先日、ある友人とネット上でやり取りをした。
その人とは6年前に一度だけ会い、フェイスブック上で繋がりはあったもの、特に連絡をすることもない間柄だった。
ある事柄をきっかけに、その道のプロの話を聞きたくなり連絡をした。
ありがたいことに僕の事を覚えていてくれて、すぐに話が進んだ。
こういった事ができるのもネットのおかげだ。
歴史を勉強し始めて、あらためて気付いたことが数多くあるが、今回はネット上での人との繋がり。
これはほんの数十年の間の出来事なのだ。
前回の話で、こてんラジオの話を書いたが、そのシリーズの一環で人類のコミュニケーション史というものがあった。
『文字によって情報の記録と分析と計算ができるようになった』から始り『活版印刷というマスメディアの始まり』『電気通信により情報の伝達スピードが人間の移動速度を超える』などなど。
どう?ポイントだけでも面白そうでしょ?
フランス革命とか明治維新とか南北戦争とかミクロで見る歴史もあるが、大きな視点、マクロで見る歴史も実に興味深い。
もう一つのおすすめはお金の歴史。これも興味ある人は聴いてみてくだされ。
そのコミュニケーション史の最先端にあるのがインターネットの登場。
今ココ、というやつだな。
コテンラジオ曰く、文字の発達、マスメディア、電気通信に並ぶぐらい社会に大きな影響を与えているのがネットの普及だ。
僕の娘の世代ではすでに物心がついた時にはネットが普及していた。
それがない時代というのを知識で知っているが体験をしているわけではない。
だが僕らの世代は、「無い時」から始まり「出てきた時」そして「普及した時」さらに「浸透してそれなしの生活が考えられない時」全てを体験してきた。
それらを知りながら、その恩恵を受け、今を生きている。
そのおかげで、何年間も会っていなかった遠くに住む人との縁がつながった。
ふう、やっと戻ってきたな。
そうやって考えると人とのご縁というものも、その時代ごとの先端の技術によって繋がっているのだろう。
なんかまとめのような雰囲気になったが本題はここからだ。
彼とのメッセージのやり取りでこういう文があった。
「コロナ禍で大変なことになっていて不謹慎だけど、ちょっとだけワクワクします。」
ああ、分かるぅ、その気持ち。
何か分からないけど、ワクワクするような感じ。
大きな嵐が来るぞというニュースを聞いて、ちょっと怖いけどどんな感じになるのかあ、と思った子供心のような。
こういうのを大っぴらに言うとすぐに茶々を入れるヤツもいる。
「何て事言うんだこの非常事態に!こんな時こそみんなで力を合わせて頑張らなきゃいけないだろ。お前みたいなヤツがいるから全部をダメにするんだ。この非国民め」
そうやって古くは魔女狩り、新しいところでは太平洋戦争。
でも心の深いところではどちらも同じ。
怖れというものに支配され、大多数を味方に付け、自分を正当化して、相手(この場合ワクワクしている僕)を攻撃する。
要はワクワクしている人が気に入らない、それだけだ。
ここで勘違いされては困るのだが、人がバタバタ死ぬのを望んでいるわけでもない。
これを読んでいる人ではそう言う人はいないだろうが、世の中には人の上げ足を取る人も存在する。
「じゃあお前は人が死んでもいいと言うのか!お前の家族が死んでもエヘラエヘラ笑ってられるのか!死んだ人が可哀想だと思わないのか!それでも人間か!」
と言う人もいるかもしれない。
あー面倒くさ。そういう人とは付き合いたくないなあ。
そうではなくて、いまある状況を冷静に理解して、その上で自分がどうあるべきか、どう行動するのか判断する。
疫病の歴史で言えば中世のペストではヨーロッパの人口の3割ぐらいが死んだ。
イタリアのどこかでは6割も死んだ場所があったそうな。
その時は怖かっただろうな。
何故かわからないが家族友人がバタバタ死んでいくのだから。
冷静に今を見てみてどうだろう?
この疫病で何人ぐらい死んだのか?
身の周りで死んだ人がいるか?
死んだ人は寿命ではなかったのか?
人類は何を怖れ、何に怯えているのだろうか?
近頃は暗いニュースばかりで唯一明るいニュースといえば、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたことぐらいだ。
いや、それもまあどうかと思うが、社会が持っている先行きの見えない閉塞感というようなものは感じる。
歴史的にこんな時は、外側の世界を発見する旅に出たり、外側の敵と戦ったりしてきたのだろうな。
そうやってガス抜きをしながら、いろいろな事が起きた。
人類とは歴史とはそういうものだと思う。
小さな世界の中に閉じこもり小さな社会観の中に生きていると、考えも小さくなり大局的な物の見方ができなくなる。
僕も暗いニュースに振り回され、正直な話ワクワクする気持ちを忘れていた。
だが考え方を変えれば、とてつもなく大きな歴史上の出来事の中にいるのだ。
コロンブスが新大陸を発見した時とか、黒船が来航した時とか、そういうのに並ぶぐらいだと思う。
今までになかった事が起きた、常識だったものが常識で亡くなった。
歴史はその繰り返しだろう。
今がそれだ。
地球上で人間の移動が自由にできるようになり、それが一瞬で制限された。
人間の物理的移動は制限されたが、ネットにより情報だけは世界中で飛び交う事ができる。
こんな状態が今まであっただろうか?
僕らはそんな大革命の中で生きている。
そしてどの時代でも同じだが、その中で生きている人はそこからどうなっていくのかは分からない。
だ〜か〜ら〜 面白いじゃん。
分かっちゃったらつまらないでしょう。
それがワクワクするということだ。
恐怖に支配されず悲観的にならず。
悲観的な考え方からは新しい物や新しい事柄は産まれないからね。
最悪の事態に備えながらも楽観的に物事を考え、今の自分に出来る事をする。
ここで一休さんが弟子に残した最後の手紙を記す。
『大丈夫、心配するな。全てうまくいく』