あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ご縁があって、ラベンダーから葡萄へ。

2021-08-18 | 酒人
人のご縁というものは全くもって面白いものである。
うまくいかない時はどうやってもうまくいかないし、うまくいく時はあっけないほどすんなり決まる。
何か人間の力の及ばない、おおいなるものに動かされている、そんな気になる時がある。
コロナ禍で全世界が引っ掻き回されて、全ての人が何らかの影響を受けた。
仕事の面においても、以前と全く同じように働いている人もいれば、そもそも仕事自体が成り立たなくなった人がいる。
僕はその後者に入る。
仕事が無くなったという話を他人にすると、「それはお気の毒に」と悲痛な顔をされる。
だが僕の場合は、何かしら別の仕事が舞い込んできたりする。
収入は減ったが自分を可哀想な人で被害者だと演ずる気もなければ、物事を悲観的に見る気もない。
一つの仕事に依存をしない生き方をしているので、最終的にはなんとかなるさと徹底的に楽観主義者である。
ガイドの仕事がなくなってこの先どうやって生きていこうかと思い、食べ物関係の仕事をしてみようかと思った。
学生時代とかにはラーメン屋、お好み焼きや、ピザ屋、そば屋などでアルバイトをしたし、スキー場のロッジのキッチンでイタリア料理を作るのを手伝ったこともある。
料理は基本的に好きで、自分で言うのもなんだが美味い物を作ると思う。
「自分で店でも出せば?」と言われたことも何回もあるが、自分には商売の才覚が無い。
スタッフ募集をしているいくつかの飲食店とやりとりをしたが、うまくいかなかった。
自分を正当化するようでいささか気がひけるが、やはりご縁がなかったのだろう。
そしてご縁がある時は、自分が予想しないタイミングでポンとやってくる。



きっかけは友人のアライさんの話からだった。
アライさんはクライストチャーチの日本語補習校の校長先生を務めていた。
山歩きや旅が好きで、一緒に山を歩いたことも何回もあったし、一緒にスキーにも行った。
休みとなればミルフォードトラックだのウェストコーストだの、とにかくあちこちの山へ行っていた。
次はどこそこへ行こうと思うんだけどお勧めありますか?などという相談を何回も受けた。
あれだけニュージーランドの端から端まで巡った人はなかなかいない、と僕が思うほどだった。
そしてお酒が好きとなれば一緒に飲む機会もあり、全黒の酒蔵だって案内した。
今は日本に帰ってしまったが、地元金沢の鮎の料理とか美味そうな鰻の写真だのを嫌味のように送ってくる。
いつか騒ぎが収まって日本に帰ったら、金沢の街を案内してくれて美味い肴と美味い酒をご馳走してくれる、という話になっているので楽しみだ。
そんな気の合った飲み友達のアライさんが、去年だったかコヤマワイナリーに行ってその話をしてくれた。
なんか全黒の蔵頭のアキさんみたいな人がいて、ワインについて熱く語ってくれたと。
へえ、そんなワイナリーあるんだあ、行ってみたいな、と思った。
それからしばらくして、今度は別の友人が我が家に来た時にコヤマワイナリーの話が出た。
その時は葡萄の収穫を手伝ったそうで、お土産に赤ワインを持ってきてくれた。
僕はワインの味はよく分からない。
不味いワインと美味いワインは違いが分かるが、どこがどう美味いという話になるとお手上げだ。
何と言っても赤ワインを喉ごしで味わうような野暮な男である。
でもそのワインは素直に美味いなと思った。



それから時が流れ、冬が来ても雪は降らず、小春日和のような中ラベンダー畑で働いた話はブログで書いた通りである。
友人に誘われて、市内の中華レストランでみんなでお昼ご飯を食べようという会があった。
友人知人とその家族、若い学生達など総勢十数名、飲茶はみんなで食べるのがいいからね。
その時に紹介されたのがコヤマワイナリーのコヤマさんで僕らは隣合わせで座った。
その時点でピンと来た。
イメージはゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナがピンと立ったような感じだ。
さらに話を聞くと、今の時期は剪定の仕事があり人を探していて、来てもらえればありがたいと。
もう妖怪アンテナは鳴りっぱなしでピンピンピンピンうるさいぐらいだ。
それなら、と連絡先をもらいそこから先はトントン拍子である。
スキーの仕事がある時はそちらを優先してもらって構わないということで、仕事が決まった。
レストランでコヤマワイナリーのスパークリングとピノノアール両方飲ませてもらったがこれが旨かった。
全黒で働いた時もそうだったが、自分が美味いと思う物を作る所で働くのは人生の喜びでもある。
そういえば高校時代にバイトをしていたラーメン屋は不味かったっけなあ。
そうなると誇りも喜びもやり甲斐もなく、ただお金のために働くことになる。
あの時は若かったんだなあ、と昔の自分をふと思い出した。



仕事は葡萄畑で葡萄の剪定。
場所はワイパラ、北カンタベリーである。
この前までは中央カンタベリーのラベンダー畑でマウントハットを見ながら仕事をしていたんだがなあ。
場所が変われば見える山も変わり、地形が変わるので気象も変わる。
いつも思うのだが北カンタベリーは緑が濃いなあと。
マウントライフォルドへスキーに行く時に常に思う。
夏は雨が少なくて茶色っぽくなるが、冬のこの時期には明らかに緑が濃い。
そして山の形もよそとは違い、なんとなく北カンタベリーなのだ。
そんな景色の中、羊に囲まれながら仕事をするのは気持ちが良い。
でも周りは羊のウンコだらけだから犬のココは連れてこられないな。



なんかこの前まで全黒の酒蔵で日本酒を造っていたかと思うと次はワイナリー?
節操がないと言われれば身も蓋もないな。
相変わらず家ではビールを作っているし、酒に関することばかりだなと我ながら思う。
なんかワクワクする感覚ってこれだったのか。
でもこれも神様の思し召し。
お酒の神様バッカスともご縁があるのかもしれないな。

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蔵開き

2021-03-16 | 酒人


2月の終わりの週末にトウィゼルでサーモン&ワインというイベントがあった。
全黒も出店するというので僕もクライストチャーチからトワイゼルに向かった。
全黒はアルパインサーモンという会社とコラボで店を出した。
酒とサーモンで、サケ&サケというわけだ。
そのサーモン屋さんがシソを欲しいというので、庭のシソをどっさりと持って行った。
温室の中のシソは育ちに育ち、ある程度引っこ抜かないと他の野菜を植えられないぐらいになっていた。
僕のシソはたいそう喜ばれ、余った物はクィーンズタウンへ行き、友達の食卓に並んだ。



このご時世でイベントや祭り事が世界中で中止になっている。
イベントは人間の心をもみほぐすのに必要なものだし、祭り事は神様に捧げる行事だ。
そういったことができない世の中というのは異常であり、憂うことだ。
人間というのは飯食って寝て働いてというのを繰り返してればいいのではない。
何かしら普段とちょっと違う催しは生きるうえでて必要なのだ。
トワイゼルのイベントもみんな待ち望んでいたのだろう、入場のゲートには長蛇の列ができた。
マウントクックからはタイ家族が来て旧交を温めた。
愛娘のアイリがうちのキュウリの大ファンなので、そのためにキュウリもどっさりと持ってきたのだ。
前半はそれほど忙しくなく僕もウロウロと他の店を覗いていたが、中盤になるとお釣りのコインが足りないとか、料理を乗せる紙が足りないという問題もでてくる。
そうなると両替に走ったり、紙を折って皿に並べたり、しまいには盛り付けの手伝いまでと何かと忙しい1日だった。



一度クライストチャーチに戻り仕切り直し、今度はクィーンズタウンのイベントに向かう。
世界で日本酒を広める人を応援する、みたいな企画がありその一環で全黒が主催でイベントを行う。
その名も『蔵開き』地元のソムリエ、ラグビーの選手などを招待して、日本酒をもっと知ってもらう。
お酒の紹介や利き酒、日本酒のカクテルあり、バーベキューあり、子供達のクリケットあり、ライブミュージックあり、それらをビデオに撮って日本に送る。
招待客やスタッフで60名ぐらいと全黒としてはビッグイベントだ。
僕もその為に数日間のクィーンズタウン滞在となり、蔵頭のアキさん宅に世話になった。
催しは日曜日だが準備は金曜日から始まる。
蔵の中の片付けや掃除、バーベキュー台を借りてきたり、まあ雑用である。
久しぶりにアキさんやユーマとバカ話をしながら働くのは楽しいものだ。





お昼には当日お客様にお出しするお酒のチェック。
日本からも何種類かお酒が送られてきていて、その味見。
いやあ、こういう仕事は最高だな。
ゆず酒、梅酒、スパークリング酒、そして純米吟醸。
僕らはこれらを飲んで唸った。
美味いのは当たり前だが、美味いだけではない。
精度が高いという言葉が当てはまるのであろう。
絶妙のバランスの上に成り立っている。
繊細さ、それこそピンポイントのバランス感覚だ。
造り手側の立場にいるが、これらの酒を造った人はすごいなと素直に思った。



イベント当日は何かと忙しい。
蔵開きは1時からで、準備は朝9時から始まった。
まずは会場の設営から。
テントを立ててバーベキューの場所を造って、テーブルなどの設置。
会場ができたら各自の仕事に分かれる。
僕はバーベキュー担当なので料理の下準備にかかる。
この日の献立がすごかった。
前菜にチーズ盛り合わせ、野菜スティック、トマト、ぶどう。
バーベキューはホワイトベイト(白魚)のフリッター、鹿肉ソーセージ、鳥の手羽焼き、牛ヒレわさび風味、ムール貝の酒粕味噌汁、酒粕ラムチョップ、ナスとマッシュルームの炒めもの、豚のバラ肉焼き、エビのニンニク焼き。
これらを僕とクレイグの二人で焼いた。
その横で先週のイベントでも一緒だったサーモン屋のスコットが鮭の刺身のポン酢あえを出す。
そして昔からの友達ヘナレがワカティプ湖で獲って、奴の小僧が作ったウナギの燻製。
最終兵器はブラフオイスター(生ガキ)まで、これでもかというご馳走だ。
ともあれ総勢60名分の量である。
下ごしらえだって時間がかかるが、そこで手を抜いてはいけない、見えない所をしっかりとやるのが本当の仕事だ。
肉を切り、余計な水分や油を拭き取って下味をつける。
野菜もあらかじめ切っておく。
ホワイトベイト用に卵の卵黄と卵白に分け、卵白を泡立てる。
そんなことをやりながら下準備が終わった頃、ボチボチと招待客が来始めて、蔵開きが始まった。





料理が始まると、そこからは忙しい。
とにかく焼くものが多いのだ。
次から次へとぶっ通しで2時間半、水だけ飲んで焼きまくった。
スピーチやら鏡開きやらやっているのを横目で見ながら、ひたすら焼く。
最後の料理エビのガーリック焼きを出し終えて、一段落。
調理場をざっと片付けて、やっと本日初めの一杯を口にした。
その頃になると場も適度に乱れ、招待客と話しをする余裕もでてきた。
サーモン屋のスコットは日本で寿司修行をした本格派。
以前はウェリントンで寿司屋をやっていたと言う。
ちゃんと味が分かる男で、今のニュージーランドでの日本食のあり方で話が合った。
実際に彼が商品として作っているポン酢は旨く、以前買った日本製のポン酢よりも美味かった。
そのスコットが先週のシソのお礼にと、サーモンを一匹くれた。
それもでっかいもので、ゆうに3キロ以上はあるようなものだ。
庭では何を育てているか、ゴボウはやっているか?ミョウガはどうだ?コンニャクは?なんて話しにもなるぐらい日本食通だ。
彼ともこれから親密な付き合いになりそうだ。





場が乱れきる前に、もう一つ仕事がある。
ギター生演奏生歌、ライブミュージックの時間だ。
先ずはハーモニカ付きでボブデュランのナッキングヘブンズドア。
二曲目は誰もが知ってるマオリのポカレカレアナ。
僕が歌っているすぐ脇には、樽があり全黒の無濾過生原酒が入っている。
曲と曲の間のMCの時に「このシステムはいいよねー」などと言いつつ、樽から手酌でコップに酒を注ぐと笑いが起こった。
ちなみにみんなが持っているグラスは試飲用のワイングラスに足がないようなお洒落なグラスだが、僕はコーヒー用のマグカップだ。
料理の時にそれで水を飲みながらやっていて、そのまま中身が酒になった。
取っ手がついているので落とさないという理由だが、誰も信じてくれない。
その酒をグビリと飲んだら、全黒のテーマソング。
この歌は酔っ払って適当に作ったんだが、ここまで歌うことになるとは思わなかったなあ。
そして締めはマオリの神の歌、アウエで終わった。





招待客もあらかた帰ると残ったのは身内で、そのまま打ち上げになった。
まだまだ美味い酒も肴も残っている。
まあいつもの顔ぶれでいつもの飲み会となったのだが、それが妙に心地良い。
蔵開きのイベントは大盛況で、良い仕事をした後の充実感が酒を進ませる。
僕はバーベキューと歌で、やり尽くした感満載。
解放感と久しぶりにみんなと会えた嬉しさも手伝い、ギターを持ち出して即興で何曲かやったらしい。
というのも僕の記憶は後半でプッツリ途絶えている。
そりゃ熱唱してハーモニカを吹いたら、その時点で酔いは回る。
そしてまた美味い酒が飲み放題なんだから酔わないほうがおかしい。
どうやって帰ったかも分からないが、気がついてみるとアキさん宅の居間で二人で水を飲みながら反省会をしていた。
さすがに二人とも、もうこれ以上飲めないというぐらいに飲んだので、ひたすら仕込み水をガブガブと飲んだ。
その水のおかげか翌日は二日酔いにならずにすんだ。
二日酔いにはならなかったが記憶が完全に戻るわけではない。
怖いのはヤバイ曲をやることだ。
僕の作る歌はとても外ではやれない、その人には聞かせられないというものが多い。
宴会芸の域なので洒落ですむぐらいだが、それでもネタになる人には聞かせられない。
酒だけでなく歌も辛口だ。
ある人をちゃかした歌を作り、その人に愛想良く挨拶されて「ああ、この人は俺があんな歌を歌ってるなんて知らないんだなあ」と一瞬だけ反省したこともあった。
アキさん曰く、その日の歌はギリギリセーフだったらしい。
もう一つ気がかりだったのは、最後の片付けの辺りの記憶が完全に飛んでいる。
みんなが片付けしている時に、一人で一升瓶抱えて寝てたらダメじゃん。
アキさんが言うには「なんかパタパタ動いて片付けしてたよ」ということでちょっと安心。
へべれけになっていても、やる時はやるんだ。やるじゃん俺。



宴の次の日はゆっくりスタート。
本来ならもう1日片付けのために滞在を、というところだが用事があってクライストチャーチへ戻る。
別れ際に杜氏のデイビッドがしみじみと言った。
「やっぱみんなが集まって一緒に飲んで食って笑顔になるっていいよね」
全くその通りだ。
そもそも人は美味い物食って旨い酒飲んで、怒れない。
どうしても笑顔になる。
その笑顔がこの腐りきった社会を救う。
クリストチャーチへのお土産はスコットがくれたサーモン。
シソがサーモンに化けて、わらしべ長者みたいだとみんなにはやされた。
わらしべ長者は交換し続けて長者になったが、僕は貰ったサーモンを仲間や友達と一緒に食っちまった。
長者にはなれないが、仲間と一緒に旨い物を食べて笑顔になる。
これこそがライブであり、その瞬間ごとの喜びが財産なのだと思う。
たとえ覚えていなくても‥。

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美味い酒、不味い酒

2021-02-21 | 酒人


ブログを始めて10年以上になるが、文を書き始めて完成しないままにタイミングを逃してしまうことがある。
そうやってお蔵入りした話も多々ある。
この話は去年9月に蔵で働いた時の話だ。
タイミングが合わずに載せなかったが、ボツにするのは惜しいので加筆修正してこの話も日の目を当たることになった。





全黒は小さい酒蔵であるが故に、全員で多様な仕事をこなす。
これが大きな工場のような酒蔵ならば、流れ作業のような具合になるのかもしれない。
効率を考えたらそっちの方がいいのだろう。
だが小さい酒蔵ならではの楽しみや喜びもある。
仕込みの時には米や麹や水の分量を計る作業から始まり、米を洗う洗米、水に浸す浸漬などが下準備。
その翌日には米を蒸して、蒸しあがった米を冷ましてタンクに水と共に入れる。
同時に杜氏か蔵頭が麹や酵母の量を測り調合する。
そうやってできたもろみを4週間の間、毎日かき混ぜて温度管理をする。



役4週間後に布の袋に入れて数日吊るして吟醸酒を絞る。
絞った後のものを上手く並べて、上から重石を乗せてさらに絞る。
絞ったものは数日置いて、上澄みを取る澱引きという作業があり、次は火入れという作業がある。
それをフィルターにかけ、数ヶ月寝かせ、配合して瓶詰め、それを再び火入れをして、ラベルを貼り商品となる。
ざっとまあこんな具合であり、すべてが作業の連続だ。
小さい酒蔵なので、酒造りの最初から最後まで全て関われるのが良い点である。
発酵途中のもろみの状態から、絞り、澱引き、フィルター、火入れという要所要所で味見もする。
そうやって仕事をしていれば、どの時点での酒が一番旨いかということも分かる。
逆に言えば、どういう状態の酒が不味いかも分かるわけだ。





旨い酒と言えば、吟醸や大吟醸というものが一般的だ。
全黒も純米吟醸を作っていて、最近は純米大吟醸も作り始めた。
ここで吟醸と大吟醸の違いを書いておこう。
酒に使う米の旨みの成分は、米粒の中心に集まっている。
そこで米を精米して削っていき、外側にある雑味などを取って中心の旨さを残していく。
吟醸だと米粒の4割を削り、残りの6割の米で造る。
これが大吟醸だと5割削り、残り5割で造る。
米粒の大きさも大吟醸は小さくなるし、同じ量の酒を造るのにも大吟醸は米の量が多く必要となる。
そういう贅沢な酒なので、当然ながら値段も高くなる。
贅沢な酒だけあって、香りは良いし味も良い。
極めていくと精米を7割削り3割で造るといった大吟醸もあるようだが飲んだことはない。



全黒の大吟醸も順調に醸され、絞りの日となった。
毎日、もろみからサンプルを取り分析後の酒を味わってきたので旨いのは分かる。
けれどサンプルはサンプルであり実際に絞ったものとは味も違う。
実際にどんな味になるのか、ワクワクしながら僕もユーマもアキさんもニコニコ顏で仕事をこなす。
もろみというものはドロドロのゆるいお粥のような状態だが、それを11リットルづつ布袋に入れて棒で吊るす。
袋からは液体が染み出しポタポタと落ちて、船と呼ばれる大きな容器の下に溜まる。
釣り終えてわずか数時間で40リットルぐらいは溜まっただろうか。
さてお楽しみの利き酒の時間だ。
みんな仕事を一段落させ集まり、味を見て感想を言い合う。
この初日に絞ったものを『荒ばしり』と呼ぶ。
その名の通り、荒い味がするのだ。
荒いと言っても大吟醸。
風味もあり、飲み口良く、旨い。
今の時点では荒いが、時間が経って落ち着いたら旨い酒になることは想像できる。



その翌日の夕方、再び船から大吟醸を取る。
二日目に絞る酒を『中取り』と呼び、これが一番旨い。
昨日の味見で美味いのは分かっているが、1日置いてどんなに旨くなっているのか。
そんな期待を胸にワクワク、ニヤニヤしながら仕事をこなす。
楽しい時が来るのが分かっているので、妙にテキパキと仕事をこなす。
そして夕方、みんな集まり、味見をする。
香りが少し弱いが、吟醸香は確実に感じられる。
口の中に含むとすっきりとした味わいが広がり、喉を通ると同時にすべてが消える。
「何これ?このすっきり感!」
「これは危険だ。喉が渇いていたら一気飲みできちゃうな」
「この消えゆく感じ、桜の散り際のようだ。」
「これは侍だ。侍の潔さだよ」
みんなそれぞれに言葉は違うが、それぐらいにすっと消える旨さ。
ううむ、これが大吟醸なんだな。
そのスッキリ消える感じも含めて酒の旨さなのだ。
安い酒とか飲むとアルコール臭さがいつまでも口の中に残るが、さすが大吟醸そんな感覚は微塵も無い。
特に搾りたてなんてあーた、美味い所の先取りだ。
これを飲みたきゃ、蔵で働くしかない。
本当に美味い物は人に感動を与える。
この仕事をやっていて良かったと思える瞬間だ。



美味い物ばかりではない。
僕たちは勉強熱心なので、工程ごとに品質を自分の舌でチェックする。
もろみを袋に入れて吊るして絞り、さらにそれを平積みにして上から重石をして絞る。
その後で袋を積み上げて1週間ぐらい置くと、また数リットルの酒が出る。
これをカス酒と呼ぶ。
このカス酒は不味くてとても売り物なる代物ではない。
こういう酒は作業用に使う。
新品の瓶を酒に鳴らす作業を酒慣れと言い、それに使ったり、フィルターを通す前に流す『流し酒』などである。
勉強熱心なので、このカス酒さえも味を見る。
香りは飛び、味は甘すぎで苦味も感じられる。
同じ大吟醸でも、とどのつまりはカス酒になり、はっきり言って不味い。
だがこの不味い酒が料理に使うと化ける。



この酒を熱してアルコールを飛ばすと、みりんのように使える。
これはれっきとした和食の技術で、高輪プリンスの和食レストランの板前さんに昔教わった。
これを使った煮物は絶品で、得意技は豚肉の全黒煮である。
今ニュージーランドにある日本食はどれも甘すぎる。
砂糖べったりと醤油で味付けを濃くすれば売れるので仕方がないが、本来の和食とはかけ離れている。
逆に甘くしないと売れないのだろう。
砂糖の甘さは中毒になりやすく、自分でも気がつかないうちに味付けがどんどん濃くなっていく。
出汁をきかせ甘みを抑え素材の旨さを引き出す料理を、自分は目指している。
そうやって作った親子丼、卵は家の卵を使ったものは絶品である。
時々、全黒スタッフの賄いランチに出す。
みんなで美味い物を食べると自然に笑顔があふれる。
美味い物を食べる時に人間は不機嫌になれない。
親子丼に合わせ杜氏のデイブが気前よく新しい酒を品質チェックという名目で開けてくれたりする。



そうやって和気あいあいで仕事をして美味い酒ができる。
和醸良酒の話は以前書いたが、最後は心だろうな。
心が通っていればこそ、いい仕事ができる。
逆に言えば心が無ければ良い物は産まれない。
そんな心がこもった大吟醸、これは美味いぞ。
どれだけ美味いか、こればっかりは飲んでくれ、という他ない。
この話が遅れたのは、話を書いた時にはまだ大吟醸は製品になっていなかったからだ。
売り出したら話を載せようと思っていたらズルズルと時間が経って、年を超えてしまった。
まあ話も酒と同じで、ある程度熟成して味が出る、ということにしておこう。



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蔵頭アキさん

2020-08-13 | 酒人


酒蔵で働く毎日である。
朝のスタートが遅いので、毎朝その日のお昼ご飯を作る余裕がある。
全黒料理酒をたっぷり使った親子丼が絶品である。
そして仕事へ行くのが楽しい。
働くのが楽しいというのは最高の職場である。
昨日のあのお酒は今日はどんな味になっているのだろう、といった類のワクワクした気持ちの毎日である。
昨日絞った酒と今日絞った酒と明日絞る酒は、同じ酒でも味が違う。
絞ったばかりの時はトゲがあったけど、時間が経つにつれてまろやかになっていく。
逆にその時には旬だった無濾過生原酒が熟成が進みすぎて、普通の味になってしまった、なんてものもある。
そんな変化を味わうことができる仕事なのだ。
とにかく今の全黒は美味い。
今までの酒よりも旨いと断言できる。
ここへきてさらに味も香りも良くなっている。
蔵頭アキさんの酒造りの腕がどんどん上がっているからだ。



蔵頭のアキさんとは、一緒にバンドをやる仲でスキー仲間で飲み友達、三拍子そろったような仲間で、家族ぐるみの付き合いだ。
こういう人と一緒に働いていると気が楽だしそして楽しい。
楽と楽しいは同じ字なんだな。
作る人が美味いと思うものを作るのは、人間の仕事の原点だと思う。
そこには作る喜びと誇りがある。
アキさんの仕事っぷりがまたカッコいい。
僕が見て惚れ惚れするぐらい、いい仕事をしている。
段取り八分現場二分、という言葉通り段取りが良い。
できる男の仕事ぶりは見ていても気持ち良い。



これだけ僕が褒めてるのに、アキさんの嫁さんはと言えば「え〜、本当に〜?そんなことないでしょ」と信じてくれない。
だいたい世の中の女房連中は旦那を過小評価する節がある。
この前だってボスのクレイグが家に来た時に、僕がどんなに素晴らしい働き手か褒めてくれた。
それなのにうちの奥さんときたら「褒めるとつけあがるからやめて!」なんてことを平気で言う。
「当たり前じゃない。あたしが見込んだ男だもの」ぐらいの台詞が出てきても良さそうなものだが、どうやらそうではないようだ。
まあアキさんの仕事っぷりは見事だが、それを帳消しにする失態が数々あるらしい。
それは僕も同じだ。
アキさんの嫁さんが愉快な人で、怒ると「アキさん」から「清水君」へ呼び方が変わる。
「清水君、そこに座りなさい」と静かに言われると「ハイ」と言って正座をしておつむを下げるのだそうだ。
前回のスキーの話でも書いたが、スキーの腕前は一流、ボードの腕は超一流、日本の全国大会に出ていた腕前だ。
ウィンドサーフィンはオーストラリアとかNZを含めたオセアニア大会なんて国際試合に出るレベル。
さらに書道もこなし、全黒の無濾過生原酒とか純米大吟醸のラベルの文字はアキさんが書いた。すごいね。
バンドではヘビメタのドラムをやっていたし、若い時は走り屋で峠を攻めていたし、バイクのレースでサーキットを走っていた時もあったそうな。
あーた、一体全体何者?というマルチタレントが酒を作っている。






蔵にはユーマという若者も働いている。
歳は25歳、僕とかアキさんの半分ぐらいの年で、親父が僕らと同じ年だと言う。
最初から気の合うヤツだったが、仕事中にビリージョエルの唄を口ずさんでいるのを聞いてますます親近感が湧いた。
ヤツの鼻歌に合わせ僕も唄を歌いながら洗い物の仕事をする。
「ユーマ、その唄はビリージョエルの歌で一番好きなヤツだよ」
「いいですよね、この歌」
そんなたわいもないやりとりをしながら仕事をするのが良い。
仕事が早く終わって、暖かい日など三人で蔵の近くのビール醸造所で勉強会をする。
それぞれ違う種類のビールを選んで、お互いに味わう勉強なのだ。



ユーマは全黒に来る前はクライストチャーチに住んでいて、地元のローカルブルーワリーを訪ね歩く行動力を持っている。
自分でもビールを作ってみたいと言い、当然ながらビールの話でも盛り上がる。
仕事を終えた後の一杯はバンドの後の一杯に似ている。
僕にとってバンドとは音楽だけの関係でなく、音楽はもちろんのこと家族やその人の生活を含めた関係なのだ。
今までやってきたバンドも全てそうだったが、バンド仲間は飲み友達でもある。
一緒に酒を飲みながら奏でる音楽が僕にとってのバンドだ。
仕事でも似たようなもので、一緒に良い仕事をした後の仲間との一杯はかけがえのないものである。



そういう一緒にいて楽しい仲間と酒を造る。
和醸良酒の話は以前にも書いたが、和やかな空気が良い酒を醸す。
人間関係でギスギスしていたら、刺々しい酒になるだろう。
そういう意味でも今の全黒は旨い。
さらにさらに今は純米大吟醸なんてものも醸している。
この純米大吟醸が・・・・・・

続く






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仕込み

2019-06-23 | 酒人
6月初めに西海岸のツアーが終わり、その後クィーンズタウンへやってきた。
気が付けばもう6月も中旬、毎日酒蔵で働く日々である。
酒造りではいろいろな工程がある。
酒の大元を造る仕込み、その後の発酵、しぼり、澱引き、瓶詰、火入れなどなど。
大きい蔵ならば精米や麹造りも酒蔵でやるのだが、全黒の場合、規模が小さいので精米された米と麹は買っている。
どの工程も大切だが、やはり重要なのは最初に行う仕込みだろう。
仕込みのやり方も色々とあるが、全黒では三段仕込みというやり方を使っている。
初日に全体の一割、二回めに三割、三回目に六割というように段々と量を増やしていく。



仕込みは前日の洗米から始まる。
米の分量を量り、ネットに入れて洗う。
洗う時も時間を計り洗う。
時間は1分。
洗ったら一度水を切り、水に浸す。
まず7分半、そして水を替えさらに7分半。
この時間は先人が試行錯誤しながら最良の時間を出したものであろう。
そして水を切り、一晩寝かす。
これで準備は整った。





仕込み初日は初添えという。
先ず小さめのタンクに麹、水、麹、イースト、乳酸、を入れ『もと』を作る。
『もと』は元なのか素なのか基なのか知らんが、酒造りの基礎となるものだ。
昨日洗って一晩おいた米の重さを計る。
米がどれぐらい水を吸ったか、浸透率を出すのだ。
だいたい30%ぐらいが理想だが、時に多かったり少なかったり。
少ない時は蒸す時間を長めにとる。
蒸すこと75分。
蒸しあがった米のいい匂いが蔵に立ち込める。
これを食べてみて、きちんと蒸しあがっているかどうか確認。
ベタベタにくっついては困るし、芯があってもいけない。
食べてみると普段食べる米よりも固めである。
食べる米のような粘りは無く、ちょっとパサついた感じか。
かといってボソボソでもなく、噛めばしっかりと米の味がする。
米を広げて冷まし、数時間おいてから『もと』に入れる。
そして水を入れて温度を調整。
これで初日の作業は終了。



二日目は踊りという。
これは昨日仕込んだ桶で菌を増やすのだ。
いきなり大きい桶で大量の米と水が入ったところへ菌を入れても薄まってしまう。
なので小さい桶でどんどん菌を増やして大きめの桶へ移動させる。
二日目は特に作業はなく、翌日の準備ぐらいである。
だが他の作業はある。
蔵では作業場にコンテナを入れて、コンテナごと冷やし、その中で発酵、貯蔵をする。
スペースに限りがあるので、前々回に造った醪をそこから出して、新しく造る酒のスペースを確保する。
前々回のもろみを10リットルごとに布の袋にいれて吊るす。
こうやって搾ったものを『しずく』と呼んでいる。
これが純米吟醸のもとだ。。
二人一組でワイワイと作業をする。
一人が桶から醪をくみ出し、もう一人が袋の口を縛り、棒に吊るす。
マヌカの棒にぶら下がった袋からポタリポタリと、できたばかりの酒がしたたる。一番搾りだな。
この状態では酒は白く濁った液で、この後それの上澄みを取り、すっきりした飲み口の純米吟醸が出来上がる。







空になった桶を洗い、次の仕込みの準備ができた。
そして翌日に蒸らす米の分量を量り、洗う。
今回からは洗米器という道具を使った。
水の力で洗うのでそれなりの水圧が必要だし、排水の事も考えなくてはならない。
3人であーだこーだ言いながら、そこらじゅうの床をびしょびしょにしながらもなんとか使えるようになった。
使ってみると手洗いより均一に洗えるし米も傷まない。
こうやって人間は進化していくんだなあ。





三日目は仲添えと言う。
35キロの米を蒸して、冷ます。
麹を桶に入れ、水を入れて、数時間後に冷めた米を入れるのだ。
そして最後には氷水で温度を調整。
目標は7度。
米を手でほぐしてバラバラにすることにより温度もある程度下がる。
下がりきらない場合は氷を砕いて入れる。
桶に入れる水の量も決まっているので、氷を作る時もきちんと分量を量る。
そして翌日の分の洗米。
最後の日は55キロの米なので洗うのも大変だったが、今では文明の利器がある。
便利になりすぎて機械に頼るのが今の世の中だが、ある程度の便利さはあっても良いと思う。





四日目、留め添えと言う。
55キロの米を蒸す。
米を蒸す大きな釜、二つに分けて蒸す。
量が多い分、時間も余計にかかる。
「杜氏、お願いします」
蒸しあがった米をデイブに確認してもらう。
杜氏のOKが出たら、熱々の米を釜から出して平たい台に移す。
大きな釜に半身を突っ込み米をすくうのだから、かなり暑い。
真冬でも、汗びっしょりになる作業だ。
そして米を冷まし、桶に入れ、氷水で温度を調整。
手順は昨日と同じだがとにかく量が多い。
最終日は水だって120リットルも入れる。
昨日の目標は7度だったが、今日の目標は6度。
櫂でかき混ぜながら、水を入れては温度を計り時には氷を入れて又温度を計り、という作業を繰り返して6度にする。



四日目の夕方、一連の作業を終えた。
ここからは桶の中で菌にがんばってもらう。
そのために温度管理をする。
見方を変えれば、菌のために人間が働いている。
それもこれも旨い酒を造るため。
料理でも同じだが、手を抜いては本当に旨いものはできない。
菌と人間社会は古来、切っても切れない関係がある。
共存共栄、どちらが勝つのでも負けるのでもない。
それが『和』じゃなかろうか。
和とは人間関係だけでなく、菌も含めた世界のことかもしれない。
それが和醸良酒という言葉の本当に意味じゃないか。
桶をポンポンと叩いて呟いた。
「今回も旨い酒になってください」
今日も桶の中では菌がプツプツと息をしている。


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和醸良酒

2019-03-24 | 酒人
いろいろあった夏休みを終えてクィーンズタウンに戻ってきた。
その翌日から蔵で働く。
酒をブレンドさせて瓶詰にする酒造りの最終工程は造りと呼ばれる。
瓶詰の準備をして、作業に始まる時にアキがおちょこに酒を満たし僕に手渡した。
「まあ、これでもやりながらね」
アキは今年から働き始めた。
彼とは10年ぐらいの付き合いになるか。
年も同じぐらいで、スキーヤーでウィンドサーファー。
若い時にはバイクのレースもやってたというし、ヘヴィメタルバンドのドラマーもやっていたと言う。
まあ、いろいろなところで重なり合う友達なのである。
彼が蔵で働く前に電話で相談を受け、僕は強く勧め、働くことになり今は杜氏デイビッドとアキで酒を造っている。
瓶詰にする酒を口に含む。
旨い、文句なく旨い。
僕もアキも『春の小川ぼせせらぎのようなまろやか』とか「夏の夕立のような力強さ』などという酒の味の誌的表現ができない。
どれを飲んでも「旨いね」になってしまう。



クライストチャーチから戻って来る時にサーモンを1匹買ってきたので、それを蔵で昼飯に食おうという話になった。
家から簡易スモーカーを持ち込んで、その場でスモークサーモン。
出来立てのスモークサーモンを肴に、昼飯時に軽く一杯。
午前中にやった瓶詰の残りが、いい塩梅に残った。
さらに我が家の卵の卵かけご飯をアキにふるまった。
「うまいなあ、卵かけご飯。あまりに旨くて酒を飲むのを忘れっちゃったよ」
杜氏デイビッド、おかみさんのヤスコ、リチャードもみんなで一緒にサーモンを食らう。
旨い物を食べるときに人は自然と笑顔になる。
これが『和』というものだと思う。





先日知った言葉で『和醸良酒』というものがあった。
和が良酒を醸す、ということだ。
和とは人の和であり、平和の和だ。
争いのない、幸せな場であろう。
それが旨い酒を作る。
酒ができる要素は米と水と麹だけではない。
造る人の心も関係すると思う。
ギスギスした心で造ればトゲトゲしい味になるのではなかろうか。
楽しい心で造ればまろやかな味になると僕は信じる。
これは何も酒に限ったことではなく、野菜作りだってなんだって同じだ。



昼下がりはジャズなんぞ聞きながら、まったりと作業をする。
アキと色々な話をしながら作業をするのは楽しいものだ。
酒を搾る行程のタイミングで『荒走り』とか『中取り』とか『普通の搾り』というように分かれる。
それぞれに微妙に味が違い、中取りが一番旨い。
中取りと普通の搾りをブレンドする作業があり、それをアキと二人でやろうとしたら杜氏デイビッドが来て言った。
「せっかくだから二つの違いを味見してみれば?」
なんていい杜氏だろう。
すぐにそこで利き酒大会が始まる。
アキがおちょこ4つに中取りと普通の搾りを二つづつ入れて、テスト開始。
一つ目と二つ目は明らかに違いが感じられたが、三つ目、四つ目と味見をするうちに感覚が薄れていく。
そして一つ目と二つ目に戻った時には最初にはっきりと感じた違いもおぼろげになってしまう。
結局最後には全部「旨い」となってしまった。
杜氏デイビッドはさすがにピタリと当てて、杜氏の面目を保った。
そうやって和気あいあいと蔵の中で作業をするのだ。



人が造る場は人の心と深い関連がある。
和の場とは、言葉を換えれば愛の世界でもある。
愛が心の根底にある場合、全ての人が幸せになる。
誰かの不幸せの上に自分の幸せがあるのではない。
関わる人が全てハッピーになる。
これが幸せのバイブレーション、すなわち『和』なのだ。
アキが蔵に入ったことで、蔵の雰囲気は良くなり、さらに旨い酒が醸しだされる。
実際に全黒はどんどん旨くなっている気がする。
和醸良酒、そしてこれを飲む人も幸せになっていく。
そんな幸せの波動はまだまだ続く。
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旨い勉強会

2018-12-06 | 酒人
最近はニュージーランドでもじわじわと日本酒の人気が出てきている。
日本酒について勉強するコースがあるのを聞いたのは、ブロークンリバーのディッキーからだった。
ディッキーはビール職人でブロークンリバー・ラガーも造っている。
ブロークンリバーでの自ビールコンテスト、バーベキュー大会の審判も彼だ。
最近、オークランドで日本酒の勉強をしてきて、日本酒についてもっと知りたいから教えてくれと。
僕は自分が知ってる限りのことを話して聞かせた。
「ふうん、日本酒のコースなんてものもあるんだなあ」と思ったのが数か月前の話だった。
全黒の酒蔵で働き始め、杜氏デイブから「日本酒のコースをクィーンズタウンでやるから受けろ」という指令が出た。
ああ、これがディッキーの話していた日本酒のコースか。
面白い話は色々な所で繋がるものだ。
さらに杜氏は言った。
「当日は色々な試飲があるからバスで来いよ。どうせお前は吐き出したりしないだろ」
酒の試飲もワインと同じで、口でクチュクチュとやりペッと吐き出す人もいる。
そのままゴクリと飲んでしまう人もいる。
当然僕は後者である。



前日に深夜までのバスの運転の仕事があり、僕は寝不足のままバスで会場へ向かった。
会場は街中のホテルで、時間になるとパラパラと人が集まってきた。
酒蔵全黒からは杜氏デイブの妻のヤスコとタンケンツアーズのスタッフでもあるエロル、そして僕の3人。
エロルもタンケンツアーズで働くかたわら全黒も手伝う。
他にワイン関係の女の人が4人。
そしてダニーデンのオタゴ大学で化学かなんかを勉強しているマレーシア人、計8人である。
講師は日本人のフミ。
オークランドで日本食の店を経営しており、時々こうやって日本酒講座の講師をすると言う。
日本酒を世界に広めたいという夢を持っており、ディッキーの事を話したら覚えていて嬉しそうに笑った。
どの世界でもそうなのだが、夢を持っている人は好い顔をしている。
自己紹介の後でワイン畑の人から興味深い質問を受けた。
「あなた達は日本酒を造っているということだけど、作り手のポジティブな考え方が酒の味に影響を及ぼすと思う?例えばお酒のタンクに話しかけたりすると美味しくなるとか?」
そりゃ、あるだろうよ。でもそれは酒に限らず全てに当てはまるんじゃないか。
そんなつもりで大きく頷いたら、エロルが代弁した。
「それはあるでしょ、例えば野菜作りだってそうでしょ?」
彼女は同意し、なごやかな雰囲気で講義が始まった。



講義は先ず日本酒の基本的なことから。
材料は何で、アルコールは何パーセントぐらい、という話から。
このコースはレベル1で全く日本酒の事を知らない人向けなのである。
だが受講者全員が醸造の基礎知識を持っているので、まあ話が早い。
講師の話は時に基礎レベルをすっ飛ばし、専門レベルに入っていく。
受講者からの質問も奥が深いものが多い。
「この話は本当はレベル3でやることなんだけど・・・」
と講師が言うとおり、密度の濃い講習なのである。
酒の造り方、カテゴリー、お米をどうやって炊くか、麹の作り方、醸造、さらには『純米』『大吟醸』などの漢字の読み方まで。
勉強というものがあまり好きでない僕だが、このコースでは色々な学びがあり、あっという間に午前が終わりお昼となった。



昼食後はお待ちかね、試飲が始まる。
先ずは普通酒の代表で久保田の百寿から。
普通酒の試飲で久保田だ、ワンカップ大関ではないところから期待が高まる。
そして純米酒、純米吟醸、純米大銀業の飲み比べ。
フミが出してきた酒を見て驚いた。
テーブルに『上善水の如し』が3本並んだ。
うわあ、上善が出てきたよ、嬉しいな。
試飲は隣の人に酒を注いでいく。
隣のエロルが僕のグラスに酒を注ごうとした時に言った。
「エロル、これは俺の大好きな酒なんだ、ケチケチしないでドバっと注いでくれ。」
ヤツとも20年以上の付き合いだ。遠慮なく好きなことを言える。
普通はワインのテイスティンググラスに4分の1ぐらいだが、グラスに半分以上注がせた。
先ずは純米から。
そうそうこれが新潟の酒だよ。旨いな。
そして純米吟醸。おお、明らかに味が違うな。旨いぞ。
さらに純米大吟醸。わあ、このすっきり感。
純米吟醸と純米大吟醸では酒の味はほとんど同じだが、後味の切れが違う。
まさに水の如し、なのだが水っぽいのとは訳が違う。
清流の水を飲んだような爽快感がある。
きっとこの蔵で使っている水も旨いんだろうな。
みんなはワインをテイスティングするように口でクチュクチュ、ぺッとやっている。
僕は口の中で広げてゴクリと飲む。
赤ワインをのど越しで飲むような男である。
この喉を通る時の味、というのがあると思う。
科学的にはのどは味わう器官ではないのだろうが、そんなことはどうでもいい。
第一こんないい酒を吐いちゃうなんてもったいないではないか。
上善の純米大吟醸なんて次にいつ飲めるか分からない。
できればお代わりをしたいぐらいだ。
もうこれだけでも、来てよかったあ、などと思うのだ。



酒の造り方のところでは火入れをしていない生酒のテイスティングもある。
缶入りの酒は珍しいが、菊水の生である。
おお、これも旨いぞ。
これも新潟の酒だ。
僕はやはり新潟の酒が好きだな。
酒の試飲は僕とは反対側のテーブルから始まり、ぐるっと一周して僕の所で終わる。
自然、僕の席の辺りに、飲み残しの酒が集まる。
瓶なら蓋もできるけど、缶入りの酒なんて取っておけないよな。
それなら空けちゃわなきゃ、もったいない。
どうせ他の人は飲まないんだし。
造ってくれた人に失礼だ。
まことに都合の良い理屈をつけて、手酌で菊水を飲みながら講義を受けた。



最後の方では酒と食べ物の相性なんてこともやる。
講師が皿に塩、チョコレート、レモン、海苔、唐辛子を載せて、それを食べると酒の味がどうなるか試すのだ。
しよっぱさ、甘さ、酸っぱさ、うまみ、辛さを味わうのである。
おお、いいね、そろそろ酒のあてが欲しいと思った頃なんだ。
酒だけを味わうのもいいけど、旨い酒は旨い物と一緒に楽しみたいじゃないか。
グラスに純米酒と純米吟醸が注がれた。
うむ、塩はやっぱり合うぞ。昔の人は塩舐めて酒飲んだって言うしな。
海苔はどうだ、うーむ醤油が欲しいな。
チョコレートは?だめだこりゃ、合わないよ。
レモンの酸っぱさは、・・・良く分かんねえな。
辛さも、・・・ダメだな。
やっぱり塩が一番だな。酒の旨さが引き立つ。
お、なんかチーズも出てきたよ。
チーズをつまみに日本酒を飲んだことはないな。
どれどれ、ふむふむ、まあ悪くないってところだな。
あれ、まだ全部試し終わってないのにグラスが空いちゃったよ。
おかわり欲しいなあ。
でも「お代わりください」って言うのもちょっと恥ずかしいな。
そんなことをしながら、最後にはかなり気持ちよくなってしまった。



だが、へべれけになるわけにはいかない。
1日の終わりにはテストがあるのだ。
テストは選択形式だが100点中70点が合格ライン。
「ここはしっかり覚えておいて。テストに出るよ」
フミが日本の先生のように話すところを、酔っぱらった頭で覚える。
そしてテストを受けて1日終了。
テストの答案はそのまま封をしてロンドンに送りそこで採点をされる。
最後には飲み残しの酒を持って帰っていいぞと。
わーい、おみやげ付きだ。



1日の講習が終わった後は、希望者を募って全黒の酒蔵へ。
机上の講習だけでなく、実際の現場を見るのは最高の勉強だと思う。
デイブはニュージーランドにいる唯一の杜氏だ。
実際に造っている人の話は良い教材でもある。
できることなら毎回、コースの後に酒蔵を見学したい、と講師のフミが言った。
でも今回クィーンズタウンで開催されたのは特別で、普段はオークランドで講義をする。



もちろん試飲もあり。
でも今日は充分に飲んだので、僕は早々に切り上げた。



実はこの話、10月後半の出来事なのである。
ボチボチと文を書いていたが、テストの結果が出るまで発表を控えていたのだ。
まあ十中八九は大丈夫だろうと思っていたのだが、万が一落ちたらシャレにならない。
その場に居合わせた人に「あんなに飲んだから落ちたんだよ」と言われるのは仕方ない。
でも何も知らない人に、わざわざ恥をさらすこともない。
先日、合格証書が送られてきた。
気になる点数は、90点で堂々合格。
講師のフミとも友達になり、「全部飲み干す人はなかなかいません」という有難い言葉をいただいた。



こうして僕はレベル1の酒士?となった。
この話もお蔵入りすることなく、ブログネタとなったわけだ。
めでたしめでたし。
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蔵人の日々

2018-11-03 | 酒人
酒蔵で働く日々が続く。
仕事は雑用である。
鍋を洗ったり、瓶を洗ったり、と洗い物が多い。
先日は麹が届いたのでそれをほぐす作業をした。
麹は味噌屋ゴーティーのところから仕入れる。
酒用の米、五百万石をゴーティーの所へ送り、その米で麹を作ってもらい、送り返してもらう。
日本の酒蔵は自分の所で麹も作るのだが、全黒は小さな蔵なのでそこまで手が回らない。
送られてきた麹は固まっているのでそれほ手でほぐしてバラバラにするのだ。
新鮮な麹は香り良く、何かの花のような匂いがする。食べても美味しい。
僕はそれをほぐしながら旧友ゴーティーの事を思い出した。
見知らぬ人が造ったものでなく友達が作ったものを扱うのである。
作業にも想いがこもるというものだ。
麹は持ってみると、意外に軽い。
スカスカというような感じだ。
麹菌が米のでんぷんを分解して糖分に変える。
その糖分をイーストがアルコールにする。
タンクの中で、でんぷんの分解、そしてアルコールの造成と二つの工程が行われる。
これはビールやワインと大きく違うところで、日本酒ならではのものだ。
その大きな役割を果たす麹を粉々にして、仕込みに使うために分量を量る。
こういった作業は料理と共通するものがあり、僕は好きだ。
自分が何のためにするのか分からないでやるのと、作業の意味を知りながらやるのとでは大きな違いだ。



他の作業としては酒の瓶詰作業。
瓶を熱湯消毒して、そこに酒を注いでいく。
これは家でも自家製ビールでやっていることだ。
そして火入れと呼ぶ殺菌、要は湯せんで温める作業。
63度まで温めると『火落ち菌』という菌が死ぬ。
この火入れをしていないものが生酒だ。
生の方が旨いだろうが、火入れをしないと品質が落ちる可能性があるので、工程に必ず入る。
さらにそれを冷却、キャップ締め、箱詰め、そういった作業を繰り返す。





日本酒を作る行程で大切な仕事で澱引き(おりびき)というものがある。
これはどういったことかというと、搾りあげた酒を放っておくと、下の方に濁った澱と上澄みに分離する。
この上澄み液を取るのである。
取った上澄みを1週間ほど放っておくと、再び澱が溜まるので、またそれを取り除く。
澱引きは2回行う。
澱は『取り除く』のではなく、『引く』ものなんだな。
今まで知らなかった酒用語を知り、言葉の深さを知る。
日本語って素敵だな。
容器を空にして、最後におちょこに集めチビリとやるのが楽しい。
「こら!お前、飲むんじゃない!」などと野暮なことを杜氏は言わない。
それよりお客さんが来て試飲をしていると、横にいる僕にもはおちょこを渡してくれる。
良い杜氏だなあ。



先日は仕込みの段階で米を蒸す仕事をした。
酒の米は炊くのでなく蒸らすのである。
大きな窯で水蒸気が横から逃げないように目張りをして1時間以上かけて蒸しあげる。
蒸しあがったら、しゃもじで全体をかき混ぜて「杜氏、お願いします」とデイビッドに確認してもらう。
米を手で丸めてべたついていないか、そして食べてみてちゃんと火が通っているかチェックするのだ。
これがなかなか難しい。
まず火が通っていなかったらダメなので、再び目張りをして蒸らす。
炊き具合であと5分とか8分とか指示を出される。






杜氏曰く、やりすぎると米がはじけてしまうので、そうやらないように注意。
蔵には米が炊ける良い匂いが充満する。
何回かやりなおしOKが出たら、今度はそれを冷ます。
冷ます時に手でほぐしてバラバラにする。
冷めきったら米をもろみのタンクに入れる。
冷めていないとタンクの中の温度が上がり過ぎてしまう。
時には氷をタンクの中に入れることもある。
徹底した温度管理が大切なのである。







僕のビールはここまで徹底した温度管理をしていない。
だいたいイーストの働く温度の枠の中で、割と適当にやっている。
時々失敗もするが、それでもそこそこの味のビールができるので良しとしている。
だがそれは趣味の話であって、商業的にやるには常に同じ味にしなくてはならない。
プロの仕事とはそういうものなんだろうな。
こうして酒蔵で働く毎日だが、11月に入りそろそろガイドの仕事も予定が入り始めた。
酒造りは見習いだが、ガイドはプロである。
山にはまだ雪があるが、夏のシーズンも間もなく始まる。
今年もいいシーズンになりそうだ。

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蔵人日記

2018-03-31 | 酒人
蔵人の日々は続く。
冷え込んで山に初雪が降った日、『吊り』という仕事をした。
大きなタンクで米を発酵をさせると、醪(もろみ)というものができる。
この醪を布袋に入れ吊るし酒を搾るのである。
ドロドロの液体を10リットルごと袋に入れ、口を縛る。
船と呼ばれる大きな入れ物の上にマヌカの棒を渡し、袋を吊っていく。
船の中には絞ったばかりの原酒が貯まっていくわけだ。





使い終わったタンクを横倒しにして洗う。
タンクの中に頭を突っ込んで洗うわけだが、この作業がなかなかくる。
何がくるかと言うとアルコールがくるのである。
タンクの中にはアルコールが気体となったものが充満しており、そこに入るのだから否が応でもその気体を吸い込む。
すると頭がクラクラして酔っぱらってしまうのだ。
と言ってもへべれけになるわけではないが、飲むのとは違うアルコールの吸収の仕方だな。
こんなことも仕事をしてみて初めてする体験だ。
この年になって新しい経験をするのはなかなか良いものである。



船の中に溜まった原酒を取り出していく。
最初の方は白濁した濁り酒のようなもので、これを荒走りと呼ぶ。
その後で澄んだ酒が出てくる。
これが中取りと呼ばれる。
やはりいつものように味見をするのだが、あらばしりと中取りでは味が違う。
旨いのである。
人の言葉を借りるなら青りんごのような香りだと、ナルホド。
ううむ、できることならこの中取りのところだけ飲んでいたいな。
その後で出る酒は『攻め』なのだそうな。
荒走り、中取り、攻め。
ううむ、酒の世界でもこういう言葉があるのか。
日本語っていいなぁ。



何日かそうやって袋を吊るすのだが、袋の中心部に液体が溜まるのでそれをもみほぐす作業もする。
時にはヘマもする。
あまりに強くもみすぎて袋を破き、中の酒粕をぶちまけてしまった。
幸い大事にはならなかったが、何事もほどほどにということだな。
その後で袋をタンクに戻し上から石で重しをして最後の酒を搾りだす。





そうやって搾った酒をここでは『ふね』と呼ぶ。
ちなみに最初に吊って搾った酒は『つり』と呼ぶ。
ふねとつりでは味が違うのである。
吊りの方が味がすっきりしているのが僕でも分かる。
そうやって搾り出した後に酒粕が残る。



搾ったばかりの酒は真っ白の液体で、スパークリングワインのような酸味がある。
この原酒を何日か置いておくと、透き通った上澄みの下に白い澱(おり)が溜まる。
上澄みを取り出す作業を「澱引き」と言う。
目で見て透明な酒を取り出し、白く濁った酒を集めて置くとまたそれが澱と酒に分かれまた取り出しという作業を繰り返す。
澱引きをした後はフィルターをかけてこして、きれいな原酒ができる。
このフィルターで僕のビールを濾したら、もっと旨いビールができるんだろうな。
澱のところは発酵が進むのでピリピリした味になるが、澱を取り除くとまろやかな味になる。
旨いものを作るにはいろいろな作業があるのだ。



そうやってできた原酒はアルコール度が18パーセントぐらい。
これに割り水を足して15パーセントぐらいにして製品になる。
ここでブレンドの工程となる。
一回に作る量をバッチと呼ぶがバッチごとに味は変わる。
米も山田錦や五百万石を使う時もあればアメリカ米を使う時もある。
麹はネルソンの味噌職人ゴーティーから仕入れているようだが、前回は乾燥麹というものを使ったようだ。
常に試行錯誤を繰り返している。
ビール作りも同じだが、同じ材料を使っていても出来のいいバッチもあれば、それほどというものもある。
そりゃ毎回毎回出来がいいのに越したことはないが、菌は生き物である。
菌にも機嫌のいい時も悪い時もあろう。
全黒の場合、1回に作ったものにただ水を足すのではなく、3つのバッチをブレンドする。
このブレンドの具合が杜氏の腕の見せ所でもあるわけだ。
新潟に居た時に聞いた話だが、地元の人は「今年はあの杜氏がどこの酒蔵に行った」というような話を聞き、そこの酒を買うのだと。
本当の職人というのはそういうものだろう。





杜氏デイビッドがブレンドの具合を決め、このバッチを何リットル、こっちのバッチを何リットル、という具合に指示を出す。
それに従い正確に分量を量り、酒が出来上がる。
もちろん工程ごとの味見は欠かせない。
全黒の場合、「吊り」だけのブレンドは「雫しぼり」、「ふね」だけのブレンドは「ワカティプ、スリーピングジャイアント」、「吊り」と「ふね」のブレンドは「オリジナル」という商品名となる。
そうやってできた酒を瓶詰にして、再び火入れ。
そこにラベルを貼り、やっと商品となる。
いやはや、色々な工程があるとは思っていたけれど、実際に自分が関わってみるとそれが良く分かる。





杜氏というのは酒造りの最高責任者であるが、酒だけ造っていればいいというわけではない。
組織が大きくなれば、酒造り、梱包、営業、販売、その他諸々と分業になるだろうなということは理解できる。
全黒の場合、小さな蔵なので杜氏デイビッドが何でもやる。
何でもやるのだが、人間一人がやる仕事量は限りがある。
そこでデイビッドの女房のヤスコが販売、梱包、発送、シール張りなどの仕事もする。
まさに家内制手工業だ。
二人従業員も雇っているが手が足りない時には今回のように僕も臨時で雇われた。



さらに蔵には見学者や来客も来る。
その対応も杜氏がする。
あらかじめ来客者が来ることが分かっていればそれなりの準備や段取りもできるのだが、飛込みで来る人もいる。
NZ初の酒蔵と言うことで話題性は高く、どんなところでやっているのか見たいというのは、まあ考えられる心理だ。
そして人の好いデイビッドは酒蔵の説明、試飲などの対応をすると作業が滞ってしまう。
僕が働いていた期間でも何回かそういうことはあった。
不意の来客で時間を取ればその分作業が遅れ、帰る時間も遅くなる。
それでも嫌な顔一つせずに対応するのは、人が好いからなんだな。



さて肝心なお味である。
以前に比べ格段に味は旨くなっている。
去年のロンドンでの日本酒チャレンジでは堂々と金賞を受賞した。
そりゃ獺祭とか農口とかそういうようなお酒にはかなわないだろうが、全黒は素直に旨いと思う。
第一、不味い酒だったら蔵で働く気にもならない。
ロンドンで賞を取ったからか、そのロンドンから大口の注文も入った。
200本近い注文で、僕らもロンドンに送る酒の瓶詰めで大忙しだ。
ううむ、この酒が地球の反対側の店に出るのか。
日本で取れた米でニュージーランドで酒を造り、それがロンドンで消費される。
地産地消とは程遠いものだが、それを言っていたらイタリア産のパスタだって食えないし、南米産のコーヒーも飲めなくなってしまう。
旨い物のためには人間は労力を惜しまないものなのだ。



酒を作ってその後に出るのが酒粕。
カスと呼ばれるぐらいに大量に出る。
一回のバッチで100キロ近い酒粕が出る。
これで作る甘酒がこれまた旨い。
けっこう酒が残っている酒粕なので、甘酒でも酔う。
甘酒にしてもそんな多量には使えない。
そのまま捨ててしまうにはもったないので、何か有効利用はないかと皆いろいろと考える。
魚や肉を漬け込んで料理に使うのは一般的だ。
アロータウンの家主は酒粕を蒸留水と混ぜ、それを濾して化粧水を作っている。その名も『全白』。
僕も何十キロという単位で酒粕を貰った。
次回クライストチャーチに帰った時には酒粕石鹸を作ろうかと考えている。
それから思案しているのは酒粕ビール。
ビールを作る行程の途中で酒粕をいれてみたらどうか。
今年のブロークンリバーのビール大会にはこれで挑戦しようか。
夢は広がる。



寒い1日の終わりに杜氏デイビッドに頼み込む。
「なあ、今日はなんか熱燗で一杯やりたいから、何かちょーだい」
杜氏はその場で余っている酒をブレンドしてペットボトルにいれてくれる。
ひょっとすると心の奥では「こいつガバガバ飲みやがって」と思っているかもしれないが、人が好いからかとにかく何かしらくれる。
家に帰って日本酒に合う肴を造ってチビリチビリとやるのが楽しい。
だが飲み過ぎにはくれぐれも注意。
酒を扱う仕事は二日酔いでは絶対にやりたくないものだ。

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蔵人デビュー

2018-03-24 | 酒人
3月も半ばになるとガイドの仕事も減ってきて時間もできる。
そしてこういうタイミングでボスから話が持ち掛けられた。
「お前、蔵を手伝ってくれないか」
蔵とは酒蔵のことである。
ニュージーランド初の日本酒造りというものをうちのボス連中がやっている。
なんとも面白い人達なのだ。
最初の頃は味も安定していなく当たりはずれもあったが、最近では味も安定してきている。
僕も恩恵を受けて酒粕をもらったり、出来立ての酒を飲ませてもらってる。
生産量も増えてきて人手が足りなくなったので手伝ってくれという話がきたわけだ。
そんな面白そうなことを断る理由はどこにもない。
僕は二つ返事で引き受けて、蔵人デビューとなったわけである。
酒造りの責任者、いわゆる酒蔵の総監督を杜氏と言う。杜氏はデイビッド。
日本の酒蔵で修業をしたり、いろいろな所で研修を受けて資格を取ったり、頑張ってきた。
几帳面で真面目な性格の彼は、いいかげんで大雑把な僕とは対照的だ。



ビール造りは相変わらず続けているが、酒造りに関しては全くのシロートである。
杜氏デイビッドに言われたことをハイハイとやる。
何事も最初は下働きからである。
やることは器具の洗浄とか瓶詰作業。
やってみて改めて気づいたのが徹底的な殺菌消毒。
ここの蔵ではすべての器具を使う前に熱湯を通す。
僕は何年かビールを作っているがけっこう適当にやっていて、それでもなんとかやっている。
趣味の領域でやっている分にはそれでもいいが、売り物として出すにはそういうわけにもいくまい。
商売としてやっていくのと、自分が飲むためにつくるのとは違う。
これはどんな業種でも同じだろうが、プロがやる仕事と素人がやるのでは違うものだ。



行程の一つで火入れという作業がある。
これは火落ち菌というものを省く作業だ。
この菌があると、その場で飲む分には体に害はないが、後々で酒を台無しにしてしまう。
63℃から65℃の間で3分間。
出来立ての酒を一升瓶に詰め、それを大鍋に並べお湯を張り加熱。
温度計をにらみながら3分したら急速冷却。
一升瓶の蓋をテープでグルグル巻きにして、冷蔵庫で保管。
こういった作業も大量に造るのには、効率の良いやり方があるのだろうとは思う。
それにはそれなりの設備投資も必要である。
全黒の場合は家内制手工業。
チマチマ、せっせと作業を繰り返すのだ。



少量生産ゆえに値段にも反映する。
ここの酒は決して安いとは言えない。
日本酒ゆえに日本で売っている日本酒と比べられる事も多い。
日本では一升瓶の日本酒が2000円ぐらいで買えるが、ここでは4合瓶で5000円ぐらいになろうか。
日本に比べれば、べらぼうに高いがそれはここでの人件費、材料費、税金、その他もろもろでこれぐらいの値段になる。
これは仕方のないことだと思う。
高いと思えば買わなけりゃいいだろうし、払う価値があると思えば買うだけだ。



そもそも単純に高い安いという値段だけで人はその物を判断する。
安けりゃ飛びつくし、高けりゃ文句を言う。
もう何年も前か、ある日本人の集まりで納豆を作って売ったことがある。
その時に知り合いの人に「高い」と文句を言われた。
値段は1パックで1ドルぐらいだったような気がする。
自分としては儲けを出す気はなく、ボランティアのような感じでやったのだが、とにかくそう言われた。
僕は頭にきて「じゃあ買わなくていいです」と断った。
だいたい自分でやらないやつが、そういうことを言う。
じゃあ自分でやってみろって言うんだ。
それ以来僕は自分が造った物を売るのをやめた。



もろみというものを絞ると真っ白いお酒ができる。
これを置いておくと、白く濁った部分と透き通った上澄みに分かれる。
この上澄みを取り出す作業をおり引きと呼ぶ。
これを何回も何回も繰り返し澱を徹底的に取り除く。
そうして出来上がったものが原酒だ。
原酒の時点ではアルコールが18パーセントぐらい。
これに割り水と呼ばれる水を足して14パーセントぐらいまでアルコールを下げ、再び火入れをして商品となる。
当然ながら原酒の方が濃くて旨い。



作業の合間に品質チェックも欠かせない。
要は味見である。
そこへ至る行程により、酒の味も変わる。
出来立ての火入れをしていない生酒をチビリチビリと舐めながら仕事をする。
大事な酒を扱うのだから酔っぱらってヘマをしては元も子もない。
それでもタンクの底に残った酒を集めてチビリ。
瓶詰めにして余った酒をチビリ。
分析し終わったお酒を貰ってはチビリ。
そんな具合で仕事をするのである。



そしてやはり生の原酒は旨い。
こんなことを書くと皆の心の声がきこえてくるようだ。
「こんなこと書きやがって、この野郎。自分ばかりいい思いをしやがって。俺にも旨い酒を飲ませろ」
いやいや、それはやはり売り物ではありませんから、お客様にお出しすることはできませんがな。
農家でもそうだけど、生産者は一番旨いところを食するのだ。
新潟に居た頃、地元の人が自分達用に作っている米を食わせてもらった。
売っているコシヒカリとは違い「こんなに旨い米があるんだ」とびっくりした。
それを味わいたければ自分で作るか、もしくは身内になるしかない。
あとは大金持ちになって酒蔵のオーナーになる、という手もあるな。



ともあれ蔵人になってみると、いろいろと違う面も見えてくる。
この年になっても新しい経験ができることは素晴らしいことだ。
経験イコール財産であり、またガイドネタが増えた。
しばらくはガイドと蔵人の二足のワラジを履く日々である。
コメント (2)
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