43歳
2011-07-22 | 日記
昨日になってしまったが、ボクは43になった。
毎年誕生日には何かしら書いているが、あれからまた1年が経ったのか。
時間が経つのは早いものだ。
子供の時には時間が流れるのは遅く感じられた。
1日は長く、1年というのはとてつもない時間だった。
それが今や時間の流れは加速して、娘はみるみるうちに大きくなり、自分はそれと同じスピードで老けている。
時間の流れというものは年齢に応じて早くなるものらしい。
今年もこの前、年が明けたと思ったら、あっという間に半分が過ぎてしまった。
その間にもボクはオカリトへ行ったり、クライストチャーチで地震があったり、日本で津波があったりと色々な出来事やドラマはあった。
そういうドラマを感じながら、毎日毎日はあっという間に過ぎ去り気がつけばボクも43になっていた。
43といえば、もう立派なオヤジである。
若いものにはついていけないと開き直り、最新のipodとかiphoneとかとにかくそういう物など見向きもしない。
やれば便利なのは分かっているが、やらなくても今の環境に満足してしまっているのでやらない。
今やメールやインターネットは当たり前だが、一昔前パソコンが普及し始めたときのオジサン達の心境はこういうものなんだろうな。
できることなら携帯電話も持ちたくないが、今の世の中それはそれで不都合なことがあるので仕方なく持っている。
記念すべき?誕生日はポーターズで過ごした。
朝、山に登る時にはガスで真っ白、何も見えないような状態だったが、ボクが着くと同時に雲は晴れていき、青空が出た。
やっぱりボクは晴れ男だ。
山の頂上に上ってみれば見事な雲海が広がっていた。
この山も雲海の中に入っていてもおかしくないような状態なのだが、晴れ男のボクに山の神が天気を恵んでくれた。
雪の状態もまずまず。10cmぐらいの新雪か。パウダーきっちりおいしくいただきました。
そうそう山の神から誕生日のプレゼントもいただいた。
ボクはゴミを拾う。町ではあまり拾わないが山とか川とか海とか、まあ自然の中では拾う。
程度にもよるが、そういったことを「ちくしょう、こんな所にゴミを捨てやがって」という気持ちも今では持たずにたんたんとやる。
リフト乗り場に向かう道でも目に付いたゴミは拾ってポケットに入れておき後で捨てる。
知り合いの子供とゆっくり滑っているとゲレンデの真ん中にゴミが落ちていた。
ボクはそれを拾おうとしたら、それはゴミではなく20ドルのお札だった。
ボクはそれを山の神からのプレゼントだと思い、ありがたくいただいた。
帰る途中ではスマイリーズのケイコさんにワインをいただいた。
家に帰ってみれば女房が超旨いローストポークを焼いてくれたし、デザートも普段は買わない高級お菓子の店のケーキだった。
ボクはとことん幸せをかみしめた。
幸せは常にそこに有る物なのだが、それを意識して毎日を過ごすとこういうイベントの幸せはさらにアップする。
これを幸せ倍増の法則という。今ボクが作った。
ミクシーやフェイスブックからも続々とメッセージが届く。
みんなありがとう。
ボクはいろいろな愛に包まれている。
家族の愛、友人知人の愛、そして山の愛。
こうして43の誕生日は楽しく過ぎた。
さいさきいいぞ43歳。
何か面白い事が始まるような、そんな予感でワクワクするのだ。
今、この文を書いている時にも、ちょっとした余震があった。
だが全ての出来事を他人のせいにすることなく自分の責任として肯定的に前向きにとらえる覚悟があれば、恐れるものは何もない。
ただただバラ色の世界が目の前に広がっている。
全ての迷い、不安、心配、恐れは自分の心が作っているものだ。
それに気がついた時に、それらは消え新しい世界が広がる。
ボクはこの先、さらにパワーアップ、ワクワクしながら生きていくのだと思う。
そして新しい世界を作っていくのだ。
それはボク一人だけではない。
ボクも君もみんなで。
毎年誕生日には何かしら書いているが、あれからまた1年が経ったのか。
時間が経つのは早いものだ。
子供の時には時間が流れるのは遅く感じられた。
1日は長く、1年というのはとてつもない時間だった。
それが今や時間の流れは加速して、娘はみるみるうちに大きくなり、自分はそれと同じスピードで老けている。
時間の流れというものは年齢に応じて早くなるものらしい。
今年もこの前、年が明けたと思ったら、あっという間に半分が過ぎてしまった。
その間にもボクはオカリトへ行ったり、クライストチャーチで地震があったり、日本で津波があったりと色々な出来事やドラマはあった。
そういうドラマを感じながら、毎日毎日はあっという間に過ぎ去り気がつけばボクも43になっていた。
43といえば、もう立派なオヤジである。
若いものにはついていけないと開き直り、最新のipodとかiphoneとかとにかくそういう物など見向きもしない。
やれば便利なのは分かっているが、やらなくても今の環境に満足してしまっているのでやらない。
今やメールやインターネットは当たり前だが、一昔前パソコンが普及し始めたときのオジサン達の心境はこういうものなんだろうな。
できることなら携帯電話も持ちたくないが、今の世の中それはそれで不都合なことがあるので仕方なく持っている。
記念すべき?誕生日はポーターズで過ごした。
朝、山に登る時にはガスで真っ白、何も見えないような状態だったが、ボクが着くと同時に雲は晴れていき、青空が出た。
やっぱりボクは晴れ男だ。
山の頂上に上ってみれば見事な雲海が広がっていた。
この山も雲海の中に入っていてもおかしくないような状態なのだが、晴れ男のボクに山の神が天気を恵んでくれた。
雪の状態もまずまず。10cmぐらいの新雪か。パウダーきっちりおいしくいただきました。
そうそう山の神から誕生日のプレゼントもいただいた。
ボクはゴミを拾う。町ではあまり拾わないが山とか川とか海とか、まあ自然の中では拾う。
程度にもよるが、そういったことを「ちくしょう、こんな所にゴミを捨てやがって」という気持ちも今では持たずにたんたんとやる。
リフト乗り場に向かう道でも目に付いたゴミは拾ってポケットに入れておき後で捨てる。
知り合いの子供とゆっくり滑っているとゲレンデの真ん中にゴミが落ちていた。
ボクはそれを拾おうとしたら、それはゴミではなく20ドルのお札だった。
ボクはそれを山の神からのプレゼントだと思い、ありがたくいただいた。
帰る途中ではスマイリーズのケイコさんにワインをいただいた。
家に帰ってみれば女房が超旨いローストポークを焼いてくれたし、デザートも普段は買わない高級お菓子の店のケーキだった。
ボクはとことん幸せをかみしめた。
幸せは常にそこに有る物なのだが、それを意識して毎日を過ごすとこういうイベントの幸せはさらにアップする。
これを幸せ倍増の法則という。今ボクが作った。
ミクシーやフェイスブックからも続々とメッセージが届く。
みんなありがとう。
ボクはいろいろな愛に包まれている。
家族の愛、友人知人の愛、そして山の愛。
こうして43の誕生日は楽しく過ぎた。
さいさきいいぞ43歳。
何か面白い事が始まるような、そんな予感でワクワクするのだ。
今、この文を書いている時にも、ちょっとした余震があった。
だが全ての出来事を他人のせいにすることなく自分の責任として肯定的に前向きにとらえる覚悟があれば、恐れるものは何もない。
ただただバラ色の世界が目の前に広がっている。
全ての迷い、不安、心配、恐れは自分の心が作っているものだ。
それに気がついた時に、それらは消え新しい世界が広がる。
ボクはこの先、さらにパワーアップ、ワクワクしながら生きていくのだと思う。
そして新しい世界を作っていくのだ。
それはボク一人だけではない。
ボクも君もみんなで。