのだ。つまり現行の弁論術と称されるものはほんとうの弁論術とは呼べないだろうというのである。藤沢令夫氏は「プラトン『パイドロス』註解」において次のように述べる。プラトンにとって、善を目的にしないようなものは、真の意味で技術の名に値するとはいえなかったが、技術というものを経験や熟練から区別するとき、技術であるための条件として、方法に関することのみに限定し、もっと違ったかたちの考察が可能であると。まさに『パイドロス』では『ゴルギアス』ではできなかった弁論術それ自体のもつ可能性の追求に移され、医術と並行的に論じられることになると藤沢氏は指摘する。つまりソクラテスが否定的に見ていた現行の弁論術から一転して、「本来あるべき弁論術への考察」へと話を進めているといえるだろう。

 分割と総合
「上手に語られるためには、語ろうとする事柄に関する真実を、よく知っていなければならない」とソクラテスが述べると、パイドロスはリュシアスから日ごろ教えられている弁論術に関することを話してみせる。「弁論家となるべき人は、正しい事柄ではなく、群衆の心に正しいと思われる事柄を学ばなければならず、真実が説得するわけはないので、人々がなるほどと思うような事柄を用いなければならない」とパイドロスは語るのであった。それに対してソクラテスは、「もし弁論家が、善や悪の何たるかを知らず、同様に善悪をわきまえない国民に向って説得しようとすればよい結果が得られないことは明白である。非難されるべきは〈言論の技術〉ではない。真実を把握した後に技術を駆使しなければならないということである。なぜなら真実を知っている者とはいえ、〈言論の技術〉なくして説得することはできないからである」と述べた。このようにして真実の把握と言論の技術の両方が大切であることをソクラテスは述べ、弁論術とは言論による一種の魂の誘導であるというのであった。
法廷では原告側と被告側がいて反対のこと、つまり正しいことと不正なことであるが、技術を使う人は同一の事柄に対して、正しいことであるとみえるように、あるいは不正なことであるとみえるようにする。反対の事柄を主張する「技術」は、法廷や議会演説のみならず、言葉を使うすべての場合に適用されることであろう。この技術を使って人は類似点を見つけたり、相違点を暴き出したりする。人をごまかすことのできやすいのは相違点が多いものより、少ししか違わないものにおいてである。したがって他の人をごまかしたり、ごまかされないようにするためには、似ている点を似ていない点を正確に知っておく必要がある。もし一つ一つの真実を知らないのであれば、どの程度似ているかが判別できないのでだまされ事実に反することを考えてしまうのである。似ている点を利用して相手の心を真相からそらし、実際とは反対の方向へ導くといっても、ものの本質を知らなければ「巧みな技術家となることが」できないであろう。真実を知らずに相手の思わくばかりを追求していたら技術とはいえない。このような観点からリュシアスの話を検討しようとソクラテスは語った。例えば、「鉄」や「銀」といえばすべての人たちは同じものを思い浮かべる。しかし「 正しい」とか、「善い」という語は人によって考えが異なり、議論を重ねても容易には一定の見解をもつことはない。このような考えが定まらないものに弁論術はより多く発揮されることにる。それゆえに弁論の技術を追求するなら、考えが不定なものと、そうでないものの特徴をつかまえてしまうことである。『パイドロス』の前半のテーマは「恋」であった。「恋」は異論の多いものに属するであることは、リュシアスのように「恋」を害悪という者もいればソクラテスの二番目(全体では三番目 )の話のように最も善きものと考える者もいる。リュシアスはエロースというものの定義を念頭に置きながら話の全体を組み立て結論づけてはいない。最後に置かれる話を最初にするなど、話の順序が乱雑であることをソクラテスは指摘した。「話というのは、すべてどのような話でも、ちょうど一つの生きもののように、それ自身で独立に自分の一つの身を持ったものとして組み立てられていなければならない」とソクラテスは語るのであった。
このようにして構成上の欠点を指摘した後に、ソクラテスは自分自身がつくった話に話題を進める。一つ目は「恋していない人に身をまかせ」、二つ目は「恋する人に身をまかせ」るべきだといったという正反対のものであった。二つ目の話でソクラテスは「恋とは一種の狂気である」と定義して始めたが、狂気を二種類に分類した。一つは人間的な病によって生じるもの、もう一つは神に憑かれて慣習的な事柄を一変させてしもうものであった。この話がいかにして非難から讃美に移ることができのかを考えていこうとする。この話には二つの種類の手続きがふまれていた。一つは多様に散らばっているものを一つの本質的な相へとまとめることと、もう一つは逆に分割することである。前者は定義というもので表わし、後者は「精神の無分別をある一つの共通な種類のものとして把握し、一つの身体か一対の同名の部分が自然に分かれているように、心の錯乱というものもまた一つの種類のものと考えた上で、一方の話は、狂気の左側の部分を切り分け、さらにもう一度それを分割しつづけ、それらの部分の中に、何か左の(災いの部分)恋」とでも名づけられるものを見つけ、正当な非難をあたえた。もう一方の話の方は、狂気の右側の部分へとわれわれを導いて、前のと同じく恋と呼ばれるけれども、しかしこんどは何か神にゆかりのある恋を見出し、それをわれわれに差し出したのち、われわれにとって最も善きものをもたらすものとして、この恋を讃美したのであった。」とソクラテスは自らの話を分析してみせた。このようにソクラテスは「分割と総合」という二つの方法を披露したのであるが、このような方法を身につけた人を「哲学的問答法(ディアェレクティケー)を身につけた者と呼んだのであった。
弁論術が医術と同様に、熟練や経験に頼らず技術によって行なわれるならばその方法はどのようなものであるか。『ゴルギアス』では非難されたペリクレスがここでは優れた弁論家として引き合いに出される。言論の技術にとって重要なものは、「ものの本性についての、空論にちかいまでの詳細な論議と、現実遊離といわれるくらいの高遠な思索」(270)である。ペリクレスは「知性と無知との本体をつきとめた上で、そこから言論の技術にあてはまるものを引出して、この技術に役立てたのだ」(270A)。「医者の場合は身体の本性を、弁論術の場合には魂の本性を分析しなければならない。つまり、弁論術とは、魂に言論と、法にかなった訓育をあたえて、相手の中にこちらがのぞむような確信と徳性とを授ける仕事である」(270B)とソクラテスによって語られた。

 ものの本性を知ること
「哲学的問答法」を身につけた者が「言論の技術」を獲得した者と呼ばれるが、弁論家といわれる人は「哲学的問答法」の知識を備えているのだろうかと、ソクラテスはパイドロスに尋ねる。すると、そのような知識はないという返答であった。それなくして一つの技術で捉えられるものはないのだが、では弁論家は何を把握しているのかをソクラテスは尋ねる。そこでパイドロスは、「言論の技術について書かれた書物」をソクラテスとともに挙げていく。当時、技術の名で教科書が弁論術の教師たちによって世に普及していたことがわかるのである。彼らが何を技術と呼んでいたのかをさらに追求していく。医者や悲劇の創作、音楽家の例を挙げ、弁論家が技術と称しているものは、技術以前の予備知識にすぎないことをソクラテスとパイドロスは確認し合ったのであった。つまり、哲学的問答法の心得がないので弁論術とは何かを定義できないのであり、その結果技術以前の予備知識を心得れば弁論術を把握したと思い込んでいるし、教えてもいる。それでは「説得力をそなえた真の弁論家の技術というものは、どのような仕方で、どこから身につけることができるのですか。」とパイドロスは尋ねる。ソクラテスは、政治家として高名なペリクレスを弁論術の完成者として引き合いに出し、リュシアスやトランシュマコスなどの弁論家との違いは何かを語るのであった。

 およそ技術のなかでも重要であるほどのものは、ものの本性についての、空論にちかいまでの詳細な論議と、現実遊離と言われるくらいの高遠な思索とを、とくに必要とする。そういう技術の特色をなすあの高邁な精神と、あらゆる面において目的をなさずにはおかぬ力との源泉は、何かそういったところにあるように思われるからだ。ペリクレスもまた、そのすぐれた天分に加えて、それをわがものとしたのであった。思うにそれは、彼が、同じこの精神と力量の所有者であるアナクサゴラスに出あったおかげであろう。すなわち、彼はこの人から高遠な思索をじゅうぶんに吹きこまれ、アナクサゴラスが論じるところ多かった知性(ヌッス)と無知との本体をつきつめた上で、そこから言論の技術にあてはまるものを引出し、この技術に役立てたのだ。(『パイドロス』270A)

 右に引用したソクラテスの言葉に続いて、ソクラテスは医術と弁論術を比較検討しながら、似た事情を論じる。医術は身体の本性、弁論術は魂の本性を分析しなければならない。医術は身体に薬と栄養を与え健康と体力をつくる仕事だが、弁論術は魂に、言論と法にかなった訓育を与え、相手の中にこちらが望むような確信と徳性を授ける仕事であり、熟練や経験だけに頼らずに一つの技術によって仕事をしなければならないという。魂の本性は魂全体の本性をぬきに理解できない。さらに本性の考察の仕方を説明していく。まず技術を向けるべき対象が単一のものか、多種類のものかを調べる。単一のものなら、そのものがもっている機能、つまり何に対してどのような作用を与え、何からどのような作用を受けるかという能動面と受動面を調べてみる。多種類のものなら、種類を数え、一つ一つについて単一のものについてしたことを調べなければならない。弁論が適用されるべき対象は魂である。つまり魂を研究しなければならないのであるとソクラテスによって語られた。
 魂というものは単一の相似た性格のものか、それとも多種類のものかを調べ、何によってどのような作用を与え、また何からどのような作用を受けるかを書いたり教えたりする。次にさまざまな話し方の種類と魂の種類、それらのさまざまな反応の仕方を分類整理し原因を論じる。つまり、一つ一つの話し方を一つ一つの魂の型にあてはめ、魂がどのような性質のものであるとき、どのような話し方により、いかなる原因によって、必ず説得されたり、説得されなかったりするかを教える。
「言論の技術」についてそれを書物にするとしたらどのように書くべきかにソクラテスの話は進展していくのである。右で説明した事柄の要約の役割を果しているだろうと思われるが、ソクラテスの話を辿ってみよう。魂を説得に導くのが言論の機能である。弁論術をものしようとする者は、魂にどれだけの種類の型があるかを知ることが必要である。それぞれの魂の性質を見究め、それがある人の性質を決定していることを知る。言論のほうにもさまざまな種類があり、人々のさまざまな性質を見て、どの性質がどの言論に説得されやすいか、説得されにくいかを検討する。実際の生活の中でそれを観察し、身近に現われる人たちの性質を見究め、どのような言論をどういうふうに話しかけるべきかを自分に指示できるようにならなければならない。それができたら、どういうときに語るべきか、適切な時期を学び取り、「簡潔話法」「感傷的話法 」「誇張法」などを実践する。誰かが教えることで、これら話したことのどれかが欠けていたら信用しないほうがよいだろうとソクラテスはいうのであった。
 このようにしてソクラテスに導かれ、「言論の技術」のすべてが語られた。「真実らしく見えるもの」こそ追求すべきであるという弁論家たちの技術がいかに技術以前のものであるかを確認する。「自分の聴衆になるべき人々のさまざまの性質を分類し、事物を種類ごとに分割するとともに個々のひとつひとつのものについて、これをただ一つの本質的な相によって包括する能力をやしなうことをしないかぎりは、言論の技術を身につけたということはできないだろう。)(273E)このように述べるソクラテスには、「真実」や「善」を重要視し、「自己への配慮」を唱える哲学的パレーシアステースとしての姿が見て取れるのである。


               COPYRIGHT2012年 以心社 無断転載禁止します。
                        

個人季刊誌「ヒーメロス」21号を発刊します。

2012年07月14日 | お知らせ

今回の季刊「ヒーメロス」には四人の寄稿者が詩作品で参加します。
7月20日発行 定価500円

詩 
小林稔「楱(はしばみ)の繁みで(三)虚妄」
山中真知子 「鐘」
河江伊久 「ももいろうさぎ」
原 葵 「猫よ、今夜はもう 眠らせてくれ」
二宮清隆 「樺太から」
評論
小林稔 長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十三)
小林稔 現代詩提言②詩の相互批評について ブログ「ヒーメロス通信」2012年6月8日より
編集後記

一ヶ月遅れて発刊します。
購読希望者にはお分けします。

eメール tensisha@alpha.ocn.ne.jpまでお申し込みを!



連載エセー⑥井筒俊彦『意識と本質』解読。物の見えたる光、芭蕉と本質論

2012年07月12日 | 井筒俊彦研究
連載エセー⑥井筒俊彦『意識と本質』解読。
小林稔

連載/第六回

『意識と本質』Ⅰが終わり、ここからⅡの記述が始まる。Ⅰでは、東洋的思考には
いかに「本質」否定の概念が徹底してあるのかをみてきた。井筒氏はこの『意識と
本質』を世に発表した一九八二年の後に、「本質」否定についてもう少し深く追究
した論文を発表している。このブログで紹介しようとしたが、厖大な分量になるの
で割愛した。しかし前回イブン・アラビーについてはやや詳しく解説してみた。い
つか新プラトン主義との関連を掘り下げて論じてみようと考えている。
資料としては下記の書物がある。

 『意識の形而上学』
 「Ⅲ存在と意識の構造」『超越のことば』
 「意味分節理論と空海」『井筒俊彦著作集9』
 「文化と言語アラヤ識」『井筒俊彦著作集9』

さて『意識と本質』Ⅱ を読み始めよう。

P34~39
「ものの心をしる」
 井筒氏は、東洋哲学の伝統には、これまで論じてきた「本質」否定とは逆に、
「本質」の実在性を全面的に肯定する思想潮流があるという。『意識と本質』Ⅱに
おいて論じられるであろう。
 本居宣長は中国思想にみられる抽象概念を「くだくだしくこちたき」として極度
に嫌ったことを井筒氏は指摘する。『玉勝間』の「「かの宋儒の格物到知窮理のを
しへこそ、いともいともをこなれ」として、抽象概念のもとになる普遍者、つまり
「本質」などは、生命のない死物にすぎなかったであろうと井筒氏はいう。
中国的思考の抽象的・概念的に対して「宣長は徹底した即物的思考法を説いた」と
し、その例として、「物のあわれ」があると井筒氏は指摘する。どういうことか。
井筒氏の説明によると、物にじかに触れる、そして物の心を内側からつかむ、それ
が正しい認識方法であると宣長は考えたのだという。「心ある人」と宣長がいうの
は、概念的「本質」の世界は死の世界であるのに対して、眼前にある事物は、生き
て躍動する生命あふれる実在性を具えているので、それを捉えるには「実存的感動」
を「深く感じること」意外にないということであると井筒氏は解釈する。
 眼前の「前客体化的固体」(メルロー・ポンティ)、認識以前の「原初的実在性
における個物」の心を捉えることは「言語的意味以前の実在的意味の核心」(メル
ーロー・ポンティ)を直感的に把握することであると井筒氏はいうが、「個物の実
在的核心を」「客観対象的に認知することはできないという。「xを花というもの
もの、自分に対立する客体として認知することそのものうちに、すでに「花」とい
う言葉の意味分節作用を通じて、xを普遍化する操作が含まれているからである」
と井筒氏は説き、「この普遍性をこそ「本質」と呼ぶ」のだという。このような見
方で考えると、宣長のいおうとすることとは、「本質」回避であり、直接無媒介的
直観知(非「本質」的直観知)とでもいえようかと井筒氏は解釈する。しかし「物
の心」を事物の「本質」とする別の立場も考えられると井筒氏は指摘する。つまり
二つの違った意味の「本質」を考えることができるのだ。

一、自然に人が見出すままの原初的事物の、個体的実在性としての「本質」。
 二、意識の分節機能によって普遍化され、概念化された形で事物が提示する「本質」。

 「一」を個体的「本質」、「二」を普遍的「本質」とし、井筒氏は「本質」の区
別を考察していく。イスラーム哲学にはこの二つの「本質」を術語的に区別して考
える伝統があると井筒氏はいう。

P40~45
「マーヒーヤ」と「フウィーヤ」
 イスラーム哲学者ジョルジャーニ(十五世紀)の『存在の階層』に対する註解を
井筒氏は次のように引用している。「いかなるものにも、そのものをそのものたら
しめているリアリティーがある。だが注意すべきは、このリアリティーは一つでは
なく二つであるということだ。その一つは具体的、個体的なリアリティーであって、
これを術語でフウィーヤという。もう一つは普遍的リアリティーで、これをマーヒ
ーヤと呼ぶ。
 「フウィーヤ」は「一般的意味での本質(マーヒーヤ)」といい、「マーヒーヤ」
は「特殊的意味での本質(マーヒーヤ)」と呼ばれている。
「特殊的意味での本質」としてのマーヒーヤは、アリストテレスの「本質」(それ
は何であるか)をアラビア語に移したものであり、その答えとして与えられるもの
は、「xの永遠普遍の自己同一性を規定するもの」として「本質」は定位されると
井筒氏はいう。これこそが完全に抽象化した「普遍者」、「一般者」である。
 「一般的意味での本質」としての「フウィーヤ」は「一切の言語化と概念化とを
峻拒する真に具体的なxの即物的リアリティー」であり、「フウィーヤ」は「これ
であること」という意味であると井筒氏はいう。
 「切れば血のほとばしる」実在性のおいて存在させているのは「個体的リアリテ
ィー」だけ、つまりフウィーヤだけであるとする考え方があるが、われわれの表層
意識がそれに視線を向けたとき、実在性の色褪せた、共同的な形姿で現われざるを
えない、それが普遍者としての「本質」、つまりマーヒーヤであると考える人がい
ることを井筒氏は指摘する。
また普遍的「本質」こそ、具体的、個体的に成立させる存在根拠であると考える人
もいるという。経験的世界に存続させる根拠としての個別のリアリティーを「個的
独自の個的実在性に認めないで、むしろそこに個的形態で顕現している普遍的「本
質」に認める人たち、「本質」は普遍的でありながらしかも実在すると考える人た
ちがいると井筒氏はいう。

P47~50
フッサール現象学における「本質」
 井筒氏によると、マーヒーヤ(「本質」の普遍性)とフウィーヤ(「本質」の個
体性)の不安定さは、フッサールの現象学の「本質」理解の曖昧さに露呈している
という。フッサールの現象学的還元と形相的還元の二重操作を経て本質直観的に把
握した「本質」は、上のどちらの「本質」だったのであろうかと戸惑うと述べてい
る。どういうことであろうか。
 われわれの意識経験に現われる具体的な事象は、「本質」を求め「類化」や「形
式化」をほどこせば、「具体的生の現実から遠く引き離された無色透明な普遍者で
ある」ことになろうと井筒氏はいう。フッサールの後裔者はその抽象性から脱出し
ようと解釈的努力をしているという。例えばエマニュエル・レビナスがいる、あるい
はメルロー・ポンティがいる。ポンティは、「引き離された本質」とは言語化され
た「本質」のことであるが、現象学的還元における「本質」は生きた現実の、躍動
するものであると述べていると井筒氏はいう。
 仏教におけるコトバの意味分節機能が及ぼす「妄念」の働きを考察した井筒氏は、
深層意識における意味的アラヤ識を考えれば、表層意識に現われていない「種子」
の働きがあることを指摘する。フッサールの「本質直観」は、前言語分節的意識が
語りかける何かを現前させるものであるとポンティの解釈からいえないこともない
という曖昧さを残してしまうと井筒氏はいう。

P50~53
リルケの「本質」
 マーヒーヤとフウィーヤという二つの本質を考えたとき、リルケのような実存的
体験を重視する詩人はフウィーヤ、つまり「個体的リアリティー」に強い関心を示
すことを井筒氏は指摘する。経験的事象にこそ詩の磁場であることは現代において
詩人であろうとする私においても共通するものである。経験の一回性は重要な意味
作用をもつ。しかもそこで感受した形象を詩人自身の内面世界に引き込んでいくだ
ろう。「そのものの純粋な形象を、日常言語より一段高次の詩的言語にそのまま現
存させようとする」のだと井筒氏はいう。言い方を変えれば、フウィーヤからマー
ヒーヤへの過程が創作行為であると私は考えるが、逆は真ではないであろう。リル
ケにとってマーヒーヤを通してものを見ることは、「ものの本源的個体性を最大公
約数的平均価値のなかに解消してしまうこと」だと井筒氏は主張する。しかし問題
は言語的意味分節において、つまりリルケが詩的言語で表現するときに起こる困難
さである。井筒氏によれば、フウィーヤ(個体的リアリティー)は表層意識には自
己を開示しないことをリルケは知っていたという。ノーラに送ったリルケの手紙で、
彼は次のようなことを述べていた。「内部の深層次元において、ものは始めてもの
として、その本来的リアリティーを開示する」と。このことは、事物の真の内的リ
アリティーが、すべてを言語意味的に普遍化する表層意識の対象にはなりえないと
いうことと、表層意識と異なる意識の次元の存在があるということを伝えているの
だと井筒氏はいう。その深層領域にあるフウィーヤ(個別的リアリティー)を言語
化する、つまり「フウィーヤを非分節的に分節し出さなければならない」のであり、
「表層言語を内的に変質させるによってしか解消されない」であろうし、「異様な
実存的緊張に充ちた詩的言語、一種の高次言語が誕生する」ことになると井筒氏は
結論する。

P53~61
芭蕉の「本質」
 宣長の関心のあった詩的言語は、リルケの高次言語とは違って「マーヒーヤの顕
在的認知に基づくコトバ」であると井筒氏はいう。それは「和歌の言語」であり、
「一切の事物、事象が、それぞれその普遍的「本質」において定着された世界」だ
からである。
 しかし普遍「本質」的に規定された世界に飽き足らない詩人たちがいたと井筒氏
は指摘する。平安朝の「眺め」を彼は解説する。「新古今」的幽玄追求において
「眺め」の意識は「茫漠たる情趣空間のなかに存在の深みを感得しようとする意識
主体的態度ではなかったろうか」と井筒氏は問う。眼前の具体的な事物を認知した
とたん、普遍的「本質」が見えてしまうのだが、「できるだけぼかすことによって、
本質の存在規定性を極度に弱めようとする」のだと解釈する。
 
ながむれば我が心さへはてもなく、行くへも知らぬ月の影かな
                          式子内親王

 井筒氏によると、「詩人の意識は事物に鋭く焦点を合わせていない。それらは遠
い彼方に、限りなく遠いところにながめられている」という。視線の先で、事物は
「本質」的限定を越え、そこに存在深層の開顕があるという。この「眺め」意識は
事物のマーヒーヤを否定するものではなく、肯定するからこそぼかそうとするのだ
と井筒氏は指摘する。
 
 さて芭蕉についての考察に入る。芭蕉は上のような態度は取らなかった。フウィ
ーヤを追求する激しさにおいてリルケとひけを取ることはなく、詩的実存のすべて
をかけて追求したと井筒氏はいう。しかし普遍的な本質であるマーヒーヤの実在性
を否認することはなかったもいう。事物のフウィーヤはマーヒーヤと同一であると
考えた。普遍的なものと個体的なものが具体的存在者の現前において結びついたこ
とになる。つまり「概念的普遍者ではなく実在的普遍者としての「本質」が、いか
にして実在する固体の個体的「本質」でもありえるのか。」このアポリアを以下の
ように井筒氏は解読する。
 普遍的「本質」を普遍的実在のままではなく、個物の個的実在性として直観すべ
きことを芭蕉は説いたのだと井筒氏はいう。芭蕉の俳句では、マーヒーヤがフウィ
ーヤに突如転成する瞬間が詩的言語に結晶するという、実存的緊迫に満ちた瞬間の
ポエジーであったのだと井筒氏は主張する。

  物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし
                            芭蕉
 永遠不易の「本質」、それは事物の存在深層に隠れた「本質」であると井筒氏は
指摘する。「物」と「我」が分裂し、主体(物)が自己に対立するものとして客観
的に外から眺めることのできる存在次元を存在表層と呼ぶとすれば、存在深層とは
存在表層を越えた、「認識的二極分裂以前の根源的存在次元」であると井筒氏は分
析する。この事物の普遍的「本質」、マーヒーヤを芭蕉は「本情」と呼んだのであ
る。
 井筒氏によると、芭蕉のいう「本情」は表層意識では捉えられず、直接触れるに
は根本的な変質が行われなければならない、この変質を芭蕉は「私意をはなれる」
と表現し、このような美的修練を「風雅の誠」と呼んだのだという。さらに、「本
情」は不断に表れるものではなく、ものを前にして突然「・・・の意識」が消える瞬間
があり、そういう瞬間にこそ、ものの「本質」がちらっと光るのだと井筒氏は説く。
「物の見えたる光」のことである。
 さらに井筒氏の解釈に沿って要約していこう。人がものに出会う瞬間に、人ともの
との間に一つの実存的磁場が現成し、人の意識は消え、ものの「本情」が自己を開示
するというのだ。「物に入りて、その微の顕われ」ることである。
 すなわち、永遠不変の「本質」が、芭蕉的実存体験において、突然、瞬間的に、
生々しい感覚性に変成して現れるのだと井筒氏はいう。普遍者が瞬間的に自己を感覚
化する、この感覚的なものが、その場のおけるそのものの個体的リアリティーであり、
マーヒーヤがフウィーヤに変貌する瞬間であるという。

 フウィーヤだけを意識し、マーヒーヤを概念的虚構とするリルケと、マーヒーヤの
形而上的実在性を認め、感性的表層に変成するフウィーヤの瞬間を捉えようとする芭
蕉との違いは明確になった。この二つの型に共通することといえば「即物的直視」で
あろう。しかし「即物的直視」を排し、マーヒーヤをイデア的純粋性において直観し
ようとする詩人がいると井筒氏はいう。顕著な例としてマラルメを挙げる。哲学的に
は普遍的「本質」の実在論につながるものであるといい、井筒氏は『意識と本質』Ⅲ
においてマーヒーヤ実在論を東洋哲学に探ることになる。

次回第七回につづく copyright2012 以心社

グラナダの夕日(続)、小林稔第五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊   

2012年07月12日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

小林稔五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊
第三章「アンダルシアの岸辺」

一、グラナダの夕日(続)



 実弟イスマイルの襲撃を遁れたマホメッド五世は、アンダルシアの岸辺の町に身をひそめ、
そこからアフリカのフェスの宮廷に亡命したという。イスマイルは姉の夫に暗殺され、マホメ
ッド五世がグラナダ奪還を果したのは、二十五歳のときであった。憎しみも友愛も権力も歳月
の流れに消え失せるだろうが、王の厭世が創りえた心の庭は、訪れる者に感銘を与えずにはお
かない。私たちは美の片鱗を覗き、美のヴェールを引き剥がしたならば、たちまちに血で塗ら
れた光景が見えるだろう。かつて水盤には、反逆者の生首が置かれ紅い血が噴き上げられてい
た、と後世に伝えられている。


 掘割を伝い流れ水が廻廊に立つ私の足許まで寄せている。こちらのアーチの作る闇が、中庭
の水盤に注がれる光の世界を斬っている。流れ出る水の音がいっそう静寂を誘い込んでいるよ
うであった。闇の向こうの窓からはアルバイシン地区の眩いばかりに陽光を浴びた白壁の家々
と、ジプシーの住むサクロモンテの丘が広がっていた。



    アルハンブラ狂詩 二
  
  
  現世を断った王の胸の入江に、イスラムの終焉と血縁への怨念が立

  てる流氷の軋む音を王は聞いたであろう。虫唾が走るような冷血の庭

  で、王は世界を裁いたのであろうか。だが、なんと平安で優しさに充

  ちた水の低きから低きへ流れる必然よ。廻廊の闇に身を隠して庭に視

  線を投げると光が滝のように雪崩れ込んだ。

  大理石の列柱に身体を囚われ、頬を柱にf触れ、私を窺う君。

  衣服のほころびから私が旅人であることを知る。旅への想いが芽生え

  始めたのだろうか。柱に凭れて親しい眼差しで私を見る。

  水盤から噴き上げる水が落ち、ライオンの石像の口から吐き出され、

  四方に走る直線状の掘割を伝い流れている。水路に沿い庭の中央に歩

  み寄る君と私。ためらい、はじらい、喜び、引き寄せられ、触れる背

  と背。左手は後ろ手に右手、右手は左手、指と指の間に指が絡め捕ら

  れ、躯の向きを変えて、腕と腕が互いの背を押さえると、君の頬が薄

  紅色に染まった。顎を上げ私を見つめる君の唇を、私が奪ったつかの

  間に、君は輪郭を淡くして私の躯に重なり消えた。