ハッピー&ラッキー

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ばやし

2006-12-13 | その他
今回の更新は暗い話題なのでそういうのが嫌いな人は見ないことをおすすめします。暗い上に感傷的で一個も面白いこと書いてありません。








私の飼ってる猫が死にました。














以前も書きましたが、私が「ばや」というハンドルにまでつけるほど、全身全霊をかけて溺愛していたばやしが死にました。ばやしは迷い猫だったので、正確に何歳なのかは分からないのですが、最低でも18年から20年はうちにいたと思います。医者には猫エイズと診断されましたが、多分寿命でもあったのでしょう。今でも忘れられないばやしとの初対面は私が寝起きの朝。部屋に見慣れない猫が何故かいる、と思って目が覚めた私の前で、前足で後ろ足をかかえてその足の肉球を吸うという、ウルトラCの可愛い仕草を見せられて一撃で懐柔されました。当時ばやしはよその家で飼われていたようですが、どうもそこの家は猫にろくにご飯をくれない良くないうちだったらしく(引っ越して現在はいません)、ばやしとどうやらそのお母さんの二匹で、うちに避難してきたようでした。ばやしはまだ仔猫だったので物怖じせずご飯など食べていましたが、お母さんのほうはそのときすでに病気だったらしく、うちの家族にも慣れないまま、早くに死んでしまいました。

その後、完全にめろめろな私には多少心を許してくれたものの、私以外の家族にはまだ懐かないばやしでしたが、だんだんと馴染んできてうちに定住してくれることに。基本的に他の猫にも私以外の家族にも、甘えた態度は取らないクールな子でした。私が可哀想なほどでれでれだったせいか、私と二人きりのときはひざの上で例の肉球吸いを見せてくれる状態だったのですが。

ちなみにこの肉球吸いは本当に希少な光景で、私はしょっちゅう見れたのですが、私以外には姉が20年間で一度見たきりという、竹の花並みに珍しい行動でした。

そんなちょっとクールなばやしに異変が起きたのが97年の夏。ある日ばやしが突然いなくなってしまったのです。近所を探しても出てこない、毎日呼べど暮らせど帰ってこない。私がどれだけ乱心したかはご想像に任せますが、とにかく見つからないのです。警察と保健所に連絡をし、近所を写真片手に聞き込みに回り、どこかで倒れてないかと探し回る日々が一週間ほど続き、私はこれ以上ないぐらいやさぐれていました。結局いきなり帰ってきたのですが、どうやらたまにしか帰ってこないよその家に入り込んでしまったあげく、閉じ込められていた様子。何とか出てきたばやしが家に帰ってきて、歓喜の声を上げた私の横を素通りしてご飯皿にダッシュしたのに、それでも恨み言も言えない下僕なわたくしでした。しかしその夜は、普段は夜になるとお外にお散歩に行ってしまうばやしが、私の枕元で一緒に寝てくれたのを覚えています。彼女なりに私が心配していたのが分かったのかもしれません。

こういう思い出を語りだすとキリがないですが、20年一緒に暮らしていただけあって、ばやしは本当に私の大事な猫でした。他の猫ももちろん愛してるし、死んで悲しいことは変わらないのですが、上手く伝わるか分かりませんが、私にとってのばやしは、たった一匹の「私の猫」なんです。おそらくこれまでも、これからも、ばやしの存在に代われるものはないでしょう。

ご飯が食べられなくなって、痩せて弱っていく猫に、私は何も出来ませんでした。医者に連れて行って、暖かくしてそばにいて、撫でていることしか出来ない。人間って何て無力なんだろうと苦しい日々でした。たった一匹の猫すら救えない。こんなに大事なばやしの苦しみを取り除いてやることが出来ない。今まで死んでいった猫を思うと、ばやしももう長くないことがすでに分かっていました。それを認めて覚悟をしなければならないと分かっていても、私はそれに向き合うことすら出来ないほど、弱くて無力な状態でした。

ばやしは最期、私が撫でているときに、息を引き取りました。死ぬ直前まで、手のひらで頭を支えてあげると、顔をすり寄せてくるいつものばやしでした。可愛くて頭がよくて恥ずかしがり屋の、本当にいい子でした。きれいなタビー柄の毛は、痩せてしまった最期までふわふわで、私をたぶらかしたピンク色の肉球は歳を取ってもきれいなままでした。何故か麺類が好きで、特に蕎麦が好きだった。牛乳をよく飲んでいて、口元を白く濡らしては、人間に拭いてもらっていました。抱きかかえると、必ず体を人の左がわに乗せたがるクセがあって、おかげで私の左肩はいつもばやしの爪が食い込んだ細かい擦り傷だらけでした。車の下にもぐりこんだのを、助けようとした私が勝手に排気口でやけどをしたその跡ももう消えつつあります。明日お寺に連れて行きますが、その前にひげを一本もらって持っていようと思います。忘れるわけはありませんが、ばやしがいた証を手元に残しておきたい。

たぶんいずれ私があっちに行けば、再会出来ると思います。そしたらまた左肩に乗せて運んであげる。それまで、かつてうちにいた猫達と遊んで待っててくれるでしょう。ばやしの死はとても辛くて悲しいですが、それでもばやしと暮らせた20年間は本当に楽しかった。いずれ悲しみは薄れて、楽しかった思い出だけが残るのも分かっています。でも今はまだ悲しくてたまりません。少し落ち着くまで更新が途切れるかもしれませんがよろしくお願いします。


貴重な「足の肉球吸い」シーン。