ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

改編「詩集 蛇行するセーヌ」小林稔著2003年天使舎刊より

2018年01月19日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』

改編  「詩集 蛇行するセーヌ」(抄)

            二〇〇三年 天使舎刊 一二九ページ

小林稔

 

 

 

 一 マドリード発パリ行き

時の流れに取り残され夜の闇に沈んでいる旅の記憶が、踏みしめると枯葉が崩れる乾い

た音、路上を疾走する車が通り過ぎて私の身体をすり抜ける微風に、今ここぞとばかりに

甦る気配で歩みを止め空を仰ぐ。あの時も確かに脈打っていた心臓の鼓動、青春時の苦悩

と夢が胸を締めつけて、人生という旅の途上にいる私にその在処を伝えている。

 

アフリカのスペイン領セウタから渡航して再びアルへシラスに還ったのだが、モロッコ

のタンジェールに向かう時の心境とはなんという相違だろうか。イスラムの影に引き寄せ

られるように彷徨し見たスペイン、ポルトガルでの事物が、私の感覚に何ものかをすでに

刻み、ジブラルタル海峡の彼方の土地を踏もうとする私は、歓喜と不安で張り裂けそうな

胸を抑えられずにいた。アンダルシアの街々に足跡を残しアフリカ大陸に近づいて行った

時の、心の動揺をなだめすかしたスペインの明るい光は、私に放浪の持つ喜びを与えた。

今振り返れば、青春の盛りを迎えていたあのころの私を、石畳の路地裏に置いて来てしま

ったように思える。だが、モロッコというイスラム圏を通過し終えた私は、スペイン人の

鈍く弛緩したような眼差しに苛立ちさえ感じていた。モロッコから帰還した私の心は、そ

の先の未知なるものに向かっていたのであった。

 

マドリード行きの列車が静かに発車した。冬に向かう季節の中、新しい旅が何を私にも

たらしてくれるのか、期待と不安で胸をいっぱいにしながら、残照が落ちて血のように染

まった海、静かだが一時も休息することのない海を見ていた。運命の手がいつも私を携え

て行ったが、不定の未来に私を導き入れたのは、詩人であることの内的要請であった。こ

うして私に書き継がせているのもまたそれなのである。

 

翌朝、列車がマドリードに着くと、リュックを受け取るため、ペンション、サン・ミガ

エルに駆け込んだ。右目が義眼の女主人が以前と同じような笑顔を浮かべて私を迎えた。

アンダルシア、モロッコを旅していた一ヶ月にも満たない期間であったが、懐かしく感じ

られた。私のリュックは食堂の暗がりで口を紐で結わえられ、預けた時と同じ位置にあっ

た。すっかり慣れ親しんだマドリードの街。都会に特有の喧騒と群集に紛れ込む爽快感を

全身で受け留めた。サン・アントニオ通りを歩いて行くと、大きな書店があった。通りに

向けたガラスの棚に置かれた分厚い画集を飾っているミケランジェロの絵が、私の視線に

飛び込んで来た。システィナ礼拝堂の天井に描かれた有名な絵、神の指がアダムの指に触

れようとする瞬間を捉えた絵である。マドリードにプラドがあるようにパリにはルーブル

美術館がある。しばらく絵を見ていなかったことに気づいた。ヨーロッパの中心に一刻も

早く身を置き、芸術家の天分に触れ、創造というものが持つ精神の流動に巻き込まれたい。

明日はこの街を去り次の寄留地と決めていたパリに赴き、そこで冬を越すだろう。春にな

れば旅を再開する。イタリア、ギリシアに遊びトルコから陸路でインドまで辿る、気の遠

くなるような旅の時空が横たわっている。だがほんとうに可能なのか。触れたことのない

国の文化に寄せる想い、その渦中に身を置き、何を考え何を感覚でつかむことになるのか

知りたい、という想いだけが私を前方へ突き進めていた。

 

 脳髄を鉄の車輪が轢いて行く、雷鳴のような轟音を鳴り響かせて。マドリード発パリ行

きの列車が記憶の闇から闇を走っている、一つの旅の終わりからもう一つの旅の始まりに

向けて。こうして私がペンを走らせているのも記述という旅の始まりである、歌うことに

よって死者を甦らせるオルフェのように、言葉に綴ることによって息を吹きかけられた事

物が、私という身体が欲した旅の経験にどのような意味をもたらすのかは誰にも分からな

い。なぜ書くのかという命題が誰にも知り得ないほどに。だが、記述する経験を終える私

は、確実に変わることができると信じられた。私は書き続けなければならない、旅の意味

を解読することが私の未来を切り拓いてくれることであるという限りにおいて。

 

車窓には、夜の闇を隔てて私の身体が映し出されていた。列車はパリと私の距離を狭め

るために全速力で走っている。北欧を南下して来たのだが、パリを避けてさらに南下した

のは、旅する私を全否定するような予感があったからだ。今は迷わずパリという都会に向

かっている。これまでの旅に決着をつけるために行くのだ。この街に着いたら、真っ直ぐ

に中央郵便局に行き、両親と友人からの手紙を受け取る。旅先から手紙で伝えておいたか

らきっと届いているだろう。旅には、訪れる順序というものがあるのではないか。なぜな

ら、旅においても人は成長するからだ。国境を越えて隣国に入ると、その相違に驚いてし

まうが、ほんとうはそれほど突然ではないのだ。旅をする人の心も同様である。その時々

に考え、必然の意図を手繰り寄せていく時、道は拓けるだろう。計画通りに進行しなくて

もよい。その時々考えればおのずと道は拓けるだろう。何もかもが新しい体験である。私

の前に立ちはだかるのは混沌とした何ものかであり、生きる時間の流れの中で明晰にして

いけばよい。この作業は忍耐を必要とする。創造行為に携わるすべての人々が耐えようと

した。明晰化することは言葉を発見することである。それを怠ってはならない。パリをこ

よなく愛し、憎悪したシャルル・ボードレール。私に詩を書くことを決意させたアルチュ

ール・ランボー。数え切れないほどの芸術家を呼び止めたパリが、伸ばせば手の届きそう

なところにある。初めて会うパリは、異邦人の私をどのように迎えるだろうか。

 

 二 パリとの邂逅

オステルリッツ駅の構内に乗り入れた列車を下り地下鉄に乗り換えて、ポートロワイア

ル駅から地上に出た。鉛色の空が重く垂れ込め、広い通りには街路樹が続いて針金のよう

な枝を空に突き刺している。樹木がしっかり根を降ろし、建物の一つ一つ,駐車している

車までが道路に貼りついているように見える。この辺りからセーヌに向かって真っ直ぐに

伸びているのはサン・ミシェル通りであり、深く霧が立ち込めている。私の視界に初めて

映ったパリの光景である。林の木々が霧の中に黒い幹をくっきりと見せている。一見して

知られる沈着の外観は、他の街では見ることのなかった独自のものだ。美しいという言葉

では済まされない、私を深部から突き動かしてくるものがある。それは私が受け入れよう

とするものではないか。存在と精神という言葉が脳裏を過ぎった。

 灰色の建物が幹の向こうに見えている。タクシー、タクシー、という黄色い叫び声に振

り返ると、ロスタン広場の奥の建物のまえで、右手を挙げている女がいた。猛スピードで

走って来たタクシーが、女の靴の先で急ブレーキをかけて停止、女が乗り込むと、私の方

に迫って、すばやくカーブして消えた。

 

 私は、ポートロワイアル駅に程近い安ホテルにいて、日記帳にペンを走らせている。ホ

テルで会った二人連れの日本人の青年に誘われ、サン・ミシェル通りを北上し、シテ島に

あるノートルダム寺院の鐘楼に登った。放射状に伸びた通りの両側に建物が並んでいる。

ガイドと思われる黒人の青年が、鐘を指で弾いて鳴らし、観光客に微笑して見せた。心な

らず観光してい自分に私は苦笑した。二人の日本人は明日、日本に帰るのだから観光場所

を一通り見たかったのだ。私は観光に来たのではない、独りでゆっくり訪れたいのだ。彼

らと別れ、中央郵便局に行き、パスポートを提示して日本からの手紙を受け取る。家から

の手紙と友人からの手紙である。通りの向こうにカフェがあったので入り、すぐに封を切

った。ボールペンで書かれた走り書きには、母が心配している、いつ帰って来るのか知ら

せて欲しい、と書かれた姉の署名のある一枚の便箋と、ヨーロッパの鉄道を自由に乗り降

り出来るユーレールパスが入っていた。一ヶ月前に手紙で頼んでおいたのだ。友人の手紙

は、私の帰路であるアジアルートでの、病気、強盗、政治状況を危ぶむ内容であった。

モンパルナス墓地で黒猫が一匹、目のまえを走り抜けた。ボードレールの墓を捜してい

たのだから、できすぎた話である。案内板を見たが所在が分からない。墓石に刻まれたそ

れらしい名前が消えかかっていた。それからボードレールの生れたオートフォイユ街十五

番地、サルトルの住んでいたボナパルト四十二番地を確認した。次にカンパーニュ・プレ

ミエール街を歩く。ランボーとヴェルレーヌが住んでいた場所である。

ホテルに帰ると、同じホテルにいた日本人女性がフランス人の合理主義について語った。

ここに住んで語学学校に通っているという。彼女が話したのは生活における合理主義であ

ったが、それは精神の深部まで浸透しているのではないか。精神が物の存在まで下りてい

くこと。存在とは精神の何ものかだ。とぎすまされた精神。パリの風土が人々を育み、人

々が街を造り上げた。贅肉を削ぎ落とした物的精神のみが存在の意味を証すだろう。パリ

は生活する場所であることは一目で判別できる。揺るぎなく存在すること、そのことが美

なのである。

 

 ルーブル美術館初訪

厖大な量の絵画のまえで、感情の烈しい波に溺れるのを抑えるために、何も考えずに歩

いた。しばらくして、壁面を飾る一幅の絵の、つつましいまでに控えめな色彩に視線を留

めた。うすい灰色のヴェールに蔽われた暗い色調に魅せられ近づいて行った。深海の青を

思わせる布を纏った聖母の足許に跪く二人の老人が左右に布置され、中央の幼子右足を踏

み出した聖母を天使たちが囲んでいる。フラ・フィリッポ・リッピの『天使と聖フレディ

アーノ、聖オーギュスティーヌといる聖マドンナと幼子』と題された大きな絵であった。

右端で翼を掲げた数人の天使たちの少年の横顔に、一人ずつ視線を移していった時、右手

に立ち、眼差しを心持ち落とした一人の少年の表情に心を奪われ、鏡面に光が射し入るよ

うに、意識の闇に光が一瞬にして射し込んだ。無垢の所有する美とはこういうものか。天

才の燦然たる美とはこういうものを言うのかと感嘆した。プラトンのいう天上の美が地上

に姿を現した似像を思わせる。

 

これ以上、他の絵を見るのは不可能だ。すぐここを出よう。魂を抜かれたようになった

私は、空洞になった身体をようやく廻廊の端まで運んだ。階段のところに来た時、そこで

眼にしたものが、ミケランジェロの二体の彫像、一体は『反抗する奴隷』もう一体は『瀕

死の奴隷』であった。前者の空虚な眼差しを向ける逞しい肉体は鑿の跡が生々しく、ミケ

ランジェロの息づかいが、すぐ近くに感じられた。後者の全身にみなぎる恍惚感は、法悦

ともいうべき性的なエクスタシーさえ匂わせながらも、俗に堕すことがなく、精神の飛翔

にとって不可欠なエロティシズムの真髄を表しているように思えた。表裏一体となった苦

悩と悦楽。肉体という牢獄に捕らえられた精神が、やがて肉体を脱ぎ棄てイデアの世界へ

舞い上がる瞬間を、石の塊から掘り起したのだ。誰もいないこの階段の下で、ミケランジ

ェロの作品に一人で向き合えるとは予期せぬことであった。ドイツの博物館を訪れた時、

階段の壁にあった肉体のデッサンの習作を見たのが、ミケランジェロの作品との最初の出

逢いであった。今こうして彼の大作を目の当たりにして足のすくむ思いがする。彼の生涯

をほとんど知らなかったが、これまでの旅の途上でいく度か彼の作品に出会い、私の感覚

に強く訴えるものがあり精神が激しく高揚した。これほどの芸術を生んだイタリアの風土

を、一刻も早く感受したいという想いに駆られた。だが、今はこのパリという都会で生活

を始めようとしている。さまざまな国の文化を吸収してきた腐葉土とも言うべきこの土地

で、私の精神が芽吹くのを待つ。イタリアの美術に想いを廻らせるには絶好の場所である。

 

しばらくして階段を上ると、ゴヤの描いた『カルピオ伯爵夫人』の不意打ちにあった。

スペインの美術館ですでに彼の絵に親しんでいたが、激情的な性格を持つ画家の繊細な一

面をこの絵に見て、一人の芸術家の奥深さを思った。窓の外に目をやるとチュイルリー公

園の美しい枯れ木が見えた。自然は芸術に劣らず美しい。いやそうではない。自然から芸

術家が学び取ったものなのだ。引き寄せられるようにして館外に出た。カルーセル門まで

歩いた。小雨が降り始め、吹き抜ける風が冷たい。ここから遠く霧に霞んだ凱旋門が見え

る。パリはどこか私によそよそしく思われたが、私の中で何かが混沌の夜に生まれようと

していた。

 

三 受難と試練

サン・シュルピス広場に立った私は、いくつかある小路に視線を走らせ、ホテルと書か

れた小さな看板をつけた建物を見つけた。雨風にさらされ汚れた石の壁が手まえに傾いて

いる。二階に導く階段を昇ってドアを叩いた。ここがホテルの入口に違いない。厚化粧を

した女の微笑んだ顔が、引かれるドアの奥から現われた。「部屋はありますか 」と訊ねる

私に、彼女は囁くように早口で何ごとかを語った。老いと疲労から、塗りたくった白粉が

肌に浮き上がっている彼女の顔に眼を奪われ、動けない私に気づき、彼女の眉が歪んだ。

私のような旅行者の来るべきところではなかったのだという想いに駆られ、立ち去ろうと

した。パリで暮らす女の隠された生活の襞に触れてしまったのだろうか、私は足裏を石段

に吸い取られるように重く感じながら降りた。

 

こうして人々は生きるためにこの都会に集まって来るのだが、僕にはそれがここで死ぬためのように

考えられる。僕は外出して来た。そしていくつもの病院を見た。一人の男がよろめいて倒れるのを見た。  

                                   リルケ『マルテの手記』望月市恵訳

 

産院に向かう妊婦の後を追いかけ、街路の悪臭を吸っている乳母車の子供を見つめ、窓

から侵入する車の騒音と、街の群集の流れと市外電車の移動が娘の叫び声を消してしまう

のを目撃する。見えるものに恐怖を感じながらもマルテは見ることをやめはしない。彼は

言うだろう、「僕は見る目ができかけている」と。物の深部にまで降りて行く自分を強く

自覚し、それが詩人の使命であると言うだろう。ほんとうの詩人になるための受難をパリ

で実践しようとしている。詩は「感情」ではなく「経験」である。思い出を持ったら「忘

れ去らねばならない」。そして「再び思い出がよみがえるまで気長に静かに待つ」忍耐が

必要であり「恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現わ

れる」と書く。科学文明の急速な進展と経済成長のもとで歪曲された人間の精神に思いを

馳せる。何千年という人間の営みが個をないがしろにし、集合として個を概念化して来た

ことに異議申し立てをする。詩は一人の人間の経験を通して明かされる普遍の真理である

と主張するのだ。

 

    僕のカラーは清潔で、肌着もよごれてはいない(中略)僕の手はすくなくとも良家の子弟らしい手であ

   って、毎日四回か五回かは洗っている手である(中略)しかし、たとえばサン・ミッシェル通りやラシー

   ヌ通りには僕の手にだまされなくて、清潔なふしぶしをせせら笑う人種がいる。かれらは僕を一目見て、

   すべてを感づいてしまう。僕はほんとうはかれらの同類であって、すこし芝居をしているのだということ

   を(中略)そして、なによりも不思議なことは、僕がその合図の意味するある秘密の申し合わせにおぼえ

   があって、その場面は僕が予期しなければならなかった場面であるような気持ちをたえず禁じられなかっ

   たことである。

                                    前掲書『マルテの手記』

 

 人生の舞台から奈落へ落ちた敗残者たちにマルテ(リルケ)は出会うが、彼の心の奥底

を覗き込む彼らに恐怖を感じつつ、同類意識を棄て切れないのは、彼が詩人であるからで

あり、また彼らと相違するものとは何かを知るのは詩人であるという自覚である。詩と聖

性は深く結ばれているターム(term)である。人間であることの最低条件とは何であろう

か。労働であろうか。だが、詩人であるとは何を意味するのだろうか。パリという街の持

つ独自の風土が人々を引き寄せ、歴史を堆積した。生きているとは生きている実感を持つ

ことであるならば、それを容易にさせない場所でこそ可能なのだ。生は死といつも隣り合

わせだ。昔も今も人々がこの街の厳しさに底知れぬ魅力を感じているではないか。人を孤

独に直面させる街なのだ。だからここで脱落したら救いはない。マルテが恐怖を覚えたの

は、詩人がほんとうの詩を獲得しなければ、あの敗残者と同じなのだということである。

マルテはそういう境遇に進んで身を置いたのである。貧困と孤独。職を持たず身を投じて

いること。詩人とは彼らの視線の位置まで身を落とさなければならない存在に違いない。

マルテ(リルケ)が見ることから学んでいこうとしたように、私もパリを見ることから始

めよう。これまでの旅よりも厳しいものを感じる。旅行者はパリの人々の合理主義を冷た

さと思い、パリを罵倒するが、私が旅の途上で思考してきた事柄を追究していく過程にこ

の厳しさは相応しいものだ。耐えなければならない。それだけのものを私はパリから甘受

するだろう。構築的精神を生んだ理由が、街の外観からも読み取ることができそうだ。孤

独が深まる程に、それだけこの街の美しさが煌いて見えてくる。私の美の感覚がどれほど

のものであるか試される時である。

 

四 Rue Herran 75016

地下鉄のポンプという駅で降り地上に出た。高い塀で囲まれた建物に沿いながらロンシ

ャンという名の通りをさらに折れると、エランという狭い通りに辿り着いた。番地を確か

め、木製の丈高い扉のまえに立った。後ずさりして仰ぐと、最上階に屋根裏部屋の突き出

した箱型の窓がある。その上にいくつもの煙突が立っている。左手の呼び鈴を押すと、ロ

ックがひとりでに外れ扉が開き、その奥の闇が垣間見えた。重厚な扉を押して中に入ると、

右手に深紅の絨毯を真鍮の金具で留めた大きな階段があった。階段の左に鉄の檻に納めら

れたエレベーターがあり、さらに左手は中庭に続いている。途中、管理人の部屋の窓が見

えた。昔は馬車がこの扉から入り中庭に繋げたのではないだろうか。

 

マダム・Dの住居は二階にある。私は階段を昇って行き、部屋の扉にあった呼び鈴を押

すと、しばらくして日本人女性が姿を見せた。三十代後半にはなろうか、落ち着きのある

物腰で私をリビングに招いた。ベトナム人男性と結婚して、彼女は学校の事務の仕事をし

ていると私に語った。いくつかの部屋の扉が並んでいる通路を抜けて裏口から出ると、狭

い螺旋階段があり、彼女の後について昇って行った。この建物の最上階まで辿ると、それ

ぞれの階に付属した屋根裏部屋が並んでいる。昔は各階の女中が住んでいたという。扉の

鍵を開けてマダム・Dは私に部屋を見せるため中に入った。広い台所がすぐ見えるところ

にあった。窓がエラン通りと反対側についているため、硝子越しに屋根が見えるだけであ

った。台所の奥に六畳程度の広さの部屋があった。マントルピースがあったが、使わない

ように彼女から言われた。この部屋の小さな窓は通りに面している。先ほど下から見上げ

た時に見えた窓に違いない。簡易ベッドと机と椅子がある。ここに日本人が住んでいるが、

二日後に日本に帰るため次の借主を捜しているのだ、とマダム・Dは言った。私は借りる

ことに決めて内金を払い、螺旋階段をいっしょに降りて二階の裏口で彼女と別れ、中庭に

出て通路を抜け外に出たのであった。

 

青春時の、絶えず何ものかに追い立てられているような感情。死が隣り合わせているこ

とにも無知で、失望と陶酔が交互に訪れ、眼差しは遠くへ引き寄せられた。すれ違いに見

た人や自然や街々の佇まいに感動し、心痛め、怒り、不安に脅え、はたまた夢に胸を躍ら

せた旅の途上での想いが忘却の淵から浮上して私の血潮を湧き立たせる。旅立たなければ

ならなかったほんとうの理由を問いただしても、記憶の抽斗はどれも空で足がすくんで身

動きできなくなる。宿題を忘れて教室に立たされた小学生のように、真っ白になった脳髄

を哀しみが突然のように襲ってくる。 

 

二日後に、再びマダム・Dを訪ねた私は、部屋の鍵をもらうと一人で螺旋階段を早足で

駆け上っていったが、途中で照明が消えると、壁にいくつもついているスイッチの一つに

スイッチを手を伸ばす。時間が経つとひとりでに電気が切れる。最上階に行くまで二回ほ

どそれを繰り返さなければならない。部屋の扉を開け台所に立つと、食器と鍋がないこと

に気づいた。奥の部屋には寝具を取り払ったベッドと、机と椅子があったが、机の上の電

気スタンドがない。家具付きの部屋という約束は嘘だったのか。マダム・Dのおとなしそ

うな表情の裏に、人を平然と騙す冷酷な悪の顔があったのだ。すぐに訴えに行こうと思っ

たが。おそらく彼女は取り乱すことなく言い訳をするに違いない。確認しなかった自分が

いけなかったのだし、もう一度立腹して負けを認めることも嫌だ。又貸しをして自分たち

の家賃を浮かしているに決まっている。四ヶ月もすれば、また私は旅を再開するのだ。

 

渡り鳥が船上に翼を休めるように、寝具のないベッドが横たわる屋根裏部屋で、リュッ

クの紐も解かぬまま、遠くの建物にのしかかる雲の狭間に青白く姿を見せる夜明けの空を

見ていた。サクレクール寺院の白いドームが見える。世界が終わってしまったような静け

さだ。私はここで何をしているのだろう。パリの生活は私には無理なことだったのか。不

意にロートレアモンを昔、読んだ時の孤立した感情が甦った。この寂寞とした部屋で私は

ほんとうに生きていけるのだろうか。一筋の薄紅色の雲が、混在した建物の彼方の空に尾

を曳いている。行こう。そう自分に言い聞かせると、リュックを背負い、螺旋階段をゆっ

くり降りて行った。

 

夜明けの冷気が頬を刺した。空は重く垂れ込めている。地下鉄の駅に降り立ち、機械に

コインを入れてキップを買ってホームで列車を待った。人の気配がない。やがて列車が来

る。いく人かの乗客を運んで列車は素早く停止した。私が腰を降ろした席の真向かいに座

っている成熟した女の、私を観察しているような視線があった。私が視線を向けると、女

は床に視線を落としたが、頬笑んでいるのは明らかだ。通勤客が乗り込んで来て遮断され、

女の視線から解放されたので、さっきまでアパートの床にうずくまっていた自分を思い起

していると、いとおしみの感情が沸き立った。「引き返せ」。そういう声が胸の奥から聞こえ

てきた。ちょうどその時、駅に列車は止まって、反対側のホームに列車が滑り込んだ。そし

て反射的に私は飛び乗ったのである。

 

シテ島に架かるいくつもの橋を見ながら、その一つ、サン・ミシェル橋を私は渡っていた。

百貨店で買った寝袋を胸に押し当て、喜びと哀しみで泣きそうになった。抑えようとする気

持ちがいっそう感情の波を揺さぶり続ける。立ち止まり冷気を大きく吸い込んだ。夕闇はす

でに降りて、欄干から視線を投げると、対岸の建物が黒い輪郭を映し出している。このユー

ラシアの東に、私の辿るべきアジアの大地が横たわっているのだ。どんな困難が待ち構えて

いるか。私は生きて日本に帰ることができるのだろうか。

 

パリよ、若い日の愚行と、不幸と背中合わせの希望に胸を燃やしていた私を、あなたは静

かに見ていた。あの時の心の震えが、昨日のことのように何度も甦って、私は今も胸の痛み

を覚えるのだ。

 

カナリア諸島

 

アンダルシアの野を縫って行くのろい列車が

とある駅で停車したきりいっこうに走らない

シエスタにも飽いた私のかたわらに

私と同じ一人旅の青年がやってきた

夏を取り込んだひまわりの種を頬ばりながら

イビサは地中海に浮かぶしばらしい島だという

瞳が海に照り返す光のように輝いている

夏の名残りの陽光が射した列車で

 

だが私がほんとうに行ってみたいのは

アフリカ大陸の西、海を隔てたカナリア諸島

スカンジナビア半島からイベリア半島に南下する私を

砂漠のカナリアになぞらえたがついに果たせなく

 

アフリカの夜

サハラに太陽が沈んでひとつの町が消えると

世界が再生するのをひたすら待つしかない

海峡に揺られモロッコから還った私は

ヨーロッパの心臓、剃がれた神経の中枢

私がそう呼んだパリに、青春の導火線を抱え

ためらうことなく一直線に翼を広げた

運命にもてあそばれたかつての苦い記憶

 

 

アンモナイト

 

 屋根裏の住人になって一ヶ月が過ぎた。午前五時。不眠症に陥っている私がクロワッサ

ンを買いに行く時刻である。外気を入れようとしたが、小さな両開きの窓が凍り付いて動

かない。いつものように階段を降りた。この螺旋状の階段を日にいく度となく昇り降りし

ているが、廻りながら私の脳髄にアンモナイトの形状が刻み込まれていく。左に巻かれた

ネジが降りる時には右に巻かれるので、かろうじて脳髄の平衡感覚は保たれていた。三階

の裏口を通過しようとした時、昇って来る若い女性に逢った。手には、三本のフランスパ

ンのバゲットの突き出た籠を持っている。

「ボンジュール、ムッシュウ 」

消え入るような声が彼女の口から洩れると、私とすれ違うためアンモナイトの薄汚れた

内側の壁に彼女は体を寄せた。緊張した様子が彼女のこわばらせている顔の引きつった表

情から窺える。私が通過すると彼女はすぐに昇り始めた。どこかの階の女中なのかもしれ

ないと思いながら私は降りて行った。中庭の片隅にはまだ夜の空気が押しやられて逃げ場

をなくしているような気がした。

十二月初旬の朝は皮膚の毛穴を針で刺されたように痛い。エラン通りを歩き、メキシコ

広場に伸びたロンシャン通りに出ると、黒人の労働者が舗道を清掃している。メキシコ広

場まで来ると、一対の弧を描いて並ぶショイヨー宮が見え、さらにセーヌを越えたところ

にエッフェル塔が聳えている。ロンシャン通りに戻ると、勤め先に足早に向かう人々の姿

が一定の流れを作り始めている。果物屋には真っ赤なりんごがきれいに顔を揃え、カフェ

が開店の準備をする。パリの日常生活があちらこちらで動き出す。私はパン屋でクロワッ

サンを買い、あのアンモナイトの内側の螺旋階段を左回りに廻って屋根裏に帰る。カフェ

オレを作って飲み、クロワッサンを頬張った後に休息を求めて眠りにつく。

 

靴の紐が切れた。紐を繋ぎなんとか歩けることを確認すると、地下鉄でサン・ミシェル

通りに行き、通りの靴屋を探した。女店員が眼を丸くしてサイズの合う靴を次々に運んで

来る。彼女の熱意に圧倒された。気に入ったブーツを買いその場で履いて店を出ることに

した。靴を新しくしただけで急に偉くなったような気分になるのは不思議だ。だが日ごと

に減っていく持ち金が心配である。路上の屋台でクレープを求め、頬張りながら歩いてい

ると、地下鉄の入口で女の子二人が親しげな表情で私を見ている。声を掛けようとしてい

るのか、声を掛けられるのを待っているのか。こんなふうに友達を作ることもできるのだ、

という久しく忘れていた感情が一瞬甦ったが、これからの旅を思うと陰鬱な気分に再び沈

んでしまうのであった。

 

今日はクリスマスだ。ノートルダム寺院のまえの広場に行くと、仮説のステージが建て

られ人々が群れをなしている。まもなくバンドが音を響かせて、男が現われ歌い出した。

シャンソン歌手Bのざらざらした声。その後の、空を突き抜けていくような女の歌手Mの

ビブラートは、日本にいた時、レコードを買って聞いていたので、東京での生活が懐かし

く感じられたが、ここはパリなのだから考えてみればおかしなことである。屋根裏部屋に

帰ると、マダム・Dが七面鳥の焼いた肉を持って来てくれた。通りに面した窓からバンド

演奏が聞こえている。眼下に見える高い塀で囲まれた建物がジョンソンというリセである

ことは地図を見て知っていた。夜の暗闇にいくつかの照明が灯っている。おそらく寮生活

をしている高校生が演奏しているのだろう。私はいつものようにイタリア美術の分厚い英

訳本を読み進めていった。夜明けを迎えるころ、パンを求めて螺旋階段を駆け降り中庭に

出ると、綿毛のような白いもの、触れればなくなってしまいそうな雪が舞っていた。

 

 地下鉄の細長い通路、アラビア文字が横殴りに書かれた壁に指を滑らせて辿って行くと、

雑踏に消されそうになる女の奏でるアコーデオンが聴こえる。サクレクール寺院に足を踏

み入れた途端、円蓋からカナリアが一羽舞い落ちた、と思ったが祭壇の上方から降った少

年の一声であった。かつて夢に現われた、青年は砂漠で息絶えたカナリアを足元に見つけ、

遠ざかって行く幻影が瞼を掠めていった。

 

 降誕祭の夜、ノートルダム寺院の扉を開けると、パイプオルガンが鳴り響き人々は追い

立てられるように散った。

 

 真昼時、ミケランジェロの法悦の奴隷像、フィリッポリッピの天使の横顔に逢いに、ル

ーブル美術館へ急いだ。

 

夕暮れの橋を渡れば、雲が風に流されて巻物のようにたたまれて行く。

 

 朝、起きると霧が立ち込めている。マドレーヌ寺院まえのカフェでは外に並べた椅子に

女が一人いて、一点を見つめて動かない。

 

 地下鉄サン・ミシェル駅に降り立つと、黒人が螺旋階段を昇る。ピストルを構えた男が

その後を追う。

 

 真夜中、街の路上をあてどなく歩いた。セーヌの右岸を彷徨い行くと、舟であろうか、

黒い物体が遺体のように流れていた。

 

五 シャルル・ド・ゴール空港

空港のロビーに私はいた。友人がくるというのだ。その日は鉄道のストライキがあった

のでバスで辿り着くことになった。手紙で知らされていた時刻に着地した飛行機から降り

た乗客の群れに彼の姿はなかった。三時間が過ぎても友人は現われない。数か月まえ、横

浜の埠頭で私を見送った時の友人の顔が浮かんだ。甲板に出た私は、彼がこれから向かう

アルバイトに遅れはしないか気がかりであった。ひるがえる別れのテープに見え隠れしな

がらも、いつまでも桟橋に立っていた。彼は思いがけず船は大きく揺れて、ゆっくりとカ

ーブを描いた。その時である、突然に足がわなわなと震え出した。そして全身が震えると、

声を出して泣きたい気持ちを必死で抑えた。感情より先に身体が感応してしまったのか。

桟橋を駆け出し、市街の雑踏に突き進む友人の小さな姿があった。哀しみが波紋のように

輪を胸の奥に広げていく。気がついた時には、船は青い海と空の境に向かって走り出して

いて、もうずいぶんと沖に出ていた。

 

「別れ」という言葉のほんとうの意味を、このとき初めて体験した。実家を去った日、窓

から覗いた父の寂しげな横顔を、バスに乗った私は見ていた。出発の日の朝、友人と宿泊

した横浜のホテルから電話をした。母の泣き崩れる声が、電話線の闇の彼方から聴こえた。

そして友人との別れ。この時の、彼らとの切断は、帰国後も縫い合わせることができない

でいる。こぼれ落ちた破片の空白を何で埋めることができようか。出発前の私に戻れない

ことと同じではないか。ショパンのエチュード、作品十、三曲目に置かれた『別れの曲』、

その中間部の、執拗なまでの上下音の繰り返しは、時間の断層を噛み合わせては切断して、

突然の静寂が起こり、全てを忘却の淵に沈めて行く。「告別」ならモーツアルトの『ハ短調

の幻想曲』が思い起される。この一気に私たちを天上界に連れて行ってしまうモーツアル

トと違って、ショパンはあくまで私たちの足元に突然のように滑り込んでくるのだ。比喩

としての現実に隠蔽された、それゆえに現実からしか見出すことのできない、「別れ」とい

う言葉の普遍的な意味に、あの時の私の身体は応えたのではなかったか。

 

 空港からの帰りのバスにいた私は見知らぬ通りで降りた。通りから入った小路をあてな

く歩いて行くと、真っ直ぐ下に伸びた石の階段の入口に立っていた。急ぎ足で降り続けれ

ば、背中にのしかかっていた灰色の空から遁れたような気になる。小さなカフェがあった

が入らずに、大通りをひたすら歩いた。ぽっかりと広がった胸の空洞に突風が突き抜けた。

私はいく度となく訪れたことがあるピガール広場に来ていた。クリシー通りを歩いている

と髭をつけたイスラム圏の男たちが目に入った。いつもは何処となく下町の風情と繁華街

の乱雑な情緒を見せてくれたこの界隈も、この時は冷淡でよそよそしく思われ、私は沈鬱

な気持ちに耐え、歩き続けるしかなかった。

 

 詩を書く内的促しを突き止めなければならない。沈黙は詩人の死を告げるものだ。オル

フェのように、そこから這い上がらなければならない。私を囲むこの世界はいわば偉大な

死骸である。経験によってそれらに息吹きを与えなければならない。自我の目覚めととも

に、わたしの、友を求める旅が開始したのだ。その友を私は世界と呼んだ。ナルシスの神

話のように、われを忘れるということと、われを呼び起こすということの二律背反に思い

煩った。欺きと絶望が交互に訪れた。友への希求に呪縛されていたのだ。東京で始めた友

人との共同生活は苦闘の五年間であった。自己放棄と自己確立の両立は破綻した。それは

詩を書く行為なしにはありえないことであった。ある日旅立つ決意をした私のうしろ姿を

彼はいかなる想いで見送ったのであろうか。半身が捥がれたような痛みを覚えながらも、

未知なる土地への想いで私の視線は前方に注がれていた。

 

暮れなずむ通りの真ん中に自由の女神像のシルエットが浮かび上がった。パリよ、いま

は遠くから貴方を想う。蛇行するセーヌの羊水に二艘の舟、すなわちサンルイ島とシテ島

を懐妊し、人々の憎悪と歓喜、愚行と悲哀に歴史を何百年も見てきた。瀕死の老婦人であ

るパリよ、あなたはあなたよりも老いた子を妊んでローマもギリシアもアラビアも、血管

の放射状に広がる大通りと、そこから伸びた神経の大通りにそれらを命名し、美を集約さ

せた。旅の途上の五ヶ月をパリで過ごしてから、すでに二十六年後の今、青春の一時期を

送ったという思い出に終わらせたくないパリが私の心をつかんで放さない。人生は悲惨だ

が、この現実のただなかに精神が開花するとしたら、なんという悦びであろうか。この空

気に触れると、感覚が皮膚から放たれ、瞳孔に捉えられた美に感応し始めるような確かさ

があった。旅の途上で私を魅了させたパリよ、生活だ、孤独を知れ、あの鋪道の枯れた樹

木のように不動の姿勢で忍耐せよと、あなたは私に手を差し伸べたのだ。

 

なぜに、と問うことは、たとえば切断した足が痛むようなものだ。あの時、私に生を与

えた未来への身を焦がれるような想いだけが、老いたあなたの影像とともに今も甦るのだ。

 

 マダム・Dの屋根裏部屋に帰るために、友人を案じながら私はアンモナイトの螺旋階段

をよろけるようにして昇った。薄暗い通路を曲がり、ドアのまえに立った。差し込んだ鍵

をねじる力をなくしていた。

 

 友人に会えなかった私は、これからもひとりで生きていかなければならないという自覚

を新たにして、自ら進んで旅立ったころを思い、薄汚れた白い壁を見つめていた。思いを

廻らしていた私の脳髄で、コツコツという鈍い音が響いた。不意に、今私の立って地点を

確認する。誰かがドアを叩いていることに気づき、内側から落とした錠を解いた。半分ほ

ど開いた扉の向こうに、先日訪ねてきた三階に住んでいる日本人の青年が立っていた。私

の力を抜けたような表情を覗き込む彼の所作に私は気まずくなり、視線を落とした。彼の

革靴の後ろに、白い線で縁取られた黒い運動靴があった。誰かがいる。顔を上げた時、彼

の背後に友人の顔が表われた。リュックの帯で、着ていたジージャンの両腕が後ろに取ら

れ立っていた。その身体が以前に比べてひとまわり小さくなったような気がした。建物の

まえでうろついていた友人と、連れてくることになった日本人が偶然に逢ったのだという。

友人と私はお礼を言ってドアを閉めた。二人は台所を通って部屋に入った。七か月ぶりの

再会である。言葉を交わそうとしたが、無言でいる私の身体のどこからか哀しみが堰を切

って流れ出し、友人に倒れかかった、船上で別れたあの時が、とてつもなく長い時間を廻

って、今この瞬間に繋ぎ合わされたように感じた。やがて知るだろう、縫い合わせること

のできない切断面が、この時は一瞬であれ結ばれたと思った。引き離された哀しみが呼び

起こされ、私に体重を預けられ倒れそうになっている友人を私は抱きしめた。必死で同じ

気持ちをこらえているのだろうか、そんな私の行為に困惑した友人は、私からすり抜けて

リュックを降ろし、部屋の隅々を見廻した。病気をしていたこと、飛行機に乗れるか前日

まで分からなかったこと、安い航空券で来たので空港が直前で変更になったこと、住所を

書いた紙をタクシーの運転手に見せ、飛行場からここまで来たことを、息をつくひまなく

早口で私に告げた。訴えるように告げる彼の表情を見ていると、私の住所だけを頼りに見

知らぬ街に日本からやって来ることは、どんなに緊張の連続であったことだろう、と思っ

て胸が痛んだ。問題を内包したままの東京での生活が、ここで再び始まるという危惧と、

共に未知の土地へ旅する喜びが追いつ追われる交互に現われ、運命に委ねるしかない心境

であった。

 

 六 異国に死す

引き潮で姿を見せた一本の道が海に伸びて、空を突き刺すように尖塔の聳える教会のあ

る、モン・サン・ミッシェル塔を繋ぎ、車を降りた人たちが歩いている。浜辺のぬかるみ

に足を取られながら、大声ではしゃいで沖に歩いて行く高校生の集団があった。私たちも

そうしたい誘惑に駆られたが、事後の処理を考えればこの道を歩くしかない。入口から土

産屋と、シードルを飲ませクレープを食べさせる店が並んでいる。要するにここは観光地

なのだ。潮が満ちれば俗世間から隔てられ、厳しい修道生活をしていたのは昔のこと。今

は脳裏に一つのロマネスクを思い描くしかないのだ。重く垂れた雲と、歳月にさらされた

であろうが、今でも昔をしのばせる教会の外観を見て、それが観光の唯一の恩恵である。

 

 何の知識もなく立ち寄った、サン・マロの海水浴場。カルカソンヌの城壁都市。マリア

のお告げを受けた少女がいたという伝説のルルドを廻り歩いたが何の感慨もなかった。感

動というものは訪れる者との交感なのだから、不発に終わることだってある。

エクス・アン・プロバンスはセザンヌで知られた街である。ここまで来ると陽射しが明

るいことは一目瞭然だ。アルルまではあと少しだ。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが日本

を感じた街であると言われている。狂うように光を求めた彼の情熱とは一体なんであった

のだろう。オランダは北に位置する国だ。レンブラントの描く闇と、ヒエロニムス・ボッ

シュの寓意を生んだ土壌に命を授けられたヴィンセントが、フランスという異国に身を浸

し、そこで死んだ。彼の希求した光は、内面の闇が欲したものではないか。激しく夢を見、

激しく絶望した三十七年の生涯を思った。アルルに着いたら、彼の足跡を追うのは止めよ

う。あの光と空気に触れることでいい。知識を確認して何になるだろうか。

 

 アルルはスペインの田舎町を思わせるような静かな街である。ローマ時代の遺跡が残さ

れている。円形闘技場を見て、路地をいくつか折れたところにあるペンションをみつけ宿

泊することにした。古いクローゼットとベッドが二つ置かれている部屋。長い年月に耐え

てきた建物であることがすぐに分かった。この落着いた街に似つかわしく、私たちの心を

和ませてくれた。ヴィンセントもこの土地がずいぶんと気に入って生活を始めたに違いな

い。パリから画家の友人たちを招こうと思った。彼のまっとうな芸術への信念を打ち砕い

たのは、彼と取り結ぶ人たちの無理解であった。共同生活を始めたゴーギャンが彼を見捨

てた時、ヴィンセントの手には剃刀が握られていた。襲いかかろうとしたした友の顔に映

る、殺意を燃やした他者、もう一人のヴィンセントを見て恐れおののき、自分に殺意の刃

を向けた。自分の耳を切り落とし放免されることを願った。

 

    ヴィンセント

 

  ヴィンセント

  一直線の感情が

  あなたの筆跡を炎に変える

 ヴィンセント

  美のイデアは

  あなたの瞳に映る世界の表層にあった

  だから見つづけた

  見つづけることによって

  薄い皮膜を剥いでいく

  哀しいまでの藍色とむせかえるような黄色

  ヴィンセント

  あなたを苦しめた精神の発作

  神々から授かった狂気

  だがひとたび画布に向き合えば

  氷のように冷えた脳髄で

  火のように燃える激情をナイフで重ねていく

ヴィンセント

あなたもまた忘れられた祖国を夢見た人

椅子の上の蝋燭は友を待ちつづける

オーベールの七月

自らの心臓を逸れた銃弾

カラスの群れ飛ぶ白昼の麦畑

あなたの見えない魂を空の深海に探る旅

大砲のような音が私の耳を打ち砕く

ヴィンセント

あふれる光に目つぶしされた闇を見透した

見えるものはすべてむなしい

 

 七 マルセイユの雑踏

 駅の構内を出て通りに立つと、一様でない群衆の流れが通りに活気を与えていた。イス

ラム圏からのジェラバを着た男たちが目立つ。他のフランスの都市では感じられなかった

気配があった。港につづく坂道を上りつめるアフリカからの風のせいだろうか、不穏な空

気が私を包み込んでいた。昔の日本人留学生たちは、この街に船で辿り着いたのではなか

ったか。『バビロンの流れのほとりにて』の著者である森有正もその一人である。私が旅

立つことを決意した誘因に、彼の書物からの影響があった。街と自然に直に触れなければ

文明を生み出した思想をほんとうに知ることにはならない。さらに経験が自己の変革と生

成を促すのだということを私は学んだ。思想が感覚を通して経験されていく磁場を自分の

生に課したのであった。文明と個は「一種の恋愛関係」であり、ほとんどの場合、悲劇的

な結末を迎えるという。「僕はこの文明からかえりみられず、その中からすてさられる運

命の可能性を考え、覚悟した上でなければ、この文明と接触することはできないのだ」と

書く。しかし私は西洋文明だけに沈潜しようとしたしたのではなかった。十九世紀末のフ

ランスの詩に開眼し、詩を書き始めた私は、西欧が自らの思想からの脱出を企てた、他の

文明に寄せる熱狂を知っている。だが、まさに西欧から見れば他の文明圏に属する私の、

血として受け継がれたものを詩に書き記すには、西欧文化の地盤に触れることは避けられ

ないと思われた。新しい詩は新しい時代を呼吸することから生み出されるのだが、それま

で育まれた土壌を吸収し、経験から得られたものを加えるのだ。

 列車を降りた時から私の頭上に重い雲がのしかかってくるように感じられ、陰鬱な気持

ちになっていた。私のうちで何かが異議申し立てをしているのだ。晴れ渡った空は哀しい

青色にうつるばかりだった。マルセイユという街の名を舌に転がしてみると、なんとも寂

しい響きを発した。私は何とうかつなことだったか、その時になってやっと一人の男のこ

とが思い出された。一八九一年五月二十日、右脚を南瓜のように腫らしてマルセイユの港

に陸揚げされた男。そう、私が語っているのはアルチュール・ランボーという名の男だ。

通りを歩いている時に感じる生温かい微風と、雑多な街の外観に染み込んだ、その男の悔

恨と悲痛な叫びが私を包囲して、これ以上歩けないと思わせるほどに息苦しさを感じた。

 五月二十二日、月曜日、右脚切断。妹のイザベルに伴われて病院を離れ、二か月後にロ

ッシュに帰るが、彼の脳裏にはアフリカの太陽が照りつづけている。マルセイユに戻りた

い。八月三十日十二時四十分の列車にランボーを乗せパリで下車したものの宿泊せず、夜

行列車でマルセイユに向かう。車輪とレールの繋ぎ目の引き起こす振動が脚の痛みをさら

に増加させる。夕方、再びマルセイユの病院に収容された。対岸のアフリカの灼熱の地が

彼を呼び寄せる。アルジェがアデンがハラルが彼を呼ぶ。三か月もの間、彼は引き揚げて

きたアフリカアでの生活を夢見つづけていたのだ。現実と夢は融合し、彼方の地で仕事を

していると思い込む日々を送ったが、ついに一八九一年十一月十日午前十時、彼は息を引

き取ったのであった。

 一刻も早くこの地を去ろう。死に瀕したランボーの、異国への渇望が声となって聞こえ

てくるような気がして耐え難い。胸を弾ませてパリにやって来た少年ランボーと、絶望の

極みにいた三十七歳のランボーが交互に私の脳裏を過ぎった。

 

 八 迎えるべき時

 セーヌの流れをすでに懐かしく回想する二十七歳の私がいる。流れの行き着く先には見

知らぬいくつもの街があり、人々の生活があって喧騒があり、その間には越えるべきいく

つもの夜がある。夜は物のかたちを闇に葬るが存在を消し去りはしない。むしろ本質を顕

わにする。眼こそものの本質を見えなくすると、古代のギリシア人は考えたのだろう。悲

劇作家ソフォクレスの『オイディプス王』や『アンティゴネー』に登場する予言者テイレ

シアスは盲人であり、運命に翻弄されたオイディプス王は自らの手で眼を針で突き刺した

のではなかったか。私たちの生(光の全量)は、記憶の襞(闇の全量)に支配されている

といえる。私たち人間は夜に独り立たされた存在である。だからこそ人生は生きるに値す

るし、他者と喜びを心から分かち合うことができるのだ。

 流れの先にはもう一つの流れ、揺れ動く大地を淡々として下降し海に溶け込むガンジス

の流れがあった。そこに、これから辿り着こうとする、私の迎えるべき時があった。誰も

が過ぎ去った時間を思い出し懐かしむように、心を置き去りにした街々に心を震わせた日

々を振り返る時が来る、とその時思った。

 それから二十六年の歳月を経て、私は人生の途次で振り返る。時間という流れの中で記

憶は蜃気楼のように前方に立ち上がってくるように思われる。どこかに出発点があって、

私の歩いて行く最終地点に私の死がある。今は霧が降り立ち忘却に包まれているが、この

二点は結ばれているのではないだろうか。やがて霧が瞬時に晴れ、始まりの終わりに向か

って一歩を踏み出す時が確実に来ると思った。

 



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