あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

7月28日 Porters

2021-07-28 | 最新雪情報
学校の冬休みが終わり、落ち着いたところで雪が降った。
新雪15cmは、雪不足で悩んでいるスキー場には救いの手だ。
だがそれでも例年よりは雪は少なく、ビッグママもブラフフェイスもオープンはしばらく先だろう。
個人的には今年初のパウダー。
まだシーズン始まったばかりなので岩を踏まないように慎重に、でも気持ちいい〜。
ブロークンリバーもオープンにはもうひと降り欲しいところだが、次の降雪はいつかなぁ。


山頂付近は雪質も良く、ベースもしっかりできている。皆が最初に滑るのがここだ。


自分達が滑った跡を見ながらTバーリフトで登る。ここの雪質はクラスト・・・1回滑ればいいかなぁ。


旧友ブラウニーと同行、お昼時の一コマ。


ここの雪は・・・美味しかったです。


クライストチャーチも快晴。


こちら側の雪は日当たりが良すぎるので重いのだ。
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7月21日 Porters

2021-07-25 | 最新雪情報
去年に引き続き、今年も雪不足なのだがポーターズはなんとかオープンした。
学校の冬休みとあって、子供連れの家族が多い。
この日は僕の誕生日であり、その日が今年の初滑り。
天気はイマイチだったが、今年もまた山に来てスキーができるということが喜びなのだ。
ちなみにこの後で嵐が来て15cmほどの新雪があったようだ。
僕は残念ながらその時は逃してしまった。
我らがブロークンリバーはまだオープンできない。


スキー場下部は人工雪でコースも1本のみ。


上部は雪も多い。雪質もまずまず。


今年もまたこの景色の中に身を置くことができた。ありがたやありがたや。


スクールホリデー真っ只中。お客さんはウェリントン在住、ブラジル人の親子。初スキーを楽しんでいた。


友達のサムの息子 ワタルが来ていたので何本か一緒に滑った。
たまにはこういうのもいいかな。
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想像と違う着地点

2021-07-19 | 日記
もう何年も前からだが、近い将来の事が目に浮かぶことがある。
例えば来週やるイベントで、ギターを弾いて歌うことが決まっている。
その時の観客の様子、そして自分が喋る内容、歌う歌、それをした時の場の空気。
そういったことがまるで現実のように、情景が心に浮かぶ。
夢を見ていて起きた瞬間は、すごくリアル感を伴って細部を思い出すことができる。
そんな具合だが夢と違う点は、寝ていないで起きていてそれが見えることだ。
見えるというか心に浮かぶというか、白昼夢という言葉があてはまるのだと思う。
そしてこれまた面白いことに、その時が来ると白昼夢のようにはならない。
あれだけリアルに想像できたことが、現実では違うことになる。
そんなことが何回も繰り返し起こるので、最近ではそれを知りながら白昼夢を楽しんでいる。

この白昼夢に最初に気がついたのはクライストチャーチの大地震の後だった。
地震がありツアーは全てキャンセルになり仕事が完全に無くなった。
その時に見た白昼夢は忘れられない。
地震の後で日本からマスコミが来て、仕事が無くなった現地のガイドをドライバーとして雇った。
僕も数人のグループに雇われ、取材のドライバーをした。
ところがそいつらが無理難題を吹っ掛け、立ち入り禁止の所へ入っていけとか、地震で困っている人達に無神経なインタビューをする。
あまりの傍若無人さに僕はキレた。
「お前ら、いい加減にしろ!この大馬鹿野郎」
そう言い放つと、そいつらを車に乗せたまま、車のキーを抜き取り、奴らを置き去りにして家に帰ってしまった。
その車のキーをポケットに入れた感触まで残るような、生々しい白昼夢だった。
幸いなことにそういうやつらとのご縁は無く、現実でそういった仕事をすることはなかった。
だが後から聞いた話だと、実際に雇われた人達はそうとう嫌な思いをしたらしい。
その時のイメージは強烈で今でも忘れられない。

それから10年という年月が流れた。
時々思い出したように白昼夢が心に浮かび、イメージはイメージのままで実現すること無く、日々の暮らしを送っている。
その白昼夢はパラレルワールドの自分なのではないかと最近は感じる。
この宇宙というものは幾つもの薄い膜の重なりあいから成り立っていて、今僕らの生きている世界もその薄い膜の中にある。
幾つもの膜にはこの世界ととても似ている世界が存在する。
それをパラレルワールドと呼ぶ。
どこぞの偉い学者さんが言っていたことで、僕だけの妄想ではない。
妄想ではないが、それを証明して見せてみろ、と言われてもできない。
まあそんなことはどうでもいいが、そのパラレルワールドの自分を見ているのだと漠然と感じるわけだ。
そして自分の身に起こる現実は予想もできない事が起こる。
白昼夢のような鮮明なイメージではなく、もっと漠然とした、例えば霧の中でイメージがボンヤリ浮かびあがるような感じか。
そのことを忘れた時に降って湧いたように、ある事柄が起こる。
それは大きな社会の変革もそうだし、個人的な身の回りの物事もそうだ。
この予想ができないところで起こる出来事がある、というので人生は面白いなあと思うわけだ。

歴史を勉強して学んだ事だが、全ての物事は当事者の想像がつかない落とし所に行き着くのだろう。
例えばある人がAという事を起こす。
その事によりBという事件になり、それが元でCという結果になる。
何年も時が流れCからDへそしてEが起こりFとなる。
さらに時が流れるとGが生まれHそしてJが起こりKに落ち着く。
歴史とはそういう繰り返しなんだろうと思う。
最初にAを事を起こした人が想像したのはBからCぐらいまでかもしれない。
そのずーっと先のGHJといった事は考えていなかっただろう。
ひょっとするとその人が夢見ていたものはAからΒではなく、AからΩかもしれないし、Aから♬かもしれない。
その事によって本人が考えていたのと全く違う着地点になった、という事が歴史ではよくある。
AからBそしてCへ行く事でその周りにいる人々を救ったが、そのはるか先のSとかTになった時に多くの人を苦しめた。
そんなこともきっとあるだろう。
短期的に見て良いことが長期的には悪となる、もちろんその逆もある。
そういったことを考えると、善悪の判断というのは簡単にはできなくなる。
人から物を奪い殺す、という行為は今の世では悪だが、戦国時代では当たり前の事だ。

とことん大切なのは自分の物差しで人を計らないことだ。
自分の常識は他人の常識ではない。
これはみんな分かっているようで実は分かっていない事が多いぞ。
みんな違ってみんな良い、という言葉が小学校の教科書にも出てくる。
確かにおっしゃる通りだよ、何も間違っていないし、それは真理でもある。
でも本当に分かっているのか?
他人との常識の違いを理解するには、自分を理解しなくてはならない。
それには徹底した内観、自分の内側を見つめることが必要となる。
誰しも自分の内側の嫌な部分から目を背けたいものだが、その嫌な所や暗い闇を照らす覚悟が要る。
自分自身でさえ第三者の目で見る、ゴルゴ13のように。
そうすると他人と自分の関係を俯瞰して見ることができる。
自分と相手の関係とは二人だけの話ではなく、それを取り巻く社会や歴史も含まれる。
それら全てを踏まえた上で、相手の価値観や常識を理解して接する。
こういうことなのだと思う。

また当たり前の話だが、人間とは同意を求めて生きる生き物である。
自分が美味いと思う物を相手が美味いと言えば嬉しい。
自分が赤だと言ってる物を相手が黒だと言えば、「何言ってるんだこいつは」となる。
自分が正しいと思ったことを相手が正しいと思えば嬉しい。
「98%はそうだけどあと2%は違うんんだよなあ。でもこの際それは問題じゃないので同意しようか」
実際はそんな擦り合わせをしながら社会は出来ていくのだと思う。
みんな違ってみんな良し、同意したいされたい、この二つの間を行ったり来たりしながら生きるのが人間なのか。
最初はこんな話を書くつもりじゃなかったんだけどなあ。
自分が想像したのと違う着地点がこれだということでオチにしょう。

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分かれば分かるほどに何も分からない事が分かった。

2021-07-10 | 日記
世の中では色々な事が起こっているが、そんな事知らん、というように季節は移る。
秋が深まったなどと風流な事を言っていたと思ったらあっというまに冬至が過ぎ、冬になった。
歳を取ると時間の流れが速く感じる、という話を聞いた事があるが的を得ているものだ。
この時間の流れの感じ方は加速するらしく、爺いになればなるほど速く感じるそうだ。
それはそれで楽しみでもある。
時が流れ冬になったが、今年も又、雪不足・・・。
大手のスキー場はオープンしたが、僕が行く小さなスキー場はオープンできない。
若い時はこういう状況にやきもきもしたが、最近は悟ったというか諦めたというか、開き直りのような気持ち。
自暴自棄とか無気力ではなく全てを受け入れる、なすがままにしなさいという、あの歌の如くの毎日である。

毎日の楽しみはラベンダー畑で働きながら、コテンラジオで歴史を学ぶことだ。
最終学歴が工業高校ということで、世界史というものは全く勉強したことがなかった。
日本史は嫌いだったが中学校で勉強したので、貴族社会から武家社会を経て戦国時代、江戸時代、明治維新といった流れは知っていた。
だが世界史なんてものは、はるか遠い過去の出来事で、今までの人生において全く接点が無かった。
ヨーロッパへ行けば嫌でも歴史的建造物を目にすることもあるだろうが、僕はヨーロッパに行ったことがない。
ニュージーランドの歴史はある程度知っているが、この国は世界史に大きな影響を与えていない。
「そんな昔の人が何をしたなんて知るかよ。今の俺らに関係ねーよ」
そこまでやさぐれていないが、無知、無学、無教養、無関心の僕が世界史にハマりにハマった。
世界史にと言うより、コテンラジオで聴く世界史にハマった。
これが1862年に誰が何をした、というように教科書のような話だったら嫌になるだろう。
だが彼らの話では細かい年号は一切出さず、考え方として大まかな年代ぐらいだ。
そして何よりその当時の時代背景そして社会構造を重要視している。
アレキサンダー大王から始まり、ローマ帝国、オスマントルコ帝国、宗教革命、アメリカ開拓史、フランス革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦。
通して聴いてみると、ナルホド全てが複雑に繋がって現代に至っている。
そして所々に出てくる豆知識などで目が覚めるような話もある。

例えば第一次世界大戦でテクノロジーが戦略を変えたというような話があった。
鉄道の発達により大量の部隊を前線に送ることが可能になったとか。
それまで石炭を燃やし水を沸騰させ蒸気の力を回転エネルギーにしていたのを、石油の発見により燃料を燃やし直接ピストンを動かす内燃機関の発明、その初代がベンツという人だったとか。
ベンツの歌を時々歌うが、ベンツってのは人の名前だったのか。
学校教育とは国家事業であり、当時の国家に都合の良い教育をしたとか、これは今も同じだな。
第一、学校というのは今の僕らにとって当たり前であり、それが国家事業なんて考えたことも無かった。
それが始まったのその頃であり、それまで民衆が意識していなかった愛国心をあおるようなものだったと。
これは日本でも同じことで、昔の国語の教科書は「ススメ、ススメ、兵隊さん」だった。
これを『良い』と『悪い』で判断しないことが大切なのである。
よく昔の出来事を『誰が愚かだった』『あの政策は間違いだった』などと批判する人がいる。
こういうのは後出しジャンケンみたいで気に入らない。
僕が歴史を通して学んだのは、時代背景と社会構造が今とは徹底的に違うということだ。
人はどうしても今の自分が持っている価値観で物事を判断しようとする。
それを外して考えるという、とても難しい作業が必要だ。
今の僕らの道徳では、「人を殺したり傷つけてはいけません」とか「人の物を盗んではいけません」こういうのが基本で社会が成り立っている。
でもそういう考えが成り立たない時代や社会もあった。
その時の人々の心情は僕らには想像がつかない。
想像がつかないが、それでもそのことを知りつつ過去を見る。
そうする事によって、社会を俯瞰して見ることができる。
これが社会構造というやつだ。
そうすると同じようなパターンが時代や地域を超えて存在するのがわかる。
そのパターンは今の社会でもあちこちにあるし、個人レベルのいざこざでも存在する。
歴史を知ることにより、今の社会というものが見えてくるのである。
これは面白いぞ。
この歳になって、こういう形で学ぶ楽しさを知るとは思わなかったなあ。

この歴史の授業は1回の番組が30分ぐらいで、一つのテーマが長いものだと10話以上になる。
10話だとしても5時間か。
喋るのも大変だろうが、聴く方も集中力が要る。
車の運転をしながら聞いていると、何かの拍子の時に話が飛んでしまうことがある。
まあ、それが正常な反応だろう。でないと危ないからね。
これがラベンダー畑なら瞬間的な身の危険は無いので、話が複雑になった時に手を止めて考えることができる。
一人で仕事をするから邪魔もされない。
基本的に仕事中はずーっと聞いているから、「今日はこの話」というように一つのテーマに没頭できる。
ガイドの仕事なら、こうはいかないな。
そんな具合に彼らのラジオを延べ時間で言えば100時間以上も聞いた。
こんなことが出来るのも技術の進化のおかげだ。
ありがたや、ありがたや。
歴史を学ぶことは、過去の偉人の考えを学ぶことでもある。
そうやって自分自身を磨き鍛え上げていくとどうなるか。
まず自分の思考が変わった。
今ある常識は昔の常識ではなく、自分の当たり前は他人の当たり前ではないことを思い知らされた。
そうやって不完全ながらも、自分を取り巻く社会さえも俯瞰的に見るようになるのだろう。
そしてそれがどんどん進めば、哲学につながっていくのだと思う。
知れば知るほどに、学べば学ぶほどに、何も分からないことが分かるのだ。
そしてまた、分からないからといって思考を停止させることなく、分からないままに分かろうとするのが人間というものであろう。
そう言えば「人間は考える葦である」とどこかの誰かが言ってたなあ。

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ワクワクする感じ

2021-07-05 | 日記
先日、ある友人とネット上でやり取りをした。
その人とは6年前に一度だけ会い、フェイスブック上で繋がりはあったもの、特に連絡をすることもない間柄だった。
ある事柄をきっかけに、その道のプロの話を聞きたくなり連絡をした。
ありがたいことに僕の事を覚えていてくれて、すぐに話が進んだ。
こういった事ができるのもネットのおかげだ。
歴史を勉強し始めて、あらためて気付いたことが数多くあるが、今回はネット上での人との繋がり。
これはほんの数十年の間の出来事なのだ。
前回の話で、こてんラジオの話を書いたが、そのシリーズの一環で人類のコミュニケーション史というものがあった。
『文字によって情報の記録と分析と計算ができるようになった』から始り『活版印刷というマスメディアの始まり』『電気通信により情報の伝達スピードが人間の移動速度を超える』などなど。
どう?ポイントだけでも面白そうでしょ?
フランス革命とか明治維新とか南北戦争とかミクロで見る歴史もあるが、大きな視点、マクロで見る歴史も実に興味深い。
もう一つのおすすめはお金の歴史。これも興味ある人は聴いてみてくだされ。
そのコミュニケーション史の最先端にあるのがインターネットの登場。
今ココ、というやつだな。
コテンラジオ曰く、文字の発達、マスメディア、電気通信に並ぶぐらい社会に大きな影響を与えているのがネットの普及だ。
僕の娘の世代ではすでに物心がついた時にはネットが普及していた。
それがない時代というのを知識で知っているが体験をしているわけではない。
だが僕らの世代は、「無い時」から始まり「出てきた時」そして「普及した時」さらに「浸透してそれなしの生活が考えられない時」全てを体験してきた。
それらを知りながら、その恩恵を受け、今を生きている。
そのおかげで、何年間も会っていなかった遠くに住む人との縁がつながった。
ふう、やっと戻ってきたな。
そうやって考えると人とのご縁というものも、その時代ごとの先端の技術によって繋がっているのだろう。
なんかまとめのような雰囲気になったが本題はここからだ。



彼とのメッセージのやり取りでこういう文があった。
「コロナ禍で大変なことになっていて不謹慎だけど、ちょっとだけワクワクします。」
ああ、分かるぅ、その気持ち。
何か分からないけど、ワクワクするような感じ。
大きな嵐が来るぞというニュースを聞いて、ちょっと怖いけどどんな感じになるのかあ、と思った子供心のような。
こういうのを大っぴらに言うとすぐに茶々を入れるヤツもいる。
「何て事言うんだこの非常事態に!こんな時こそみんなで力を合わせて頑張らなきゃいけないだろ。お前みたいなヤツがいるから全部をダメにするんだ。この非国民め」
そうやって古くは魔女狩り、新しいところでは太平洋戦争。
でも心の深いところではどちらも同じ。
怖れというものに支配され、大多数を味方に付け、自分を正当化して、相手(この場合ワクワクしている僕)を攻撃する。
要はワクワクしている人が気に入らない、それだけだ。
ここで勘違いされては困るのだが、人がバタバタ死ぬのを望んでいるわけでもない。
これを読んでいる人ではそう言う人はいないだろうが、世の中には人の上げ足を取る人も存在する。
「じゃあお前は人が死んでもいいと言うのか!お前の家族が死んでもエヘラエヘラ笑ってられるのか!死んだ人が可哀想だと思わないのか!それでも人間か!」
と言う人もいるかもしれない。
あー面倒くさ。そういう人とは付き合いたくないなあ。
そうではなくて、いまある状況を冷静に理解して、その上で自分がどうあるべきか、どう行動するのか判断する。
疫病の歴史で言えば中世のペストではヨーロッパの人口の3割ぐらいが死んだ。
イタリアのどこかでは6割も死んだ場所があったそうな。
その時は怖かっただろうな。
何故かわからないが家族友人がバタバタ死んでいくのだから。
冷静に今を見てみてどうだろう?
この疫病で何人ぐらい死んだのか?
身の周りで死んだ人がいるか?
死んだ人は寿命ではなかったのか?
人類は何を怖れ、何に怯えているのだろうか?

近頃は暗いニュースばかりで唯一明るいニュースといえば、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたことぐらいだ。
いや、それもまあどうかと思うが、社会が持っている先行きの見えない閉塞感というようなものは感じる。
歴史的にこんな時は、外側の世界を発見する旅に出たり、外側の敵と戦ったりしてきたのだろうな。
そうやってガス抜きをしながら、いろいろな事が起きた。
人類とは歴史とはそういうものだと思う。
小さな世界の中に閉じこもり小さな社会観の中に生きていると、考えも小さくなり大局的な物の見方ができなくなる。
僕も暗いニュースに振り回され、正直な話ワクワクする気持ちを忘れていた。
だが考え方を変えれば、とてつもなく大きな歴史上の出来事の中にいるのだ。
コロンブスが新大陸を発見した時とか、黒船が来航した時とか、そういうのに並ぶぐらいだと思う。
今までになかった事が起きた、常識だったものが常識で亡くなった。
歴史はその繰り返しだろう。
今がそれだ。
地球上で人間の移動が自由にできるようになり、それが一瞬で制限された。
人間の物理的移動は制限されたが、ネットにより情報だけは世界中で飛び交う事ができる。
こんな状態が今まであっただろうか?
僕らはそんな大革命の中で生きている。
そしてどの時代でも同じだが、その中で生きている人はそこからどうなっていくのかは分からない。
だ〜か〜ら〜 面白いじゃん。
分かっちゃったらつまらないでしょう。
それがワクワクするということだ。
恐怖に支配されず悲観的にならず。
悲観的な考え方からは新しい物や新しい事柄は産まれないからね。
最悪の事態に備えながらも楽観的に物事を考え、今の自分に出来る事をする。
ここで一休さんが弟子に残した最後の手紙を記す。

『大丈夫、心配するな。全てうまくいく』


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