あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

肩書き 『人間』

2012-01-17 | ガイドの現場
ガイドの現場の見出しは、『肩書き「人間」。男HIJIRIニュージーランドを語る。』である。
もちろん自分で書いたわけではない。
こんなもの木っ恥ずかしくて自分で書けるわけがない。
冗談で言ったことを会社の同僚が真に受けて、あれよあれよという間にブログが始まってしまったのだ。
事の起こりはこうだ。
新しい会社に移り、ボクの名刺を作ろうということになった。
社長がボクに聞いた。
「聖さん、肩書きは何がいいですかね?」
「肩書きですか、それならボクの肩書き論を聞いてもらえますか?」
そしてボクは肩書きについての持論を社長と同僚の前で展開した。

今の世の中で肩書きは二種類あると思う。
一つは会社では社長とか会長とか専務とか部長とか、学校だったら校長とか教頭とか、そういうものだ。
それらはあくまでその組織の中での位置づけであって、自分がやっていることではない。
組織があって初めて成り立つもので、組織を外したら何の意味もない。
もう一つは自分がやっていることや職業である。
ゴルファー、歌手、画家、クライマー、医者、ガイド、パイロット、俳優、スキーヤー、ファーマー、僧侶、カメラマン、その他もろもろの全てが肩書きとなる。
ゴルファーの場合はタイガーウッズのようにゴルフをやらないボクが知っている人から、駆け出しの予選に受かるかどうかという人までゴルファーである。
スポーツ選手などの場合は一般の人と区別するためにプロという言葉が付く。
その肩書きをみればその人が何をやっている人か大体分かるというものだ。
その意味ではボクの肩書きはガイドである。

だがそれさえもちっぽけな人間の社会のこと。
そこから一歩踏み出して、自分という存在を現すのが『人間』という肩書きである。
人間は何故この地球に生まれたのか。
自分が人間として生まれてきて何をすべきか。
人間としてどうあるべきか。
そういった答の出ない質問を真剣に考えるのが人間だと思う。
「そういう意味もこめてボクの肩書きは『人間』なのです」
同僚は面白がり、社長は途方にくれた。
「いやまあ・・・それはそうですけど・・・ねえ。まさか名刺に『人間』って入れるわけにもいかないし・・・。」
「あははは、分かってますって。肩書きはガイドにしてください」
結局ガイドだけでは寂しいのでアウトドアガイドということに落ち着いた。
これならスキーガイドにもハイキングガイドにも当てはまる。
ドライバーの仕事でも、車から降りた時に感じるこの国の風を紹介するという意味も含む。

『人間』という肩書きの欠点は、世界で70億も人がいるので全ての人がそれを言い出したら、収集がつかなくなるし、言葉の意味もなくなってしまうことだ。
だが『人間』とは自分自身の内側を見てエゴをコントロールし、他人のために働きそれを愉しみにするもの。
人は不完全なものと知り、過ちを犯したならばそれを認める。
人の幸福は自分の幸福であり、そのためには努力を惜しまない。
人の悲しみは自分の心の痛みであり、それが解消した時には共に喜ぶ。
争い、諍い、戦いは避け、そうならないための道を探す。
それを人間と呼ぶならば全世界の人がそうなった時にこの世は変わる。
偉そうに言うが、自分だってこれが全て出来ているとは思わない。
酒の飲み方だって何回失敗しても、まだ飲みすぎてしまう。
「これが人間の愚かさだ」などと言いつつウコンを飲んだりするものだ。
ただヨガで一つのポーズを作り上げることが目的ではなく、出来なくともそこに向かう姿勢が大切なように、目標を高く持ちそこに向かおうという強い意志を持つこと。
これが人間というものなんだと思う。
全人類が本当の意味での『人間』になる時、そしてその時はすぐ近くまで来ている。
それを知りつつ自分ができることをコツコツとやるのだ。
「たとえ明日、世界の終わりが来ようと、自分はリンゴの木を植えるだろう」
誰の言葉か忘れてしまったが、この言葉に全てが詰まっている。
そしてボクは言うだろう。
「その想いで木を植えたのなら、あなたの言う世界の終わりはやってこない」

だけどみんながみんな肩書き『人間』を使ったら言葉に意味がなくなってしまう。
その時には肩書き『生き物、北村聖』。
もしくは肩書き『宇宙人、北村聖』。
こんなのどうでしょう?

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毒を吐く

2012-01-12 | 日記
新年明けてそうそうだが今回は毒を吐く。
年明けのある酒の席である人がこう言った。
「ニュージーランドには美味しいソーセージがないね。みんな白くてブヨブヨで臭くて」
この言葉にボクはカチンときた。
この国に美味いソーセージが無いだと?
その人は長くこの国にいるようだが、スーパーで売られているソーセージしか食ったことが無いのだろう。
ボクは自分のツアーでブロークンリバーにお客さんと行く時にはソーセージを出す。
それは近くの肉屋で作っているCheese kranskyというやつだ。
これは美味い。自分が美味いと思うやつだからお客さんにも出す。友達にも出す。
お客さんも友達も皆ウマイウマイと喜んで食べてくれる。
皮はパリっと焼け、中はあら引き肉の食感。燻製にされているので燻された肉の香りが良い。
一般のソーセージはセージというハーブを肉の匂い消しに使う。
この匂いがダメな人もいるのだろう。僕もそれほど好きではないので自分ではあまり買わない。
その人に「この国は・・・」と言われてカチンと来たのは、自分が普段ウマイと思って食っているソーセージを、ウマイソーセージを作っている肉屋を、それを生み出すニュージーランドという国を侮辱されたかのように感じたからだ。
何より気に入らないのは、断片的な情報で「この国は」と全体を把握する態度である。
これは今までも感じていたことである。

よくツアーのお客さんがこう言うのだ。
「この国はどこへ行っても日本人だらけね」
大体そう言う人は、クライストチャーチから入ってテカポ、マウントクック、クィーンズタウン、そしてミルフォードというこの国の王道のようなコースを廻る。
今あげた場所では確かにどこに行っても日本人は働いているし、日本人のお客さんも多い。
だがそこからちょっと外れれば日本人はどこにもいない。
それどころかさらに外れれば日本人どころか、人間がいないというような場所がほとんどだ。
自分達が行く場所が、自分達を含め日本人だらけなのだ。
それを「この国は」と言い切ってしまう。
これは一体なんなのだろう。
同じようなことはまだある。
南の外れ、インバーカーギルという町からスタートするツアーがあった。
街を出て1時間ぐらい走っただろうか。
窓の外は延々と牧場が続く。
お客さんがこういう質問をした。
「この国では野菜は作っていないの?」
「それはですね、日本を初めて訪れた人が北海道へ着いて牧場の中を1時間ぐらい走って『この国ではお米を作ってないの?』と聞くようなものですよ」
我ながら大人気ないとは思うがそう答えてしまった。
同行した添乗員があわてて「北の方では野菜も作っています」とフォローしていた。

昔ある王様が盲目の人を何人も集めて象を触らせたそうな。
鼻を触った人は言った。
「象とは細長い柔らかい物がぐにゃぐにゃ動く動物です」
耳を触った人は言った。
「象とは薄くて平らな動物です」
体を触った人は言った。
「象とは壁のような動物です。」
足を触った人は言った。
「象とは木の幹のような動物です」
断片的な情報で全体を把握するとはこういうことだ。

ぼくはこれは最近流行りのグローバリズムにも関係があると思う。
全てを均一に均してしまう考えは危険である。
日本でも小さな市町村は合併で大きな街に含まれてしまっている。
地域性というものはどんどん薄まり、どこに行っても同じ街ができあがる。
文化の崩壊だ。なぜなら文化というものは狭い局地的な場所で生まれるものだからだ。
全体を把握しようとするには均一な方が楽だ。一部だけ見ればいいのだから。
だが実際には違う。
ワインの専門家の話を聞いたが、道路一本挟んだ土地、わずか100m離れるだけでブドウの出来は違いワインの味は変わってくるのだそうだ。
多様性。
それを認めた上で自分が得た情報はほんの一握りのものと知る。

偉そうに言うが以前の僕もそうだった。
何年もこの国の冬山で過ごし、この国を知った気になっていた。
ある時、夏山を歩き感動して涙を流した。
同時に自分がこの国の山について何も知っていないことに気が付いた。
それ以来、感動は感動を産み、行く先々で「まだこんなところがあったのか」という思いが次から次へと出てくる。
同じ場所でも、何回も行った場所でも、季節や時間が変われば違う面を見せてくれる。
それぐらいにこの国は深い。
その思い入れがあるので、「この国は・・・」と簡単に決め付けられると余計に腹が立つ。

自分が知った情報とは、ほんの些細なものであり、それさえも見方によっては簡単に変わってしまう。
バケツを逆さから見れば、底が無く蓋が開かない入れ物だ。
一部の情報にとらわれることなく、広い視野で物を見ていきたいと僕は思う。
それを心で感じた時に初めて全体像というのは見えてくるのではないか。
誰の言葉か忘れてしまったが、昔から言われている言葉にもある。
『自分が知っていることは、自分は何も知らないということである。』
「この国は・・・」と知った気にならない自分への戒めも含め、今回は毒を吐いた。
そして自分が何も知らないのを知りつつ、これからも僕は生きていくことだろう。
知らないことを知ろうとするのは、人間の証だからだ。
コメント (6)
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お正月

2012-01-04 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
いつもいつも『あおしろみどりくろ』を読んでいただき、ありがとうございます。
2012年も、ひたすら前向きに進んで行きますので、よろしくお願い致します。

と、硬い文体はこれくらいにして普通に戻る。
自分の言葉じゃないみたいだからね。

2011年は激動の年だった。
地球も激動だし、人間の世界も激動だし、ボク個人の生活も激動だった。
文字通り激しく動くことが激動なのだが、クライストチャーチではまだ地面が激しく動く地震が絶えない。
クリスマス前から始まった地震は活発で、体に感じる地震も時々ある。
ボクは正直な話、地震が好きなのではないかと思う。
子供の頃の思い出だが、風邪で学校を休んで一人で家で寝ていた時に大きな地震があった。
木造の家はわっさわっさと揺れたのだが、頭の上でグラグラ揺れる電灯を見ながら、なぜか気持ち良いと思った。
母のお腹の中に包まれて動いているように、なにか暖かい大きな動きというイメージである。
以来、ボクは地震で怖いと思ったことは一度もない。
いや、これを書いていてはっきりと分かったが、地震を好きなんだと。
地震で困る人がたくさんいるのは重々承知だが、これは個人の感情なので仕方がない。
例えて言うなら台風が来るという時のワクワクする気持ちに似ている。
かといって地震を怖いという人を臆病者扱いする気は毛頭ない。
怖さというものは健全な感情であり、地震が怖いというのはほとんどの人が持つ当たり前の気持ちだろう。
地震 雷 火事 親父、というくらい地震は怖いもののナンバーワンなのだ。
地震が好きだなどと言い出すボクが変わり者なだけだ。
でも地震と同じように雷も好きだし嵐も好きだ。雪崩も好きだし火山の噴火も好きだ。
要は地球の動き全てが好きなのだ。

地球の激動に合わせ人間社会も激動である。
ボクの中では原発の事が一番のニュースだった。
そしてそれは今も続いている。
そしてボク個人も、仕事をやめたり再び働き始めたりと、まあいろいろあった。
そんな激動の2011年が終わって、さて2012年である。
2012年という暦の話はいろいろあるが、2012年もますます激動の年になるとボクは見ている。
日本の地震より大きな出来事は起こるだろう。
こういう事を言うと人は「え?もっと悪いことが起こるの」と心配する。
そうではない。
表面的には悪いことに見えても、地球の動きで大切なことはいくらでもある。
人間の観点だけでしか物を見ないと、地球の胎動は全て災害になってしまう。
意識の変革の時は来ている。
変化というものに恐怖を持たず、全てを受け入れる覚悟を持つ。
それも人類のレベルで。
それが今年だと思う。

さて自分の話を書こう。
クリスマスの日は休みだったもの、年末から年始は忙しく働いていた。
ボクは長いことスキー場で働いていたし、ガイドでもそうだったがお正月は常に働いていた。
それが当たり前だし、そのことで別に不平不満はない。
仕事があることはありがたいことだ。
大晦日も仕事を終えて、次の日の早朝の仕事だったので早々と寝てしまった。
元旦は朝4時にホテルから空港まで送りの仕事があった。
短い時間だがお客さんと仲良くなり、待ち時間にコーヒーをご馳走になった。
ミルフォードトラックを歩いたお客さんでガイドはマサコだったそうで、彼女の仕事ぶりを誉めていた。
マサコは以前ロッジで働いていたが、何年前かガイドになり今やベテランガイドである。
友達がこうやってガイドの現場でしっかりと仕事をしている話を聞くのは嬉しい。
「サザーランドフォールでは滝の裏側へ回りましてね。」
「それは良かった。雨なんか降ったら滝の近くにも寄れないですからね」
「そうなんですか?」
「そうですよ。晴れが続いていてあの水量でしょ?雨が降ったら風圧で吹き飛ばされますよ」
「なるほど」
ボクはもう何年もミルフォードを歩いていないが、お客さんのミルフォードを歩いた話を聞いてボクの魂はミルフォードの山へ飛んだ。



お客さんを無事送り出して、初仕事を終えても朝6時である。
庭で初日の出を拝み、そのまま庭仕事に突入。
このところ忙しくて菜園が大変なことになっている。
ソラマメの最後の収穫。
家でもたくさん食べたが、友人たちにもおすそ分けができるぐらいにたくさん取れた。
ソラマメはどこに持っていっても喜ばれる。
「ソラマメ達よ、今年はたくさん実をつけてくれてありがとう。」
茎を引っこ抜いて、これも土に返そう。
そして秋に植えたニンニクが収穫の時期を迎えた。
ニワトリエリアに侵入しようとする犬に踏まれたが、立派なニンニクの玉をつけてくれた。
50個ぐらいはあるだろうか。1年分のニンニクである。
ニンニクを編みこんでキッチンにぶらさげて使う分をそこから取っていきたい、とは女房の願いだがそれがかなおうとしている。
こうなればいいなという思いはいつも実現する。
起きてきた女房がニンニクの束を見て大喜びだ。
「ニンニクの買い置きがあったっけ?っていう会話がなくなるのね」
その通り、自分が今やるべきことをやっていれば全てがうまくいく。
秋には仕事が無かったのだが、その時せっせと植えたニンニクは大量に実り、僕たちを幸せにしてくれる。
これからの作業はニンニクを干す、その後の編みこみの作業は女房にやってもらおう。



野良仕事で一汗かき、ヒゲと頭を剃りシャワーを浴びる。
その間に女房がお雑煮を作ってくれた。
餅はオノさんのところでついた餅をいただいたもの。
大根も近くの農家からのいただきもの。
人参とシルバービートは庭のもの。
そこに鶏肉をいれ、あっさりと醤油風味のだしの関東風の雑煮である。
そして庭の卵の玉子焼き、漬物。
ご馳走である。
「こうやってニュージーランドでお雑煮を食べれるとは思わなかったな」
初めてニュージーランドに来てから25年が経つが、このような人生になるとは思わなかった。
色々なことがあり、これからも色々あるとは思うが、全てなるようになっていく。
自分はそれら全てを受け入れ、その瞬間ごとを生きるのみ。
こうやってボクは2012年のお正月を過ごした。
今年もますます楽しく、ワクワクするような年になるとボクは信じて疑わない。

全ての民に光あれ。
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