ヒーメロス通信


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小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』2003年12月31日以心社刊(旧・天使舎)からの引用(3)

2011年12月23日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
3・ルーブル美術館初訪
 
              小林 稔

『ミロのヴィーナス』を見て、重力とそこから解き放たれた聡明な眼差
しに心を打たれ、大理石の階段を仰ぐようにして昇ると、階上の踊り場
に純白の翼が舞い降りたところであった。『サモトラケーの勝利の女神』
像が置かれてあったのだ。防弾硝子の向こうの『モナリザ』のまえに人
だかりがある。見物する人々に神秘な微笑をたたえている。こんなモナ
リザとの不幸な出逢いを嘆きながらその場所を去った。同じレオナルド
の『岩窟の聖母』に描かれた洗礼者ヨハネの、キリストに向けられた眼
差しは、その絵から立ち去りがたい魅力で私を捉えてしまったが、身体
に注がれた鈍い金色の光は、真鍮の観音像をさえ連想させるではないか。
私はこれらのダ・ヴィンチの絵を見るために、何度も立ち寄るだろう。
快い疲労感に充たされ、遠くに視線を転じたところに、額縁に収められ
た小さな絵があった。秋の夕暮れであろうか、二人の全裸の青年が左右
に描かれている。ペルジーノという画家の『アポロンとマルシュアス』
と題された絵であった。竪琴のまえに立つ青年がアポロンであり、もう
一人の青年マルシュアスは切り株に腰を降ろして細い葦笛を口にしてい
る。この絵が与える不思議な魅力は何なのだろう。同性のみが分かち持
つ、ある種の充実した想いなのではないだろうか。それゆえの純潔と静
かなエロティシズムが、欲望から解き放たれた美を感得させてくれる。
だが、芸術におけるストイシズムというものは、より深いエロティシズ
ムを喚起させるための手法なのではないだろうか。

 厖大な量の絵画のまえで、感情の烈しい波に溺れるのを抑えるために、
何も考えずに歩いた。しばらくして、壁面を飾る一幅の絵の、つつまし
いまでに控えめな色彩に視線を留めた。薄い灰色のヴェールに蔽われた
暗い色調に魅せられ近づいて行った。深海の青を思わせる布を纏った聖
母の足元に跪く二人の老人が左右に布置され、中央の幼子を抱き右足を
踏み出した聖母を天使たちが囲んでいる。フラ・フィリッポ・リッピの
『天使と聖フレディアーノ、聖オーギュスティーヌといる聖マドンナと
幼子』と題された大きな絵であった。右端で翼を掲げた数人の天使たち
の少年の横顔に、一人ずつ視線を移していった時、右手に立ち、眼差し
を心持ち落とした一人の少年の表情に心を奪われ、鏡面に光が射し入る
ように、意識の闇に光が一瞬にして射し込んだ。無垢の所有する美とは
こういうものか。天才の燦然たる美とはこういうものを言うのかと感嘆
した。プラトンのいう天上の美が地上に姿を現した似像を思わせる。

 これ以上、他の絵を見るのは不可能だ。すぐここを出よう。魂を抜か
れたようになった私は、空洞になった身体をようやく廻廊の端まで運ん
だ。階段のところに来た時、そこで眼にしたものが、ミケランジェロの
二体の彫像、一体は『反抗する奴隷』もう一体は『瀕死の奴隷』であっ
た。前者の空虚な眼差しを向ける逞しい肉体は鑿の跡が生々しく、ミケ
ランジェロの息づかいが、すぐ近くに感じられた。後者の全身にみなぎ
る恍惚感は、法悦ともいうべき性的なエクスタシーさえ匂わせながらも、
俗に堕すことがなく、精神の飛翔にとって不可欠なエロティシズムの真
髄を表しているように思えた。表裏一体となった苦悩と悦楽。肉体とい
う牢獄に捕らえられた精神が、やがて肉体を脱ぎ棄てイデアの世界へ舞
い上がる瞬間を、石の塊から掘り起したのだ。誰もいないこの階段の下
で、ミケランジェロの作品に一人で向き合えるとは予期せぬことであっ
た。ドイツの博物館を訪れた時、階段の壁にあった肉体のデッサンの習
作を見たのが、ミケランジェロの作品との最初の出逢いであった。今こ
うして彼の大作を目の当たりにして足のすくむ思いがする。彼の生涯を
ほとんど知らなかったが、これまでの旅の途上でいく度か彼の作品に出
会い、私の感覚に強く訴えるものがあり精神が激しく高揚した。これほ
どの芸術を生んだイタリアの風土を、一刻も早く感受したいという想い
に駆られた。だが、今はこのパリという都会で生活を始めようとしてい
る。さまざまな国の文化を吸収してきた腐葉土とも言うべきこの土地で、
私の精神が芽吹くのを待つ。イタリアの美術に想いを廻らせるには絶好
の場所である。

 しばらくして階段を上ると、ゴヤの描いた『カルピオ伯爵夫人』の不
意打ちにあった。スペインの美術館ですでに彼の絵に親しんでいたが、
激情的な性格を持つ画家の繊細な一面をこの絵に見て、一人の芸術家の
奥深さを思った。窓の外に目をやるとチュイルリー公園の美しい枯れ木
が見えた。自然は芸術に劣らず美しい。いやそうではない。自然から芸
術家が学び取ったものなのだ。引き寄せられるようにして館外に出た。
カルーセル門まで歩いた。小雨が降り始め、吹き抜ける風が冷たい。こ
こから遠く霧に霞んだ凱旋門が見える。パリはどこか私によそよそしく
思われたが、私の中で何かが混沌の夜に生まれようとしていた。



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