ヒーメロス通信


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小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』2003年12月31日以心社刊(旧・天使舎)からの引用(2)

2011年12月23日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
詩集『蛇行するセーヌ』連載第二回
                    小林 稔

2 ノートルダムの黒い男
 
オステルリッツ駅の構内に乗り入れた列車を下り地下鉄に乗り換えて、
ポートロワイアル駅から地上に出た。鉛色の空が重く垂れ込め、広い通
りには街路樹が続いて針金のような枝を空に突き刺している。樹木がし
っかり根を降ろし、建物の一つ一つ,駐車している車までが道路に貼り
ついているように見える。この辺りからセーヌに向かって真っ直ぐに伸
びているのはサン・ミシェル通りであり、深く霧が立ち込めている。私
の視界に初めて映ったパリの光景である。林の木々が霧の中に黒い幹を
くっきりと見せている。一見して知られる沈着の外観は、他の街では見
ることのなかった独自のものだ。美しいという言葉では済まされない、
私を深部から突き動かしてくるものがある。それは私が受け入れようと
するものではないか。存在と精神という言葉が脳裏を過ぎった。

 灰色の建物が幹の向こうに見えている。タクシー、タクシー、という
黄色い叫び声に振り返ると、ロスタン広場の奥の建物のまえで、右手を
挙げている女がいた。猛スピードで走って来たタクシーが、女の靴の先
で急ブレーキをかけて停止、女が乗り込むと、私の方に迫って、すばや
くカーブして消えた。

 私は、ポートロワイアル駅に程近い安ホテルにいて、日記帳にペンを
走らせている。ホテルで会った二人連れの日本人の青年に誘われ、サン・
ミシェル通りを北上し、シテ島にあるノートルダム寺院の鐘楼に登った。
放射状に伸びた通りの両側に建物が並んでいる。ガイドと思われる黒人
の青年が、鐘を指で弾いて鳴らし、観光客に微笑して見せた。心ならず
観光してい自分に私は苦笑した。二人の日本人は明日、日本に帰るのだ
から観光場所を一通り見たかったのだ。私は観光に来たのではない、独
りでゆっくり訪れたいのだ。彼らと別れ、中央郵便局に行き、パスポー
トを提示して日本からの手紙を受け取る。家からの手紙と友人からの手
紙である。通りの向こうにカフェがあったので入り、すぐに封を切った。
ボールペンで書かれた走り書きには、母が心配している、いつ帰って来
るのか知らせて欲しい、と書かれた姉の署名のある一枚の便箋と、ヨー
ロッパの鉄道を自由に乗り降り出来るユーレールパスが入っていた。一
ヶ月前に手紙で頼んでおいたのだ。友人の手紙は、私の帰路であるアジ
アルートでの、病気、強盗、政治状況を危ぶむ内容であった。

モンパルナス墓地で黒猫が一匹、目のまえを走り抜けた。ボードレー
ルの墓を捜していたのだから、できすぎた話である。案内板を見たが所
在が分からない。墓石に刻まれたそれらしい名前が消えかかっていた。
それからボードレールの生れたオートフォイユ街十五番地、サルトルの
住んでいたボナパルト四十二番地を確認した。次にカンパーニュ・プレ
ミエール街を歩く。ランボーとヴェルレーヌが住んでいた場所である。
ホテルに帰ると、同じホテルにいた日本人女性がフランス人の合理主
義について語った。ここに住んで語学学校に通っているという。彼女が
話したのは生活における合理主義であったが、それは精神の深部まで浸
透しているのではないか。精神が物の存在まで下りていくこと。存在と
は精神の何ものかだ。とぎすまされた精神。パリの風土が人々を育み、
人々が街を造り上げた。贅肉を削ぎ落とした物的精神のみが存在の意味
を証すだろう。パリが生活する場所であることは一目で判別できる。揺
るぎなく存在すること、そのことが美なのである。
 カルチェラタン地区を歩いていると日本人の学生とすれ違う。視線を
交わした途端にそらすのは自己嫌悪からなのか。この街の生活者からす
れば、旅人の私は余所者に過ぎない。私は一刻も早く落ち着いてこれま
での旅を意味づけ、次に進む旅の道を模索したいと思う。どんよりとし
た寒い一日であった。



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