また一つ、風変わりな夏が終わろうとしている。
コロナ禍からというもの、社会は洗濯機で撹拌されたがごとく変化をし続けている。
社会が変化をしているのだから、自分の生活も変化する。
ブドウ畑の仕事を辞めたのは去年のクリスマスの事だ。
労働とは何か、仕事とは何か、お金とは何か、社会とは何か、人生とは何か。
そういった事柄について考えに考えた挙句にたどりついたものが、プロレタリアという概念だった。
働くということを金を稼ぐ手段として考えていた20代の頃には、こういう概念は生まれなかった。
労働というものを『自分の時間と労働力を売る』として考えると社会の見方も変わる。
その上で思ったのが、雇用主と労働者は上下関係ではなく、対等の立場であるべきだということである。
労働力や時間の売り手も買い手も、どちらかが上だと思っていたらうまくいかない。
雇用を商売の取引として考えると面白いかもしれない。
中身がないのに高い値段をつけたら誰もそれを買わない。
運良く買われたところで、その値段に見合う価値がないと判断されたら取引は中止される。
逆に買い手にとって安く有能な労働力があったとしたら、それを手放そうとはしないだろう。
それらを判断するのは、賃金、労働時間、労働環境、作業内容、そういった条件で契約が交わされる。
そしてそれらの条件に付随しつつ、なおかつ、いやひょっとすると一番大きな要素となりうるものが人間関係だ。
人間関係がうまくいっていない職場では、どんなに給料が良かろうが幸せにはなれない。
これは僕の意見であり、中には金さえ高けりゃいいという人もいる。
思うに多少賃金が安かろうがこの人の為ならやるぞ、という人間関係ができている所は強い。
僕が今まで働いていた職場でもそういう所は多々あった。
商売の取引でも似たようなことってあるだろう。
逆に感情は一切無視して、ただ金銭だけのつながりというものも多数ある。当然だ。
プロレタリアという言葉で自分を表して最初に考えたのは『自分の時間の買い手は自分が決める』というものだった。
それまでも、自分のボスは自分で決める、と漠然と思っていたがそれよりもはっきりとした形で表れた。
言語化というのはこういうものだろう。
その結果、それまで働いていたブドウ園をやめることとなった。
本音を一言で言うと「全然ロックじゃねえ!バカな金持ちの道楽にこれ以上付き合っていられるか!」以上。
今まで数々の職場、学生時代のアルバイトから数えれば50は超えるであろう、そういった現場で働いてきた僕が持っている信念がある。
無能な上司の下で働くことは、人生の無駄であり哀しいことだ。
今回は直属の上司ではないが、ブドウ園のオーナーがバカな金持ちで信用に足らない人間だったというわけだ。
ついでに言えばそのバカな金持ちが新しく雇い入れた社長も大バカ野郎だった。
毎日つきあってきた葡萄には未練があったが、そいつら揃いも揃って大馬鹿野郎共の経営陣には何の未練もなくあっさりと辞めた。
人の縁が切れる時とはこういうものだ。
もともと葡萄畑の仕事も人のご縁で始まったものだった。
その人とのご縁は切れることなく、今年のブドウの収穫も手伝ったし時々お酒を飲む仲である。
僕はそういうご縁を何よりも大切にする。
人は城 人は生け垣 人は堀
戦国武将 武田信玄の有名な言葉であるが、この言葉が雇用主の在り方だと思う。
そしてまたご縁が繋がるタイミングもある。
このタイミングも含めてご縁と呼ぶ。
ガイド仲間のミッチーがクライストチャーチでガイド会社を立ち上げたのが数年前。
それからコロナ禍となりニュージーランドは鎖国をして、旅行業界は全く仕事がなくなった。
規制が緩みパラパラと人が入り始め、僕の弟子のおとしが日本からやってきてリカトンブッシュのマーケットを案内している時にばったりミッチーに会った。
その時にあいさつがてら、仕事をしてくれないか頼まれた。
ぼくは「プロレタリアだから時間を売る相手を選ぶよ」と返事した。
今から考えるとずいぶんエラそーな話だが、すでに自分の時間を売る相手はミッチーだという想いがあったからである。
それから僕らは会って話をして、一緒に酒も飲み、少しづつ彼の仕事をするようになったのが去年の春。
もともとガイド仲間で今までの付き合いもあるので話は早い。
何よりも向いている方向が一緒というのが大きい。
心理的安全性と言うのだが、思っていることは全てストレスなく話せるというのは人間関係において一番大切なことだ。
年末に大きなツアーがあり、それを機会に葡萄畑を辞めミッチーの立ち上げたニュージーランドツーリズムクリエーションズという会社で働くようになった。
ガイド紹介のページでは張り切ってブログ一話分以上の文を書いたが、大幅にカットされこういうページに落ち着いた。
それから一夏、忙しすぎもせずヒマすぎもせず、全く無理のない良いペースで仕事をしてきた。
今までと違い時間に余裕があるので、今年の菜園は出来が良く消費が追いつかないので、友達に配って歩くほどだ。
お客さんにも恵まれ、いい波に乗っている感はある。
名前の通りツーリズムをクリエーション、創作するというだけあってちょっと変わったツアーもある。
絶景ツアーは車で市内の景色の良い所を数カ所ほど車で回るのだが、何十年も住んでいる僕が関心するほどよくできたコースだ。
海からの視点と山からの視点を交互に繰り返し、地形というものを色々な角度から眺めると、より立体的にこの場所が理解できる。
ただ景色が良いだけでなく、地形ができた成り立ち、人間が入ってきてからの開拓史、今のクライストチャーチなど案内しがいがある。
こういうコースを組み立てるのはセンスがあるからだな。
この会社がマウントクックとアーサーズパス山歩きのガイドができる免許を取った。
簡単に書いたがこれを取るのは大変なことで、これもミッチーの並々ならぬ苦労があった。
今までは観光とかドライバーガイドばかりだったが、これからは山歩きのガイドもできる。
ミッチーはもともとマウントクックで山歩きのガイドをやっていたぐらいの人なので、やりたい事をやれるような状況になったということだろう。
夢を持ち、それに向かって行動する人を僕は応援する。
そして二人で考えているのが、夜のパブ巡りツアーだ。
市内の醸造所直営パブやワインバーなどを巡り、一緒に酒を飲みながらビールの歴史なぞを語ってみようという企画。
ますます面白くなっていく感が満載である。
こうやっていいペースで仕事をしながら考えた。
ガイドって一体なんだろう?
はい、ここでタイトルに戻ってきました。
いやあ長かったね。
さらにここからが長いので好きな所で脱落してほしい。
ブルシットジョブの話でも書いたが、僕は労働には3種類あると考える。
まずは生産や採取という分かりやすい労働。
次にケア労働という、人のお世話や社会を維持する労働。
そしてブルシットジョブ。
ガイドとはこの中ではケア労働に属する。
ケア労働というのは幅が広いが、一番わかりやすいのが直接人の面倒を見る仕事。
看護師、介護士、医者、母親、主婦、教師、保育士、栄養士、料理人、娼婦などなど。
それから社会を維持する全ての職業。
建築、消防、警察、運輸、水道やガスなどのインフラ、清掃、商い、修理、販売、ちょっと変わったところでは軍人もここに入ると思う。
あとは人を喜ばせる仕事。
ミュージシャン、アーティスト、プロスポーツ選手、芸人、エンタメ。
大きく3つに分類したが、この中でも複数にまたがっている仕事もある。
そこで改めてガイドという仕事を考えてみると、先ずは案内人、直接的に人のお世話をする仕事である。
不慣れな土地に着いた時に、その土地に精通した現地人を雇うという形態は古今東西、大航海時代以前から人類がやってきたことだ。
武力で脅して無理やり従事させたか、正当な賃金を払って雇うのかは別問題だ。
そこにあるのは言語も含めて現地の人が持っている情報である。
情報というものは商品にもなる。
どこでどういう釣り方をすれば魚が釣れるという情報を持っているからこそ、フィッシングガイドという職業が成り立ち、安くないお金をお客さんは支払う。
今の世の中は情報はネット上でいくらでも出てくるので、情報はタダという考えを持つ人は多い。
そういう無料の情報と、僕らガイドが喋る情報は何が違うのか。
それは自らの体験に基づく言葉の重みであろう。
そしてそれは個々の経験、人生観、思想、生き様、によって構成される。
死というものに直面したことのない人が言う「命だいじに」と、実際に死体を運んだことがある人が言う「命だいじに」は重みが違う。
そして情報というものは常に変化をする。
基本的には、現地の人の生の情報、ということだろう。
うどん県でタクシーの運ちゃんに地元の人御用達のうどん屋に連れて行ってもらう。
「以前はあの店は美味かったんだけど、今はここが旨いよ」
そんな地元の声を聞けるのも旅の醍醐味だろう。
ガイドの素質として欠かせないのがエンタメ性である。
あるスイス人のスキーインストラクターの言葉。
「日本のスキーインストラクターはジョークの一つも言えない」
これを全ての人に当てはめるわけではないが、言い得て妙だと思う。
海外で言うスキーインストラクターはスキー技術を教えるだけでなくガイドの役割も果たし、夜はお客さんと一緒に食事もするし酒も飲む。
だからお客さんは推しのインストラクターを指名して、滞在中は一緒に時間を過ごす。
そこにはスキー技術だけでなく、知識教養や哲学、人間性、エンタメ性、そういった事が含まれていて、お客さんはそこに価値を見出しお金を払う。
日本ではスキーインストラクターとはスキー教師である。
ガイドとお客さんというより、教師と生徒という上下関係でスキー技術を教えることだけが仕事と考える。
今のスキー業界のことはよく知らないが、自分が日本のスキー業界にいた頃はそんな具合だった。
喜ばせるのはお客さんだけではない、自らを楽しめさせる事も大切だ。
自分が楽しめなければお客さんを楽しませる事はできない。
これが長年ガイドを務めてきた僕のガイド哲学だ。
「もうこのコースは飽きました」とほざいたガイドが昔いた。
こんなヤツにガイドされるお客さんは可哀想だな。
お客さんにその言葉を聞かれなくても、想いは態度に現れる。
山歩きのガイドは毎日同じコースを歩くこともある。
でも昨日と今日と明日は違うものだ。
昨日つぼみだった花が今日咲いた、昨日の風でこの木が倒れた、昨日見れなかった鳥が今日は出てきた。
自然とは常に変化をするものである。
その変化を感じ取り、そこに身を置く事に喜びを感じ、感動をお客さんと共有するのがガイドの姿であろう。
基本的にその国が好き、その土地が好き、その状況が好き、生きている今が好き、という思考で案内するのが本質だと思う。
自分はこんなに苦労した、この国で住んでいるとこんなに大変な事がある、という苦労話を売りにするようなガイドにはなりたくないものだ。
ミルフォードサウンドというフィヨルドがあり、ニュージーランドの中ではマウントクックと並ぶ二大観光スポットだ。
大手旅行会社が企画するツアーには必ずと言っていいほどここが含まれる。
神秘的な原生林、氷河を載せた山、垂直に切り立った断崖絶壁にある手彫りのトンネル、神秘的なフィヨルドの先に広がるタスマン海。
本当に素晴らしい場所なのだが、いかにせん遠い。
ミルフォードサウンドまでのツアーは、99%クィーンズタウンからの日帰りで、片道300キロぐらいある。
行きはそれなりに良いのだが、帰りは来るときに見た景色が広がり、特に最後の2時間は単調ではっきり言ってつまらない。
ほとんどのお客さんは眠るが、僕の場合は自分の人生の些細な出来事や経験などを落語調で話す。
これも10年以上前の話だが、僕がドライバーで別の日本人がガイドという仕事があった。
こういう仕事はガイドになる人はやりにくいだろうと思い同情する。
ガイド会社によっては地元のお土産さんと提携を結び、そのお土産の話を帰りのバスの中でする事が義務付けられているツアーもある。
クィーンズタウンまでたどり着く最後の2時間、延々とお土産の話をされるのだからお客さんとしてはたまったものではない。
時にはその事でクレームが出ることもある。
その仕事では関西出身のベテランガイドと一緒になった。
その人がやはり最後の2時間にお土産の話をしたのだが、これがすごかった。
お店の商品を景品にしてクイズ方式でお土産の話をするのだが、これが面白いのなんの。
関西特有のお笑いのノリで、商品をネタにお客さんの回答もアドリブでギャグにしていく。
バスの車内はどっかんどっかんの大爆笑で、横で聞いている僕もゲラゲラ笑いながら運転をした。
関西の血があるとはいえ、お土産の商品を元にこれだけの話を作り上げるのはたいした才能である。
普段は長い道のりだが、あっという間にクィーンズタウンに着いた。
当然ながらそのツアーではクレームなんぞ出るわけがなく、お客さんは満足気にバスを降りて行った。
たぶんお土産も買ったことだろう。
その人はもうガイドも辞めてしまったが、ガイドの芸風というものを勉強させてもらった。
とは言えガイドは芸人ではない。
芸人ではないのだが芸人のエッセンスを取り入れるのはありだと思う。
僕の場合は落語、それも江戸落語をベースにしたような話をする。
関西弁の人は、お笑いのノリとかも当然ある。
それがガイドの個性というものに繋がっていく。
最後に特殊な例だが、スピリチュアルの世界でもガイドという言葉を使う。
『導き』というものだろうか。
こういう例えを出すと、導く人が偉くて導かれる人が下というように、上下もしくは優劣の二極で考えがちだけどそうではない。
これもご縁のようなものと考えるとわかりやすいだろう。
前出したミルフォードサウンドのツアーをした時の話である。
ミルフォードの1日ツアーはオプションで、クィーンズタウンまで飛行機で遊覧飛行で帰れる。
この遊覧飛行はマウントクックのそれと並んで、ニュージーランドでトップ2の景色の良い遊覧飛行だ。
ミルフォードサウンドまで行きは地上からの景色を眺め、帰りは空から地形を見るというのがベストである。
景色もさることながらクィーンズタウンまで45分ぐらいで着くので時間の短縮にもなる。
ただし値段も高い、そして天気が悪かったり風が強ければ飛ばない。
その時のツアーは、お客さん15人ぐらいで添乗員1人というグループだったが、そこに1人参加の30代の男性Sさんがいた。
天気は最高でみんながクィーンズタウンまで飛行機で帰ることになったが、Sさん1人が飛ばないでバスで帰ることを選んだ。
クィーンズタウンまでの帰り道の4時間、僕は彼の相談を受け悩みを聞いてあげ、自分なりの人生哲学などを延々と話した。
Sさんは深く感銘を受けたし、僕もSさんとの時間が楽しかったので、クィーンズタウンに着いてから一緒に食事をして酒を飲みまた話した。
別れ際に彼が言った言葉が忘れられない。
「僕のこのニュージーランド旅行の目的は聖さんに会うためだったんだと今となっては思います」
ガイド冥利に尽きるとはこういうことだ。
実際にクィーンズタウンに着いた時の彼の顔はすっきりとして、何か憑き物が落ちたような、そんなさっぱりした感じだった。
彼の人生の中で何かしら想う時だったのかもしれない、そんな時に何気ない僕の言葉が響いたのだろうか。
SさんとはそれからもSNSを通じて繋がっている。
また別のお客さんは、僕に会って一緒に飲む為にニュージーランドに毎年のように来てくれた。
お客さんではないが、栄光の北村家二軍のえーちゃんが言うには、何かしら人生の節目、転職を考えたり永住権が降りた時などにひょっこり僕が現れるそうだ。
またこのブログでも何回もでている、弟子のオトシとの出会いも運命的だった。
その後の彼の人生を変えたのにも、僕との出会いが少なからず影響している。
こういったことを『導き』などと言ったら、すぐに「お前、何様だよ!偉そうにしてんじゃねえぞ」みたいに炎上するかもしれないな。
なのでこういったもの全て『ご縁』と言おう。
これなら誰にも文句を言われることもなかろう。
この世はご縁で成り立っていると言っても過言ではない。
そのご縁だが良いものばかりではない、というと語弊があるな。
良い悪いで判断したくないからだが、時には会いたくない人や嫌いな人と会うこともある。
だがその時には嫌な思いをしたとしても、後から見るとその時に会って良かったと思うこともある。ないこともある。
それが気づきのタイミングというものかもしれない。
金に意地汚い人との出会いが昔あったが、こういう人にはなりたくないな、と反面教師になった。
良い出会いだと思うご縁も、嫌な出会いのご縁も、そういうものだと考えると気が楽になる。
昔のお客さんでとんでもなくイヤなクソババアがいたが、その人との何かしらのご縁があったことは認めるがその人自身は大嫌いだった。
もう今は生きていないだろうが、そんなクソババアでも死ねば仏様だ。
あの時のご縁とは一体なんだったんだろうなぁ。
自分で気づかないうちに、出会った人の人生を変えるかもしれない。
それがガイドというものなのだろうか。
お客さんの機嫌を取るような卑屈にならず、自分はすごいんだというような傲慢にもならず、謙虚と自信の中間でバランスを取る。
物事の本質を掴み、森羅万象全ての物に感謝の意を持ちながら、自分がやるべき事を淡々とやる。
現状に満足して足を止める事なく、ゆっくりでも一歩一歩坂を登っていき、登ってきた道筋が人の大きさとなる。
厳しさと優しさを持ち合わせた中に、人との付き合い方を見出し、ユーモアも忘れない。
最後に付け足すと、ガイドは仕事が終わった時にお客さんがありがとうと言ってくれる素晴らしい仕事である。
その点から見ても非常にやりがいのある仕事ではないか。
ガイドとは何か。
その答えを一生かけて見つける旅をするのもよかろう。