あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

地震 その後

2010-09-16 | 日記
クライストチャーチの地震から10日が過ぎた。
余震もかなりおさまり、体で感じる地震は1日に数回となった。
町は復興に向けて動き出し、学校もほとんどの所は始まった。
深雪もオヤジの「学校サボってスキーに行こうぜ」という誘惑にも乗らず、元気に学校へ通っている。
普通はこういった出来事をたまたまそこで起こった偶然、として考えるがボクは違う。
ボクはこれはある種のメッセージとしてとらえる。どこか遠い世界からのメッセージなのだ。
メッセージと言ってもいろいろある。言葉によるメッセージが一番分かりやすい。
歌や映画、芸術といった人間が作り上げたものがメッセージになる時もある。
同時に自然の営みがメッセージにもなるのだ。
それは受取手次第。偶然の出来事かメッセージか、それを決めるのは人間だ。

まず今回の地震で誰も死ななかった。これこそが一番大きなメッセージであろう。
命の大切さ、などと人々は軽々しく口に出すが本当に理解しているのだろうか。
その証拠にこの地震で人が死ななかったことが『奇跡』という一言で片づけられている。
たしかに奇跡には違いない。マグニチュード7.1というのは相当大きなエネルギーだ。
時と場所が違えば一度に何万人という人が死んでもおかしくないエネルギーの強さである。
地球は生き物だ。生きているのだからゲップやおならもする。それが地震や火山という形で地表に現れる。
それによって人がたくさん死ねば大災害となる。
この地震で誰も死ななかった事は喜ぶべき事で感謝すべき事なのだ。
ここがポイント。誰も死なない、この先に『でも』とか『だって』とか『そうは言っても』は無い。
これを理解した上で話を続ける。
ボクはこれでお祭りをしてもいいと思う。『2010、クライストチャーチ、大地震はあったけど誰も死ななかった祭り』イエイ。
だめですか、こんなの?
だって可哀想な人がいるから?
だって、はありません。
生きている。これが大切でしょう。
お祭り騒ぎをドンドンやれば良い。お金を集めて、被害を受けた人に回せばよい。
こういう考えをできない人もいる。



地震の後、あるTシャツが売りに出た。
地震計の針が出す線でクライストチャーチの大聖堂をデザインした物だ。
このTシャツ、普段は30ドルのところを地震スペシャルで20ドル、そのうち5ドルをチャリティーに回すという、素晴らしい企画である。
だが残念なことに販売中止になってしまった。
地震で商売をするのはけしからん。被害にあった人がいるのに可哀想でしょ。
そういう声があがったのだろう。
バカバカしい。
被害にあった人がいるのは認めるが、全ての人がそのレベルに合わせる必要はない。実際、うちのように何もない家が大多数なのだから。
「あなたは自分が被害にあってないからそんなことが言えるのだ」
という声には言い返してやる。
「たとえ地震で家がつぶれたとしてもボクは生きていることに感謝を保ち、結果をありのままに肯定的に受けとめる覚悟はできている。周りの無傷の人が喜んでそのシャツを着て、それでお金というエネルギーが廻るならばそれもいいだろう」
被害を受けた人も、無傷の人も、『生きている』という喜びから離れてはいけない。
その上で自分に何ができるのか考えるのだ。
地震で商売をするのはけしからん、という人もいる。
妬みなのか僻みなのか、よくよく道理というものが分からない人達だ。
ちょっと考えれば分かるだろう。
普段$30で売っているシャツを$20で売って$5チャリティーに出せば残りは$15。
シャツの原価とか流通にかかる費用、人件費を考えれば儲けなど出ないだろうに。よくよく人の足を引っ張るのが好きなのだ。
物もお金もエネルギーである。Tシャツというエネルギーをお金というエネルギーに換え必要な所へ廻す。
行動の原動力が儲けるためではなく、人助けの為なのだ。その人、会社がやっている、自分がやるべき事である。
実際にこのTシャツのチャリティーは$9000にもなった。さらにそこに会社から$2000上乗せして$11000のお金というエネルギーをレッドクロスに寄付している。
それだけの自分達の儲けにならない仕事をしていて、周りからあーだこーだ言われたらイヤになるわな。
だいたいこうやって人の足を引っ張るヤツに限って、自分では何もしないものだ。
それどころか、せっかく芽生えた愛の芽をつみ取ってしまう罪深き人達だ。
地震の後、良い点がたくさん見られたがこういう馬鹿馬鹿しい点もある。
これも人間の持つ良い点と悪い点を現すメッセージである。

地震というのは地球がエネルギーを放出する現象だ。
いつ、どこにでもありうる。
時と場所によっては大惨事になる。
今回と同じ地震が海の真ん中でおきたらどうなる?津波による被害は想像を絶する物だ。
大都市の真下で起きたらどうなる?何万という人が死ぬだろう。
みんな地震を悪者扱いにしていないか?
必要以上に恐れていないか?
しゃあないやん、地球だっておならぐらいしたいさ。
溜まっているエネルギーをプハーっと吐き出したいさ。
だけど地球だって人間が死ぬのを望んではいない。
人間社会が混乱するのを望んでいない。
できることなら誰にも気付かれずに部屋の隅でプッとおならをしたいぐらいだろう。
だけど周りにいた人はちょっと臭いねと気が付いてしまった。
おならが部屋中に拡散してそこにいる人がバタバタ倒れるなんてことは避けたいのだ。
地球はそれぐらいボク達を気遣ってくれた。
だから、あの日あの時あの場所で地震は起こった。
今回は天気も味方してくれた。
地震の日は穏やかで風もなくポカポカ陽気だった。
おかげで助けが必要な人はすぐに行動に移れたし、それ以外の人は必要以上に不安を持つこともなかった。
道路が水浸しになった場所があったが、大雨が降っていれば被害はかなり大きくなったはずだ。
これを偶然で片づけてしまうのか?

それからこの国で起こったというのも興味深い。
ボクは常々、ニュージーランドという国は、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアといったアングロサクソン白人の国の中ではカナダと並び最も進んでいる国だと思っている。
物の考え方や社会が進んでいるという意味で、経済とか技術とか国の大きさ云々を言っているわけではない。
アングロサクソン特有の合理性がうまい具合に社会を作っているという意味でだ。
その合理性が今回の地震直後の行動だろう。あの市内の封鎖が遅れたら、混乱はもっともっと大きくなったはずだ。
常に自分が中心の中国や、その場のノリで動くラテンの民族、その他エゴを克服できない国では混乱が起こるだろう。
一度混乱が始まったらそれを鎮めるためのエネルギーが必要となる。結果、復興は遅れる。
これらの国でニュージーランドとカナダは最も平和な国であろう。ニュージーランドは世界でもトップレベルで平和な国と言えるだろう。
人が戦争で死ぬのを望んでいない国、とも言える。
人が死ぬのを望まないという想いは地球規模のエネルギー放出でも、人が1人も死なないという結果を作り上げた。
さらにアングロサクソンの長所である合理的な物の考えと行動により、社会の混乱を防ぐことが出来るということを証明した。
たぶんカナダで地震が起こっても同じような結果になったと思う。
イギリス、オーストラリア、アメリカでは?
知らん。

こうして人間の想いと地球のおかげで、地球のおならをやり過ごせた。
この一連の動きこそボクはメッセージだと考える。
人間社会が地球のエネルギー放出をうまく受け流したということだ。
やるじゃん、人間。やればできるじゃん。
そう、人間はこうなればいいな、と思ったことを実現する力を持っている。
個人でも人類でも。
川で洗濯をしていた時に「なんか箱みたいなものに洗濯物をポイポイ入れて、ボタンを押したら洗濯ができてる、っていうような物がないかしら」と思えばいつのまにか実現する。
空を飛ぶ鳥を見て「人間も空を飛んで移動できるようにならないかあ」と思えば実現する。
誰も死なないようにと強く念ずればそうなる。
自分だけ助かればよいという考えはダメだ。それはエゴだ。
幸せとは他人の不幸の上に成り立つものではない。
自分も相手も幸せ。みんなハッピーでなければ、本当の幸せとは言えないだろう。
生きていることが幸せ。みんな生きてる。故にみんな幸せ。
シンプルじゃあないか。
生きていること、食べ物があること、水が飲めること、健康であること、電気が付くこと、電話が繋がること、家族が揃うこと、こういった全ての『あたりまえ』にあることにボクは感謝をしたい。
そしてこれからも前へ向かって進むだろう。



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タイミング

2010-09-14 | 日記
全ての物事にはタイミングがあり偶然という事はなにもない。
人は会うべき時に会うし、会うべき時ではない時はどうやっても会えない。
起こるべき時に物事は起きるし、そうでないときは何も起こらない。
人々は偶然という言葉で全て片づけてしまうが、ボクは全て意味があるととらえる。
大きな事は今回の地震から、小さな事はうちのニワトリが卵を産んだことまで、全てはタイミングである。

先日、タイとガールフレンドのキミが家に遊びに来た。
タイは今さらくどくど書かないが、スーパーポジティブ、一点の曇りもない輝く存在で、ヤツは天気さえも変えることが出来る。
雪が欲しい時に雪が降るし、晴れて欲しい時にヤツのいる所は晴れる。
とてつもなく強い力を持った男で、こういうヤツの周りにはイヤな人が寄ってこない。
イヤな人とは、人からエネルギーを奪うような人で、暗い何かを心の奥に持っている。
そういう人はタイの明るい光がまぶしすぎて近寄って来れない。
逆に明るい光を持った人、地球からエネルギーを受け取り他の人にエネルギーを廻せる人、明るく楽しく正しく生きる人、こういった人はタイの所へ寄ってくる。
引き寄せの法則である。
ガールフレンドのキミも同じく明るい光を持っている。
『そうだな、これぐらいじゃないとタイの彼女にはなれないな』というぐらいの女の子だ。
強いイメージを持って現実化できる人である。
スキーを始めて3日めにブロークンリバーのメイントーに乗ってしまった強者だ。
内面からにじみ出るブスというのはたまにいるが、彼女は間違いなく内面からにじみでる美人である。
その二人が我が家に遊びに来た。

ブロークンリバーでインストラクターをやっていたサムと彼女のユーコ、この二人も素敵な人でボクはよく彼らを家に招く。
タイとキミ、サムとユーコ、そして我が家の3人で一緒に中華を食べに行った。
料理は美味く、酒は進み、会話は楽しくはずみ、全員腹一杯食べ、満足満足の晩であった。
翌日はブロークンリバーへ滑りに行こうか、などと話していたが天気もぱっとしないのでタイ達二人は、クライストチャーチの地震の後の様子を見がてら買い物に行くことになった。
できたて納豆と庭の野菜の味噌汁の朝飯を食べ終え、庭でボクとタイは話をしていた。
エネルギーのこと、自然のこと、人間のこと、野グソの話などなど、話は尽きない。
タイとは100%本音で話ができる。年の差はボクの方が上だが、魂の年齢はタイの方が上かもしれない。
「いやあ、ひっぢさん。地震の日はテンプルにいたんですけど、良かったですわ。山全体が幸せのバイブレーションに包まれていてね。会う人会う人、みんなニコニコしてて。最高の一日でしたよ」
「そうか、良かったな。それはオマエがそうさせたんだよ。オマエの強い明るい光がそういう状況を作ったんだよ」
「そうかあ」
「オマエ、楽しいことだらけだろ?」
「そうですね。楽しいことばかりです」
「悩みはあるか?」
「う~ん、・・・・・・・・ないなあ」
「それでよい。時々こういう人がいるだろ?『君ねえ、人生楽しいことばかりじゃないんだよ。そうやって楽しい楽しいって言っているとそのうちに足元をすくわれるよ』こういう人いない?」
「いるいる。たまにいますね。」
「大間違いだね。楽しいことばかりの人も世の中にはいるんだよ。それがオマエだ。楽しいというのは自分がやるべきことをやり、いかなる出来事も肯定的に受けとめる覚悟をもって、その瞬間を生きることを楽しいというんだよな。何もしないで流されるだけで楽しいと言っているのと訳が違うよな」
「そうっすねえ」
こんなことボクに言われなくてもタイは分かっているはずだ。だが時には言葉に出すことも大切だ。数年前からボクがタイに言う言葉は「どんどんやりなさい」これだけである。
片づけを終えたキミも庭に出てきて話の輪に加わった。
こういうスーパーポジティブな人が集まると常に面白いことが起こる。
ニワトリ小屋の前でニワトリの話をしていると、ふと庭の片隅に目が行った。
次の瞬間、ボクは思わず叫びだした。
「やったあ、ついに産んでくれたぞ」
ニワトリエリアの隅、ポロポロの木の下に小さな茶色の卵が一つ。
待ちに待った初卵である。
なんというタイミング。タイもキミも大爆笑だ。
「ありがとう、ヒネ、ミカン、そうかお前達もタイとキミのエネルギーを感じて卵を産んでくれたんだな。ありがとう。お祝いしなくちゃな」
ボクは家の中からヤツらのお気に入りのソーセージを持ってきて、小さくちぎり分け与えた。
二羽とも喜んでつつく。
「タンパク質は必要だからな。たくさん食ってくれ」
こういう人が集まる時、1+1=2ではなくなる。1+1が10にも20にもなる。
まして3人集まるとその数は加速度的に増加する。10万にも1億にもなる。
こうしてボク達の普通では見えない明るい光はこの世を照らす。
庭の野菜達はエネルギーを感じ葉を生い茂らせる。その葉をニワトリが食べる。ニワトリの糞は肥料となり次の世代の野菜を育てる。
理想的なサイクルが生まれる。人間は不完全な存在なので、こういう良いサイクルができると嬉しくなる。
嬉しいという想いは良いエネルギーとなり野菜やニワトリを育てる。好循環である。
ボクは庭で瞑想しながら、ニワトリが大きくなって健全な卵を産むのを念じていたが、タイとキミの影響でそれが実現した。
このタイミングは偶然ではない。
「さあさあ、肉の後は野菜だな」
ボクは畑の白菜をちぎると二羽にさしだした。喜んで食う。
「美味いか?もっと食え。それで美味しい卵を産んでくれ」
タイが笑いながら言った。
「あ~あ、ひっぢさん、もうこの鶏食えないね」
タイは以前自分の所で飼っていた鶏が隣りの犬にかみ殺された時に、自分で捌いて食った。強い男でもある。
「そうだな、こうなっちゃったら食えないな。でもそれでもいいかな。お前達、オレはオマエを食わないから安心して育ってくれ。寿命が来たら庭に埋めてあげるから、それまで元気に美味しい卵を産んでくれ」
二羽とも、何を言ってるのか分からない、という顔で野菜をついばむ。



さて待ちに待ったこの初卵、どうやって食べようか。
この幸せは1人で味わってはいけない。家族が揃ったときに食べるべきだ。
娘も女房も帰ってきて、初卵のニュースを聞いて大喜びだ。
その日の晩は知り合いと外に食べに行く予定があったので、記念すべき初卵を味わうのは翌日となった。
次の朝、ニワトリを小屋から出すと二羽とも昨日の場所に走って行った。
これはひょっとすると、ひょっとするかな。
数十分後、庭に出てみるとあったあった。小さな卵が一つ転がっている。
「ありがとう、ヒネ、ミカン、どっちが産んだか知らないけど美味しく頂くよ」
ボクは二羽に話しかけ、卵を手に取った。
まだ暖かい卵を深雪に握らせる。
家の可愛いニワトリから産まれた命、それを食べる喜びを教える。『いただきます』とは『命をいただきます』なのだ。教育とはこういうことだ。
卵かけご飯も考えたが、今朝はご飯を炊かなかったのでパン食だ。それなら温泉タマゴだな。
2つの卵を3人で分ける。
ちょっと温度が高くて温泉タマゴというより半熟タマゴとなってしまったが、ボクはこれも好きなのでよしとしよう。
ヒネとミカン、二羽の人生というか鳥生というのか、とにかく産まれて数ヶ月のエネルギーの集大成である。
タマゴの味が濃い。味付けはしょうゆのみ。しょうゆのしょっぱさが黄身の甘さと調和する。白身のブヨブヨ感が全体を包む。
とんでもなく美味い。
幸せである。
幸せとは常にそこにあるもので、心がそれを感じるかどうかだ。
こうなればいいなと思ったことは実現する。
そうなる力を人間は持っている。
全ての物事にタイミングに感謝をして受け入れ、自分のやるべきことをやる。
そうすればほら、人生はバラ色さ。ワッハッハ~。



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地震の一日 後編

2010-09-08 | 日記
地震があろうが何もなかろうが時が経てば腹が減る。
人間が生きていく上で、息を吸うことと水を飲む事の次に大切なのは飯を食うことだ。
昼飯はラーメンである。
冷凍庫にスープを凍らしたものがあり、冷蔵庫に焼き豚の残りとキャベツがある。庭には立派なネギが生えている。納豆と物々交換をした産みたて卵もある。
贅沢なラーメンだ。
こんな時でも、いやこんな時こそ家族揃って楽しく美味しいご飯を食べる。大切なことだ。
女房が作ってくれたラーメンが美味い。幸せとは常にそこにあるものなのだ。
午後になっても揺れはある。家の外より中に居る方が揺れは感じるようだ。
ボクは深雪に言った。
「地震なんてのは地球のおならみたいなものなんだよ。こういう小さい地震は地球がプッとおならをしたのさ。だけどたまにおならだと思ってしたらウンコが出ちゃうときもあるだろ?それが朝の大きな地震だったんだよ」
地震とは地球のエネルギーが外に出る現象だ。夫婦ゲンカもそうだがエネルギーが溜まりに溜まるとどかーんと爆発してしまう。こういったエネルギーはある程度小出しにした方が良いのだろう。



天気も良いので家族で散歩に出かける。
家に閉じこもっている理由は無い。
メインストリートは車の通りも普段と変わらず、言われなければ大地震の後とは思えないのどかさである。
だが良く見るとアスファルトが割れていたり、液状化現象で砂が地表に吹き出す箇所があった。信号はまだ復旧しておらず、交差点で多少の混乱が見られた。
近くの公園までぐるっと廻る。日差しは暖かく雪をのせた山が広がる。典型的な春のカンタベリーの一日だ。
女房が言った。
「今度の地震では犬が吠えないわね。日本で地震にあったときは犬がワンワン吠えたんだけどなあ」
確かにそうだ。家の隣も裏も犬を飼っているが、犬の吠える声を聞いていない。
犬も本能的にこの地震では大丈夫、ということを感じているのかもしれない。
散歩の途中で犬をつれている人に会ったが、どの犬も普段通り落ち着いている。
散歩の途中でオノさんから安否を気遣うメッセージが入った。
オノさんはいつもローマ字読みでメッセージをくれる。丁寧なメッセージだがとても読みにくい。
内容はこうだ「ウチモソウデスケド コンナトキニ カゾクノ キズナノ タイセツサヲ カンジマス。ゼッタイ マケズ カゾクノヨサヲ タイセツニ オタガイ ガンバリマショウ」
とてもフリスビーをやって遊んでます、とは言いにくかったので「ハイ ガムバリマス」と返信した。



ボクは今は仕事がないので気が楽だが、こんな時に仕事がある人はたいへんだ。
電話がかかってきて女房のオフィスのアラームが鳴っていると連絡が入った。
どうなっているか分からないが、一応街へ行ってみるというので、ボクも深雪も見物がてらついていくことにした。カメラをもって弥次馬根性丸出しである。
家を出てメインストリートへ。近所の信号はまだ動いていない。
道を進むにつれ地震の被害があちこちで見られる。
傾いた街灯、たれ下がった電線。なんとなく街がざらついているような浮ついているような、不思議な雰囲気である。
街の中心に近づくと、ざらついた感じはさらに強まり、違う何かがあった。
クライストチャーチは大聖堂を中心に碁盤の目のように街が広がっている。
コロンボストリート、マンチェスターストリートが南北を通るメインの通りなのだが、そこはかなり離れた所でがっちりと閉鎖されていて車を停める余裕もない。
仕方がないので警備の手薄な所をねらって車を走らせる。
案の定、街の裏側の方は車も少なく中心から数ブロックの所に車を停めた。
3人で歩いて街の中心に向かうがロープが張られ簡単には入っていけない雰囲気がある。
そこにいた白バイ警官に女房が事情を説明する。
「ヒアフォード・ストリートにオフィスがあって、警備の会社から連絡がありアラームがなっているようなんですが」
「街の中心は入れないけど、まあ次の辻の所の警官に話してみなさい」
この問答はこの先何回も繰り返すことになる。
そしてぼくらはロープの中へ。



そこから中は歩行者天国状態。無人のビルの中からアラームが鳴っているのが聞こえる。
次の角へ来て警官と話す。全く同じ会話を繰り返す。警官の答も同じである。
そして次の角へ。人通りはまばらだ。
街の中心に近づくに連れ警備はものものしくなっていく。だが警官の態度は良く、威圧的な感じは一切ない。ここから先へ行くなら危ないから道のこっち側を歩きなさいと親切にアドバイスもしてくれる。
ビルの窓ガラスが割れ、ガラスが路上に散らばっている。一部崩壊した建物もある。
マンチェスターストリートまで来ても警官の答は同じである。
普段は賑やかなこの通りも今日は車もなく、所々にパトカーと消防車が見えるくらいだ。
崩壊して煉瓦が落ちた建物の辺りはテープが張られ、近くには近づけないようになっている。



先へ進むとテープではなくバリケードが置かれ、その先は歩いている人も見えない。
たぶんここまでだろうな。
警官と話をすると初めて違う答が返ってきた。
「建物の中には誰も入れません。落ち着いたらまた来てください」
まあ、そんなところだろう。ここで「いつになったら入れるの?」と警官に聞くのは意味のないことだ。誰にも分からない事だから。
それよりこれだけ警備がしっかりしていれば泥棒だって入れないだろう。
南米なら警察が信用できないが、ここの警察は威圧的になることなく、きっちりと仕事をしている印象を持った。
これだけの災害で街中に混乱が見られないのは、行政というものが機能的に動いているからだろう。非常時に敏速に動ける公共機関。
常日頃から言っているが、つくづくニュージーランドという国は社会が成熟した大人なんだと思う。
日本とは逆だ。
行政というものが足かせとなり、非常時に何も動けない社会は未熟で幼稚なのだ。



帰り道は弥次馬に早変わり、写真を撮りながら歩く。
窓ガラスが割れて落ちてきたら大ケガをするだろうが、地震の起こったのが早朝4時半という時間で、人通りもなく怪我人もほとんどでなかった。
これが昼間とか夜の盛りだったら被害はかなり大きくなっただろう。
来るときに会った警官とも挨拶を交わしながら歩く。
皆、自分がやるべき事をやっている人達で、いい顔をしている。
権力というものを傘に威張ることなく、気さくなニュージーランド人そのものだ。
帰りは崩壊した建物の写真を撮りながら進む。
見事なつぶれ方をした建物、崩れた家でひん曲がった信号機、被害は街のあちこちに見られる。
これだけの災害で死者は1人。その人も家の下敷きになったわけではなく、地震でびっくりして心臓麻痺になったらしい。
直接の死者はゼロである。
マグニチュード7,1というのはかなりの大地震である。
それだけの地震で多少の怪我人だけというのは奇跡だ。
地震の起こった時間も週末の早朝。一番被害や混乱の少ない時間に起きた事は偶然ではない。
やはりこの国は、『何か大いなる力』によって守られている。



帰りに女房の仕事仲間の家に寄る。
お茶を貰ううちに電気が復旧した。
ちょうどニュースの時間なので皆でテレビを見る。
ニュースでは目撃者が体験談を語っていた。
「割れたガラスが上から降ってきて怖かった。まるでハリウッド映画のようでした」
「とんでもない揺れでパニックになりました」
「水も電気も電話も止まってどうすればいいのか分からなかったわ」
全部その人達の本音だろう。
流れる映像は水浸しになった道路、割れた窓ガラス、物が散乱した商店、つぶれた家、火事で窓から火を吹く家、崩れた煉瓦の煙突。
だがボクは妙に冷めた目でそのニュースを見ていた。
以前友達が言っていた。
「ニュースはエンターテイメントだ」
大衆が望んでいるものは刺激的な映像であり、目撃者の恐怖にかられた体験談なのだ。
「うちでは娘がすやすや寝ていて、家の被害もなく、ご飯も美味しく食べ、その後家族でフリスビーをしました」ではニュースにならない。当たり前だ。
同じ経験をしても人間のとらえ方は違う。
ある人は面白いと思うことが、別の人にはつまらないことになる。ある人には怖いと思うことが、別のひとにはワクワクする出来事になる。
それぞれの人がその人の主観というもので発言をする。
ニュースでは恐怖にかられた体験談が取り上げられ番組が作られる。見ている方はまるでそこにいる全ての人がそういう経験をしたかのように思ってしまう。
恐怖は媒体を通して伝染して不安となる。
心配する気持ちは分かるが、北海道で起きた地震で九州の人を心配するようなことも生まれる。
友達が言った、ニュースはエンターテイメントだという言葉はこういう意味なのだろう。
うちにはテレビがないので久しぶりにテレビを見るとこういう白々しさを感じてしまう。
たぶんこれからも家にはテレビは置かないだろう。



今回の地震ではいろいろなことが見えてきたし、心に残った。
先ずは誰も死んでいないこと。ボクの中ではこれはトップニュースである。
これだけの大地震で死人がゼロ?とんでもなくすごいことで喜ばしい事だ。命があればこそ、被害だ復興だと言ってられる。死んじまったらそれどころではない。
生きるから喜びがあり、生きるから哀しみもある。
地震が怖いと言いながら生きるのも良かろう。
地震、雷、火事、親父。地震とは怖い物ランキングのトップなのだ。ナンバーフォーのオヤジは最近は怖くはないが・・・・。
それぐらい生きること、死なないということは大きな意味があることなのだが、生きることは当たり前になっているので、大きくとりあげられない。
ちなみにこの日、西海岸のフォックス・グレーシアでは飛行機が落ちて9人死んだ。
怪我人が極端に少ないというのも同じこと。そりゃこれだけの地震だ。怪我人ゼロというのは無理がある。
だが、大した怪我人もでなかったのは不幸中の幸いと言うより他はないだろう。
それから地震が起こった時間が土曜日の早朝、一番被害が少ない時間というのにも意味がある。
これは人が死なない、怪我人が出ないということに重なるが、社会的にも一番混乱の少ない時間であろう。
おかげで人々は土曜日と日曜日、週末を使い復興へと動き出せた。
人間のカレンダーは週末と平日というように区切られている。月曜になれば子供は学校へ行くし、大人は会社へ行く。
月曜日、社会自体が動き出す前に2日間を災害の復興にあてられたというのは、混乱をさけるためベストの時間帯だったとしか言いようがない。
偶然でかたづけるには大きすぎる出来事だとボクは考える。
地震の後の人々の動きも注目に値する。
機能的な社会、この一言に尽きるが混乱がなく迅速な復興への動き。
警察や軍隊が機能的に動き、行政というものが足かせにならずに社会が動く。
白人社会の特徴としては合理性というものがある。それがこの非常時にうまく作用していた。
建物は赤、黄、緑に色分けされ、危険な物には入れないが危険でないものには入れるようになった。合理的である。
全てを危ないという一言でくくることなく、使える施設は使い、危ない物は撤去する。
そういう姿勢が混乱のない社会を産む。さすがニュージーランド。こういう所は進んでいると思う。
必要な情報はメディアやネットで流し、個人がそれに沿って行動する。
結果スムーズに復興へと流れていった。
いくつかの古い歴史的な建物は地震で崩れてしまったが、それを嘆いても仕方ない。
形ある物はいつか崩れる。それに固執するのは執着だ。
マイナス無しのプラスはありえない。
ボクにはこの地震でたくさんのプラスの点が見えた。
深雪のフリスビーが上手くなったのも、もちろんプラスである。



最後にボクが信じるマオリの神、天の神であり父方の神、イーヨ・マトゥアがこの地を救ってくれた事に感謝をしながらこの話を終える。
アウエ ワイルア イーヨ マトゥア
この想いをあなたに イーヨ マトゥア。
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地震の一日 前編

2010-09-05 | 日記
朝、夢を見て目が覚めた。
夢の中でボクはスキー場へのバスドライバーで、日本人のお客さんを送るという妙にリアルな夢だった。
ベッドの中で、この夢はどんな意味があるんだろうなどとボンヤリ考えていると遠くから地響きが聞こえてきて、その直後に家全体が激しく揺れだした。
この家は大丈夫か?崩れるんじゃないか?という恐怖を感じたのは最初の数秒だった。
激しい揺れを感じながら思った。心配してもしなくても崩れて死ぬときは死ぬだろうし、それよりも何故か、この地震ではこの家は大丈夫という根拠のない自信を持った。
だが揺れは収まらず、家の中で色々な物が落ちる音が聞こえる。
深雪は大丈夫だろうか、脅えて泣いているのではないか。
女房が電気をつけようとしたがつかない。電気が止まったようだ。手探りでヘッドライトを探して深雪の寝ている部屋のドアを開けた。
色々な物が散乱しているが、深雪はすやすやと寝ている。良い度胸というか、むじゃきというか。ベッドの周りを確認、危ない物は無い。まあぐっすり寝ているのならば問題はなかろう。
ベッドに戻る頃には一時の激しい揺れは収まったが、まだ地鳴りと共に揺れは来る。
だがその頃には地震を楽しむ余裕さえ出てきた。
「これは地球の鼓動なんだね」などと横にいる女房に言ったりした。
揺れながらもうつらうつらしているうちに空が明るくなってきた。
周りの物がよく見えるくらい明るくなった頃、外でキーンという甲高い金属音が聞こえた。
なんの音だろう、女房も聞いているので幻聴ではない。
外に出てみると金属音はさらに高くなった。
人が作り出す音ではない。何かは分からないがイヤな感じのする音ではない。あえていうなら不思議な音といおうか。
原因を究明することは無意味だという想いはあった。全てをありのままに受け入れる。
庭でしばし瞑想。手を合わせ家族が無事なことに感謝。
そうしているうちに不思議な音は消えてしまった。
外へ出たついでにニワトリ達を小屋から出す。エサは昨日の残りがまだあるな。
家に戻り、起きてきた妻と家の中をチェック。あちこち散らかっているが壊れた物は無い。
そうしているうちに深雪も起きた。深雪には初めての地震だ。まだ地鳴りと共に揺れが来る。
心配そうな顔をしている深雪に言った。
「大丈夫だよ、これぐらいの地震は。心配するな。お父さんなんかもっと大きい地震の中で酒を飲んでた時もあるんだぞ」

そう、あれはまだ20代半ばぐらいだったろうか。十年以上も前に三宅島が噴火した時の話だ。
ボクはその時、神津島で災害復旧の工事をしていた。
夏の暑い盛りだが、地震の影響で観光客は誰もいないという神津島での仕事だった。
その時一緒に働いていた人達もとことん陽気な人達で、普通にやれば5時までかかる仕事をものすごくがんばって3時で終わらせ、その後は誰もいない海に潜って貝を取ったり魚をモリで突いたりした。海は澄み人はおらず貸し切りである。
獲った物は仲良くなった地元の寿司屋へ持っていきその場でさばいてもらい、寿司屋の縁台で海に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ。
寿司屋の前には島で唯一の信号があり、夕方になると信号待ちがあった。神津島のラッシュアワーだ。最大で4台の車が行列を作った。
夜はその寿司屋で島の焼酎をしこたま飲んだ。毎晩お客さんは僕達しかおらず、店のおじさんおばさんもあれ食えこれ食えといろいろ出してくれた。
30分おきぐらいに地震はあったがすっかり慣れてしまい「お、今度のは大きいぞ」とか「今のはまだまだだな」とか「酔っぱらっちゃえば地震で揺れてるのか、自分がフラフラしてるのか分からないな」などと言いながら毎晩寿司屋のおじさんおばさんと楽しく飲んでいた。
その島にいる間、何百回という地震にあったが怖いと感じたことは一回もなかった。
そんな夢のような時を過ごした夏もあった。

家の中をざっと片づけ、ライフラインのチェック。
電気は使えない。水はどうだ?水道の栓をひねるが水は出ない。
電話は?電話機を取ってもウンともスンとも言わない。電話もだめか。
携帯は?携帯は生きていた。まあ何かあったら携帯でコミュニケーションは取れるか。
だがバッテリーを充電できないので必要な時以外は使わない方がいいだろう。
日も上がってきたしお茶でもいれようか。
ボクは災害に備えて飲料水を30リットル近く物置に置いてある。いつか使う日が来るかと思っていたが、どうやら今日がその日のようだ。
お湯を沸かすガスはキャンプ用のものがたっぷりある。食料も蓄えはふんだんにある。庭には野菜も育っている。ニワトリも近いうちに卵を産んでくれるだろう。
我が家では2週間ぐらいは電気と水道が止まっても生きていける。
お湯を沸かしお茶を入れると一心地ついた。
次に考えるのはトイレだ。
男のボクはおしっこは外ですればいい。いつものことだ。
女の人はそうもいかないだろう。
「よし、トイレは南米式だ。紙は流さない」
南米ではトイレにゴミ箱があり使った紙はそこに捨てる。
おしっこが溜まって臭くなったら近くの川で水をくんできて流せばいいだろう。汚物を浄化するEMの発酵液もペットボトルに6本ある。
ウンコは庭に穴を掘って野グソだな。
先日読んだ本で『くうねるのぐそ』というのがあった。
これを書いた伊沢正名という人は野グソマニアというか野グソおたくというかすごい人で、連続野グソ3000日とか自分の野グソが土に還る様子を研究したりとか、まあそういう人である。
これを読んで、『よしオレもそのうち庭で野グソをしよう』と思っていたが、こういうことになろうとは。いやはや人生とは面白いものである。
やはりいろいろな形で、人間はこうなればいいなあと思うことを実現できるようになっているようだ。

朝飯は昨日の残り物のチャーハンをフライパンで温め、深雪にはオムレツを作ってあげた。同じフライパンでトーストサンドイッチも作る。
洗わないで3つの物が作れた。テフロンのフライパンは便利だ。
ウキウキと料理を作っていたら女房に指摘された。
「なんか嬉しそうねえ」
そう、確かにこの状況を楽しむ自分がいた。なんかこう、ワクワクしてしまうのだ。
隣のおばさんが訪ねてきてトランジスタ・ラジオを貸してくれた。
ラジオを聞いていると街では古い建物が崩れたり、水がでたり何かと大変らしい。
だが家の周では特に被害をうけた家も無く平和そのものである。
無風快晴、太陽はポカポカと心地良く、普段はあいさつもしてくれない向かいのおばさんも機嫌良く挨拶をしてくれる。
絶好の洗濯日和なのになあ、などと思いつつ庭の草むしりなどしていると退屈した深雪が外に出てきた。
よし、じゃあ3人でフリスビーをしようと、ガレージからフリスビーを出し、しばし家族でフリスビーで遊ぶ。深雪のフリスビーの投げ方もさまになってきた。
裏の家からも子供の笑い声と大人の陽気な話し声が聞こえてくる。
この場所にいる限り災害があったことなど忘れてしまうような、そんな陽気である。
突然、家の電話が鳴った。心配した人が電話をかけてきてくれた。電話線が復旧した。
日本の家に電話をかけて無事を伝える。まだニュースを知らなかったようだ。
以前テアナウで地震があった時には、向こうから電話をかけてきてこっちは地震があったことも知らずに戸惑ったが、今回はこっちが先をこしたようだ。
後でニュースで見るだろうが、要らぬ心配は無い方が良い。
携帯には続々と「大丈夫か?」というメッセージが来る。
みんな心配してくれるんだ。ありがたいことだ。
『こっちはのほほんとフリスビーをやって遊んでいます』などと言いにくいような雰囲気でもある。



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マジックハンド 再び

2010-09-03 | 
忙しい8月が終わった。
その間、体をこき使って働いたので腰が痛くなった。疲れも溜まっていたのだろう。
スキーブーツを履くのも一苦労である。
以前スキーパトロールをやっていた時に腰を痛めてしまい、疲れが溜まった時にはそれがぶり返すが、今回は普段痛いのと逆側だった。骨ではなく筋を痛めたというような感じである。
こんな時はマジックハンドのオノさんの出番だ。
ちょうどこの頃、オノさんから『近いうちに飲みたいですねえ』というメッセージが入っていた。
忙しい中、スケジュールを調整してもらい予約が取れた。
オノさんの所へ行く時は、ボクはお茶や水をガブガブ飲んでいく。
マッサージの後のおしっこが気持ち良いのだ。
体の老廃物が全部流れ出るような、そんなおしっこができる。
この日もお茶をガブ飲みして、いざ行かん。
家から車で10分位の所にクリニックはある。
ドアをノックすると、いつもと変わらぬ笑顔でオノさんは出迎えてくれた。

近況報告や世間話をしながら、ボクは施術用の服に着替える。
「ヒジリさん、この前紹介してくれたおばちゃん、喜んでくれたみたいだね」
先日ブロークンリバーのクラブメンバーのマリリンを紹介したのだ。
彼女は膝が悪くてフィジオに行ったのだが良くならなくてオノさんの所に来た。
「ああ、彼女ねえ、『整体をやってもらってから、寝返りがうてるようになった』って言って大喜びでしたよ」
「そういう話を聞くとうれしいねえ」
施術用の台にうつぶせになり、先ずは温める。
「オノさん、今回は普段と逆の方がいたくなりましてねえ」
「どれどれ、あ、ホントだ。いつもは右だもんね」
そしてギュッと押す。その瞬間ポキッと音がして何かが入った。
「ホラ、もう入っちゃった。ここがずれていたんだね」
そして上半身のマッサージへ。
相変わらず痛い。
「あのう、オノさん、いつもより痛いような気がするんですけど・・・」
「うん、腰のゆがみが肩の方へもきているからね。このラインだ」
左の腰から右の肩へのラインをなぞる。
「だからここなんか痛いでしょ」
ギュッ
「いてててて~」
「さらにここ」
ギュッ
「あいたたたた~」
「ほら角度を変えると痛みも違うでしょ?」
グリグリ
「違う、違う、いててて、オノさん、分かったから。参った、参った」
絞め技をかけられているプロレスラーのようだ。
力を抜く。
「はあああ~」
そして恐ろしい事を言う。
「こりゃ、腰の方が楽しみだ」

オノさんの施術は全身マッサージである。
腰が痛いからと言って腰だけを見ない。
そこから繋がっている筋などを全て見る。
腰痛から来ている肩のこりなどももみほぐしてくれる。
これもとても痛い。
「ハイ、リンパ腺押さえるよ~、痛いよ」
ギュウ
「いたたたた」
「1,2,3 ハイこれで良し。こうやって短い間で悪い物が全部流れるんだから。このあとのおしっこが気持ちいいぞ」
そしてお楽しみの腰へ。
グリグリと揉む。
「うわ~、いてててて」
「あ~あ、ここにあるね。これだ。」
ゴリゴリ
「あたたたた」
やられている自分もそれだと分かるしこりだ。情け容赦なくオノさんは揉む。
「今日はキッチリ治すからね。逃がさないよ」
逃げたくても逃げれないでしょ、と心で思っても口にだす余裕はない。
口から出る言葉は「痛ててて」とか「あひぃ」とか「ううぅ」とかそんなのばっかだ。
オノさんは右に左に移動をしながらやる。
1回目にあれだけ痛かった腰のしこりも、場所を移しながら2回目、3回目となるとウソのように消えてしまう。
やはりマジックハンドだ。

ほっとするのも束の間、再び痛いツボをオノさんは押す。
「あいたたた、つる、つる、足がつりそう」
「そう、ここはねえ、足がつるツボなんだよ」
ギュッ、そして力を抜く。
「はあああああ~」
それにしてもオノさんは楽しそうに施術をする。
ボクが痛がるのを喜んでやってる。
絶対にSだ。
それに対してこっちは痛いのを求めてくるのだからMなんだろう。
オノさんは施術の間、喋りっぱなしである。その話がなかなか面白い。
「うん、こうやって笑いをとるでしょ。人間は笑うと力が抜けるのよ。その時にこう」
ギュウ
「あはは、いたたたた」
アメとムチ、天国から地獄である。
「一度ね、ずーっと黙ってやったことがあるんだけど、怖かったみたいねえ。」
そりゃこれだけ痛いことを黙々とやれば怖いでしょうに、そんな減らず口も今は出ない。
今日はよっぽど疲れが溜まっていたのか、それともオノさん流のサービスなのか、いつもより痛いような気がする。
サービスだとしたら、喜んで良いのかどうか複雑な心境だ。
もうこのころになると顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。体は力が入らなくてぐにゃぐにゃ。
そんな状態で場所を移し整体。
ボキボキ、グキグキ、と訳分からないうちにやられ、その後電気をかける。
これもなかなか気持ち良い。
その後はマッサージ椅子で終了。

服を着替えてトイレへ直行。このおしっこがまた気持ちがよい。
溜まっていた悪い物が全部流れるような感じで、腹の方から肩まで軽くなる。これだからやめられない。
今日はその後でビールだ。
オノさんもその後の予定はないので二人でカンパイ。
個人的な話も聞いてもらい、ボクは心身ともに癒された。
人間誰しも痛いことは好きではない。何故なら痛みとは人間が持つネガティブな感情だからだ。
だが体の調子を良くするために、痛いのを承知で人はオノさんの所へやってくる。
マイナス無しのプラスはありえない。一時の痛みは大きな喜びを生む。
そんなボクは、甘くない、とても硬派なマジックハンドが病みつきになりつつある。
コメント (2)
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