あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

生麺

2023-04-05 | 
随分と前の話だが、トーマスに生パスタをご馳走になったことがあった。
一部始終を見学したが、これなら自分でも出来そうだなというイメージが湧いた。
細かい作業の手順などは、自分で何回かやってみて微調整をすれば良い。
大切なのはできるイメージが湧くかどうかだ。
何も知らない状態だと、「やるのは難しいのではないか」と人は思ってしまう。
何故なら、知らないということを本能的に人間は恐れる。
でも実際に見学して話を聞いて、自分のところでやるシュミレーションが出来たら8割以上は出来たようなものだ。

僕が最初にニワトリを飼い始めた時がまさしくそうだった。
何も知らないうちは全くイメージが湧かなかったが、友達が飼っているのを見て直感的に「あ、これならできる」と思った。
庭の空いているスペースを片付けて、鶏小屋を建てて、柵で囲って、そんな具合に頭の中でシュミレーションが瞬時にできたのだ。
そこからは友達の大工が鶏小屋用に廃材を分けてくれたり、別の友達が鶏を買うのにつきあってくれたり、トントン拍子にことが進んだ。
それが10年以上前の話で、その時にはまさか卵がスーパーからなくなるとは思っていなかったが、今となってはありがたい事に我が家では卵に困らない。
卵には困らないのだが、鶏が手に入りにくくなった。
みんな考える事は同じで、卵が買えないなら自家採取しようと思うのだろう。
ここ10年ぐらいは鶏農家から買っていたのだが、去年は全て売り切れで買えなかった。
途方に暮れていたが、運良く別の個人でやっている所から3羽買って今に至る。
家の卵は我が家の食生活を豊かにするし、余った物は友達の食卓へ廻る。
これが幸せのバイブレーションと呼ぶのだろう。



庭の鶏のおかげで常に新鮮な卵が手に入るので、我が家ではマヨネーズも自家製だ。
アヨネーズの主原料は酢と油と卵、味付けは塩と胡椒だけだ。
ブレンダーで作れば30秒で出来る。
最初は失敗もしたが、コツさえつかめばそう難しいものでもない。
直接食べるものだから、お酢と油だってきっちりとした物を使う。
当然ながら美味い。
この卵をパスタに使わない手はない、という話をトーマスとしたのが数年前。
トーマス家でパスタマシンで手打ちパスタを見せてもらった時だ。
それからというものたまにショッピングモールに買い物に行く時など、パスタマシンを覗いたりしていた。
これが欲しいな、と思う物は140ドルぐらいするもので、なんとなく今じゃないなと思って数年が過ぎた。
つい先日、女房と買い物に行った時にブラリと入った店で、そのパスタマシンが50ドルになっていた。
現品限りのセールだったのだろう。
迷わずに買った。



そのパスタマシンであるが、原理は簡単である。
小麦粉と卵と塩少々を混ぜ合わせ捏ねた物を、薄く伸ばし細く切る機械。
ただこれだけの事だ。
いたって原始的な機械なので、数回もやればコツは掴める。
麺の薄さや太さも調整できる仕組みになっていて、これはパスタソースや具で変えていけばいいのだろう。
そのパスタの原材料は小麦粉だ。
よくデュラムセモリナという言葉を聞くが、あれはデュラムという麦を挽いた小麦粉の事だ。
これもぶらっと入った輸入食材屋でイタリア産のパスタ用デュラムセモリナ粉をセールで売っていて即買いした。
そうやって作った生パスタを何のソースで食おうか。



先ずは何はともあれカルボナーラであろう。
プロレタリア万歳のレギュラーであるナナちゃんが燻したベーコン、我が家の新鮮な卵、そこに酪農王国ニュージーランドの生クリームとパルメザンチーズ、味付けは海の塩と粗挽き胡椒のみ。
特別に高い食材ではないがそこに行きつくまでの手間ヒマがかかっている。
これが本当の意味でのご馳走である。
生クリームと卵黄のソースはねっとりと出来たてのパスタに絡み、そこにパルメザンチーズと燻製の香りが混じり合う。
シンプルなパスタだからこそ食感を損なわないよう、我が家では卵黄だけを使いそれを皿の上でかき混ぜて完成とする。
卵白を使うと水っぽくなるし、火を通しすぎるとボソボソした食感になってしまう。
さてさてその感想はと言えば、文句なく美味い。
バリラ、ディチェコ、ディベラといったイタリアパスタの老舗メーカーの乾麵が持つアルデンテの食感とは明らかに違う、もちもちした食感が生パスタの醍醐味だ。
もちもち麺にねっとりソース、そこに自家製ベーコンの香りと卵とクリームのコク。
これはもはや芸術の域である。
本当に美味い物には、人間を感動させる力がある。
それは大人とか子供とかは関係なく、子供にだって、いや子供だからこそ分かるものもある。
友達の子供に食わせたら、大喜びでむさぼり食った。
それからは事あるごとに「カルボナーラ食べたい」と言う。
未来を担う子供に、感動的に美味い物を食わせるのは大人の務めだ。



それから定番のトマトソースもやった。>
理由は庭のトマトが赤く熟したから。
これもまたシンプルなソースで、材料はオリーブオイル、トマト、ニンニク、塩、香り付けにバジル、月桂樹、それだけだ。
シンプルな酸味のソースでそれなりに美味しいのだが、これは乾麺の方が美味いような気がする。
多分ペペロンチーノみたいなのもダメだろうな。
それよりもっとコクのあるソースがいいのだろう。



コクのあるソースということで、ラグーというミートソースを作ってみた。
具材はオックステール、牛の尻尾だ。
これは普通の肉屋では売っていないが、良く行く韓国人経営の肉屋で売っている。
先ずはそれを赤ワインと香味野菜で煮込みシチューを作る。
テールシチューは死んだ親父の得意料理を譲り受けたものだ。
銘々の皿の取り分けた上に、生クリームを少しかけて食す。
何日もかけてゆっくり煮込んだテールは、ホロリと骨から外れるぐらいに柔らかい。
ワインやトマトの酸味、野菜の甘み、ハーブの香り、肉のコクが複雑に絡み合う。
ちなみに味付けは塩胡椒だけである。
ソース自体は酸味が強いのだが、少量の生クリームで全体がまろやかになる。
こういった煮込み料理は、ある程度時間が経ったほうが旨い。
骨つき肉を骨から外し小さめに切り、野菜はすでに煮込んでグズグズになっているのでそのまま潰してしまう。
それを打ちたて茹でたてのパスタに絡めて食う。
濃いめのソースと、やや太めのパスタの相性は良く、文句なく旨い。
こんな旨い物作っちゃって、俺って天才?と自画自賛するぐらいに旨い。
やっぱり生パスタは、こういうソースがいいな。
ブルーチーズとマッシュルームのクリームソースなんかもいいかも。
さあて次はどんなパスタを作ろうかな。

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イモ3種

2020-05-24 | 
イモと聞いてまず思い浮かべるのはじゃがいもであろう。
煮て良し焼いて良し、蒸かしても油で揚げても旨い。
主食にもおかずにもおやつにもなる野菜。
イモの王様、イモの中のイモというぐらいの存在感がじゃがいも。
ただ我が家ではじゃがいもはそれほど一生懸命やってるわけではなく、コンポストの中から出てきたのを畑の空いている場所で育てるぐらい。
それでも取りたての新じゃがというものは旨いものである。
じゃがいもの次に来るのはサツマイモ。
これまた美味いのだが暖かい所でしか育たないのか、周りでもサツマイモをやっているという話を聞いたことが無い。
たぶんクライストチャーチの気候は寒すぎるんだろう。
この二つが芋世界のメジャーどころだろうが、マイナーな芋もある。
サトイモ、山芋、タロイモ、キクイモ、コンニャクイモなどである。
我が家では変わり芋3種ということで、コンニャクイモ、山芋、菊芋を作っている。

まずはコンニャクイモのお話。
我が家では数年前からこんにゃくの栽培を始めた。
今では毎年、ある程度の量が収穫できてクライストチャーチに住む友人宅の食卓にもおすそ分けができるぐらいになった。
こんにゃくというのは生では食べられない
この野菜を何とか食べようと、先人が色々な知恵を振り絞り試行錯誤を繰り返し、食べられるようになった。
そんな先人の苦労も、今はインターネットで一瞬で出てくる。
文明の利器とはありがたいものだ。
簡単に言うと、熱し、すり潰し、水を加え、炭酸ナトリウムを加え、固めて、茹でてアクを抜く。
これだけのことで、とりたて難しくは無い。
ただまとまった量を作るとなると、作業にも時間がかかる。
時間も手間もかかるが、旨いものを食う為に労力を惜しまないことは、自分に埋め込まれたDNAだと思っている。
そうやってできたこんにゃくはやっぱり旨い。
旨いのだが、コンニャクイモ自体は無味無臭である。
あのこんにゃくの味とは炭酸ナトリウムが芋のアクと合わさった味なのだ。
そしてまた、こんにゃくを何の味付けもせず食っても旨くは無い。
何かしらの味付けをして、初めて一皿の料理となる。
しかもこんにゃくには栄養価もほとんど無い。
作ってみりゃ分かるが、ほとんどは水分なのだ。
哀れこんにゃくよ、決して主役になれない悲しい定めか。
だが脇役という物もこの世に存在する。
脇役の演じ方で劇が引き締まる、なんて事があるのだろう。
そんな名脇役のようなものが家のこんにゃくだ。
栄養価は無くとも食物繊維はたっぷり、こんにゃくはお腹の砂払い、などと言われている。
昔から栄養を取る為でなく毒を排出するための食、今で言うデトックスの本家本元がこんにゃくなのである。
体に良い、という理由で食べる物を選ぶ人がいるが、僕は体に良くとも不味い物は食いたくない。
旨くて、まずこれがありき、なおかつ体に良かったらさらに良し。
我が家では刺身こんにゃく、酢味噌の上に、頂き物の柚子の皮を少しばかり削り載せる。
これが絶品である。
プルプルとした弾力はゼラチンとも違うし、柔らかいからといって豆腐とも違う。
だがやはりこんにゃくの旨さを文で表現するのは難しい。
生を食ってくれという他にないだろう。









お次は山芋。
山芋は地中深く育っていくので、育てるより掘る方が大変だ。
引っ張ったらすぐに折れてしまうので、周りからじっくり掘って行かねばならない。
我が家では塩ビのパイプの中で育てている。
芋が育って葉っぱが枯れたら、パイプを引っこ抜いて、バンバンと叩くとパイプの中の土が落ちて芋が無傷で収穫できる。
山芋も大きくなるまで数年かかる。
何年か前に種芋をもらってきて、温室の隅とかコンポストの傍とかに埋めておいたのが増えていった。
今年は食べられるぐらいの大きさに育ったので、とろろ汁。
すり鉢とすりこ木が何故か我が家にはある。
ニュージーランドでこれがある家庭は、あまり多くないだろう。
普段はゴマをする時ぐらいしか使わないが、今回はすり鉢が大活躍。
芋をすり、そこに卵の黄身を入れ混ぜ合わせる。
卵は言わずと知れた我が家の卵。
そこに具の無い味噌汁を少しづつ混ぜ合わせる。
味噌汁もちゃんとダシを取って味噌も本物の味噌汁である。
そうやってできたとろろ汁を炊きたてのご飯にかけ、上からきざみ海苔をパラパラと振って出来上がり。
まさに絶品である。
これぞ故郷の味。
全てを本物で作るとシンプルでいて最高のご馳走となる。
和食という食文化はニュージーランドで生きている。







こんにゃく、山芋ときて最後はキクイモである。
これは日本では食べたことが無かったのだ。
こちらではエルサレム・アーティチョークという名前で、花のアーティチョークとは別物だ。
これも株を分けてもらったものをコンポストに植えておいたら勝手に増えていった。
味は独特の香りがあり、キンピラにすると旨い。
この他にサトイモがネルソンの方で育っているらしい。
いずれこっちの方へまわってくることだろう。
そうやって味わったイモ3種。
地味だがこれも我が家の秋の味覚であろう。
イモは田舎者の代名詞だが馬鹿にすること無かれ、きちんと作れば味も健康にも良い。
こういうものを食べていれば、そうそう病気にもならないような気もするなあ。





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茶道

2018-08-01 | 
今年も又、日本の実家から新茶が届いた。
父親からは最高級のお茶、そして兄からはガバガバ飲む用のお茶が大量に。
これでこの1年はニュージーランドでも、お茶が楽しめる。
ありがたいことである。
早速、最高級のお茶を淹れて飲んでみた。
お茶を淹れるのも、カルキが入った水では風味を台無しにしてしまう。
山から取ってきた雪解け水を使う。
お湯を沸かし、80度ぐらいまで冷ませ、急須にいれる。
葉っぱの量はやや多め。
葉っぱが完全に開ききった頃に湯のみに入れる。
この時に最後の一滴まで搾る。ここがお茶の旨いところなのだ。

家族で今年の新茶をいただく。
お茶の表面がわずかに毛羽立つのは良いお茶の証拠だ。
香りよく、飲んでみるとわずかに甘ささえも感じる。
あー、幸せだなあ。
娘も「わあ、すごい、このお茶!」などと感嘆の声をあげた。
本物の味が分かる人間に育っている。よろしい。

僕は本当のお茶の作法を知らない。
狭い茶室でシャカシャカお茶を立てて、茶碗をまわして飲み「結構なお手前で」などという儀式に出たこともない。
だが実家から送られてきたお茶を、最高の水で最高に美味しく淹れ、「旨い!」などとつぶやいて飲む。
これが自分にとっての茶道である。
形式というものは大切なものだろうし、そういう世界があることは知っている。
だが今の自分の置かれている環境で、真摯な気持ちでお茶を淹れる。
お茶を育ててくれた農家の人々、それを製品にしてくれたお茶工場の人々、それを送ってくれた家族。
そういった人々に感謝の気持ちを持ちながら、地球の裏側で美味しくいただく。
その心こそが茶の湯の心ではなかろうか。
ヨガでもポーズを作ることが目的ではなく、たとえできなくともそこに向かう姿勢と心が大切だという。
何か通じるものがあるだろう。
武道でも作動でも華道でも何でも道とつくものは、その見えない心こそが目的であり結果なのではないか。
食べ物も然り。
本当に美味いものを作ろうという気持ちが大切なのだ、と自分の食いしん坊を正当化してしまう。

道といえば、道を極めるで極道。
今の世の中、ヤクザは居るが本物の極道はいないかもしれない。
もしいるならば、天然記念物の絶滅危惧種なのだろうな、などとバカバカしいことをお茶を飲みながら想った。

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こんにゃく問答。

2018-06-12 | 
「こんにゃく、いつ食う?」
「そりゃ、こんにゃくだけに・・・明日じゃないよな」
「いやいや、こんにゃくを食うのだから・・・今晩?」
「違うって、こんにゃくなんだから・・・今宵」
というようなどーしようもない会話を昔の相方JCと何回したのだろう。

こんにゃくというものはこんにゃく芋からできるということを知識で知っていた。
だがその植物がどういう葉っぱをしているのか、どういう芋なのか知らなかった。
今はネットで調べればこんにゃく芋の写真などが幾らでも出てくる。
それで人々は知った気になってしまう。
だが自分で最初からやってみるのと、ネット上で見た写真で知った気になるのとは雲泥の差だ。
友達のゴーティーからピンポン玉ぐらいの種芋をもらったのが数年前。
「3年ぐらいかかるよ」と言われて育て続け、我が家のコンニャク芋もソフトボールぐらいの大きさになった。
いよいよ人生初のこんにゃく作りに挑戦である。
こんにゃくは夏の間に成長して秋になると茎と葉っぱは枯れる。
暑いのが好きな植物なのだろう、温室の中で大きく育ったこんにゃく芋を秋に収穫した。



さていよいよ、こんにゃく作りなのだが、こんにゃくを固めるためには消石灰(水酸化カルシウム)もしくは炭酸ソーダというものが必要だ。
友達のアヤちゃんの実家ではこんにゃくを自分で作っていたそうで、彼女の家から炭酸ソーダを送ってもらって、一緒に作ることになった。
アヤちゃんは何年か前にはマウントクックでハイキングガイドをしていた娘で、今は結婚してクライストチャーチに住んでいる。
家に呼んだり、こちらが遊びに行ったりという仲である。



アヤちゃんのお母さんのレシピに沿ってまずは小さく切ってミキサーでドロドロにする。
こんにゃく芋は素手で触ると痒くなるらしいので手袋着用。
ただしこれにも個人差があるらしく、僕は平気だった。
ドロドロにした物を鍋で10分加熱。
焦げ付かないように気をつけなくては。
そして炭酸ソーダを水に溶かす。
炭酸ソーダの結晶は半透明でいかにも化学物質といった感じで、見た目はアンフェタミンのようだ(見たこと無いけど)
加熱したドロドロの状態にアンフェタミンじゃなかった、炭酸ソーダ水溶液を加えて混ぜる。



ひたすら混ぜる。
するとなんとなく固まってきた。
これを平たい容器に入れて冷ます。
こんにゃくの黒いツブツブはひじきだそうで、他にも青海苔なんかいれるのもあるらしい。
物は試しに少しだけ青海苔を入れてやってみた。
そうして数時間、冷めて固まったものを茹でる。
そして出来上がり。
こんにゃくは腐らないので常温で保存してよい。
ただし水は毎日替えるというのがアヤちゃんのお母さんからの教えである。





さてそうやって作ったこんにゃく。
刺身と田楽で食ってみた。
これが美味いのである。
美味いのだが、それをどう表現してよいか分からない。
食感はプニュプニュで味はシンプルにこんにゃくの味。
これじゃあ、読んでる人は分からないよな。
こんな時に海原雄山は何と言うのだろうか。
この美味さを文字に出来ないのがもどかしいが、とにかく美味い。
これはうちに来て食ってみてくれ、というしかないな。



初めてのこんにゃく作りは大成功。
家族にも大好評、ご満悦である。
とある大学の先生の言葉、「最終学歴よりも最終学習暦」
これはいいぞ。
僕の最終学歴は工業高校卒だが、自分で実際にやって学ぶことを学習と呼ぶならば、最終学習暦はこんにゃくだ。
自分の中では最終学習というより最新学習という方が近いか。
ビール作り、日本酒作り、鳥の捌き方、石鹸作り、いろいろと学んだものだ。
学問というもののあり方、そらに学歴社会というものを疑問に思っている自分である。
机の上の学問も大切かもしれない。
だけど、その教科書なり教材が間違っていたらどうなるのだろう。
僕は自分でこんにゃく芋を育て、先人の知識を借りて自分でこんにゃくを作った。
そうやってできたこんにゃくは美味い。
これが僕にとっての学習である。
そうやって人間は学ぶ。



「ねえねえ、こんにゃくに合うお酒ってなにかなあ」
「えー?こんにゃくに合うんだから日本酒?」
「そうじゃなくて、フランスのお酒でさあ、なんかあったじゃん」
「ああ、あれか、こんにゃくに合うよねあれは・・・ブランデー」
こんなどーしようもないギャグのセンスはいつまでたっても学ばない。
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旬の魚

2018-06-03 | 
秋から冬へ向かう時期である。
木の葉っぱが黄葉して落ちたり、日が短くなったりして季節の移り変わりを人は知る。
僕の場合はさらに胃袋でも知る。
今年はフィジョアがよく実をつけた年だ。
我が家のフィジョアもいくつか実をつけたし、友達の家からもたくさんもらった。
犬の散歩の途中では落ちているフィジョアを拾って来る。
ちなみにフィジョアとは南米原産のフルーツで、寒さに強いのでニュージーランドでも育つ。
日本では見た事が無い。
味はバナナとパイナップルの間というようなものだ。
他にいい例えを知らない。
卵ぐらいの大きさで色は緑色。
皮をむくと中はクリーム色で、熟すと中心はゼリー状になる。
甘さと酸っぱさが程よくバランスされ、僕の大好きなフルーツである。
この実が旬なのもこの時期、店に出回るのも2~3ヶ月ぐらいのものだ。

前回に作ったパン粉を冷凍保存しておいたのでそれで白身魚のフライでもしようかと魚屋に出向いた。
お目当てはホキという魚である。
日本にも輸出していて、日本の弁当屋でよくある、のり弁に乗っかっている白身魚のフライ。
あれがホキである。
身は柔らかく、塩焼きや酒粕漬けにしたが身が崩れてしまいダメだった。
ホキはフライに限る。
魚屋でホキがあるか聞いた。
「ホキが好きならこいつはどうだ?この時期だけしか捕れない魚だよ。味はホキにそっくりだから旨いぜ」
見るとハケと書いてあり値段はホキより多少高め、身もホキより一回り大きい。
そうかあ、物は試しだし買ってみるか。
後は何か青魚はあるかな。
おおお、鯖があるぞ!
ショーケースの中には鯖が2匹、目も黒くて新鮮そうだ。
白身魚のフライもいいが、鯖フライも捨てがたいぞ。
新鮮なヤツならしめ鯖にすれば1週間ぐらいもつな。
そうだ、鯖の味噌煮も忘れてはいかん。
これなら鯖尽くしだ、と興奮して2匹も買ってしまった。



鯖の生き腐れという言葉があるぐらい、鯖は鮮度が落ちるのが速い。
帰ってすぐに調理を始める。
鯖特有の模様が美しい。
先ずは3枚に下ろし、背骨やしっぽのアラの部分は塩をまぶす。
塩にまぶすと臭みが抜けると、土井勝の本に載っていた。
捌いてみたら、とても新鮮で身がコリコリしてる。
これなら刺身でも食えるな。
刺身用、味噌煮用、フライ用、しめ鯖用に切り分ける。
しめ鯖はまず塩をたっぷり降り時間をかけ水分を抜く。
塩は当然ながら海の塩。
ここでケチって精製塩など使ったらダメだ。
塩は数ある調味料の中でも一番大切なものなのだ。
3時間ぐらいおいて、塩を綺麗に洗い流し、水分をきれいにふき取る。ここがポイント。
あとは三杯酢に浸し、昆布ではさむ。昆布締めである。
アラはやはり洗い流し水気をふき取り、水から昆布と大根と一緒に煮て汁を作る。
味付けは塩のみ、香り付けに頂き物のユズを少々。
味噌煮はだし汁に下味をつけ煮出したところに切り身をぶち込む。
味噌は後から入れるのがコツ。
なんで鯖と味噌ってこんなに相性がいいんだろう。
同じ青魚でも鯵、鰯、秋刀魚、とは違う独特の味がしょうがを効かせた味噌だれに絶妙に合う。
ああ、日本人に生まれてよかったあ。



火を通すものは翌日以降でもいいが、刺身は鮮度が命。
その日の晩飯は澄まし汁と鯖の刺身と味噌煮。
身はコリコリとして、何といっても脂が乗ってる。
ニュージーランドでも秋鯖は旨いのだなあ。
これぞ旬の味。
青魚の脂にはDHAだかNHKだかGHQだか忘れたが、なにか良いものが含まれるという。
旬のものを食っていれば病気にもならない。
野菜でも魚でも肉でも、旬の物には科学云々でなく人間を健康にする何かがあると思う。
娘も旨い旨いと食う。
子供が健康的で本当に旨い物、それも自分で作ったものをモリモリ食うのを見るのは嬉しいものだし、それが親の役目でもある。



その翌日はフライの日。
鯖の尻尾に近い部分、そして魚屋のオヤジお勧めのハケ。
衣をつけるしばらく前に塩を降り、でてきた水分を綺麗にふき取って衣をつける。
一緒に揚げるのは玉ねぎのフライ。
さてそうやって揚がり、気になるなるお味は。
鯖は想像通りの味。熱々が旨く、冷めたら魚臭さが出るかもしれん。
でもやはりウマイぞ。
そしてハケ。
これは絶品だ。
ホキをもっと上品にしたような味である。
そうか、これがハケか。
今まで売っているのを見た事はあり手は出なかったのだが、魚屋のオヤジの言葉に従ってよかった。
やるなオヤジ。
どうやら季節の魚らしいし、次の機会もハケがあるかな。
こうやって食生活は広がっていく。



さてしめ鯖である。
刺身で味わうのと違う味わいがある。
天然塩で締めただまろやかな塩味、そして酢と昆布につけこんだ風味、そこに脂の乗った秋鯖。
養殖物ではない天然物の旨みがそこにある。
庭の温室のシソがそろそろ終わりかけなので、花穂を摘んでしめ鯖の上にぱらり。
もうたまりませんな。
さらにさらに、贅沢に厚めに切って焙ってしまおう。
旨い物を食う為には人間色々な知恵が廻るものだ。
ガスバーナーで表面を焦がすが、厚く切ってあるので中は生のまま。
これがもう、絶品中の絶品。
ああ、日本酒が欲しくなるな。
こんな時に、全黒の蔵が近くにあったらいいのに。
自分で造った物を自分でウマイウマイと食って、我ながら幸せ者だなと思う秋の宵なのだ。

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酒の肴

2018-04-06 | 
僕はビールが好きで色々と作っているのだが、ビールを飲みながら米の飯を食べる気にならない。
『とりあえず』という言葉はビールの枕言葉だと誰かが言っていたが、ナルホドうなずける。
先ずはビールで喉を潤す。
これは鉄則だな。
米の飯を食べるのならばビールが終わってから食う。
前回作ったビールはベルリナーサワーエール、直訳してベルリンの酸っぱいエールビールである。
このビールは見事に賛否両論に分かれた。
「うん、なかなかいけるじゃん」と言う人と「イマイチだな」と言う人。
僕は自分で作っといてなんだが後者である。
でもこれだって別に不味いわけではない。
こういうビールだと思えばそういうものなのだ。
ベルリンという場所に行ったことはない。
ベルリンどころかヨーロッパに行ったことがないのだが、ドイツのどこかということは知っている。
そうかドイツのビールってこういう味なのか。



ビールに合うつまみというものもある。
あまり水っぽいものはビールに合わない。
ドイツの食べ物ってソーセージだよな。
それから冷蔵庫に、この夏できたキャベツがあったな。
ザワークラフトって確かドイツの辺りの食べ物じゃなかったっけ?
物は試しでやってみよう。
ソーセージは粗びきっぽいやつがいいな。
これが大当たりだった。
ビールの酸味、ソーセージの肉の味、そしてザワークラフトの酸っぱさが三位一体。
ホップの効いたビールなどはビール単体で楽しめるが、このビールはドイツ風のつまみと一緒に飲むのがよろし。
でも、もう作らないだろうな。



蔵で働くようになって、晩飯の時に日本酒を飲む機会が増えた。
いわゆる晩酌というやつだ。
日本酒の良いところは、ご飯を食べながら飲める。
ご飯が進むようなおかずは、酒の肴になるものが多い。
自然と味付けはしょっぱいものになる。
饅頭をおかずに米の飯は食わない。
塩辛いものというと塩分の取りすぎ云々という話を聞く。
僕は塩の質と言うものを考える。
良質の天然塩、ミネラルは体に必要なものである。
だもんで料理に使う塩は岩塩もしくは海の塩だ。



酒のさかなというだけあって日本酒は魚とか貝に合う。
港街で育ったせいかむしょうに魚が食いたくなる時がある。
最近ではクィーンズタウンでもいい魚が手に入るようになった。
シマアジは三枚におろしてシメアジ。
カレイは煮つけ。
ムール貝は昆布と一緒に佃煮。
お客さんで北海道の人がいて、いつも昆布をいただく。
昆布も利尻昆布とか羅臼昆布とかあるのだろうが、ニュージーランドに居る身には北海道産昆布というだけでご馳走だ。
白身魚は酒粕に漬けて焼く。
こういった肴をつまみにチビリチビリと日本酒を飲みながら飯を食らう。
旨い物を食うと人は幸せになる。
自分が幸せになると人も幸せにできる。
幸せのスパイラルは先ず自分自身を幸せにするところから始まる。
今日もそうやって、旨い肴で飲むのである。
乾杯。


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食の安全とは?

2017-06-17 | 
僕は凝り性である。
そしてまた食道楽でもある。
美味い物を食う為には努力を惜しまず徹底的にやる。
旨い卵かけご飯を食べる為にニワトリを飼うぐらいである。
実際にうちの卵は超がつくくらいに旨い。
熱々のご飯に生卵をたっぷり、少ないとご飯の熱で火が通ってしまうからね。
生卵独特の旨みに醤油の味が混ざりそれがご飯にからみつき・・・、ううむ幸せだあ。
ちなみに僕は生卵は別容器で黄身と白身をしっかり混ぜていただく派である。
特に我が家の卵は新鮮すぎて黄身と白身が上手く混ざらない。
それから生で食べるのはすき焼きなんてのも旨いな。
きっちり味が付いた肉だの野菜だのを、溶き卵にからめて・・・これも美味しいぞ。
生で食べるのは和食だけではない、イタリアーノも然り。
それがスパゲッティ・カルボナーラ。
我が家のレシピは熱々のパスタに、贅沢に卵黄だけを皿の上で混ぜる。
カルボナーラはクリーミーなソースが命で、火を通しすぎると炒り卵みたいになって口当たりも悪くなる。
パスタはバリラ、ベーコンは近所の肉屋の特製ベーコン、そこに生クリームとパルメザンチーズのソースと卵黄がねっとりと絡み合い、仕上げは粒こしょうの辛味がピリっと。
ちなみにソースの味付けは塩だけ、当然ながら天然塩。
これはそんじょそこらのレストランなんかより断然美味い、ううむ、たまらんぞ。



ある時にそんな生卵ライフにケチがついた。
知人にうちの卵をあげて、その人がブログに載せたら知らない人からコメントがついた。
大きな農家ではワクチンを摂取しているけど、うちのように個人で飼ってる場合はワクチンをやってないので危ないんだと。
海外では食中毒の危険があります。日本では生食の事を考えて洗浄、殺菌をしていますが、海外ではやっていないので生食は危ない。食べるのは自己責任で。
ああ、そうですか。仰ることはごもっとも。あなたは何も間違ってはいないさ。
じゃあ、こちらの言い分も聞いてもらおうじゃないか。
ニワトリというのは卵管が体内で直腸と繋がっている。
要はニワトリの卵というのはケツの穴から出てくる。
当然ながらニワトリの糞がくっつくこともある。
食中毒の素のサルモネラ菌なんかはそこから来るという。
我が家では餌にEMを混ぜているので糞が臭くない。
EMというのは以前にも書いたが、善玉菌と悪玉菌とどっちつかずの菌があって、善玉菌を増やすことによってどっちつかずの菌を善玉菌に変え、結果的に悪玉菌が減るというものだ。
善と悪という言葉使いがあまり好きではないが、まあ簡単に書くとそういうことだ。
ニワトリの餌に毎日EMを混ぜているので糞が全然臭くなく、これがいい肥料になる。
鶏舎の中はおがくずを敷き詰めて、毎日糞を拾いコンポストの容器に入れるので鶏舎の内側は清潔だ。
そしてその日に生まれた卵は一つ一つ布巾で拭いて汚れを落とし、殻に日付を書いて生食は新しい物から食べる。
洗浄殺菌こそはしていないが、これぐらいやれば大丈夫だろう、というところで生でガンガン食うのである。
それで当たったら仕方ない。
いや、それ以前に人間の体はそんなにヤワじゃない。
さすがに病気などで抵抗力が弱っている時に疑わしい物を食えば食中毒の確立はぐんと高まるだろう。
でも普通に健康だったら、多少の菌は体の方でなんとかしてくれる。
ましてや、我が家のようなニワトリも健康という飼い方をしていれば確立だって低くなるだろう。
全く科学的でないし、実際にサルモネラ菌があるのかどうか調べたことなどないし、これからも調べる気もない。
でも、うちの卵は安全だと僕は信じる。
その確信とは自分の行動から来るものだ。
それを、なんだ?ワクチンやってないから危ねえだ?海外の卵は危ねえだと?
ふざけんじゃねえぞ、このすっとこどっこい!
手前が食わないのは勝手だが、自分で何も行動を起こさずにあーだこーだいう了見が気に入らねえ。
手前みてえのは血も涙もねえ丸太ん棒みてえなヤツだぁ!呆助ちんけぇとう株っかじりぃ、この芋っ堀りめぇ。
でけえ面するない、黙って聞いてりゃ増長しやがって御託が過ぎらあ。
こちとらでけえ声は地声なんでぇ、まだまだまだまだせり上がらぁ。
この蛸の頭にすっぱらべっちょにあんにゃもんにゃ、そいからオマケにウマの骨にウシの骨、ひょうたんボックリコォ。
うちのヤツらはそんじょそこらのニワトリさんとはニワトリさんの出来が違うんでぇ。
分かったら味噌汁で顔洗って出直して来やがれぇ!!!!



ああ、すっきりした。
なんか、今、一瞬だけ聖笑師匠が降りて来たようだったな。
結局のところは食いたきゃ食えばいいってことだし、自分が危ないと思えば食わなきゃいいだけの話だ。
そうは言うものの、うちの卵だって100%安全ではない。
だいたい100%の安全などというものはない。
そもそも安全というものはどういうことだ。
それは誰かがお墨付きをするものなのか?
人が安全と言えば、安全なのか?
そこに大きな勘違いがある。
例えば賞味期限というもの。
あれだって賞味期限を過ぎても食べられる物はいくらでもある。
僕の友人の話だが、彼の家は田舎のよろず屋で食卓には常に店の売れ残りのものがあったと言う。
賞味期限切れの物なのだが、各自が食べる時にそれの匂いを嗅いで、食べれるものを食べるというのがその家のやり方なんだそうな。
だから賞味期限なんて、あってないようなものだとヤツは言った。
ふうむ、家庭内で自己責任か、すごいな。
今の世の中、賞味期限の内だったら、まあどんなものでも食べられるだろう。
ただし『食べられる物』と『美味い物』は違う。
やっぱり新鮮な物は美味い。美味いし、安全だと思う。
生卵万歳人生はまだこれからも続く。



でも全く逆の話で、古い方が良いというものもある。
発酵食品である。
発酵食品と一口に言っても、納豆 漬物といった食品から、チーズ ヨーグルトと言った乳製品、僕の大好きな酒類、味噌 醤油といった調味料に至るまでものすごい種類がある。
共通しているのは菌の力によって出来上がるということだ。
その物や菌の種類によって発酵の温度や期間が変わるし、保存の期間も変わる。
1日で出来るものから、数か月、果ては何年というものまで、まさしく多岐多様なのである。
腐ってダメになるものもあるし、いつまでも腐らないものもある。
腐らない物の代表格が味噌であろう。
味噌は発酵の期間や材料によって味が変わる。
今やニュージーランドでも本物の味噌が手に入る。
僕の友達のゴーティー(トーマスと共通の友達でもある)がネルソンで味噌屋をやっている。
天然塩とオーガニックの大豆で作る味噌は絶品で、我が家では常にこの味噌を使っている。
一度だけ味噌を作ったこともあり、その時は旨い味噌が出来たのが、その手間やコストなどを考えると友の造る味噌を買った方が良いという結論に達した。
自分でやってみるのは良いことだが、自分一人でやる事にも限りがある。
今では味噌造りはあきらめて、お金を払って味噌を買っている。
自分が納得のいくお金の使い方だと思う。
この味噌のパッケージに製造日と賞味期限が書いてある。
賞味期限は1年ぐらいという表記だが、味噌には賞味期限などない。
前にまとめて買った味噌を何年か放っておいたら発酵が進んで見事な赤味噌になった。
これはパッケージの中でも菌が生きているからであって、常温では発酵が進む。
そのまま発酵を進めると色は黒っぽくなっていくので、ほどほどのところで冷蔵庫へしまうと発酵は止まる。
味は見事なぐらい最初の物とは違う、独特の赤味噌風味で別の製品として売れるだろう。
家ではこの合わせ味噌で味噌汁を作っているが、二つの味噌を合わせる合わせ味噌なんてものも考えてみれば和食のテクニックだな。
もともと味噌には賞味期限なぞないのだが、こちらではそれを理解してもらうのが難しいようで、ゴーティーもまあ仕方なく賞味期限をパッケージに載せたようだ。
それより今の現代人に欠けているのは『食べ物も生き物だ』という心ではなかろうか。
生きている味噌だからこそ常温で発酵が進み独特の味が出る。
生きているものだからカビ菌が繁殖して食べられなくなるものもある。
菌というものがあればこそ発酵ができるのだ。
人間の体の中だっておびただしい数の菌が生きている。
その菌を極度に恐れおののき、殺菌、抗菌、除菌といった名前の商品が売れている。
なあ、そろそろ菌を悪者扱いするのやめないか?
そりゃ中には人の健康を害するものだってあるが、ほとんどのものは人畜無害だし、有効利用できるものだって多い。
菌は目に見えないので『生き物』という感覚はないが、部屋の隅でビール作りの樽がコポコポと音を立てているのを聞くと、ああ生きてるなあと愛おしく感じるのだ。



さてその菌を利用した発酵食品の数は100を超える。
納豆、ヨーグルト、味噌、醤油、アルコール類、パン、漬物はもちろん、「え?こんなものまで」と思う物もある。
紅茶、鰹節、醸造酢、アンチョビ、タバスコ、カカオ、ナタデココ、も発酵食品の仲間らしい。
僕が最近作り始めた発酵食品は黒にんにく。
これが体に良いらしい。
「体に良い」という言葉は、テレビでみのもんたがその言葉を使うと次の日にスーパーからその物がなくなるという魔法の言葉である。
その裏には潜在的に病気に対する恐怖、不安、怯え、といった想いがあり、またその魔法の言葉を利用しているのが今の社会だが、その話を始めるとキリがなくなるので話を元に戻して黒にんにく。
この効果たるものすさまじい。
疲労回復・風邪予防・血液サラサラ・精力アップ・がん予防改善・生活習慣病予防・アレルギー(花粉症・ぜんそく・アトピー)改善・高血圧・動脈硬化・夏バテ・美肌・アンチエイジング(老化防止)・便秘解消・冷え症の改善・ダイエット・うつ病・気力UP。
いや、もうこれさえあれば医者も病院も薬もいらないじゃん、というぐらいの代物である。
そんな医学会、病院、製薬会社、健康サプリメント産業その他もろもろの存在を脅かすような食べ物を作ってしまったのだが、これが絶妙に美味いのである。
体にいいから、と言って不味い物をガマンして食べるのは何か違うと思う。
体にいい物は美味い、と同時に、美味い物は体に悪い。
矛盾しているように聞こえるが、どちらも真実だ。
僕は体に良くても不味い物を食べたくない。
この黒にんにくは味付けなど一切せずに保温発酵させたものだが、プルーンに似た甘さと酸っぱさがある。
家では毎年にんにくを何百株も作るので、これならばすべてを有効利用できる。
ただしどんな上手い話にも落とし穴はある。
この黒にんにくが出来て美味かったものだからパクパク食べたら、おならが臭いこと臭いこと。
毒ガス製造人間に変身してしまった。
あの独特のゆで卵のような、温泉の硫黄のような、あの匂いである。
臭いことは臭いのだが、自分の匂いというのは不思議と我慢できるものである。
布団の中でして、ちょっとパタパタするとムワっと来るあの匂いを嗅いで、よしよしなどと思ってしまう。
不思議なもので自分の臭さは我慢できるというか、どちらかと言えば好きなのだが、他人のそれは我慢できない。
例え親子で血が繋がっていようが、嫌だ。
親子でも嫌なのだから、もともとの他人である僕の奥さんの苦悩たるや計り知れない。
次の日、黒にんにくを入れた容器に『食べすぎキケン』という女房が描いた絵が張られた。
食の安全とはなかなかに難しいものである。








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カルチャーショック

2016-10-20 | 
家の近く、わりとよく通る道に気になるレストランがあった。
看板にはアフガニスタンと書いてある。
アフガニスタン料理?聞いたことがないな。
たぶんイスラム系の食べ物なんだろうなという想像はできた。
この店がぱっとしない外観で、あまり目立つわけでもない。
それでも町の中の幹線道路沿いに何年も前から存在し続けるということはそれなりに人気があるのかなどと、そこを通る度に考えていた。
「あそこのレストラン、美味しいらしいよ」
という情報をどこからともなく女房が持ってきて、それならいつかテイクアウェイでもしてみるか、と思って数ヶ月。
冬の忙しい最中、僕も女房も仕事で帰りが遅く晩飯を作るのが面倒くさいという時に、娘と二人でその店に行ってみた。

週末の夕方とあって店内はけっこうな賑わいぶりで、テーブルも何席かあるのだが半分ぐらいは埋まっている。
入り口にはテイクアウェイの人が何人か待っている様子。
カウンターの中ではイスラム系のオヤジが一人で忙しそうに働いている。
他に店員は見当たらない。
しばらく待たされそうだな、これは。
「なあ、あきらめて別の店に行こうか」と僕。
「きっと美味しいよ。ちょっと待っても買っていこうよ」と娘。
「そうか、そうだな」
老いては子に従え、ではないが娘の言うとおりに待つことにした。
店の入り口には立て看板にメニューが10ぐらい、チキンだのラムだのが書いてある。
良く分からないのだが娘と相談して、3つその中から適当に選んで順番を待った。
そうしているうちに、僕らの後ろからも行列が出来て、さらに店内で食べる人も来てテーブルも満席になった。
これだけ混雑しているのに、相変わらずオヤジが一人でバタバタと働いている。
オヤジが僕らに聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
「え?俺たちは二人だけど、注文したいのはこのメニューの4番と5番と8番で・・・」
ということを言ったのだが親父はもう一度
「ハウメニ ピーポー」
「だから4番と5番と8番を注文したい」
親父は首を横に振ると僕の後ろの人に聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
後ろの人はツーとかスリーとかワンとか言い、親父は僕らを無視して調理を続けた。
なんなんだここは一体?
近くで待っていた常連らしきインド人が笑顔で言った。
「ここはそういう店じゃないから」
「そういう店じゃないって?」
「まあまあ大丈夫だから、待ってみなよ」
相変わらず親父は忙しそうに働いている。
焼き物のコーナーでは大串に刺された鳥とラムが時折炎を上げながら焼かれている。
その面倒を見ながら、ライス、サラダ、カレーを盛り付けて、テーブルの客を呼ぶ。
客の方も心得たもので、アフガニスタン語か何か分からない言葉でやり取りをしながら、それを受け取り自分のテーブルへ運ぶ。
そして、その客が他のテーブルに座った白人の客にも料理を運んだりしている。
どうやらここはメニューは一種類。
ラムとチキンの串焼き、チキンのオーブン焼き、サラダ、ライス、カレー。
これを人数分に出すようだ。
料金は一人一律20ドル。
テイクアウェイとしては高いが、とにかく量が多い。
そうか、そういうことか、なるほどな。
親父は僕らの方は全く見ないで、てきぱきと働き続ける。
雰囲気は頑固親父で「うちは一見さんはお断りだよ、全く分け分からんヤツが来やがって」そんなオーラさえ出てると思うのは考えすぎか。
このまま無視され続けたらどうしよう、と心配になる頃、やっと僕らの方を見て言った。
「ハウメニ ピーポー」
「お忙しい所、誠に恐れ入りますが、3人分包んでいただけませんでしょうか?」
とは言わないがそんな気持ちで「スリー」と言った。
親父はニヤっと笑い「ラム、チキン、オーケー?」
「オーケー、オーケー」
てきぱきと3人分包み料金は60ドル。
現金を無造作にジーンズの尻ポケットに突っ込むと、笑顔でサンキューと言い握手をした。
ふう、こんな店があるんだなあ。



家に帰ってから、さあ晩飯だ。
まずは鳥肉の焼き物、強火で焙るように焼いた鳥肉はスパイスが効きすぎず、シンプルに美味い。
ラムも同じく、羊臭さをあまり感じさせず、かといってスパイスが強すぎもせず美味い。
ご飯はインド料理のそれより長細いヤツだが、ふっくらと炊けていて、しかもスープで炊いてあるんだろう、うっすらと味がついている。
そしてもう一つの鳥の焼き物はオーブン焼きなのだが、これまたジューシーで表面は香ばしく絶品。
インドのタンドリチキンにちょっと似ている。
さらにカレーもついていて、このカレーがインド風のカレーとも違い、シンプルに美味い。
このカレーとご飯の組み合わせも最高。
とにかく全てが美味いのだ。
味を文で表現するのは難しいのだが、インドと中近東の間ぐらいの香辛料の具合か。
地理的にもたぶんその辺りに位置するのだろう。
中央アジアと言うんだろうな。
昔、中国を旅した時にシルクロードを奥へ奥へ行き、たどりついたのがパキスタンとの国境にある街だった。
そこは政治的には中国なのだが、地域も社会も文化もイスラムのそれで、ここが中国と言うことの方がおかしい、そんな印象を持った。
ふとそんな中央アジアを思い出させるような、そんな味がした。

その晩は3人分を頼んだのだが、とても3人では食いきらない量である。
日本だったら6人分だろうな、きっと。
我が家は大食いの類だが、お腹がペコペコだったのに食いきれず次の日に残った。
これで一人20ドルは決して高くない。
この味でこの量、なるほどな、パッとしない外観の店がつぶれずに繁盛しているわけだ。
それよりなにより、店の入り口にあるメニューの意味は一体・・・。
「うちはそういう店じゃないから、文句があるなら他所へ行きな」
なんてことは言わないだろうが、メニューはあれど客に選択の余地無し。
アメリカでは客により多く選択を与えるのが良いサービスと言う考えがあるそうな。
確かにサブウェイでサンドイッチを買うと良く分かる。
サンドイッチの中身を選んで、パンの種類を選んで、チーズの種類を選んで、それを焼くか焼かないか選んで、サラダの中身を選んで、ドレッシングを選んで、最後に塩コショウをふるかどうか選ぶ。
僕も今でこそ慣れたが、最初は慣れなかったし、僕の周りにはどうやって買えばいいのか分からないので買ったことが無いという人がいる。
選択恐怖症というものがあるのかないのか分からないけど、そういう人は買えない。
まあサブウェイを食べなくても日常生活には全く支障をきたさないからどうでもいいんだけど、その面倒くさいシステムがアメリカっぽいとも言える。
その考えと全く正反対、客に選択の余地を与えず、「これが美味いんだから黙ってこれを食え!」というノリのこの店。
なんか日本の頑固親父に共通するものがあるようで、僕は大いに好きになってしまった。
これで不味ければ話にもならないのだが、美味いのだから文句もない。
ニュージーランドは西洋の社会に入るのだが、その中でアメリカ資本主義への反骨精神。
そういえばアフガニスタンはアメリカと旧ソ連の間でボロボロにされた国だな。
そういったこと全て含めて、僕にはカルチャーショックだった。
自分が昔住んでいた家から歩いて5分ぐらいの場所に、そんな店があったなんて。
こういう発見があるから人生は楽しい。
ついでに言えば、このブログのために写真を撮ったのだが、この看板。
真ん中のピラミッドやらスフィンクスやらって・・・エジプトだよな。
それにこのAFGHANの文字だけ字体が違うぞ。
もともとエジプト料理で、そこだけ後から書き替えたのかも。
そのいい加減なノリも美味けりゃOK。
何はともあれこのお店、クライストチャーチに来た折にはぜひとも行って、4番と5番と8番を注文していただきたい。



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ビール酵母と過ごす日々。

2016-02-25 | 
家族がクィーンズタウンに来た時に、ビールの瓶詰め作業を手伝ってもらった。
女房はたまにビールを飲むが、娘はまだビールの旨さが分からない。
それなのにこんなことをやらされて不平もあるかもしれないが、僕は家族総出の仕事が好きなのだ。
「お前、キャップにPAって書いていってくれ」
PAとはペールエールの頭文字。
いろいろな種類のビールを作ると何がなんだか分からなくなるのでキャップに書くのだ。
黒ビールならスタウトでST。
前回作ったのはブロンズピルスナーでBPだった。
「どうせなら色色な字体で書こうっと」
娘が言った。
おお、そういうアイデアはいいな。



そうやってできたペールエールが30本。
なかなか良い出来で今のフラットの仲間にも好評。
あっという間に半分を消費した。
空き瓶も増えてきたので次回のバッチを作ることにした。
今までは友達のタンクを使わせてもらっていたが、今回からは自分のタンクを購入。
みんなはプラスチック製の物だが、僕は奮発してステンレス製のタンクを買った。
これはスターターキットで、容器を始め、ビール作りに必要な全ての器材、一回分のビールの素、全て込み。
給料が入った次の日にお店へ行って買った。
毎度あり~チーン。



そして同居人のノボルに手伝わせビール作り。
タンクの上には空気を抜くものがあり、作り始めるとすぐにコポコポと音を立て始めた。
僕はこの音を聞くのが好きだ。
タンクの中で酵母が発酵して息をしている。
そうやって美味しいビールを作ってくれる。
そう思うと愛おしくて愛おしくて、思わずタンクに頬ずりをしたくなってしまう。
まるで変態だな。
まあ、さすがに頬ずりはしないが、両手をタンクに当てたりする。
気まぐれにコポコポ空気が抜け、ビールの香ばしい匂いがするのだ。
これは楽しいぞ。



自分が食べる物、飲む物を自分で作る喜び。
これはやった者にしか分からない歓びである。
そんなことが気軽にできる環境、ニュージーランド万歳だ。
そういえば女房がこの前梅酒を作っていたなあ。
あれもそろそろ飲み頃じゃあないか。
親友トーマスはビール作りで飽き足らず、プラムワインなぞ作っている。
本人がやる気になれば何でもできる国。
そんな場所でも何もしないヤツもいる。
何もしないヤツを僕は責めない。
それはその人が選んだ道だ。
どこまで本気でやるかは本人次第。
無理なく自分ができる事をやっていこう。
次は今のビールの瓶詰め作業。
そして2週間後には美味しいラガービールが飲めるだろう。

人生は楽し。




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ああ、日本酒のいい香りが・・・

2015-12-23 | 
僕の所属するタンケンツアーズはガイド会社でボスは3人なのだが、この人達が面白い。
大男のクレイグは天真爛漫、細かい事にこだわらず豪快。ボスと呼ばれるのを嫌う。
対してデイビッドは繊細で細かく、日本人の僕よりも日本人っぽいかもしれない。
リチャードはその中間ぐらいで3人でうまくバランスが取れている。
ボス達はどんどん新しいことをやる人達で、ハイキングガイドや本の出版だけでは飽き足らず、今度は日本酒作りが始まった。
去年から内密にと念を押され話は聞いていたが、今シーズンはオフィスを街中から町外れに移し、隣接する倉庫でデイビッドが主になり日本酒を作っている。
こういうことは大雑把なクレイグではダメだろうな。
わりと細かくきっちりとやるデイビッドの性にあっているのかもしれない。



1日の仕事が終わり、オフィスへ戻ると、日本酒のいい香りがプーンと漂っている。
デイビッドが手招きして酒蔵へ僕を呼ぶ。
できたて、しぼりたての日本酒の試飲だ。
僕が好きなのは新潟の酒なのだが、それには及ばないものの、素人が作ったにしては上出来。
大手メーカーの混ざり物だらけの酒より、よっぽど美味い。
ただ樽ごとに出来不出来があるので、どれがいいか試飲をするわけだ。
中には不味くて飲めないようなものもあったが、最近は品質も安定しつつある。
味は端麗辛口、香りがとても良い。



名前は『全黒』。
全黒って、あーた、オールブラックスですか?
それって・・・うーむ。
ニュージーランドっぽいと言えばそうだが、うーむ・・・。
でも地元のレストランに置くならこの名前は受けるだろうな。
日本酒を趣味で作る話は聞いたことがあるが、公にはニュージーランド初の酒蔵。
それも昔ながらのやり方で当然無添加の純米酒。



さすがうちのボス。
面白そうと思うことはどんどんやる。
それがニュージーランド流。
誰もやらない事はやったもの勝ちである。
そんなわけでメイドインクィーンズタウンの『全黒』どうなりますやら。
蔵出し間近、乞うご期待。

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