あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

作る喜び

2015-01-05 | 
昨日仕込んだビールがコポコポと息をしている。
今回はドラフトビールにモツエカ産のホップを加えた。
どんな味になることやら。
前回仕込んだダークビールもそろそろ飲めるころだ。
ニュージーランドでは自分で飲む分なら自家製ビールを作ることが許されている。
街でもそういうのを専門に扱っている店もあり、それ用のキットも売っている。
さすがDIY、 do it yourselfの国だ。
というより自分で飲む分を自分で作ることが違法ということがそもそもおかしい。
アメリカでは家庭菜園で野菜を育て種を収穫するということが違法になるそうな。
庭でシソを作って、こぼれ種からそれを増やしている僕は犯罪者だ。
バカな世の中になったものだ。
幸いなことにニュージーランドではそんなバカげた話は出ない。
売れば違法だが、自分用にビールでもワインでも蒸留酒でも作れる。
僕も何故今までビールをやらなかったのだろう。
たぶんその時ではなかったのだろうな。
物事にはきっかけが必要でそれをタイミングと呼ぶ。
今年の夏は街中のフラットでタカとトモという若い夫婦と一緒に住んでいる。
タカはマッサージ師で日本では山伏だった。
僕の知らないことも知っており、深いところでいろいろと繋がっている。
そのタカがビール作りのキットを持っていて、作り方を習いながら自家製ビールを一緒にやっているわけだ。
樽から発酵した空気を抜くコポコポした音を聞いていると、ビールも生きているんだなあと思う。
「美味しいビールに育ってくださいね」
僕はビールに話しかける。
愛情がわく。
これぞ作る喜びなのだな。

そのビールの息づかいを聞きながら、鳥を捌く。
今晩のご飯は定番チキンライス。
これはタカとトモの結婚式の時に作っていったら大層喜ばれた。
トモは臨月で予定日は明日。
自宅出産をするということだが、未だ産まれる気配全くなし。
こんな時にフツーの人だったら心配でオロオロするのだろうが、トモはあっけらかんと散歩なぞしている。
母体が健康ということが大前提であり、自分の体調は自分が一番よく分かる。
予定はあくまで予定であり、いつ産まれるかどうかは赤ん坊が決める、というような考えを夫婦でもっているのが好ましい。
今日はトモのお母さんも出産に合わせ、日本からやってくる。
僕に出来ることといえば、美味しいご飯を作ってあげることぐらいか。
今日の仕事は午後に空港出迎えが一つあるだけなので、朝から鳥を捌きガラでスープを取る。
コツは丁寧に灰汁をとること。
澄んだスープでご飯を炊くのだ。
こういう作業は嫌いではない。
どちらかというと好きだ。
面倒くさいと思う時もたまにはあるが、楽しくストレス解消になることも多い。
好きなことをやり皆が喜んでくれる。
これぞ作る喜びであり、そういう作業を無心でやることが禅の教えでもある。
愛に基づく行動はそこに居合わす人が全て幸せになる。
誰も不幸せにならない。
ビールもここで生まれて幸せなんだろうな、とビールの息を聞きながら考えた。

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新年

2015-01-02 | 日記
年が明けた。
年というものは明けるものなのだな。
12月は怒涛のごとく過ぎ去り大晦日も夜まで働いたが正月はボス連中が働き僕は休みをもらえた。
なのでこうやってブログを書く時間もある。
さて今年は去年以上にいろいろな物事が起こるだろう。
想定外という言葉が流行ったが、想定できないから想定外なのである。
何が起こるか僕にもわからない。
分からないから面白いとも言える。
分かったらつまらないじゃないか。
面白いと書いたが楽しいことばかりではないぞ、大きな出来事でたくさんの命が失なわれることだろう。
ひょっとすると自分もそこに入るかもしれないが、そうなったらそうなったときのこと。
まだ来ぬ恐怖に怯えるのではなく、それが来たときに全力で対処するのだ。
今あるシステムの延長線上に明るい未来が見えない。
これは今まで何度も言っているが、年が明けた今もその気持ちは変わらない。
これをある人に話したところ、終末論ととらえられてしまった。
今の世に執着をしてなおかつ想像力のない人にはついていけない話だろう。
なぜその人に出会い、こんな話をしたのか分からないがたぶん二度と会うことはないだろう。
死を敗北ととらえ、表に出ている症状だけを見る対症医療に未来がないのと一緒で、目に見えるものだけを信じている限り明るい未来がないのである。
僕には見える。
争いのない世の中が。
全ての人がじぶんのやるべきことをやり、楽しく生きる世界が。
そこには飢えも渇きも貧困も差別も暴力も支配もない。
死はあるがそれを恐れることはない。
誰もが必要なものを必要なだけ手にいれることができる。
そんな世界を僕は見ている。
ただしそれには今のシステムをぶっ潰さなくてはならない。
大きな混乱もあるだろう。
脱皮に痛みはつきものだ。
どういう形でそれが来るのか。
それをワクワクしながら待っている自分がいる。
今年中にそれが来るのかどうか分からない。
ただ一瞬ごとに自分がやるべきことをやるだけ。
それだけである。
コメント (2)
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