あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

8月29日 Ski & Surf

2015-08-31 | 最新雪情報
こちらの人は何かテーマを決めて物事を行うのが好きだ。
今日のテーマはずばり、スキーアンドサーフィン。
午前中にスキーをして午後にサーフィンという1日である。
僕がいたシャルマンではそんなの普通にやっている人がいたけど、世界的に見るとスキーとサーフィンが1日でできるなんて珍しいことなのだろう。
この日はある会社のイベントでバスをチャーター。
当初11人参加予定が天気が悪そうということで5人がキャンセル。
やる気のある6人が残った。
さすがに僕はサーフィンにはやらなかったけど、こういうバカバカしい事を冷めた目で見ないで一生懸命楽しむのが、やはりこの国のノリなんだなと思った。
こういうノリは嫌いではない。


スキーアンドサーフのスキーはポーターズからスタート。


最初の予報は大荒れだったが、それほどひどくはなく一番上までオープン。


視界は晴れたりガスったり。


雪山から1時間半のドライブで海岸へ。スキーバスでサーフスクールへ乗りつける。


スキージャケットをウェットスーツに着替え準備運動。ちなみに全員サーフィンは初めて。


住宅地の見える海岸でサーフィン開始。


大の大人が一生懸命遊ぶっていいな。


夕方には青空も見え始め、みんな好い笑顔で1日を終わりましたとさ。
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8月28日 Broken River

2015-08-30 | 最新雪情報
今シーズンはよく学校の子供を山に連れて行く仕事が入る。
この日は17人をブロークンリバーに連れて行くと聞いていたので、スキー経験者の精鋭がクラブフィールドに行くのだと思いきや、指定された場所に行ってみると、なんと71人の子供達が全員行くと。
普通は学校のスキー遠足は、ハットかポーターズなど大型のバスが入れるスキー場を選ぶのだが何故にブロークンリバー?と思ったら、クラブのお偉いさん(と言っても全然偉そうではないのだが)がそこの先生をやっているのでそうなったようだ。
当然大型バスなど入れないから親が車を出して便乗して行く。
子供達でスキー経験者は数名。
ほとんどの子供はそりなど、雪の上で遊ぶものを持って山へ向かった。
駐車場へ着いてからもそれだけの人数をグッズリフトに乗せるのも一苦労だ。
スキー場へ着いてからもロープトーに乗れる子供は二人、あとは全員歩いてパーマーロッジへ。
パーマーロッジへ着けば安全に遊ぶ場所はたくさんあるので、そこでそり遊び。

山では登るよりも下る方が難しい。
これは鉄則なのだが、それはここでも当てはまり下りは難儀だ。
スキーを履いていればなんて事のない斜面でも、長靴で雪山経験のない子供には断崖絶壁に見える。
怖くて降りられなくなった子供を背中に背負って滑って降りたり、怪我人搬送用のボートで下ろしたり。
急斜面では皆が降りやすいようにロープを垂らし、クラブメンバーで手が空いている人が子供の道具を持って滑って下る。
こういう時に皆が当たり前のように助け合うのがクラブフィールドの良いところだ。
長い事この山に出入りしているが、こんな経験は初めてだった。
ますますこの山が好きになっていく。


グッズリフトに乗るのも子供にはいい経験だ。


アクセストーの乗り場で一度集合。荷物はそりで運ぶがここからパーマーロッジまでは歩いて登る。


パーマーロッジ前の広場は雪遊びに最適。


子供の笑い声が絶えない。


皆が落ち着いたので、自分も山頂へ。天気は下り坂だ。


帰り際にマネージャーのサムがみんなに一言。


サムが古いロープを持ってきた。使い古したロープならいくらでもある。


全員なんとか無事下山。
当たり前のことだが、怪我もなく無事に帰れることが一番大切なのだ。
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8月22日 Craigieburn

2015-08-26 | 最新雪情報
マウントハット、ポーターズと自分の懐かしい思い出に浸ったが、今回のトリップでは他人の想いに浸った。
お客さんのクリスは60半ばくらいの年だろうか。
空港で出会って話を聞くと、69年ぐらいからクレーギーバーンで滑り始め、80年代半ばにはスタッフで働いていた。
今は北島のハミルトンに住んでいて、ファカパパで滑っているが今回は2週間のスキーホリデーで30年ぶりにクレーギーバーンに戻ってきた。
僕が生まれた頃からここにいたクラブフィールドの大先輩だ。
それならば話が早い。
僕達は5分で仲良くなり、もっぱら僕がクリスの昔話を聞き、僕が今の状況を話してクレーギーバーンへ向かった。
いつも通る裏道の曲がり角にさしかかると嬉しそうに彼が言った。
「そうそう、オマエさんもここを曲がるんだの。昔はよくこの道を通ったもんだ」
ポーターパスを抜けレイクリンドンの脇を通る。
「ここは二つの湖がくっついているだろう。ワシが子供に初めてスキーをやらせたのはここじゃ」
確かにそこは以前は湖だったんだろうなという地形をしているが、僕が知る限りここには水がない。
それどころか、今ある湖だって僕が見てはっきり分かるくらい、どんどん小さくなっている。
それぐらい急激に乾燥に向かっている。
「カンタベリーは乾燥しすぎている。ワシは長いこと酪農業界で働いているが今のこの国のシステムは何か間違っている。」クリスが言った。
著しく同意である。
ニュージーランドでは最近酪農に力を入れているが、この国の牛乳の国内消費はたった3%だ。
残り97%は粉ミルクで海外に輸出している。
特に大型の機械を入れての散水システムは色々な問題が出始めている。
雇用が増えると言われれば何も言い返せなくなってしまうが、自国で3%しか消費していない物をもっと作ろうと言うのは欲の塊りのような気がする。
僕が常日頃から思っている事を、地元の人、それもその業界に携わっている人から聞くと嬉しい。
キャッスルヒルの直線では「ここで50cmぐらい降った時があってなあ、その時は自分だけしかいなかったからこの道で雪の中をジグザグに走った。楽しかったなあ」
別のとあるコーナーでは「ここ、ここ、このコーナーでスピード出しすぎて曲がりきれずにコースアウトしてフェンスを何本もなぎ倒したこともあった。バカをしたもんじゃ」若いときにはお茶目なこともある。
僕もこの前9年ぶりに日本に帰って、以前働いていた場所を訪れて色々と感慨にふけったが、クリスは30年ぶりである。
ケタが違う。
幻になってしまったがハミルトンピーク山頂までのポマーリフトをかけようとした話や、雪崩に埋まったと思っていた仲間が雪洞の中から現れた話。
実際に体験してきた人の話には重みがあり聞いていて楽しい。
国道からそれて山道へ入ると、今まで饒舌だったクリスの口数が少なくなった。
この道のいたる所にも思い出があるのだろう。
黙っていても隣にいるクリスの想いがひしひしと伝わってくる。
スキー場へ着き、荷物をロッジへ運び入れた。
ロッジも30年前とはかなり違っていることだろう。
ボイラー室へ踏み入れると古い大きなボイラーがあり、そこが乾燥室にもなっている。
懐かしそうにボイラーを見ているクリスに聞いた。
「このボイラーは当時から同じものですか?」
「ああ、これはクラブのメンバーが譲り受けたものだ。そうだ、病院だ。病院で使っていたものだったんだな」
古い物でも使い続けること、人間が面倒を見て機械を使用する、というのはクラブフィールドの原点だと思う。
ロッジでクリスと別れ、僕は先に山に上がった。
先人達が作ってくれたロープトーに引っ張られながら山頂に着いた。
クレーギーバーンは今シーズン初だ。
クリスの想いいれほどではないが、僕なりにこの山に想い出がある。
20年前に友達と何も知らずにこの山を訪れクラブフィールドデビューした。
ここのシーズンパスを100ドルで買って、当時つるんでいたJCと一緒に入り浸った年もあった。
お客さんを案内したのも1回や2回ではない。
ブロークンリバーのメンバーになってからはさすがに来る回数は減ったが、自分にとって大切な山である事は変わりない。
お昼頃にロッジでくつろいでいると、80年代のスキーシーンからそのまま抜け出してきたような年代物のワンピースのスキースーツを着た爺さんに声をかけられた。ちなみに色はど派手な黄色。
それは案の定クリスで、僕は思わず笑ってしまった。やっぱりね。
流行があるのは知っているし、新しい服を買う金だって持っているが、なんとなく今あるものを使い続けてしまう。
僕が好きなのはニュージーランド人のこういうところだ。
そんな古きよきニュージーランド人気質もクリスの世代では健在だが、その下の世代では失われつつある。
人々は目先の安さに飛びつき、大量生産大量消費という波からは逃れられない世の中だ。
そんな中でもこの山では、新しいものも受け入れるが昔からの大切なものも失わないという絶妙なバランス感でもっている。
午後はランチハットから見える稜線を歩き一番下までパウダーランを滑って帰る。
クリスと固い握手を交わしランチハットを後にした。
スキー場の賑わいを後にして静寂な山へ入ると気持ちも引き締まる。
稜線を登りつめるとさっきまでいたランチハットが小さく見える。
この日はスキークラブの集まりもあってクリスも昔の仲間と楽しい時を過ごすのだろう。
彼の人生の中でも今日という日は大きな1日だったであろう。
そんな時に同じ時間同じ空間を共有できたのは嬉しい。
この仕事をやっていてよかった、とつくづく感じた1日だった。


あの山で起きた雪崩がここまでやってくる。
クリスの同僚が埋まって救出されたのもここだ。


故にロープトーを曲げて安全な場所に乗り場を作った。


ブロークンリバーとの境界へ登る人がいた。


水場の看板が新しくなっていた。


土曜日、そしてクラブのスキーレースもありランチハットは大賑わい。


スキークラブのジャンプ大会もあり、ジャッジがつけた点をギャラリーに見せる。


このおじさんがクリス。昔はこういうワンピースがあったなあ。
何を隠そう、僕もこんな派手じゃないが持っていた。


これから行く稜線を遠めに見る。さてどのラインを狙おうか。


スキー場の境界にはこういう物が設置してあった。ビーコンが正しく作用すると○がつく。


美味しそうな斜面を横目に稜線を登る。


山頂からさらに奥にも滑った人がいた。


1日の終わりはこんな場所を滑った。
この仕事をやっていてよかった。
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8月21日 Porters

2015-08-23 | 最新雪情報
この前はハットで昔の想い出に浸ってしまったが、ポーターズでも懐かしい顔に出会った。
久慈修というSIAのデモンストレーターをやっていた男だが、彼とも25年ぐらい前からの知り合いである。
スキー武者修行でニュージーランドに始めて来た久慈とシンガポール航空の同じ便で出会い、クィーンズタウンに来てからは僕のフラットに晩飯をよく食べに来てビールを一緒に飲んだ。
当時はエクストリームスキーというものが出始めて、スキーで崖を飛び降りたりとんでもない急斜面を滑ったりと今のバックカントリーやフリースタイルの走りのような時代だった。
久慈と二人でウォーレンミラーのスキー映画を見に行き、興奮したヤツが「聖さん、オレの将来が決まりました。オレはあのエクストリーマーってヤツになります」と叫び、僕は「そうか、がんばれよ」と励ましたのだが次の年に会ってみるとヤツは基礎スキーのデモンストレーターになっていた。
そういうヤツだ。
その久慈も20年努めたデモンストレーターを引退したそうで、これからは次のステージに向かっていくのだろう。
懐かしい顔と握手を交わした後は、本業へ戻る。
この日のお客さんは留学生の高校生。
フランス、ドイツ、日本、タイ、チリ、と顔ぶれも様々。
スキー経験者を連れて山頂の見晴台へ登った。
ここの展望はすばらしく、全員感動の嵐である。
自然を美しいと思う心に国境はない。
いつか世界中の人がこの感動を味わえるような、そんな世界を僕は夢見る。


久慈と二十年ぶりぐらいに一緒に写真を撮った。お互いに若い時にはやんちゃだったなあ。


Tバーのすぐ横でスラロームを張っていた。ギャラリーも多く、気合も入る。


ヘルプのめぐみちゃんはスノーボードのインストラクター。
ブロークンリバーに行ってみたいと。行きましょう。


各国からの留学生が山頂に集った。
この場だけ見れば世界は平和で人類は兄弟。
そういう世はいつ来るのだろうか。
その雛形がニュージーランドにある。ような気がする。
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8月17日 Mt.Hutt

2015-08-18 | 最新雪情報
普段ならば1シーズンに1回、多くて2回というマウントハットだが今年はもう3回目だ。
ここは20代の頃に何シーズンか過ごした場所で、甘い思いも苦い経験もある。
週末にブロークンリバーに連れて行ったオージーのお客さんが20年前にハットにいて、「その時に会ったなあ」などという話をしたばかりだ。
これもまた縁というものだろう。
ハットにはササキコージというスノーボーダーがキャンプをやっている。
そのキャンプも20年以上も続けていて、山のカフェで子供の話なぞしていると、お互い年をとったなあ、などと感慨深くなってしまう。
その頃一緒にやっていた仲間とはこの前日本で会い一緒に酒を飲んだが、中には死んでしまったヤツもいるし、行方が分からなくなってしまったヤツもいる。
トップタワーズ、サウスフェイス、20代の頃に若さに任せガンガン滑った場所を滑りながらノスタルジックな想いに浸った1日だった。


期待をしないで登っていったが、新雪が15cmぐらい。
おおお、タワーズがオレを呼んでるぜ。


本日の1本目、トップタワーズ。けっこう急なんだな。


元気のいいヤツが降りてきた。


サウスフェイスへ行くトラバースの途中。


サウスフェイス、南向き斜面というだけあって日当たりは悪い。その分雪質は良い。
岩場の下はでっかいパウダーバーンだ。


最下部からのトリプルリフトは高速ではない。
高速リフトは便利だが、これぐらいの遅いリフトが今の自分には心地よく感じられる。


山頂からノースピークを望む。あそこには2回登ったことがある。


当時は苦労して行った尾根上のトラバースも今では圧雪が入り楽々コース。


山頂から見る景色は変わっていない。
変化しているのは自分の心か。


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8月16日 Broken River

2015-08-17 | 最新雪情報
週末、土曜日と日曜日にBRへ行った。
両日とも晴れず、視界はほとんどなし。
霧雨のような雪が一日中降り続いた。
山なのでこういう日もあるな。


駐車場でこれぐらいの降雪があった。


パーマーロッジから上は真っ白で何も見えない。


まともに滑れる状態ではないので、こんな物を作った。


テールでロープをこすってみたり。


パトロールも飛ぶ。安全を確認しなくては。


帰り際に下部が少しだけ晴れた。
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8月12日 Broken River

2015-08-14 | 最新雪情報
この日はドイツからの留学生を連れて山へ登った。
ロープトーのスキー場というものは独特のものがあり、大好きという人とあんまりという人に分かれる。
グループの中でも、「大好き、もっともっと行きたい」という人と「どっちかと言えばチェアリフトとパークがいいなあ」という人がいた。
スタイルの違いなのでどうすることもできないが、前者はほぼ間違いなくこの山に戻ってくる。
グループの中の一人、カトリンは16歳。
スキーインストラクター志望というだけあってスキーの腕前は上々。
アランズベイスンの奥のパウダーも、超急斜面のシュートも大喜びでついてくる。
その人が持っているスキー場という概念を崩して、視野を広くし人生観にも影響を与えてしまう。
この山はそういう場所だ。


山はよく晴れ渡り、人々はスキーを楽しむ。


カトリン16歳。クラブフィールドに目覚めたか。


カトリンが満面の笑みで奥のバーンに向かう。


前回の降雪から4日経っても雪が腐っていない。そりゃ笑顔にもなるわな。


お昼は定番のバーベキュー。みんな若いからよく食べた。
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百レボと愉快な仲間たち 4

2015-08-13 | 
祭りの翌日は米原まで小正の車で送ってもらった。
この日は大阪へ行くので米原は遠回りになってしまうがJRパスで鉄道乗り放題だ。
新幹線に乗れば大阪へ行くのも早いし、それにせっかく出会った彼らともう少し一緒にいたいとという思いがあった。
小雨の降る中、近くの神社にお参りをして日野を発った。
祭りのメインの日が晴れで良かった。
あれが雨だったらまた違うものになっていただろう。
車は田園地帯を走る。
高い建物がないので遠くまで見渡せる。
何気なく景色を眺めていると、田んぼの中にこんもりとした茂みが見えた。
近づくと赤い鳥居が見えその奥に社が見えた。
そうか、これが鎮守の森だ。
そういう視点で見ると到る所に杜がある。
田んぼの中にポツリとある鎮守の森はどれも小さいながらも存在感がある。
あの一つ一つの中に規模は違えど昨日僕が感じたような神様がいるのだろう。
日本は神の国だと言ってこきおろされた総理大臣がいたが、それは言う人の人間性の問題であり日本は神の国であることに間違いない。
神という物をどのようにとらえるかで物事の見方は変わる。
神とは自分の中にあり、自分達もそれの一部であるというのがマオリにもアイヌにも神道にもその他の宗教にも通ずるところではないだろうか。
ドライブは続き、彦根城を遠くに見て市街地に入り米原に着いた。
星子家族とも仲良くなり、このまま一緒に旅を続けて行ったら楽しいだろうなと思うのだが、僕には僕の行く道がある。
その日は大阪に行くことになっており、そこでは僕を待ってくれている人がいる。
小正そして星子家族と別れ、僕は再び旅に出た。



本州、そして北海道を廻り、ニュージーランドに帰る予定を立てた時、もう一度西やんに会いたいと思い連絡をした。
「前回はあわただしかったがもうちょっとゆっくり話したいね、できれば一杯やりながら」などと言っていたら、星子のはからいで西荻窪にある星子が勤める治し家という針灸院で宴ということになり、僕もその晩は治療院に泊めてもらう流れとなった。
相変わらず行き当たりばったりの旅である。
前の晩は巣鴨に泊まり、その日の朝にお婆ちゃんの原宿を見物してから西荻窪へ向かった。
今まで中央線沿線というのは縁がなかっただが、今回はご縁があったのだろう。
西荻窪の駅で降り、歩いてすぐの所に鍼灸院がある。
そこの院長の角谷さんと話をしているうちに、仕事を終えたみんながやってきた。
西やん、ごっちゃん、角谷さん、星子家族、星子の友達のエリちゃんと乾杯を交わす。
合言葉は百姓万歳だ。
宴が盛り上がってきたところで小正も遅れて登場。
集まるべき顔ぶれが揃った。
心の深い所で繋がる人達とは、話が早くそして深い。
一対一で各個に会って話をするのもいいが、波長の合う人達との集まりはそれとは違うものがある。
場は盛り上がり僕は院長のギターを借りてマオリの唄を何曲か歌い、最後はマオリの賛美歌、神に捧げる歌で締めた。
今回のジャパンツアーではあちこちでこの歌を歌ったが、これが日本で歌い収めだな。
東京でライブをするかと漠然と思ったが、これが東京ライブだったのか。
マオリの歌は父の神に捧げる歌で、僕はこの歌を歌う時、いつも何か大いなる存在を感じる。
それは自分の後ろ、やや上の方向で、何か漠然と大きなものという感じか。
それは日野祭りで感じた感覚と似ていて、後ろから背中を押してくれるような感覚。
目に見えない進むべき道へ、導いてくれるような気持ち。
それが後ろから来るのを感じる。
同時に示唆されるのは引っ張ってもらってそこに行くのではなく、自分の足で一歩ずつ踏み出す事。
これは行動を意味しているのではないかと思うのだ。
自分の行動の現れが目の前の仲間であり、その仲間と共に新しい世界を作っていく。
そしてクライマックスは星子が提案する地球人70億人による地球祭り。
スケールがでっかいね。
そのでっかい話に対して世の常識のあるオトナはこう言う。
「そんなことできるわけない」
「理想論だ。現実を見ろ」
「簡単じゃないぞ」
あーあー分かった分かったよ。
あんたたちのその言葉はクソ食らえだよ!く・そ・く・ら・え。
いいかげんに目を覚ませ!
できないと思った時点でできなくなる。
その時点で僕が見る未来とその人が見る未来は違うものになっている。
どうぞ、あなた達はあなた達の見る未来に行ってください。
それはどんな世界ですか?
簡単じゃないと言う人も同じこと。
自分は分かっているんだというスタンスで、結局はブレーキをかけていることに気がついていない。
簡単じゃないと思えば難しくもなるし、簡単だと思えばこれほどシンプルで簡単なことはない。
あとは各自それぞれの心次第、気持ちの持ちようということだ。





刻一刻と世界情勢は変化している。
地球もまた然り。
まだまだこれからも動き続けるだろう。
今回出会った仲間達も前に向かって進んでいる。
行動力のある星子は伯宮さんと連絡を取り合い、再び日野を訪れ東京でのトークショーを企画した。
西やんの人脈で百レボはこれからもどんどん広まるであろう。
ふと思ったのだが百レボの映画化なんて面白そうじゃないか?
近い将来、日本のあちこちで百姓ビレッジが出来て、その流れは世界に飛び火していく。
いやすでにその兆候は世界中で現れ始めている。
中央銀行を追い出した国、地域通貨を考え始めた地域、フリーエネルギーの発明。
それらが全て混ざりながら目指す所は地球祭り。
地球祭りで美味しい酒を仲間と一緒に飲みたいじゃないか。
そこに向かって自分の足で歩いて行こう。
光はそこにあり。

百姓万歳。

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8月11日 Porters

2015-08-12 | 最新雪情報
山は快晴、雪質は良好。
冬本番である。
平日のスキー場は人も少なく、ちょっとハイクアップすれば誰もいない場所で景色を独り占めだ。


お客さんのマティアス、15歳。ドイツからの留学生。
このバーンに一番乗りだったと喜んでいた。


確かに朝一の圧雪バーンは気持ちいい。
サーキットは走った事が無いけれど、そういう感覚かな。


だけど自分が来てしまうのはこういう場所。


数日前はあの山の尾根からこちらを見たのだな。


帰り道に凍りついた湖でちょっと休憩。


今日は早く終わったので、帰ってきてから犬のお散歩。


わずか数時間前には、はるか彼方の山の上に立ち街を眺めた。
この時間と距離の感覚が好きだ。
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百レボと愉快な仲間たち 3

2015-08-11 | 


ホシコタケノリというのがフルネームだが、星の子と書いて星子。
すごい苗字だな。
年のころは30代半ば。長身にスキンヘッドで作務衣なんぞ着ているのでそのまま坊さんで通りそうだ。
今回は彼が百レボでどかーんとやっつけられ、その勢いで蒲生の里へ百レボの著者、伯宮さんを訪れた。
ゴールデンウィークを利用して奥さんと2歳になる娘、そして友達の小正と4人で東京から車で来て、そこに僕が合流した。
星子そして小正は大学時代からの友達だそうで、ぶっとんだ和尚のような星子に対しイケメンで普通にインテリっぽい小正の組み合わせがよい。
聞くと星子は人の体を治す仕事を、小正は人に物を教える仕事をしていると。
なるほどね、そんな感じがするわ。
初対面だが西やんから繋がってきているので話は早い。
互いに遠慮をすることなく、深い話がバンバンできる。
昨日から一部始終祭りを見ている星子と小正がいろいろと説明をしてくれる。
800年以上続いている祭りで、神子と呼ばれる3人の子供達を神様の使いとして祭りを進める、などなど。
二人ともにスピリチュアル的なものも感じるようで、祭りの一環でお供え物をした時には神様が降りてきたのを肌で感じたそうな。





そんな話をしていたら渡御が出る、神子や神輿が出るというので近くへ行ってみた。
その時は知らなかったが、どうやらこれが祭りのクライマックスだったらしい。
神輿のある拝殿では巫女さんとか神主さんが何やら儀式をやっている。
近くと言っても距離は十数メートルは離れていたのだが、そこにいた僕はその儀式の時に出た『気』に打たれてフラフラになりぶっ倒れそうになった。
ただでさえ9年ぶりの日本で、その辺の神社に行っただけで手がピリピリと痺れるぐらい『気』に対して敏感になっているのである。
それが800年も続いている本物の祭りを目の当たりにして、すさまじいばかりの気に当たってしまった。
こんな感覚は、昔チベットのお寺に行って仏像を見て、あの独特の目に吸い込まれぶっとんでしまったが、それ以来だ。
星子も小正もやはり同じように感じていたらしい。
「ダメだこりゃ、何か飲まなきゃ正気を保てないや」というところで意見が合い、とりあえずビールだなということで意気投合、一致団結でビールを求めて神社を一時離れた。





このタイミングで星子が百レボの筆者、伯宮さんと連絡を取り合流。
星子たちはこの前日にも会っているのだが、僕は初対面である。
年は僕よりも少し上ぐらいの素朴な感じの人だ。
あの本の内容からして一回り、もしかしたら二回りぐらい上の人を想像していたのだが、思っていたよりも若い。
はあ、この人があの本を書いちゃったのか、すごいな。
伯宮さんの奥さんの祐代さんとも会った。着物を着ているのはお祭りだからか、素敵な人だ。
聞くと、日野は祐代さんの出身地だそうで、北関東の方に住んでいたのだが最近こちらへ移り住んだと。
先ずは何はともあれみんなでビールで乾杯。
ビールを一気飲みして、やっと人心地ついた。
そこからはお喋りをして屋台の物を食べビールを飲みそぞろ歩きをして、という具合に祭りを楽しむモードに切り替わった。
星子は以前から地球祭りというのを考えていて、百レボを読んでスパークしたそうな。
「あの本は僕のイメージと全く一緒なんです。あれのラストは僕が書きました」などという言葉を筆者本人の目の前で話してしまうところがすごい。
僕も伯宮さんに感想を求められたが上手く言葉にできずに、なぜか話題を変えてしまった。
深く感動した本の筆者に会えるなんてそうそうあるものではない、ましてやニュージーランドに住む身である。
何故もっとあの時にもっと百レボの事について話さなかったのか、それは自分でも分からない。
本についての話はあまりできなかったが、それ以外にいろいろと話もできたので、まあそういうものだったのだろう。





来る時にはゆっくり見られなかった屋台やお店も覗く。
ちょっと気になった木彫りの工芸品を見ていると祐代さんが来て「うちの父です」と紹介をした。
ああ、こういうのは偶然ではなく、なるようになっているのだなと、気になっていた勾玉の形をしたネックレスを女房に買った。
祭りの行列が通りを通る。
竹の棒で地面をバンバンと叩きながら「やーれ、やーれ」という掛け声をかけながら街を練り歩く。
星子がその掛け声に合わせて「やーれ、やーれ」と言い始めた。
そうか、祭りは見るものではなく参加するものだな。
僕も自然と声を出した。
声を出すと不思議な事に一体感という物が感じられる。
ブラブラと歩きながら神社へ戻る途中で、祐代さんの親戚を紹介されて曳山に乗せてくれるというので行ってみた。
順番を待つ間にコップを渡され日本酒を注がれ乾杯をして、何を話したのか全く覚えていないが妙に盛り上がり、曳山の事なぞすっかり忘れてしまった。
周りで笛と太鼓の祭囃子が速いリズムで鳴り響く。
この音楽がこれまたヤバイ。ヤバイという言葉はあまり使いたくないけれどヤバイ。
エンドレスで延々と同じ調子で続くのだが、これが妙に感覚を麻痺させるのか、夢うつつにするのか、現実離れした感覚に人を酔わせる。
神社という環境が持つ気、延々と流れる音楽、そこで行われる人間の営み、当たり前のように出される酒、仲間との語り合い。
全てが絡み合い、僕はすっかり祭りに酔ってしまった。





祭りも落ち着いてきた夕方。
そろそろ帰ろうかという時分に小正が言い出した。
「神社の裏へ行ってみませんか?本当に大切なものは隠してあるんですよ。簡単に人目に触れられないように。何があるか分からないけど行ってみましょうよ」
全員異存なし。小正を先頭に星子、伯宮さん、祐代さん、そして僕の5人は神社の裏に向かった。
ナルホドよく見ると、裏へ続く踏み跡が壁に沿って続いている。
そこを抜けて神社の間裏に廻ってみると、何やら立っている。
近づいてみるとそれは五角形の木の柱だった。
「これがご神体だあ」
見るとその前に大幣(おおぬさ)と呼ばれる神道の道具が5本。
そのうち1本が倒れていた。
小正がそれをなにげなく直した。
ああ、これをするためにここに呼ばれて来たのだな。
ご神体をよく見ると神様の名前が書いてある。
どうやらここに祭ってある神様は五人、そして居合わせた僕らも五人。
5人そろってご神体にお祈りをする。
近くには大きな木があり、白いヒラヒラが貼ってある。
これがご神木なんだな、ご神木にもお祈りを。
ご神体のある場所はは特別な場所ではなく、近くを通る車も見える。
ただ向こう側からは茂みに覆われ、言われなければ気がつかないだろう。
本当に大切なものはすぐ近くにあるものなのだ。





そこで僕ははっきりと感じた。
自分が日本にやってきた理由を。
それはこの場に居合わせるために来たのだと。
もちろんこれだけが全てではなく、家族に会ったりトークライブをやったり友達に会うというのも大切なのだが、この場に来るというのはある意味使命のようなもので自分がやるべき事の一つなのだと。
この場にこうやって僕ら5人が集まるのは誰が欠けてもありえなかったことだ。
伯宮さんがいればこそ、百レボがあり、心を震わせた人が集まった。
祐代さんがいればこそ、この日野という街に皆が集まった。
行動力のある星子がいればこそ、このタイミングで伯宮さんに会いに行こうとなった。
霊性の強い小正がいればこそ、神社の裏をお参りすることになった。
そして僕がいたから星子と小正は百レボに出会い、こういう流れとなった。
誰が偉いという話ではなく、皆がそれぞれに個性を生かし、一つになった。
大きな流れの中で自分の役割という物をはっきりと感じた瞬間でもあった。
全てが繋がった。
最後の最後まで予定が決まらずこの日だけポッカリ空いていたことも、西やんとのつながりも、クィーンズタウンの家にこの本があったことも、偶然は何一つなく全てが起こるべくして起こり、今ここに自分がいる。
ああ、自分の道は何も間違っていない。
今向いている方向にこのまま進んでいけばいいのだ。
包み込まれる母なる大地の愛とはちょっと違う、何か大きな力で背中を押され自分の足で前に進めと示唆されている。
あえて言うなら大いなる父のごとく、そんなイメージが心に浮かんだ。




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