ヒーメロス通信


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連載エセー「自己への配慮」と詩人像(一)(季刊個人誌「ヒーメロス9号」2009年3月5日発行から引用

2011年12月24日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
「自己への配慮」と詩人像(一)
               小林 稔

 現在、「ヒーメロス19号」(2011年10月25日発行)まで継続し(十一)「38ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容」に至る。                                            



1 プラトン『アルキビアデス1』をめぐって

 「美を所有する」ということは、どのようなことなのであろうか。私たちは物の形を見て美を感知するが、物自体が美なのではなく、美が物に顕現していると考えられる。人を対象として美しいと喚起される場合、所有したいという願望はエロース論に展開していくが、いったい対象の何を具体的に欲望しているのであろうか。身体に備わる美もまた美の顕現に他ならず、このはかなくも滅びやすい身体に顕現した美を欲していると言えるのではないか。身体はこころが支配する道具であり、人を本質的に所有するということは、そのこころを所有することであるに違いない。
 ある人にこころを奪われることが恋であるならば、恋は対象のこころを奪うことで美を所有することができると言えるであろう。古代ギリシアにさかのぼって、ソクラテスの言説を通してプラトンが語る論理では、恋は神的なものに由来すると説かれる。神的なものは正義や徳、知恵の根源であり、人が幸福に人生を送るための技術なのである。つまり、美を所有したいという願望は、神を追い求めようとする激しい欲求なのであった。

 ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスでの一九八二年の講義は、古代ギリシア・ローマが論じられ、自己の実践における倫理が問題化されている。そこでは、デルポイの神託「汝自身を知れ」のプラトン的展開として「自己への配慮」が主題になったプラトンの対話編『アルキビアデス1』から進められている。一九七六年に『性の歴史』の第一巻『知への意志』が出版され、そこでフーコーは五部構成となる『性の歴史』の全体像を著述していた。しかしフーコーは八年間沈黙し、一九八四年に第二巻『快楽の活用』、第三巻『自己への配慮』を出版した。ここで私たちを驚かせたことは、当初の計画とは大変違ったものに転換されたことである。つまり、西欧近代十六世紀から十七世紀に向けての論考ではなく、古代ギリシア・ローマが論じられていたのである。フーコーのコレージュ・ド・フランスでの講義は一九七〇年から連続して行われていた。そこから知れることは、フーコーの思想的転換期は一九八〇年以降に起こっていたということである。実際には、第三巻『自己への配慮』で論じられたテーマを引き継ぎ発展させたものが一九八二年の講義であるといえよう。それは『主体の解釈学』という書名で、二〇〇四年に筑摩書房から翻訳本が出版されている。
 フーコーはこの講義の初めのほうで、三つの契機を取り上げている。第一の契機は、ソクラテス=プラトン的契機。第二の契機は紀元後最初の二世紀、自己の陶冶、自己への配慮の黄金時代、第三の契機は四世紀から五世紀、キリスト教的禁欲主義への以降である。第一の契機において始めて哲学的な主題として自己への配慮が取り上げられたのである。その理論を著したものとして、プラトンの『アルキビアデス1』がある。私はこの講義全体の意義を説明することや、この論考のテーマ「詩人像の形成」とのかかわりは後述することにして、まず了解事項として『アルキビアデス1』の読解から始めよう。
 アルキビアデスという名の、十八歳にじきにならんとする青年に、ソクラテスが初めて話しかけようとしたのは、ダイモーンの反対がなくなってからであった。ダイモーンとは鬼神的存在で、ソクラテスが何かしようとすると、いつも彼の内部から聞こえてくる反対の声である。彼は少年のアルキビアデスの美しさを以前から認め、その姿に瞠目していたのである。彼の美しさに多くの男たちが眼を奪われ口説いていたが、アルキビアデスはそうした求愛者たちをすべて跳ねのけていたのであった。やがて少年の美が色褪せ、青年期に近づき、アルキビアデスから求愛者たちが離れていったとき、この時とばかりにソクラテスは彼に近づいていったのである。
 まず、ソクラテスはアルキビアデスの出自を讃える。父母とも由緒正しい家系の持ち主で、父の祖先を辿ればゼウスにつながるという。母方はペリクレスの母の家系につながる。この『アルキビアデス1』の対話編はペリクレスが全盛を奮った時代(前四四四年~四二九年)を背景にしている。そしてアルキビアデスは、近い将来、国会議員として世に出ようという野心をもった青年であり、ソクラテスは「自己への配慮」を説く師として登場する。はたして、ソクラテスはアルキビアデスの心をどのようにして奪うことができたのかを見てみよう。
 求愛者たちがすべて去ってしまった後も、なぜ自分に付きまとうのかを尋ねるアルキビアデスに対して、次のように言う。「おまえはどちらを欲するのだ、いまおまえがもっているものを、そのままもちつづけて生きることをか、それとももっと多くのものを獲得することがおまえに許されないなら、すぐにでも死んでしまうということをなのかと問われるなら、きみはむしろ死を選ぶだろうとぼくには思われるのだ。」
ソクラテスはアルキビアデスの、権力者の地位につこうとする野望を見抜いてのことであり、自分がいなければ成就は不可能であることを説く。いまこそ私が必要なときであることを神が許した、これまでダイモーンが反対していたのは、むだに言葉を交えさせないためだったと語るのであった。
 ソクラテスの助力がなければなぜ成就しないのかと、アルキビアデスは尋ねるが、それは対話形式で進行していくのだが、アルキビアデスに、自分が無知であることに無知であったことを気づかせたのである。悲観的になったアルキビアデスに対してソクラテスは、つぎのように言う。「これがもし、きみが五〇の年齢になって、自分がこの病状にあるのを覚ったのだとしたら、自分自身に気をつけるということは、きみには難儀なことだったろう。しかし今のきみの年齢は、まさにそのことを覚えるべき、ちょうどいい年齢なのだからねえ」と言い、「自分自身に気をつけるとは何か」
という問いを巡って対話は進み、デルポイの神託である「汝自身を知れ」という命題は「心を知れ」と命じていることであり、自分自身を知るということが、克己節制するということ(思慮の健全さを保つこと)を確認しあうのであった。

2 眼の比喩

「もしかのデルポイの言葉が、われわれの眼に向かって、あたかも人間に対するがごとく『汝自身を見よ』という勧告をしたとするならば、われわれは何の忠告であるかということについて、どう解釈しただろうか」という命題をソクラテスは提出する。眼が眼自身を見るには鏡のようなものが必要である。鏡もしくは他者の眼に自分自身を見る。「本性の同一性こそが、個人が自分の何たるかを知ることができるような反射面」(フーコー)なのだ。実際には眼はそれ自身で自分を見るのではなく、瞳(人見)という要素(機能が発動するような局所)を見なければならない。要するに「視覚の原理」のうちに見るのである。「つまり眼が自らを把握することができるようにするような視覚の行為は、もうひとつ別の視覚の行為、つまり他者の眼のなかに認められる視覚の行為のなかではじめて実現しうる」のである。眼の比喩からテキストは一挙に魂において議論される。「心(魂)もまた自分自身を知らなければならないとしたら、心(魂)で心(魂)をながめるようにしなければならない」。つまり「魂に適用された場合には、その視線を自分と同じ性質を持つ要素へと向けられることではじめて自らを見る」(フーコー)ということである。魂は「思考と知を保証する要素のほうに向かうことによってこそ、魂は自らを見る」(フーコー)のである。「心の本来の機能である知恵が、そこから生じるような、心の局所をながめなければならない」とソクラテスはアルキビアデスに述べる。そのような局所こそは神的なものの全体である。「それ以外のものならば、似ているようなものをながめなければならない」とソクラテスは語る。「神的なもののほうへと向かうことによってこそ、魂は自分自身を把握することができるようになる(フーコー)」のだ。つまり、神をこそ見なければならないという結論に達するのである。
 要約すると「自己への配慮」は、神的なものを認識することで魂は知恵に辿り着き、善悪や真偽を見極め、自分をコントロールすることができ、思慮の健全さを保つことできる、次に他者を配慮することで国家を統治することができるということである。つまり、「神的なものの認識は自己認識の条件」であり、「神的な要素のなかで彼は自らを認識し、再認する」「同一なものの要素においてこそ、神的なものは私が何であるかを映し出すからだ。したがって自己へ配慮することと、正義へ配慮することは同じこと(フーコー)」なのである。
 都市を統治するために何をまずしなければならいかを理解したアルキビアデスは、ソクラテスという人が必要不可欠な存在であることを悟ることになる。なぜならば、先述したように、他者のなかに認められる自分と同じような要素、行為のなかにしか実現が不可能なことだからである。これからは逆に、アルキビアデスがソクラテスにつきまとうことになるであろう。
 この著作は一方では、ソクラテスがアルキビアデスへの恋に勝利する過程でもある。それでは、ソクラテスを勝者とする根拠はどこにあるのか。それはソクラテスの「師」としての存在にあると考える。フーコーによれば、ソクラテス的な師弟関係で問題になるのは、無知と記憶であると言う。無知は独力で自己の外に抜け出すことは困難であるということ、記憶は無知から知へと移行することを可能にするものと論述する。「主体が向かうべきは、その無知に置き換わるような知ではありません。
彼が経験したことがなかったような主体という身分です。彼は非・主体に、自己の自己への関係の充溢によって規定されるよう主体の身分を置き換えなければなりません。自らを主体として構成しなければならない、そしてここで他者が介入します。師は個人を主体として改革し、形成する操作媒体となります。」
 このようにしてアルキビアデスにはソクラテスが必要不可欠な存在になったのである。『アルキビアデスⅠ』の終盤では含みのある言い方で語られている。「きみのその現状から、どうやって脱出したらよいか、きみは知っているのかね。その現状の名をはっきり言うことは、美しい人のことだけに、憚れるので言わないことにするけれども」「ソクラテス、あなたがその気になってくれればいいのです」「その言い方はよくないね。それが神の御意ならば、と言うのだよ」「今日からぼくがあなたをつけまわし、あなたがぼくにつけまとわれるということにならざるをえないからす。」
 いまや恋する者が恋される者になる、いや、相思相愛の関係になったのである。少年期のころから、その美しさに魅了され、何年も語らず見つづけたソクラテスが、肉体的な美を脱却し、これから心の開花期を向かえる青年期の入り口に立つアルキビアデスに、自己への配慮を説くことで相手の心を射止めたのであった。『アルキビアデス1』では、国家の仕事に携わろうとする青年に対する教育論を展開しながら、自己への配慮はいかにあるべきかを、対話を通して描いていた。この自己への配慮というテーマが、紀元後一、二世紀の後期ストアによって独自のかたちで引き継がれ、さらにキリスト教によって変貌し、デカルト以後の理性の下に隠蔽された歴史があるとフーコーは言う。しかし、ヘーゲルやニーチェ、ハイデッガー等の哲学、ボードレールやバタイユ等の文学に噴出して、いかに西洋の思想の根源を形成してきたのかを、アルケオロジーの晩年の仕事としてミシェル・フーコーが思考していたことが、この講義からわかるのである。
 この自己への配慮というテーマが、現代詩を書く私にとってなぜ問題視されるのかは後述することにして、とりあえずはフーコーが指摘するソクラテス=プラトン的契機からの問題点を次回に要約してみよう。

                                  (一)終了                



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