休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の古墳⑧ ~カナヅカ古墳~

2016-11-26 19:32:02 | 史跡を歩く
 平田梅山古墳の周濠沿いの遊歩道を東へ行くとポケットパークがあり、万葉歌碑が一つポツンと置かれている。

 

 歌碑には、「さ檜隈 檜隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも」と刻まれている。揮毫は万葉学者犬養孝氏である。ちなみに、犬養氏の著書「万葉の旅(上)大和」にも檜隈川という題で、この和歌が取り上げられている。作者については不明である。歌意としては、檜隈川の瀬が早くて流されそうだから、あなたの手を握ったらうわさになるかしらとなる。今も昔も変わらない恋ごころである。
 檜隈川については、近鉄の飛鳥駅から平田梅山古墳に来る途中に渡る川である。護岸工事がなされているので、その川から直接万葉の世界に浸ることは難しい。

 ただ、ポケットパークから眼下に広がる田園風景は素晴らしいものがある。

 

 稲刈りが終わった後の田んぼには、藁ボッチやはざかけが作られている。穏やかな景色である。こういう日本の秋を感じさせる景色を見ながらぶらぶらと歩くのが飛鳥めぐりの楽しみである。

 さて、カナヅカ古墳であるが、ポケットパークからもう少し東へ遊歩道を行って田畑の中を少し入ったところに位置している。

 

 四角いカステラのような古墳である。古墳の後ろにある丘陵地を削って、その中央に作られている。形式としては一辺35mほどの2段築造の方墳と考えれらている。現在は、欽明天皇陵の陪冢として宮内庁が管理しているが、明治時代に、石室が破壊されようとしたことがあり、その結果、埋葬施設については、いくつか判明している事実がある。石室については、両袖型の横穴式石室であり、切り石を用いた岩屋山古墳と同形式のものではないかと考えられている。平田梅山古墳、カナヅカ古墳、鬼の俎・雪隠古墳と東西に並んでおり、これらの古墳については、被葬者について何らかの関係があったと想定されている。
 岩屋山古墳の同形式の古墳ということは、欽明天皇よりは、もう一世代か二世代後の人物が考えられそうだ。

 ちなみに、欽明天皇陵に治定されている平田梅山古墳のすぐ西に吉備姫王墓があるが、この塚は古墳でないという話もある。吉備姫王は、欽明天皇の孫にあたり、ちょうど年代は合いそうな感じである。今後の展開に期待したい。

 

 欽明天皇の陪冢としては、このカナヅカ古墳と鬼の俎・雪隠古墳があるのだが、もう一つがどうもわからない。北側の丘陵地の中にあると思うのだが・・・。

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