あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

西と東の交わり 6

2013-05-25 | 
さてハンティングはこれで終わりではない。
肉をさばき、きれいにする作業がまだ残っている。
氷河ガイドのスタッフ寮が精肉工場になった。
毛皮がついているモモ肉の皮をはがし、肉についている毛をていねいに拭く。
次に骨から肉を取りはずす。
ここまではぶらさげてやるのだが筋を切る順番を間違うと地面に肉が落ちてしまう。
タイ曰く、肉に土がつくとそれを綺麗にするのが大変な作業なんだそうな。
肉のかたまりになったらそこからはキッチンでの作業。
肉から筋を外し、用途別に分ける。
ヒレ肉は筋をはずす。ここが一番旨い。
そしてモモ肉のステーキ用、ある程度の大きさの肉だ。
筋を切って一口サイズの肉はシチュー用。
筋と肉が混ざっている場所は挽き肉。
挽き肉を挽く機械だって手動。こういうシンプルな機械はいつまでも使える。
あとはすじ肉、ここは捨ててしまう部分だが、今回はココの餌だ。
この作業でたっぷり2時間。
タイが言った「スーパーでパックになっている肉を買うのがどんなに楽か」という言葉はこういうことだったのだ。
肉を4人で分けて一人4キロぐらいか。
蹄付きのスネの骨は斧でぶった切って犬のえさ用に僕がもらった。
いただいた命を無駄にしない、という教えはこれからの世界で最も重要な思考になるだろう。
そこには常に感謝の想いがある。
これにてハンティングの作業終了。
おつかれさまでした~。





タイの家へ戻る。
昨日家を出てから1日しか経っていないのだが、内容が濃いので何日も出かけたような気分だ。
雲はどんどん厚くなり、ポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
そろそろクライストチャーチの家に帰る時だな。
でももう一つやっておきたいことがある。
タイの家の周りは原生林でパンガと呼ばれる高さ5mぐらいのシダがたくさん生えている。
そのシダの倒木を庭の花壇用に切り出して持って帰りたいのだ。
西海岸だとそんな物はいくらでもあるが、クライストチャーチの園芸屋ではこれが売り物になっている。
遅めの昼飯をタイが作る間に、僕は茂みの中にゴソゴソ入りシダの倒木を切り出す。
ついでにシダの幼木もいくつかもらっていこう。
家の裏側、日当たりの悪いジメジメした所に原生のシダ庭園を造りたいと思っていたのだ。
ああ、またやることが増えてしまうな。
飯を食べて、荷物を車に積み込み出発の準備ができた頃、雨が本格的に降り始めた。
「タイよ、今回も本当にありがとう。お前みたいな友達を持って俺は幸せ者だ」
という用意してた言葉は言えなかった。
そんな言葉を言ったら涙があふれてしまう。
手を握ってありがとうと言うだけで涙がじわっとくるのだ。
心でつながりあった関係では余計な言葉は必要ない。
こうして僕は西海岸を後にした。
時間があったらグレイマウスの魚屋でカツオを買っていきたかったが、時間切れ。
又のお楽しみにしておこう。



クライストチャーチの家に帰ってくると犬のココが大喜びで出迎えてくれた。
さらに血の匂いがプンプンした肉の袋の匂いを嗅いで大興奮。
その場でぶった切った骨をあげたら、僕のことを見向きもしないで骨にかぶりついていた。
翌日、友達のマサさんを家に呼んで、シャミーの味見をしてもらった。
彼はシェフで最近良く遊ぶ友達である。この人も面白い人で話が一つぐらい書けてしまうぐらいだ。
以前は家のニワトリを絞めた時に、僕は食べられなかったので彼に持って帰ってもらい食べてもらった。
感想は「鍛え抜かれたアスリートのような味」だったそうな。
命をいただきます、というところでつながっている友人、そしてプロの料理人に味見をしてもらって、自分では考えられないような新しい味が欲しかったのだ。
「よく臭い肉には臭い物、例えばブルーチーズなんかでソースを作ったりもするんだけどね」
「まあ、何はともあれ食べてみてよ」
最初は肉の味を知ってもらうために軽-く塩を降ってさっと外側だけ焼いた肉。
「あれ、全然臭くないじゃん。俺は山のヤギのような動物っていうから、獣臭さがあるかなと思ったんだけどね」
「そうなんだよね。次は醤油で」
「お、こりゃ旨いなあ。これなら醤油で充分じゃないの」
そんな感じで2人でワイワイとやるのも、また楽し。
その日は彼に持って帰ってもらい、家で試してもらった。
僕が作ったのはシャミーのモモ肉モロッコ風ステーキ。
塩コショウ、ターメリック、ナツメグ、摩り下ろしにんにく、燻製パプリカに漬け込んだ。
旨かったが焼きすぎると固くなるということにも気が付いた。
シチュー用の肉はトマトと赤ワイン、家の香味野菜と一緒にじっくり煮込んだ。
これまた美味。
ヒレ肉も試しに塩麹に漬けてみたが、これもまた良し。
そうやって友達に配ったりしたら、もらった肉があっというまになくなった。
僕はそれでいいと思う。
旨いものはみんなで。
物でもなんでも奪い合えば足りなくなる、分け合えば余るのだ。
犬のココも数日はたっぷり肉を食ったし、骨もカリカリかじってほとんど食べてしまった。
蹄がついている足は、しばらくココのおもちゃになった。
せっかくいただいた命、無駄にはしません。
それに無駄が全く無い、というのは気持ちが良いことなのだ。
後日マサさんと会った時にシャミーの話になった。
「あの肉を食べた後、なんか血がたぎるんだよね。ワイルドな肉だからかねえ。それとね、いろいろ試したけど、やっぱ醤油が一番旨かったよ」
なるほどね、ここで原点に戻るわけだ。
次回タイについてハンティングに行く時は醤油を小瓶につめて持っていくことにしよう。





こうやって僕が一つの話を書いている間にもタイは餃子を作ったり、僕が見たターを撃ったりしている。
「自分がやるべき事をやりなさい」
「どんどんやりなさい」
という僕の教えを忠実に実践している。
益々よろしい。
僕も早く温室を作って、西海岸では絶対作れないような野菜をヤツにご馳走してあげよう。

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西と東の交わり 5

2013-05-24 | 
タイ曰く、撃つの簡単 担ぐの大変。なんだそうな。
これから肉の塊を小屋へ運ぶ作業が待っている。
今日撃ったシャミーは体重50~60キロぐらいか。それが2頭。
肉は後ろ足と背中のヒレ肉だけとったけど、それでも全部で20キロぐらいはあるはずだ。
2人ともバックパックを途中に置いて来たので、モモ肉を肩に担いで運ぶ。
はじめ人間ギャートルズみたいだ。
10キロの肉の塊を担いで急坂を登るなんて、この国に長くいるけどこんな経験初めてだ。
この経験も財産なり、ありがたや。
ザックを背負っていればなんてことない重さだけど、肩に担いでいるとバランスを取りづらい。
しかも日は落ち足元もよく見えない。僕はヘッドライトをバックパックの中に置いて来てしまった。
それでも僕達は獲物を仕留めた興奮と達成感で会話も弾みながら歩く。
「タイよ~、10回見て3発撃って1頭仕留めるんじゃないのか?」
「それは鹿打ちの話ですね。シャミーは鹿ほど警戒心がないのかなあ。冬に上のハットの近くで見たときにはしばらく逃げなかったですよ。この場所も前から狙っていたんですよ。」
なんとかバックパックの置いてある場所にたどり着き一休み。
中の余計な水は捨てて、バックパックに肉塊をくくりつける。
これで大分楽になった。
だが歩いているうちに肉がずり落ちてくる。
2人であーだこーだやっていると、上手い具合に足が納まる場所があった。
「そーか、これは今まで何に使うのかなあって思ってたけどこうやって使うんだな。写真を撮ってスポンサーに送ってやろう。『この機能はシャミーの足を運ぶのに最適です』ってな」
絶対にこういう用途に為にデザインされたわけではないだろうが、現場での判断は絶対である。





小屋に着く頃には完全に日は暮れ、空には満点の星空が広がっていた。
さっと着替えを済ませ暖かい格好になりビールを持って外に出た。
「乾杯~、おっと今日も大地にだな。『大地に』」
「大地に」
そして乾杯。
良く冷えたビールが喉にしみる。
昨日は海で夕日を見ながら、そして今日は山で星を見ながらビールを飲む。
なんという1日だろう。
朝は海岸沿いをハイキングして、午後は氷河の脇で水晶を拾い、宵は肉をえっちらおっちら担ぎ上げた。
密度の濃い時間、というものがある。
1日中ぼーっとテレビを見ていても1日、こうやって精力的に活動していても1日。
自分が今ここで『生きている』という感覚を持つ時間、それをぼくは密度の濃い時間と呼んでいる。
そして今、こうやってこの場所にいられるのも目の前のこの若き男なしにはありえない。
「タイよ、こんな所で日本人云々などと言うと、ずいぶんちっぽけな話になってしまうけどよ、ニュージーランドに住んでいる日本人でお前ほどのヤツはいないぞ」
「いやあ、そうですかあ」
「そうだとも。同時に日本人であればこそ、という感性も大切だな。『命をいただきます』とか『食べ物を無駄にしない』とかだ。まあ、それもお前は分かっているだろ?」
「そうですね」
「あとね、日本人であればこそ、どうやってこれを食うかという創意工夫だよな。シャミーの塩麹漬けとか、味噌漬けとかどうだ?」
「いいですねえ。なんか腹減ってきましたね」
「そうだな、腹減ったな。ガイドさん、今日の晩御飯はなんですか?」
「今日はカツオのヅケ丼、クレソン添えです」
「くぁぁ、山小屋でそれですか、なんというご馳走」
「いいでしょ?じゃそろそろ準備しますか」



山小屋の中で米を炊く。
タイが若い友達に米の炊き方を教えているのが微笑ましい。
僕は白ワインなぞ呑みながら、それを見る。
昔は駆け出しの小僧だったが、大した男に育ったものだ。
それもみな、この国の自然が育てたものだ。
そういう自分もこの国にやっつけられながら、育てられてきた。
そして今もまだ、この地の奥深さを見せつけられている。
留まっていない。前に向かって進んでいる。
これから先、ヤツがどういう人間に育っていくか楽しみである。
同時に自分もどういうふうに老いていくか楽しみなのだ。
山小屋で食うカツオのヅケ丼はもちろん旨く、ワインの酔いにまかせ泥沼のようにずぶずぶと眠りに落ちていくのであった。



窓の外の空が白くなってきた。
時計を見ると7時。
寝袋のぬくもりが心地よい。
僕はこの寝袋を20年も使っている。
厳冬期の冬山では使えないが、今までこれで寒いと思ったことは無い。
使っていて何も不便さはないので、使える物は直して直してその物が磨耗してこの世から消えるまでいつまでも使い続ける、というキウィスピリットを実践しているわけだ。
物も意思を持っている。
人が愛を持って使えば物もそれに答えてくれる。
物であろうと人であろうと、所詮は自分の心を映し出す鏡だ。
その寝心地の良い寝袋からモソモソと這い出し小屋の外に出る。
朝のきりっとした空気が僕を包む。
東の空には青空が見えるが西の方から厚い雲が押し寄せている。予報どおり天気は下り坂だ。
朝食をさっと済ませ、小屋をきれいにしてヘリを待つ。
リチャードが双眼鏡をよこして言った。
「向こうの谷間にターがいるぞ、見てみな」
覗くと氷河を挟んだ反対側の斜面に黒っぽい大きな動物が数頭。
ターはシャミーより毛も長く体が大きく、100キロぐらいの大きさになるとか。
昨日のシャミーの2頭分の大きさか。
タイの家にはこの動物の毛皮が敷物になって敷いてある。
これがなかなか素敵なのだ。
毛皮を取るには昨日のような捌き方ではなく、腹の方からさばいて内臓を取り出して、という別のやり方になるだろう。
カツオを捌くのと訳が違う。
それに今度はどうやってそれを持ってくるんだという話にもなる。
うーむ、奥が深いぜ。





ヘリが遅れている。
会社はお客さんが優先。割引料金で乗るローカルは後回しとなる。
その間タイが山の説明をしてくれた。
冬にスキーをするにはどういうルートでどういう装備が必要か。
どこぞの斜面でシャミーを見たから、次はスキーとハンティングを組み合わせてみようか、とか。
ヤツの話を聞いていて思った。
ここはヤツの庭だ。
この山で7年もこんな事をしてきたヤツの経験、そのとてつもなく大きな財産を僕は垣間見た。
10年前に弟子入りを望んだ男は、今や師匠をはるかに越え、次の世代の人達に教える立場になっている。
「次はスキーをしに来て下さいよ。小屋に何泊かしてこの辺りの山を滑りましょう」
「それもよさそうだな」
どうせ山の技術ではヤツにかなわないんだ。
ならば厄介になってもいいだろう。
その時はJCをはじめ、北村家一軍のスキーキャンプをここでやりたいものだ。





ヘリが来て荷物を積み込み、アルマーハットを後にした。
そして数分後にはフランツジョセフの街に着き、その10分後には街のカフェでコーヒーを飲む自分がいた。
「まるで『どこでもドア』でしょう」
タイが笑いながら言った。
確かにそうだ。歩いたらさっきの場所からここまで12時間、それもザイルを使って懸垂下降したりというおまけつきだ。
それをタイは経験済みである。
僕はやったこともないし、これからやることもないだろう。
その差は大きい。
それから見れば、ヘリコプターでひとっ飛びはまさしく『どこでもドア』。
うまいことを言うもんだ。

もうちょっと続く。
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西と東の交わり 4

2013-05-21 | 
小屋に荷物を置き、仕度を整えて出発。
いよいよハンティングトリップである。
小屋から下っていって様子を見ようということになった。
リチャード達は反対側、小屋から上に上って行くようだ。
時間は3時半を回った頃で、まだまだ夕暮れには時間がある。
小屋からは道がなく適当に歩きやすい所を歩く。
油断をすると足元の岩がぐらっと崩れる。
先を進むタイが何か見つけたようでしゃがみこんだ。
「来て見て下さいよ。水晶の層がありますよ」
行くと石英の層の中にできかけの水晶がいりまざっている。
良く見ると小指ぐらいの六角中の結晶も落ちているし、結晶ができかけた細かい粒子がびっしりと岩にくっついているものもある。
俗に言う宝石というものは、地中の圧力や温度が高い所、それは大きな断層のような場所でできる。
今いるこの場所は南アルプスの真っ只中。
太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートという二つの海底プレートがねじくれて断層になっている、その活断層の真上にいるのだ。
何万年か何百万年か知らないがはるか昔、地中の深くで石英が水晶に変化しかけているのが、何かのはずみで地表にでてきた。
それを僕らは手にとって眺めている。
ロマンだなあ。
こんな所で石が好きな友達だったら何時間でも水晶を探しているだろうなあ、などと思った。
そういう僕たちも「おっ、こんなのがでてきたぞ」などと言いながらしばしの間、子供のように水晶探しをするのだった。





以前タイが教えてくれた鹿撃ちの言葉がある。
10回鹿を見て、そのうち3回撃って、1頭しとめる。
鹿撃ちとはそういうものらしい。
今回もライフルを持っていくものの、そう簡単に捕れないだろうなあと思ってタイの後ろをついて歩いた。
時々ヤツは立ち止まり双眼鏡で獲物を探しながら歩く。
山小屋のある場所は草も生えていないような岩場だが、ずっと下にはタソックが生えている場所がある。
どうやらそこを目指しているようだ。
先で獲物を探していたタイが振り向いて言った。
「いたいた、いましたよ、2頭のシャミーが。」
双眼鏡を借りて岩陰から覗くと、2頭の獣が草を食んでいるのが見えた。
数m下がり作戦会議である。
ライフルの射程は約200m。ここからでは遠いのでもうちょっと近づく。
風向きはこちらが風下だからちょうどよい。
岩陰などを利用して大きく回りこみやつらに近づく。
「できるだけやつらに見つからないように近づきましょう。それと時々シャミーがふっと首を上げて見上げることがあるんですが、もしそうなったら動かないで下さい。動いたら警戒するけど止まっていたら大丈夫ですから。」
だるまさんがころんだ、みたいだな。
僕らはそーっとそーっと、足元の小石にも細心の注意を払いながら移動した。
基本、こちらからやつらが見えない場所を移動する。
こちらから見えない場所とは、やつらからもこっちが見えないはずだ。
時々タイが覗き込んで、位置を確認しながら動く。
「なんか、かくれんぼしているみたいで、面白いですね」
タイの目はきらきら輝き、まるで遊びに夢中になってる子供のようだ。





以前読んだ本で、『地図を読めない女と話を聞かない男』というものがあった。
男と女の違い、どちらが偉いというものではく、純粋に違いという事を書いた本である。
女というものは洞穴で住んでいた時から、住居の周りの木の実や山菜などの食べ物を採るのが仕事だった。
なので視野は広く、探し物も得意である。
新しい空間、例えばあるパーティー会場に入っていった時などに右端の人の髪型から左端の人の着ている服まで見えるという、僕たち男には信じられないような芸当が自然に出来る。
それに対して男というのは狩をするために外に出た。
視野は全体を見るよりも一点即ち獲物を見て、それと自分との位置関係や地形などを頭の中で立体的に作り上げる。
これを空間能力という。
車の運転などは空間能力の良い例えだ。
車がカーブにさしかかる時、僕は数秒後の自分の車の位置を頭の中で作り上げている。
その時の車のスピードは、内側のタイヤと外側のタイヤはどこを通るか、ブレーキをかけるタイミングと強さは、重心の移動は、外に振られる重力は、コーナーが終わり加速するタイミングは、などなど。
こうやって頭の中でシュミレーションして、数秒後にその通りになると気持ちがいい。
逆にヘタクソな人が前にいたりして、全てのコーナーごとにブレーキなど踏まれたりするとすごーくイライラする。そういうヤツに限ってストレートで飛ばすものだ。
車の運転が上手い人はたいてい無意識にこういうことをやっている。
女より男の方が車の運転が上手い、車のレーサーでも圧倒的に男ばかりというのはこういうことなのだ。
これは男と女の能力の一般的な話であって、女でも運転が上手い人もいれば男でも友達のエーちゃんのように運転が下手な人もいる。
要するに男は空間能力に優れている。
しかし視野が狭いため、探し物などは絶望的にヘタクソである。
僕も良くあることだが、冷蔵庫や戸棚で一番正面にあるものが見えないで奥の方をごそごそ探す。
女房が出てきてすぐに見つけて「どこを見ているの」と言われるが、見えない時は見えないというのはこういう理由があるからだ。
男の場合、パーティー会場へ行けば一番きれいなお姉ちゃんに目が行き、彼女までの距離や途中の障害物やじゃま者、どうやってその娘を口説くか、という作戦まで頭の中で即座にシュミレーションされる。
その空間能力をフルに発揮するのが狩猟、ハンティングである。
自分と獲物の位置関係そして風向きも関係する。
ライフルで撃つにしても距離だけでなく、自分より高い所にいるか低い所にいるかその角度で照準も変わってくるだろう。
もっと言えば風や温度や湿度、またライフルや弾丸によっても変わってくるだろう。奥は深い。
ちなみにゴルゴは一発の弾丸も特注、オーダーメイドだ。
これぞ男の究極の趣味ではないか。それも生活を賭けた趣味である。
僕にはここまでできない。





今回は25度ぐらいの斜面を回りこんで下り獲物に近づいた。
いよいよライフルの射程距離に入ったという頃、タイが僕に双眼鏡を手渡して言った。
「僕が撃つ時にこれで覗いて見ててください。当たればビクっと跳ねますから」
「了解了解」
2人でそーっと、さっきシャミーがいた辺りを覗く。
あれ?いないぞ。僕らは岩陰から出て移動をした。
気づかれて逃げちゃったのかな、と思った時に岩陰から動物が飛び出して僕たちの目の前を横切った。
距離にして20m。速すぎて撃てない。
シャミーは一つ横の沢へ入り込んだ。こうなるとスピードが勝負だ。
見通しのきく場所でタイがライフルを構えた。僕は双眼鏡でシャミーを追った。
銃声が山にこだまする。僕が見ていたシャミーは尾根の向こうに姿を消した。
「はずした?」タイに聞いた。
「いや、仕留めましたよ。あっ、また出てきた。」
見るとさっき姿を消した尾根から数頭のシャミーが出てきて谷間を駆け下っていく。
すかさずタイが射撃の体勢に入り、銃声一発。
今度ははっきり見えた。
シャミーがもんどりうって倒れた後、10mほどもがくように動き、そして動かなくなった。
他のシャミーは視界から消え、辺りに静寂さが戻ってきた。





一頭の動物が息絶えていた。
命に大小は無い、はずなのだが大きな動物が死にいくさまというものは人間に『命とはなんだろう』という気持ちをいだかせる。
「あーあ、お前もタイに撃たれちゃったなあ」僕は手を合わせて拝み、動物に触ってみた。
まだ暖かいその動物の命はすでに無く、目は虚ろに空を見ていた。
感傷に浸るのもここまで、山には夕闇が迫っている。作業にとりかからねばならない。
背骨に沿った両側の肉、ココが一番旨い部分で、俗に言うヒレ肉である。
ヒレを切り出した後はモモから下を胴体から切り離す。
皮を切り、肉を切ると腸がムニュっと出てくる。これを傷つけないよう注意しながら肛門の周りにナイフを入れる。
最後は力業。僕が角を持ちタイが後ろ足を持ちぐるぐる回し背骨を折る。
そして胴体と切り離して作業終了。
僕はタイに頼んだ。
「タイよ、すまんがそのヒレのあたり、ちょっと切り出してくれんか。前からこういう機会があったらその場で食ってみたかったんだ」
タイが切り取った肉はまだ生暖かい。
「いただきます」まさしく命をいただきます、なのである。
肉は臭みは無くほんのり甘い。
肉って甘いんだ。
知らなかった。
ここで醤油が欲しくなった。
そうやって二頭の解体が終わった時には、夕闇がすぐそこまで来ていた。

しつこく続く。












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西と東の交わり 3

2013-05-19 | 



三日目、今日もまた快晴だ。
雨の多い西海岸だが晴れが続く時もある。
もっとも、その晴れをねらって来ているわけだが。
昨晩、カツオの刺身をたらふく食い、ワインをガブ飲みしながら今日の予定を決めた。
ちなみにカツオはタイがユーチューブで『カツオのさばき方』というのを見ながら捌いた。
ユーチューブ万歳である。
なんで写真を撮らないんだろうなあ、と今になって思うが、その時はそこに当たり前にカツオがゴロンと転がっていると、写真のことなどどうでもよくなってしまうのだ。
そのカツオは旨かったかって?
そりゃ野暮な質問だぜ、兄弟。
羨ましがらせるわけではないが、厚めに切った柔らかい刺身のモチモチした歯ざわり。
あのカツオ独特の血の匂いがしょうがで消され、しょうゆと魚の旨さが口に広がる。
嗚呼、今思い出してもたまらないな。
ピノグリはどんどん進み、つまみがなくなった頃にキミが我が家の卵で京風玉子焼きを作ってくれた。
それも大根おろしを添えて。大根も我が家の庭から持ってきたものだ。
僕もよく玉子焼きを作るが、僕のは味の濃い弁当のおかずになるような玉子焼きである。
キミの作るのはあっさり味の卵焼きで、大根おろしのピリッとした辛みが合い、またまたワインが進んでしまう。
「日本でもよく、お父さんがお酒を飲んでいておつまみが足りなくなると玉子焼きを作ってたんだ」
素晴らしい。こういうところが日本の女性の素晴らしいところである。
僕はかねがね日本の女性は世界一だと思っている。
それはそこにあるもので最高の物を出す、茶の湯の心でもある、もてなしの心。
自分にできることで客をもてなす、それを自然に身に付けているところである。
これがすなわち愛。
どの国でもその地で取れる最高級品は海外に輸出されてしまうのだが、日本の女性が世界でモテルのはそういうことなのだ。
西海岸で取れたカツオの刺身、東海岸の我が家の卵と大根。そしてそれを調理する京女の愛。
いやいや、文化の交流というのはこういうものではないかと、酔った頭で考えるのであった。





と、なんか西海岸食い倒れ酔いどれ日記みたいになってしまったが、そんな中で今日のプランを立てたのだ。
翌日はタイが休みなので一緒に何かして遊ぼう、ということだったのである。
「明日はアルマーハットに泊まりで行きませんか?ヘリコプターで小屋まで行けるから食料とかワインとかビールとか何でも持っていけますよ。」
「泊まりでー?天気が崩れるんじゃないのか?」
僕が見た予報は翌日の午後から崩れるというものだった。
崩れるのならそれに合わせクライストチャーチに帰ろうとも思っていた。
「ちょっとチェックしてみましょう」
こんな辺鄙な場所でもインターネットで最新の気象情報が入るし、カツオの捌き方だって出てくる。文明の利器だ。
天気はどうやら翌日まで持ち、翌々日の午後から崩れるようだ。
それならタイの言うとおり明日の午後に小屋で一泊して翌々日の朝に戻ってくるのがいいようである。
ガイドとはその地に精通し、その状況で一番面白い遊び方を知っている人間である。
ならばガイドさんの指示に従おう、という具合に予定が決まったのだ。
午前中は下見の続き。
オカリトにある3マイルトラックを歩き、午後からヘリコプターで氷河のわきのアルマーハットへ行く。





3マイルトラックはオカリトビーチから先の3マイルラグーンまでの道である。
今は誰も住んでいないがゴールドラッシュの時にはここにも街があり、人や馬車の行き来していた道なのだ。
ここも途中まで行った事はあるが、その先は初めてだ。
森に入る前に湿地帯にかかる木道がある。
この木道ができたのはまだ4年ぐらい前か。僕はこの木道が好きである。
利便性や合理性だけを考えるのならば道は直線で作るほうが楽だし早い。
だがここは緩やかなS字カーブをあえて作ってある。こういう遊び心、それを設計する人のセンスが好きだ。
そしてこれならば車椅子でも来れる。いつかこういう所を車椅子の人のツアーをしたいなあ。
リムの森を1時間ほど歩くといきなり視界は開け、マウントクックとマウントタスマンが見える。
山は角度を変えると全く違う姿になるが、僕は西海岸から見るこの山も好きだ。
このトラックは引き潮の時には海岸沿いを歩ける。看板の所には毎日の引き潮の時刻が表示されている。こういう心遣いが嬉しい。
今回はあいにくタイミングが合わなかったので同じ道を引き返したが、誰もいないビーチを夕日を見ながら歩くなんてのもいいだろうな。






午後、ヘリパッドへ荷物を運ぶ。
小屋泊まりの道具一式、食料と酒たくさん、そしてライフル。
今回はタイの仕事仲間のリチャードとガールフレンドのシャーンと一緒だ。
リチャードはフランツジョセフ出身、生粋の西海岸の男でハンティングもするので彼もライフルを持っていく。
ヘリに荷物を積み込み、いざ出発。
昨日歩いたアレックスノブを横目にヘリはあっというまに目的地のアルマーハットに着いた。
今日はDOCのスタッフが小屋のペンキ塗りをしていたので、彼らを迎えに来るヘリに便乗したわけだ。
どっちみちヘリは山小屋まで来るんだし、それならヘリの会社も空で飛ばすより人を運んだ方がいい。
というわけでかなり割安でヘリに乗れる。
ヘリの会社のやりとりなども全てガイドのタイにお任せ。
ガイドがいると楽じゃのお。
荷物を下ろし、DOCスタッフが乗り込み、ヘリが飛び去った後は静寂な世界である。
目の前には巨大な氷河が横たわり、何千もの氷のひだが重なり合う。
いつものことだが、こういう場所に来ると「すごいなあ」と言う言葉しか出てこない。
言葉が景色に追いつかないのだ。
故に口を開けば「すごいなあ」になってしまう。
写真で残す映像とはその世界の一瞬の切り取りである。
そこに風の揺らめきはないし、風が止んだ時の静寂さはない。
プロのカメラマンになればそういうものも表現できるのかもしれないが僕には無理だ。
実際には常に雲は動いているわけだし、空気も止まっているわけではない。
時々小石がパラパラと崩れる音が聞こえるし、遠くで氷が崩壊する雪崩の音も聞こえる。
そういったもの全てを第三者に伝えることは不可能だ。
こういう場所に自分の身を置く。
これが自分の生きている証であり、僕がニュージーランドに住む理由なのである。
というようなことを考えていたら、全く同じ事がタイの口から出た。
心の奥で繋がっている人と行動を共にするとこうなるのだ。









まだまだ続く。
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西と東の交わり 2

2013-05-14 | 
二日目の朝、まだ暗いうちに行動を始める。
今回の目的の山はアレックス・ノブ。
この山は朝のうちが勝負である。
日が高くなると周りの森の湿気が雲となって上がってきて、午後には曇ってしまう。
10年前に一人で西海岸に来た時には、お隣フォックス氷河の脇のマウントフォックスに登った。
その時は朝から快晴で『あの山に登ったら景色がいいだろうなあ』と思い登り始めたのだが、登っている途中でガスが出てしまい山頂に着いた時には何も見えなくなってしまった。
アレックス・ノブもそことほとんど同じ地形で、氷河の南側の山である。
その時の経験は財産であり、同じ事を繰り返さないということからも行動は早朝からとなる。
タイとキミが仕事に出かける時間に合わせ家を出て、街で食料とコーヒーを買って登山口に向かった。
車を停め、ブーツを履きゲーターをつける。コーヒーを飲みながら装備をチェック。
そしておもむろに歩き始める。
辺りは明るいが谷が深いので朝日がまだ差し込まない。
森は夜露でびっしょりと濡れ、コケやシダの緑が美しい。数多くの鳥たちが木々の間を忙しそうに飛び交う。
これこれ、この自然に包まれる感覚。これを味わいたくて僕は山に来る。
最初はタイが休みなので一緒に登ろうという話だったが、急にヤツが仕事になった。
誰かと一緒に山へ行くのも良いが、一人で行くのも好きである。
全ての行動の判断と責任を自分で負うというピリピリした緊張感、そして他人のペースに巻き込まれない自由感、一人で自然を感じる開放感、そういった想いが入り交ざる。



ガイドをしていてよく聞かれることだが、ガイドになるための条件、ガイドになるには何が必要か。
以前はこう答えていた「どんな状況でも、自分自身が楽しむこと。自分が楽しまなかったらお客さんを楽しませる事などできない」だが今はこう言う「先ず自分のことを全て自分でできること」テメーのケツをふけないヤツが人の面倒を見れるかってわけだ。
こんな事を書くのも「ガイドにはなりたい、けれど自分から行動をおこさないで全て教えて欲しい」という人が増えているからだ。
いや、これはガイドだけの話でもないな。
「自分はプロのスノーボーダーになりたい。どうやったらなれるのか教えて下さい。でも血のにじむような努力はしたくない」そんな話を以前聞いた。
要は受身なのだ。受身では何も始まらない。大切なのは一歩踏み出すことである。
単独行ができるかどうか、というところがカギだろう。
何も素人のレベルでマウントクックに登れと言っているわけではない。
近くの簡単なハイキングコースとかそんなでもいいし、地図を見ながら街の中をひたすら歩いたっていい。
アウトドアだけでなく、全てのものごとにおいて自分一人で判断をして行動できるか。
ガイドに限らず、これからの世界で生きていく人間は自分の判断と行動の責任、これをきっちりと身につける必要がある。
一人で行動できないヤツが集まっても何も始まらないが、一人で行動できる人達が集まると物事はどんどん面白い方へ転がっていく。



歩き始め、しばらくは整備されていた山道だったが、分岐から本格的なトレッキングコースになる。
視界が開けない登りで高度を稼ぐうちに日が当たり始めた。
シダのシルエット越しの太陽に向かい手を合わせた。
そして唱える。「お天道様、今日もいい1日になりますよう、よろしくお願いします。」
そして再び登り始める。
視界が開ける場所、休憩場所などを確認しながら歩く。
今回は下見なので、歩き始めてからの時間と標高そして注意点などをメモに取りながら歩く。
このコースは初めてだが、お隣フォックス氷河のマウントフォックスは歩いた事がある。
地形、山頂からの景色、天候の特長、植生などおおよその見当はつく。
これぐらいのコースならば、初めて歩くコースでも人をガイドできるだろう。
だが、僕はそれを自分に許さない。
それはプロの仕事ではないからだ。
そしてそれをやる人を山は許さないだろう。
下調べをしっかりして、装備も万全、気力体力も充分で時間にも余裕がある。
そんな時でも山の事故は起きる。
ましてやそのうちのどれかが欠けたら事故の可能性は大幅に増える。
山とはそういうものだ。
甘く見れば痛い目に会うが、敬意を持って接すれば素晴らしい感動を与えてくれる。
どんな場合でも危険があるのを知りながら、リスクをできるだけ減らし、感動を共にする。ガイドとはそういう仕事だと思う。
休憩場所、水が補給できる場所、危険箇所、トイレの有無、そういったことも人に聞けば分かるが、それでも自分が最低一回は行かなければいけない。
地形の特長、植生の変化、アクシデント時の対応など、細々とメモを取りながら歩く。





視界が開けない森の植生が変わり森林限界を超え、しばらく尾根を歩き山頂に着いた。
想像通り、氷河の末端部から一番上まで見渡せる。
想像通りでもその場に来て景色を見る感動は大きい。この国の自然は常に人の想像を超えるものがある。
これが人が山に惹かれる理由だ。
このコースはヘリコプターアクセスは別にして、この辺りの1日ハイクでは最高の場所だろう。
ダイナミックな氷河、険しい稜線、反対側には西海岸、その向こうには青いタスマン海が広がる。
だがこの時も下から雲が上がってきて、海岸の方向はガスにかすむ。
天候や風向きにもよるが、雲の上がる速度は思ったより速い。行動の参考にしよう。
絶景ポイントに一人。
のんびりとランチを食べている間にも雲が上がってきた。
下見も済んだことだし、ゆっくりと下ることにしよう。
分岐まで下り、時間に余裕もあるのでレイク・ウォンバットまで歩く。
森に囲まれた小さな湖で一休み。
ここでは時間がゆっくりと流れる。
時間の流れる速さはニュージーランドと日本で違うが、この国の中でも東と西では違う。
時間と空間は本来切り離せられないものなのだが、今の世の中では時計というものによって時間だけが一人歩きしている。
小さい空間には短い時間が流れ大きな空間には長い時間が流れる、と友達のサダオが言っていた。なるほどな。





僕の住むクライストチャーチでは夕日は遠くの山に沈む。
西河岸では夕日は海に沈む。
浜辺で海に沈む夕日を見るというのは、一つのイベントである。
ましてや今日は1日フルに山を歩いたのだ。
これはもうビールでしょう。
タイの家からビーチまで車で5分ほど。
オカリトという集落は人口30人ぐらいか。
浜辺に出るとちょうど夕日が水平線に近寄るところだった。
ここで『大地に』。
とことん地球で遊ばせてもらった日の最初のビールを一口分大地に捧げる儀式、『大地に』。
昔の相方JCが始めたこの儀式を僕は律儀に守り続けている。
この日最初のビールが砂浜にしみこんでいった。
そして喉を潤す。不味いわけがない。
今日のビールはスタインラガーのピュア。理由は安売りをしていたから。
ラガービールの爽快感がたまらん。
オレンジ色の太陽が海に沈むのを見ながらビールを飲む。
なんというぜいたく。そして今、自分は生きてると感じる。
僕は夕日に手を合わせ拝んだ。
「今日も1日ありがとうございました。おかげで最高の1日でした」
思えば朝日に向かって拝み、1日まるまる遊んで沈む夕日に又拝む。
お天道様万歳である。
今日という日の最後の光を見届け、余韻にひたり、またビールを開ける。
ふとマオリの父方の神、イーヨ・マトゥアの存在を背中に感じた。
さて腹も減ってきたな。今日の晩飯はカツオの刺身だ。
帰ってカツオをつまみに酒でも飲むか。

続く







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西と東の交わり 1

2013-05-12 | 
僕がニュージーランドで一番好きな場所は南島の西海岸である。
初めてここを訪れたのは91年だから、もう20年も前になるか。
当時つきあっていたガールフレンドとロードトリップをした。
当時は国道がまだ全部舗装されていなくて、調子に乗って飛ばしていると突然砂利道になっってびびった思い出がある。
20年前の西海岸は今よりはるかに辺鄙で人や通る車も少なく、すれ違う車全てに指で挨拶をする、そんな場所だった。
西海岸の虜になったのは娘が生まれる前、友達のJCとホワイトベイト取りまくり山歩きしまくりというトリップをしてからだ。
自分が知っていたと思っていたこの国のことを実は何も知らなかった、という事に気が付いた。
まあこの国の自然にやっつけられてしまったわけで、そこからはひたすらこの国の自然の奥の深さへの旅である。
トレッキングガイドを始めてからも何かしら理由をつけ毎年のように訪れた。もちろん仕事でも何回も来ている。
今回は仕事のインスペクション・トリップ、12月にハイキングのツアーがあるのでそのコースの下見である。
「ちょっと西海岸へ仕事の下見へ」と称すれば「そう、ガイドさんも大変ねえ」とか「えらいなあ、ちゃんとそうやって下見をして」と人々は誉めてくれる。
たとえ気持ちの半分以上は遊びで、ウキウキワクワクしながら出かけたとしてもだ。下見は偉大である。
行く先はフランツジョセフ氷河。友達のタイの所に泊まりこんで、その辺りの山をほっつき歩く。
庭から大根、シルバービート、ズッキーニ、ネギ、そして卵をどっさりお土産にして雨のクライストチャーチを後にした。

国道73号線を西へ。アーサーズパスを抜ける頃には青空も見えてきた。予報どおりである。
峠を下っていくと植生も変わる。それまでは見られなかったパンガ(背の高いシダ)そしてリムが出てくる。
僕がこの国で一番好きなのがリムの木である。
固い木で古くから建築の材木としても使われてきたが乱伐がたたり数が減って今では伐採は禁止である。
だがブラックマーケットで高値で取引される為、密猟ならぬ密伐の話も聞く。
木の質は良く、建築廃材を加工しなおして家具なども作る。
西海岸を車で走ると牧場の中にポツリポツリとリムそしてカヒカテアといったポトカーフ(NZ固有の針葉樹)の木が立っているのが見える。
僕はこの景色も好きだ。
そんなドライブを数時間、夕方に目的地へ着くとタイが出迎えてくれた。
タイとの出会いは9年前になるか。
僕の所にヤツが弟子入りを申し込んできたのだが、当時の僕は自分のことで一杯一杯で弟子どころの騒ぎではなく、友達のJCにヤツを押し付けたのだ。
今やその弟子志望の男は立派な氷河ガイドとなり、山の技術や経験では僕より数段上へ行ってしまった。
そしていつかは西海岸でリムの森に住むという僕の夢をいとも簡単に実践してしまい、僕が羨ましいと思う数少ない人間の一人である。
以前はヤツから事あるごとにいろいろと相談を受けたが、その度に僕が言う言葉はただ一つ、「どんどん、やりなさい」だけである。
山の技術では僕より数段上だが、どちらが偉いというものではないので今では信頼できる良き友としてつき合っている。
心の奥で繋がっている人は性別とか年齢とか社会的地位は関係ない。
自分も相手もワンネスの中のものとしてつきあえるので楽なのだ。
久しぶりの再会に話は弾む。
ヤツは最近、ハンティングを始めたようで、その晩はヤツが撃ったシャモアをご馳走してくれた。
シャモアは分類上はヤギの仲間で、山に住む50kgぐらいの大きさの動物である。英語の読みはシャミー。
これのたたきをわさび醤油で食らう。
山に住むヤギの肉と聞けば臭いというイメージが湧くが、ところがどっこいこのシャモア、くせはなく肉は美味である。
その晩は我が家の野菜の味噌汁、そして僕が作ったシメサバ、サザンアルプスのシャモアのたたき、オアマルのブルーチーズ、ワインはピノグリからピノノアールへというニュージーランド美味い所取りの晩飯となった。



「タイよ、この肉は全くくせが無いじゃないか。美味いなあ」
「いけるでしょ?この肉のサラミも頼んで作ってもらってるんですよ。ハンターでもいろいろあって、トロフィーと言って撃った動物の頭だけ取って肉は取らない人もいるんです。」
「うーん、まあ色々いるだろうな。色々いていいんだろうけど、そういうトロフィーを狙う人は友達にはなれないな」
「全くです。俺は頭とか興味なくて肉しか持ってこないんですけどね。でもね撃った後の肉の処理とか大変なんですよ。毛を取ったり、ばらしたり」
「そうだろうなあ」
「スーパーで肉のパックとか買ったほうがはるかに楽ですからね」
「そりゃそうだ。卵にしても野菜にしても買うほうが楽だしな。よく人に言われるんだけど『そうやって自分でやってればお金がかからないでしょ』ってね。こういう食べ物をお金という物差しでしか見られない人のなんと多いことか」
「分かります。分かります」
タイの家では野菜も育てているし、以前はニワトリも飼っていた。魚も取るしウナギを捕まえて我が家の七輪で蒲焼をしたこともあった。
自給自足という方向に向かっている人との話は尽きない。
そうしているうちにタイのパートナーのキミが帰ってきた。
彼女は用事でグレイマウスへ行っていたそうな。
彼女がグレイマウスの魚屋で買ってきた物をみてびっくり。
カツオである。
「おおお、カツオじゃないか。昔、スーパーで並んでいるのを見てな、『この国でもカツオが取れるんだ』って思ったんだよ。それ以来二度と見なかったんだけどなあ」
キミが言う。「けっこう大きいし、買おうかどうしようか迷ったんだけど買ってきちゃった」
「でかした。キミ。よくやった」
「じゃあ明日はカツオの刺身ですね」
「いいねえ~」
ご馳走をつまみながら西海岸の夜はふけていくのであった。




続く
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カレー

2013-05-04 | 
最近、家の仕事に精が出るが今回は料理の話。
僕にとっては料理をすることは苦痛ではなく楽しみである。
今回カレーを作りながら思ったのだが、自分は料理を楽しんでいるなあと。
自分にとって料理とは、ストレスを発散するものであり、瞑想の場であり、小宇宙である。
気に入った音楽をかけながら、ジャガイモを剥いたり肉を切ったり、そういった作業が好きなのである。
先ずはスープから。
今回は犬のえさ用に買った豚の骨。茹でて灰汁をすくい、月桂樹の葉っぱを入れる。
月桂樹は植えて3年ぐらいか。剪定した葉っぱを日に干したら香りがとても良い。
料理が好きな人にプレゼントしたら喜ばれるだろう。
セロリは、そのまま食べるには小さすぎるが、香味野菜として使う分ぐらいは取れる。
庭に出て収穫。刻んで入れる。
その他、キャベツの芯、卵の殻、ブロッコリーの芯、ネギの葉っぱ、パセリの茎も入れてスープを取る。
必要な物を必要な時に必要なだけ採れる、というより自然からいただくという感覚か。

BGMはボブデュランのTimes they are changing。
スープを取った野菜はコンポスト、骨はココにあげて、次は具である。
肉はポーク。
僕は日本風のカレーはポークカレーが一番旨いと思う。
隠し味に使うリンゴとも相性が良い。
しょうがをたっぷり摩り下ろしスープの中へ。
ニンニクは自家製。これもたっぷり刻んでスープへ。
人参もその場で収穫。大きいものもあれば小さい物もある。
葉っぱはその場でちぎり、庭の片隅の穴へ放り込む。
それはやがて土になる。
人参の泥を洗い皮を剥き適当な大きさに切る。
ジャガイモと玉ねぎは生産が追いつかないので買ってきた物を使う。
そしてズッキーニ。
今年は3株植えたのだが、どれも立派に育ち消費が追いつかない。
深雪が好きでないのがその理由である。
これを2本フードプロセッサーで細かく切って入れる。
こうすれば娘も食べる。
隠し味にウスターソース、そしてベースにガラムマサラ。
食品庫を覗いて見ると飲みかけの赤ワインあったのでこれも入れてしまう。
カレーの良いところは残っている食材、傷みかけている食材で出来ること。
食べ物を無駄にすることが大嫌いな僕にはピッタリである。
我が家では食べ物に無駄がほとんどない。
傷んだ食材は犬とニワトリの餌になるし、それ以外は堆肥となり土に還る。
食べる物を捨てるという事を日本人ならば潜在的に嫌うのではないだろうか。
そしてそこが日本人の芯でもあり、これからの人類が向かう姿であると思う。
同時に膨大な量の食べ物が捨てられている今の日本の社会は狂っているとも思う。
それは社会のシステムがおかしいのであり、ゆがんだ社会の一環だとも言えるだろう。
自分は食べ物を捨てる事はもったいないというDNAを持っているので、我が家の循環サイクルを大層気に入っている。

このあたりでBGMをチェンジ。ボサノバなど聞きながら料理を続ける。
具が柔らかくなったら、カレーのルーを入れる。
今は市販のものを使っているが昔はこんなものはなかった。
僕が初めてニュージーランドに来たのは25年も前になるが、当時は醤油さえ手に入れるのが大変だった。
ましてや日本のカレーのルーで作ったカレーなんてご馳走だった。
カレー粉は売っていたので日本のカレーの味に近づける為、ソースを入れたりコンソメを使ったりベジマイトを入れたり試行錯誤をしたものだった。
それが今やSBのゴールデンカレーはあるし、秀樹感激ハウスのバーモンドカレーだって、こくまろだってジャワカレーだってある。
ただし日本より値段は高いが、日本から持ってくるのだから当然だ。
そこに物がある状態しか知らなければあることが当たり前だが、無い状態を知っていればあることに感謝が生まれる。
カレーのルーにもありがたやである。
本当はゴールデンカレーが旨いのだが、そこはそれ、ちょっと高いので我が家では業務用のジャワカレーを使う。
昔はカルダモンやクミン、ターメリック、フェンネル、チリ、クローブ、シナモン、ナツメグ、コリアンダー、そういったようなスパイスを使う本格インドカレーを作ろうか、とスパイスを買い込んだこともあったが、そうなるときりがない。
それに家の近所には旨いインドカレーのお店がある。
餅は餅屋、本格インドカレーはインド人にお任せあれ。
話は飛ぶが先日ショッピングモールのフードコートでインドカレーを食べた。
これが不味かった。
バターチキンは甘ったるいばっかりで味がなく、ラムのカレーは風味もなにもあったもんじゃない。
日本人がやってる日本食で不味い店があるのと同様、インド人がやってるから美味いカレー屋というわけではないようだ。
まあこの店は二度と行かないし近所のカレー屋の偉大さを再確認できたのでよしとしよう。
カレーはインドから始まりそれがイギリスへ行き日本へ入って日本風になった料理だ。
根源は同じでもインドのカレーと日本のカレーは違う。
どっちがいいとか、邪道とか本道とかいうものでない。ただ違うのだ。
どちらかを正しいと言うことは、一方が間違っているということにつながりやすい。
それが社会を歪めている。
違いを認めることこそが、これからの世界を照らす道である。
違いを見つけたら否定をしない。
自分に合わなければ放っておく。
魂が進んだ人達でも合う合わないはある。
合わない物や人を否定しないで『自分は自分、相手は相手』と距離をおくのである。
不味いカレー屋に行かないで、近所の美味いカレー屋に行けば良いだけの話だ。

さて我が家のカレーはいよいよ佳境に入る。
BGMはクラプトンのクリーム時代のアルバム。
ルーを入れ弱火で煮込み、味をみながら最終調整に入る。
あまり辛くすると娘が食べられなくなるので注意しながら、辛さと酸味と甘みと塩気のバランス取り。
ヨーグルトやチャツネ、トマトペーストやソースなどで味を整える。
味が決まったら、鍋ごと保温できる容器に入れ味をしみこませる。
これで完成。
こうやってできたカレーは、そりゃ美味いさ。
カレーライスにしてもよし。
また次の日のカレーが美味い。
娘のお気に入りはカレートースティー。
トーストサンドイッチの具をカレー、中にチーズをちょっと入れる。
パンはこんがり焼け、中のカレーからとろけるチーズがとろーり。
たまりませんな。
たかがカレー、されどカレー。
カレーの世界も奥が深いぜよ。



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石鹸談話

2013-05-02 | 日記
ここ最近はガイドの仕事はお休みで、その分家事仕事にせいを出している。
昨日は1年ぶりに石鹸を作った。
去年作った石鹸がそろそろ少なくなってきて、作らねばと思っていたのだ
僕の場合、1回にまとまった量を作るのでそれなりの段取りも必要なのである。
油を知り合いのレストランから譲ってもらい、苛性ソーダは近所のケミカル屋さんで業務用を買う。
ホームセンターで買うと1kgで20ドルぐらいだが業務用だと25kgで50ドル。お得である。
ちなみに僕が石鹸を作るのにかかるお金は、この苛性ソーダを買うのだけだ。
石鹸に入れるマヌカは山から取ってくるし、ラベンダーは庭のものを使う。
原材料の油は廃油をいただき、あとは水だけ。
お金はあまりかからないが、手間はかかる。
ちなみにこの苛性ソーダの量でだいたい250kgぐらいの石鹸ができる。
前回買ったのは5年前なので、それから250kgも作ったのか。
我ながらたいしたものだ。



石鹸作りというと難しいのではないかと人は思うが何も難しく無い。
原理はいたって簡単。
水と苛性ソーダを混ぜて、それを油と混ぜるだけ。
シンプルだ。
ただ実際に作業をするとなるとそこはそれ、いろいろなコツがある。
苛性ソーダは劇薬なので目に入ったら失明する。
なので僕は古いスキーのゴーグルをかけて作業をするし、手袋もする。
油の質によったり、又気温などでも出来栄えが違う。
今までに失敗もしたが、失敗しても何ヶ月も放っておけば何とか石鹸になるというのが良い。
そして失敗をすることにより、経験という財産が増え、最近は対処法も身につけてきた。

よく言われることだが、そんなに作っているなら売ればいいじゃないかと。
もしくは作り方の講習をして小銭を稼げば、とか。
僕は自分が作る石鹸を売る気は無いし、この事によってお金を得ようとは思わない。
例外的に去年の日本のお祭りでは売ったが、たぶんこれからも売らないだろう。
商品として作るとなるとそれなりの物を作らなくてはならない。
今のような行き当たりばったりの作り方で、今回はこんなのでした、というわけにもいくまい。
そして石鹸を手にした人は、ほぼ間違いなく匂いを嗅ぐ。
石鹸ににおいをつけるのはエッセンスオイルが必要だ。
マヌカの葉っぱを石鹸に入れても匂いはつかない。
ラベンダーの花は大量に入れてうっすら匂うぐらいか。
それに商品となると見栄えも関係してくる。
大きさや形だって一定でなければダメだろう。
あと売るとなったら値段はいくらにしようかとか。
そういうのがまあ面倒くさいのである。
それならば、いっそのことお金のことは考えないで、欲しい人に使ってもらえばよし。
気に入らなければ使わなければ良い。
シンプルである。



石鹸の使い方だが我が家では食器洗いにこれを使う。
泡立ちがよく油汚れがよく落ちる。
石鹸の中にグリセリンという成分があるので手が荒れない。
市販の洗剤は合成界面活性剤という物を使っているので手が荒れる。
環境に与える影響も石鹸の方が少ない。
合成洗剤を溶かした水の中に金魚を入れると死んでしまうが、石鹸水は濁って見えても中で金魚は生きる。
これは死んだ母が昔実験をして、家では生き残った金魚をしばらく飼っていた。
この自家製石鹸でもちろん体も洗うし、僕は坊主なので頭もこれで洗う。
この石鹸はドロドロに溶けるので人によってはそれが好きでないらしい。
女房と娘は風呂場では普通の石鹸を使う。
これは好みの問題なので、仕方あるまい。
友達なども使って気に入ったという人からはリクエストが来るのでどんどんあげる。
僕がこれを作るのは自分だけでなく、人間が生きていくのに必要なものだからである。
なので自分も欲しい、使ってみたいという人がいたらご連絡いただきたい。
あまり人に強く勧めるのも善意の押し付けみたいなので・・・。



作業はラベンダーの花をすり鉢で粉にするところから。
これは去年収穫したものだ。
そして苛性ソーダとEMを培養した液を混ぜ合わせ、さらに油にそれを加える。
あとはひたすらかき混ぜる。
以前は人力で泡立て器を使いひたすら混ぜていたが、作業を見ていた友達が電動の泡立て器をプレゼントしてくれてかなり効率的になった。
そこにラベンダー投入。
そしてアイスクリームの容器に入れ、上にラベンダーの花なぞ乗せてできあがり。
ちなみにマヌカの石鹸はラベンダーの代わりにマヌカの葉っぱを入れるだけだ。
ラベンダーはうっすら香りがするぐらいだし、マヌカは匂いが全然しない。
それでもマヌカというだけでなんとなくいいな、と思ってしまう。
マヌカの葉っぱにはビタミンが含まれているというので、気休め程度にマヌカ石鹸も作る。
これを一ヶ月ほど熟成させ、手ごろな大きさに切り乾燥させて完成である。
「さあさあ皆さん、熟成して立派な石鹸になってくださいねー」
僕は石鹸に語りかけ、ガレージにしまった。
今回はどんなのができるかな。



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